20180805

北欧3ヵ国を訪ねて 18: シグツーナ 2




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今日はシグツーナの後半です。
ここにはヴァイキング時代を偲ばせる遺跡があります。
少しヴァイキング時代に思いを馳せます。


 
< .散策ルート、上が北 >

今回紹介するのは黄線のF、G,H,Iです。
この道の北側がヴァイキング時代の王都の中心地だったところです。


 
< 3. 教会跡、Sankt Pers kyrkoruin >

上の写真: 南北に延びる広い道を少し上ると左手の木立の中に石積みの廃墟が見えた

下の写真: それが教会跡、Sankt Pers kyrkoruinです。
この建物は1100年頃に建設された。



 
< 4. 教会跡、Sankt Pers kyrkoruin >

倒壊の危険があるため柵で囲まれ、入ることが出来ない。
地図のBの位置。

実は、ここで私は自らトラブルを引き起こしてしまった。

林に入り、遺跡の写真を撮っていると、奥から子供たちの笑い声が聞こえて来ました。
そこには小学校の校庭があり、多くの子供達が楽しそうに遊んでいました。
私は校庭の様子、遊ぶ子供達を撮り始めました。
すると離れた校舎から二人の女性が猛烈な勢いでこちらに走って来るのが見えました。

彼女達は厳しい口調で、写真を消せと攻め立てました。
彼女らは私の横に立ち、子供達が写っている写真が消されていくのを一枚一枚確認し続けました。
私は焦り、幾度もミスをしながらやっと作業を終えました。

この時、彼女達の厳しい口調は消えていました。
恥ずかしさと口惜しさが込み上げて来ましたが、私が言えるのは「サンキュー」だけでした。

子供の写真を無許可で撮ることは北欧では不可です。


 
< 5. 住宅街 >
地図の黄線のFからHの間。

上の写真: 教会跡の近く。

下の写真: 前回紹介したタウンストリートStora gatan側(湖側)を見ている。


 
< 6.二つの教会跡 >

上の写真: Sankt Lars kyrkoruin、地図のG。
この建物も1100年代に建設された。

下の写真: Sankt Olofs kyrkoruin、地図のI。
この建物の建築は12世紀前半に始まりました。
周囲はお墓で、同じ敷地内にSankt Mariakyrkanがあります。


 
< 7. Sankt Mariakyrkan >

地図のIの右側(東側)。
この教会は1230年代に建築が始まった。



* シグツーナの歴史

シグツーナの歴史はスウェーデン・ヴァイキングの歴史でもあります。



 
< 8. ルーン石碑 >

地図のH、Sankt Lars kyrkoruinの前に二つありました。

シグツーナの石碑は11世紀後半に造られた。
これら石碑には模様と共に、ルーン文字で故人の事績が刻まれている。
元々、文字は赤色に着色されていた。

ルーン文字はゲルマン民族の古代文字から派生したもので、北欧ではアルファベットが24から16文字になり、刻印し易い直線的な文字になった。
北欧では口頭伝承が重視されていたので、ヴァイキング時代の文字はこれら石碑に残るだけとなった。
やがてキリスト教が浸透するとラテン語が普及しルーン文字は廃れた。

したがってヴァイキング時代の歴史は、ヴァイキング時代(800-1050年)が終わってから書かれた叙事詩サガ(12-13世紀)などから知ることになる。

左上の石碑: U390の碑文はSven と Ulv の二人男の鎮魂の為に建てられたようです。

興味深いのは、この碑を建てたUlvの妻Frödisは、赤毛のエリックErik the Redの娘だと言うことです。
この赤毛のエリック(ヴァイキング時代の950年頃-1003年頃)はノルウェー人でアイスランドに入植し、さらにグリーンランドを発見している。
さらに彼の息子Leif Eriksonが1000年頃に北米大陸を発見しVinlandと名付け、上陸している(入植は失敗)。
なんと彼女もこの北米の地の探検隊に参加したとサガに書かれており、親子揃って旺盛な冒険心を持っていることに驚かされます。
また彼女がスウェーデンのこの地に碑を建てていることに、ヴァイキングの行動範囲の広大さがわかります。

下の地図: Erik the RedLeif Eriksonの航路がわかります。
渡海した船は当然、ヴァイキングの船(約40~80人乗りのオールと帆柱付き)でした。
ノルウェーから北米大陸のVinlandまで直線距離で40万kmはあり、彼女は北海を往復して、さらにシグツーナまで来ているのです。


 
< 9. ルーン石碑の分布 >

スカンディナヴィアでは、およそ6千のルーン石碑が見つかっているが、そのうち3千はスウェーデンで発見されている。

上の地図: スカンディナヴィア全体のルーン石碑分布。
赤の部分が石碑の多い所で、ここがヴァイキング時代に栄えていた地域となる。

下の地図: シグツーナのルーン石碑分布。
私が見たのは二つに過ぎない。
このルーン石碑の密集しているところが、ヴァイキング時代の中心地だった。



 
< 10. ヴァイキング時代に栄えていた町 >

上の地図: スカンディナヴィア全体図。
スウェーデン・ヴァイキングの初期の中心地はバルト海に浮かぶ島ゴットランド(右下)のVisbyラレン湖のBirkaでした。
やがてラレン湖で王権が誕生し、11世紀初めに三代目の王オーロフ・シュートコーヌングOlof Skötkonungがシグツーナに拠点を移した。

彼はキリスト教の洗礼を受けたスウェーデン最初の王でした。
それまでは異教が崇拝され、異教の寺院が各地に建っていた。
こうしてこの小さな町に7つのキリスト教会が建つことになったのです。
しかし1世紀もすると拠点は北部のウプサラ Uppsala(かつて異教の聖地)に移り、さらに13世紀半ば以降はストックホルムが中心地となった。


下の地図: メラレン湖。
この湖は海上交易に有利だった。
ストックホルムが栄えるのはヴァイキング時代が終わり、ハンザ同盟の活躍でバルト海の交易が盛んになり、ここが同盟都市となってからです。


 
< 11. シグツーナの再現 >

上の図: 王都シグツーナの様子。上が北。
ドットの範囲が当時の中心地。
今の湖岸のラインはヴァイキング時代より後退しており、水深は浅くなっている。
これは当時が温暖期にあたり、また氷河期終了後から続いている大地の上昇によるものです。
この面積から察すると、王都の人口は多くて1~2千人に過ぎなかったでしょう。
シグツーナはこの王都になった1世紀以内に、東方のヴァイキングにより破壊され焼失の憂き目に合っています。


下の図: ヴァイキングの町ビルカの再現模型。
ビルカも島の湖畔の一角に出来た町で、おそらくシグツーナもこのようだったのでしょう。


 
< 12. シグツーナ >

左上の絵: 王都の再現図。
図11の上の図のドット範囲を東側から見ている。

右上の写真: 発掘された人形頭部。
ヴァイキングの兜を被っている。

下の写真: スウェーデンで最初に発行された硬貨。
王オーロフによって995年、シグツーナで造られた。
硬貨にはラテン文字でオーロフ王と書かれている。
貨幣経済は遅れていたが、以前、硬貨はイスラム圏や西欧から入手していた。


次回に続きます。





20180802

北欧3ヵ国を訪ねて 17: シグツーナ 1






*1


2回に分けて小さな町シグツーナSigtunaを紹介します。
ここには湖畔の美しい街並みがあり、スウェーデンで最も古い街と言われています。
かつてはヴァイキングの王都の一つでした。



 
< 2.散策ルート >

赤丸のシグツーナ・バスターミナルから赤線、そして黄線を通り、元に戻りました。
今回紹介するのはE辺りまでです。

散策したのは2018年6月1日(金)8時30分から10時30です。
快晴で、歩き始め時は清々しかったが、後半は日差しが暑く、汗が滲んだ。

Bの観光案内所で荷物預かりが可能なのですが、オープンが10時からなので、私はリュックを背負いスーツケースを引き摺って散策しました。

フリーの旅行では荷物を預ける場所が重要です。
ここは事前にメールで確認していました。
今回の旅行の荷物預けは、これ以降すべてホテルか鉄道駅のロッカーで行った。
駅やフェリー・ターミナルなどのロッカーの有無を事前に確認するのに、非常に手間取りました。



 
< 3.タウンストリートStora gatan >


 
< 4. 非常に小さい市庁舎Sigtuna Rådhus >

朝早いので店や博物館などはどこも開いていない。
人はまばらで、オープン前の作業や工事をする人を少し見かけた。
この市役所の前で3人の学生が写真を撮っていた。



 
< 5. 観光案内所と通り >

上の写真: 地図のBにある観光案内所が左に見える。
緑色の「 i 」の看板があるところ。


 
< 6.公園と博物館・美術館 >

下の写真: この建物の後ろと左側に博物館と美術館がある。
但し、オープンは12時から。
地図のCの辺り。



 
< 7. 湖が見える邸宅 >

上の写真: 柵にペンキを塗り直している人が見える。
この右側にホテルがあります。
地図のDの辺り。


 
< 8. 湖畔 >

地図のDの辺り。
この湖には藻や水草が多く、小魚が多くいるようです。


 
< 9. 港 1 >

上の写真: ヨットハーバーのオフィスのようです。
百年以上前は、ここからストックホルムまでの蒸気船が交通手段だったようです。

中央の写真: 黒い建物がおそらくボートの発着桟橋。
今も観光シーズンには毎日、クルーズ船がストックホルムから出てこの港に来ています。
片道2時間30分の船旅です。

下の写真: 11世紀初頭のシグツーナの再現図。
再現図にヴァイキングの湖畔に広がる村の様子が描かれている。
当時はヴァイキング時代の末期で、ここに初期王朝の館があった。
古い教会跡やルーン文字の碑が残っており、往時を偲ばせる。


 
< 10. 港 2 >

下の写真: このようなベンガラ色の家が並ぶきれいな港町がスウェーデンのバルト海側(Torsaなど)にあるのですが、ここで見ることが出来ました。


次回は古都シグツーナと遺跡を紹介します。



北欧3ヵ国を訪ねて 16: 2日目、ホテルからシグツーナへ

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今日は、ホテルからシグツーナ到着までを紹介します。
ホテル、Travelcardの使い方、バスの乗り方、車窓の景色を紹介します。


 
< 2. 空港、ホテル、シグツーナの地図 >

左上の地図: ストックホルム中央駅、ストックホルム・アーランダ空港、ホテル、シグツーナの位置関係を示します。
右上の白丸が空港、上の赤丸がホテル、赤矢印がシグツーナ、右下の白丸が中央駅です。
空港と中央駅の直線距離は36kmあります。


右上の路線図: ストックホルム公共交通機関SLの路線図の一部。

乗り放題のStockholm Travelcardで空港からストックホルム中央駅方面(Stockholm City)に行く場合に追加料金が必要になります。
その理由は地図上の空港Arlanda Cのすぐ下に横線がありますが, この下側からTravelcardが乗り放題で、空港駅は範囲を越えているからです。
一方、左側に分岐した線路上のMÄRSTAは範囲内になっています。


下の地図: 私がホテルからシグツーナに行った方法。
青線がバスルート、黄色丸がホテルです。
ホテルから1.2km離れたバス停Märsta Fältvägen(道路Måbyleden)
まで歩き、そこからバスに乗りました。


 
< 3.Best Western Arlanda Hotellby >

このホテルに一泊し、朝7時半頃に出て、バス停に向かいました。
右奥がフロントや食堂がある棟です。

前日のチェックインでは若いフロントマンが私のつたない英語に丁寧に対応してくれました。
私は気を良くして旅を始めた。
今回の北欧旅行のホテルはすべて、朝食付きかオプションで朝食を付けました。


 
< 4.宿泊棟 >

上の写真: 私の部屋は左手前の棟、1階左側の1室です。

下の写真: 1戸建ての客室もあります。
この建屋の前がテラスになっており、ここで二人の男性が飲食(ビール?)を始めていました。
別に幼い子供二人を連れたお母さんも見ました。



 
< 5.フロントとレストラン >

上の写真: 右側がフロント。

下の写真: 朝食時の様子。
フロントの前のロビーにビュッフェの料理が並んでいる。
この奥の食堂で食べます。
この日の朝食時間は5:00-9:30でした。
今回のホテルの中ではここの料理とパンの種類は多い方でした。

私は6時から食べたのですが、食堂には作業着を来た屈強な男性三人連れと老夫婦がいました。
私の見た限りでは、ホテルの宿泊者は車で来たビジネス客や国内客のようでした。

ホテルをチェックアウトする時、フロントに人は居らず、部屋の鍵を置いてカウンターに置いて去りました。


 
< 6. 部屋の中 >

部屋は広く、静かで、過ごしやすかった。
バスルームはシャワーのみです。
今回のすべてのホテルもシャワーのみでした。

なぜこのホテルを選んだのか?
空港に隣接するホテルの宿泊費はこのホテルの倍近いからです。
12月初旬に価格を調べている時はまだ安かったのですが、12月末に予約した時は価格が上がっており、キャンセルも出来なくなっていた。
ホテルを安く予約するには半年前では遅いようです。
今回のホテルはこのホテルを除いて、すべてキャンセル可を選びました。

もう一つの理由は、一応バス停に近く、早朝、直接シグツーナに行けるからです。
ただ実際にスーツケースを引き摺って荒れた道を歩いてみると、良い選択とは言えなかった。
私の乗ったシグツーナ行きのバスは空港発なので、朝一度、ホテルの送迎バス(40分間隔)で空港まで戻り、隣接するバスターミナルからバスに乗れば楽だった。
しかし時間のロスがある。





 
< 7. ホテルからバス停まで >

写真は時間順に並んでいます。
丘陵地の上にあるホテルを出て車道を下って行くと、眼下(北側)に平野と森林が見え始めた。
歩道が無く、路肩が荒れているのでスーツケースの運搬はやりづらかった。



< 8. バス停Märsta Fältvägen、道路Måbyleden >

ここまで10分ちょっとでした。
朝8時前ですが、日差しが強く、思ったより暑い。


 

バス停に看板があり、上部のSLマークはストックホルム公共交通機関を示し、Stockholm Travelcardが使えそうです。
シグツーナ行きのバス路線ナンバーは579で、これもOKです。


 
< 9.Stockholm TravelcardとSL検索ページ >

上の写真: Stockholm Travelcard、写真は借用。
バスに乗るときは必ず前から乗り、このカードを検出器にタッチしてください。
カードの有効期間は、この使用から始まります。
降車するときはタッチの必要はなく扉はどこでも良い。
尚、このカード購入時に確認したのですが、写真の署名欄に記入する必要はないようです。

この手のカードの扱いは北欧三ヵ国ですべて異なりますので注意してください。


下の写真: ストックホルム公共交通機関SLのルート検索ページ。
私は事前にgoogle mapで交通手段を調べたのですが、上記ページでも調べることが出来ます(英語)。
こちらの方が詳細に調べられるが、慣れないので使い辛い。





 
< 10. シグツーナまでの車窓風景 1 >

写真は20分弱の車窓風景が時間順に並んでいます。

民家、工場、団地、農家が森林の合間に点在しています。
すべてが手入れの行き届いた比較的新しい建物のように感じました。
そこにはのどかで自然に溶け込んだ暮らしがある。


 
< 11. シグツーナまでの車窓風景 2 >

 
< 12. シグツーナのバスターミナルに到着 >

到着したのは2018年6月1日(金)、8時30分頃です。


次回に続きます。