20190610

北欧3ヵ国を訪ねて 71: シェラン島北東部を巡る 3: 野外博物館 1






*1


2回に分けて野外博物館を紹介します。
これでスカンジナビア3ヵ国の民俗家屋をすべて見ることが出来ました。
訪問したのは2018年6月8日10:00~11:00で、
ちょうど1年前でした。


 
< 2.野外博物館の地図 >

上: ホームページにあった地図。
本当は大きな地図で、展示家屋に番号があるが説明はデンマーク語です。
ホームページは英語表記が可能です。

下: 全景写真、上が北。
南北の長さは約1.4kmあり、黄色線が博物館の敷地です。
赤矢印の建物から入場し、ピンク線を徒歩で巡りました。
速足で一割ほどの家屋を見るだけで一時間掛かりました。

次の訪問地に急ぐ為、職員に頼んで黒矢印のゲートから特別に出してもらった。


野外博物館、FrilandsmuseetThe Open Air Museum)について

開設されたのは1897年と古い。
1650~1950年に建てられた主に農家100軒以上が、広い草原や森林に移築され再現されています。
出来るだけ自然な保存を心がけているようです。

平地なので歩き易いが広大です。
またスウェーデンのスカンセン野外博物館のようなレジャー施設はないようです。
参加できる催しはあるようですが、学生が民俗を学ぶ場所に特化しているようです。
また他の2ヵ国と違って、家屋内に説明員はいませんでした。
お陰で気兼ねなしに見学出来ました。

スウェーデンやノルウェーの野外博物館と違ってほとんど学生だけで、家族連れや海外の観光ツアー客には出会いませんでした。
コペンハーゲンから離れていることもあるかもしれない。


 
*3


 
< 4.No1の建物 >

上: 建物の説明書き。
ユトランド半島の北西部、北海に面した砂地に18世紀建てられた。
家族6人と家畜が右上に表示されている。
住人は農業と漁業を行っていた。

デンマークは大陸から突き出たユトランド半島と数多くの島からなる。
この半島の西側、北海に面したエリアは氷河後退により土壌が貧しく、高木が育たない。
なので、このような屋根は草ぶき、外壁は石やレンガなどになったのでしょう。
他の二ヵ国は圧倒的に巨木をふんだんに使い、屋根を樹皮で拭くこともあった。


 
< 5.No1の室内 >

室内の床、天井は木材、壁は木材と漆喰のようです。
良く分からないのですが、木材を燃やす暖炉(鉄製ストーブのような物も)などが室内にはあるのですが、
この建物には煙突が無かったようです。
ひょっとすると白川郷の合掌造りのように、排気を屋根裏を通しているのかもしれません(暖房の為か)。



 

< 6.No2の建物 >

上: 建物の説明書き。
ユトランド半島の中央西部、北海に面した所に18世紀建てられた。
住人は船長で、大半を海で過ごし、この農家を手に入れた。
住人は9人と家畜が右上に表示されている。
収入はアイスランドとの航海で得ていた。


< 7.No2の建物 >

内装、調度品、食器などから前の家よりは良い暮らしぶりがうかがえる。

下: これは暖炉と竈の兼用らしい。



 
*8

全体に長方形の大きい家屋が多いようです。


 
< 9. 風車 >

この敷地内には三基の風車があった。


 
< 10. No6の家屋 >

上: 建物の説明書き。
二番目に大きい島、フュン島の農業に適した森林に18世紀建てられた。
住人は代々製粉業者として成功し、二基の水車を所有していた。
住人8人と馬などの家畜が右上に表示されている。

森林に囲まれた敷地内の三方に長い家屋が配されている。
一方の裏が小川で水車がある。

中央: 今から敷地内に入って行く。



 

< 11. No6の水車 >

確か、室内は入れなかった思う。
水車の横軸が家屋内に入っており、これが製粉機を回していたのだろう。



次回に続きます。




20190608

平成の哀しみ 55: 日本経済に何が起きているのか 18: 夢のバブル経済 8


 
*1

バブルの元凶


 
*2


なぜ多額の借金が出来るのか

もし皆が自己資金だけで投機していればバブルは抑制され暴落しても負債に苦しむ人はいなかった。

バブルの燃料は際限のない借金。


 
*3

日銀が市中銀行に通貨を大量に供給すると銀行は融資を活発化させる。
この融資が消費と設備投資に向かえば良いのだが、手っ取り早く稼げる投機物件に集中し爆発的な借金が始まる。

さらに金融機関の担保査定やレバレッジなどが投機家の自己資金の何倍もの借金を可能にする。

そして実態以上の消費と生産が起こり、崩壊後は負債と不要物件が大量に残った。

この損失はバブル期のメリットを凌ぐ。
そして9割の国民の所得が低下し、所得格差の拡大が起きた。


金融緩和と公共事業で直接間接に消費を喚起し、一時期失業率を低下させても、その反動でさらに経済悪化と累積債務増が起こるだけだった。

前者の通貨供給増の政策は、先進国が80年代から拡大して来た。

これは巨大バブルと崩壊を生んだ張本人なので避けるべきなのですが、政府と経済界(金融)は、その魔力から抜け出せない。


 
*4

図のように日銀の供給した400兆円を誰も借りて投資や消費をしない。
つまり麻薬すら効かない体に日本はなってしまった


次に続く


20190607

平成の哀しみ 54: 日本経済に何が起きているのか 17: 夢のバブル経済 7









バブルは馬鹿げている


 

1991年のバブル崩壊で

ある人が預金2千万で宅地を買った。
これが3千万に値上がりしたので、これを担保にした借金3千万で原野を買った。
両方2倍に値上がりし合計評価額は1億2千万になった。

だがバブル崩壊、すべて売ろうとし宅地だけが1千万で売れた。


 


何が起きたのか

彼の預金2千万は借金2千万に化け、売れない原野が残った。


誰が大儲けしたのか

バブル崩壊で日本に200兆円の不良債権が生じた。
一部には儲けた人もいるが多くは大損し、役に立たない物件が全土に残った。
政府は国民からの100兆円で大手金融と大企業を支援した。

つまり投機を避けた国民も不景気と多額の拠出(国債)を強いられた。


誰が始めたのか

日銀が市中銀行に大量の通貨を供給し、銀行は低利で不動産融資を始めた。


なぜ過熱するのか

投機参加者は価格上昇は永久に続くか、自分だけは暴落前に売り逃げて儲かると妄想する。
金融業や証券屋はこの時ばかりと金利と手数料を稼ぐ。


なぜ崩壊するのか

ねずみ講と同じで、いつまでも人々が買い続ける限り安泰だが、
誰かが限界に気付き売り始める。
皆、借金で投機しているので我先に売り急ぐ。

こうして崩壊は一瞬に起こる。


次に続く



20190606

平成の哀しみ 53: 日本経済に何が起きているのか 16: 夢のバブル経済 6






何ぜバブルは繰り返すのか


理由
1.バブルは利益を生む。
2.バブル崩壊を制御出来ない。
3.崩壊の救済が次のバブルを生む。


説明

1. 投機家は財の価格上昇に賭けて資金を投じバブルの主役になる。
そして売買を繰り返せば資金は数倍から数十倍にもなる。





 

バブル崩壊で政府は金融業界と大企業を救済するので、バブルで膨張した資産は上位層ほど多く残る(図)。

政権は好景気が支持率に結び付くので景気を煽ることはあってもバブル崩壊の口火を切りたくない。
当然、バブル崩壊の責任を誰も取らないのでバブルはなくならない。


2. 優秀な中央銀行総裁であってもバブルを無難に終息させられない。

下手に金融を引き締めると崩壊が起きるので誰も避ける。

またバブルの実体を把握出来ないことが大きい。
いつも新手の金融商品と法の抜け穴を掻い潜る手法がバブルの主役になる(サブプライムローンの証券化)。


3. 崩壊すると金融危機が起こり放置すれば傷口が広がるので、政府は大規模な金融支援と景気刺激を行う。

さらに金融の規制緩和、通貨増発と公共投資拡大が行われ、次の深みに進む。
(レバレッジで自己資金の数十倍まで投資可能へ)


こうしてバブルは投機家、金融業界、政府によって生み出される。


次に続く


20190605

平成の哀しみ 52: 日本経済に何が起きているのか 15: 夢のバブル経済 5







バブル崩壊は社会を破壊する


 


1997年にアジア通貨危機が起きた。

通貨の暴落によって、アジア5ヵ国が一瞬にして好景気から金融危機に陥った。

被害は?

各国のGDPは軒並み50~30%減少した。
貧困率はインドネシアで2倍以上に跳ね上がり4500万人も増え、韓国も2倍以上になった。
男性の自殺はタイや韓国で約2倍に増えた。
これは倒産・失業の直接の影響だが、それ以外の被害も甚大だった。

生活物資の高騰と失業者増大で栄養失調が蔓延した。
さらに各国は税収減とIMFの勧告により福祉・医療予算の大幅な削減を行った。
これによりタイ一国(人口6700万人)で、その後の5年間で肺炎、結核、HIV(貧困による売春増加も)による死亡者数が5万人増加した。
バブル崩壊は経済を破壊するだけでなく、緊縮財政により弱者・貧者を追い詰める。

IMFと日本が合計5兆円の支援を行ったが、多くは経済・企業の救済になる。
こうしてバブル崩壊を繰り返すたびに先進国でも所得格差が広がっていく。

この切っ掛けはヘッジファンドがタイの通貨を空売りし、通貨が大幅に下落したことによる。
欧米の投機家が数千億円の利益を得るが為に、アジアの約10万人の命が奪われた。


次に続く


20190604

北欧3ヵ国を訪ねて 70: シェラン島北東部を巡る 1: Lyngbyの公園




 
*1


今日は、Lyngbyの公園Sorgenfri Slotshaveを紹介します。
野外博物館近くにある大きな森林公園です。
多くの子供達が遊んでいました。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上: Lyngby駅から野外博物館までを示します。
青線がバスルートで、最上部が博物館前のバス停です。
Lyngby駅から博物館までの距離は2km強です。
黄色枠がSorgenfri Slotshave公園で長さが約1km、その上部の赤枠が野外博物館です。

下: 野外博物館入場前の私の散策ルート。
バスを降りて、黄色線に沿って公園を通り、帰りはオレンジ線のルートで野外博物館まで戻って来ました。


 
< 3.野外博物館近くの車窓風景 >

新しい住宅と古風な邸宅が混在しています。
皆、進行方向左、西側の景色です。


 
< 4. 乗ったバス >

上: 車内。
下: 降車したバス停から、すぐ右手奥に野外博物館の入場口がある。



 
< 5. 野外博物館 >

上: 野外博物館入口。
到着したのが9:10で、開場が10:00なので誰もいなかった。
周辺を散策してみようと思った。


下: ちょうど博物館の向かいにあった古風な建物。
これも博物館の一部かもしれない。


 

< 6. 遠足? >

どこに行こうかと考えあぐねていると子供達の遠足に出会った。
彼らの向かう先に公園があったので、そちらに向かう。


 
< 7.公園までの邸宅 >

歩いていると人や車が少ないことに驚かされます。
その一方、けっこう自転車に乗って移動している人がいます。

皆、大きな建物です。
ここで気付いたことがあります。
よほど大きな屋敷でない限り、これらの家は周囲を芝生の庭より深い木立で囲むことを好んでいるようでした。


 

< 8. 公園の入り口 >

公園Sorgenfri Slotshaveの入り口の一つです。
この公園は18世紀後半に作られたバロック風庭園だそうです。
私が散策した範囲は全体の1/10にも満たないが、中心部に王宮の庭園があります。
近くの大きな湖から水が引き込まれて小川や池が配されています。



 
< 9. 子供達が遊んでいます >

本当は近くまで行って写真を撮りたかったのですが、スウェーデンのシグツーナの小学校で児童を撮ってえらい目にあったので、避けました。

デンマークを平日歩いていると、自然豊かな公園で学童達がのびやかに遊んでいる光景をよく目にしました。


 
< 10. 池 >


 

< 11. 池と電車 >

上: 実にのんびりした光景です。
この光景が住宅街のすぐ横で楽しめるのです。

下: 単線の電車でした。
この奥にもすぐ住宅街が広がっています。


次回に続きます。








20190602

平成の哀しみ 51: 日本経済に何が起きているのか 15: 夢のバブル経済 4





 



バブルが経済を破壊した


日本が零成長になったのは1991年からでした。

その5年前から円高による景気減速を補うために政府・日銀は大規模な公共投資・金融緩和を行った。
これが土地投機などの巨大バブルを生み、やがて崩壊した。

これによって不動産企業だけでなく金融業界も大きな負債を、また多くの企業が余剰設備と負債を抱えるようになり、大型倒産が続発した。

その損失は短期的には倒産・失業・就職難が大きいが、それだけではない。


 


一つは危機終息と税収減、景気刺激の為に、図のように大幅な国債発行や増税を続けることになる。
結局、国民が尻ぬぐいをする。

今一つは企業家が消極的になったこと。
彼らは設備投資と賃上げを避け、その分を内部留保に回し海外投資に奔走するようになった。
これが先進国中、日本の生産性だけが延びず、消費が増えない理由であり、デフレ、成長率零の根本原因です。

これには先例があり、英国も19世紀、有り余る資金を海外投資に回し、国内は衰退に向かった。
安倍首相が海外への融資や援助で60兆円ほどばら撒いたのも同じです。

つまり日本はバブルで道を誤り、崩壊後も政府は闇雲に衰退へとリードしている。

実に馬鹿げている。


次に続く



20190601

平成の哀しみ 50: 日本経済に何が起きているのか 15: 夢のバブル経済 3



 

バブル崩壊は世界を戦争に幾度も駆り立てた


英国がアフリカに侵出した帝国主義の開始は1870年代でした。

19世紀になると欧州を中心に恐慌が繰り返すようになり、73年から20年間も続く大不況が欧米を襲った。
これは普仏戦争と南北戦争後に起きた投機ブームの破裂が大きい。
各国は保護貿易に向かい、軍事大国であった英国は植民地獲得に乗り出した。
この間、ドイツは国内投資に傾注し、英国は海外投資に躍起になり後の衰退を決定づけた。


 

 


日本が大戦に突入することになる満州侵出は1930年でした。

1920年代になると大戦特需後の戦後恐慌、関東大震災の不良債権が切っ掛けとなった金融恐慌、さらに29年の米国発の世界恐慌が3度も続けて襲った。
続く戦争、繰り返すインフレと恐慌によって農村は疲弊し、大震災が重なり、政府は打開策として移民を奨励した。

こうして満州は経済復活と開拓移民の期待を担った。




 


第二次世界大戦は1939年に始まった。

主役のドイツは先の大戦による荒廃と戦時賠償に苦しんでいた。
世界恐慌がまたも保護主義を招き、ドイツの自立復活の望みは絶たれた。
既に右翼化していたドイツはヒトラーが宣言する大帝国復活に託した。


次回に続く