20180420

何か変ですよ! 116: 救いはあるのか? 1


*1


これまで日本の衰退と、これを象徴する安倍政権の体たらくを見て来ました。
解決策はあるのですが、この担い手が見あたらず、国民の支援も期待できない。
この絶望に救いはあるのか?


 
*2


はじめに

如何に絶望の淵に立っているかを一瞥します。

A: 経済の長期低迷。
各家庭の賃金、消費、預金の低下、一方で儲ける企業は設備投資を行わず巨額の海外投資を行うなど。
この二つが日本の経済ゼロ成長の最大要因で、今後、19世紀後半の英国のように深い衰退に晒されることになる。

さらにアベノミクスにより、これから世界で繰り返される金融危機(バブル崩壊)の大波をもろに受けることになる(日銀のおかげでリーマンショックは軽微に済んだ)。


B: 幸福な社会が遠のいている。
民主度と人間開発指数の低下、性差別と所得格差の拡大、さらに右傾化など。
あらゆる幸福度を示す世界標準の指数は世界200ヵ国中、いずれ100位まで低下するだろう。
既に先進国と言えない状況です。


C: 先行き不安。
近隣諸国との軋轢による紛争、財政赤字増大による社会保障制度の崩壊、人口減と高齢化など。


D: 進む政治腐敗と議員の劣化。
退廃を極める官庁、政治屋による縁故主義(便宜供与)蔓延と経済界優先(見捨てられる労働者)、マスコミ支配と安倍1強で理不尽を通す内閣と与党など。注釈1.


上記の悪化に加え、これを打破する人々がいない。
なぜなら国民も共に衰退しているからです。
衰退を一瞥します。

E: 政治不信に陥り、政治と選挙に無関心。
政治教育が放棄されて来た為、人々は失望するだけで政治活動(選挙)に向かう意欲がない。
また一度、絶頂期を経験したことで現状に未練があり、改革を逡巡している(英国と同じ)。


F: 島国根性から抜け出せず、井の中の蛙に満足している。
世界と世界史を顧みない為、日本の保守思想(歴史修正主義など)は世界の常識から取り残されていく。
年々、若者の世界進出への意欲が低下している(英国と同じ)。


G: 市民意識や人権意識が低い。
これは低調な内部告発やデモ、御用新聞の隆盛、変わらない差別発言、論理無き国会運営などに現れている。
政治の主体は国民であるべきなのに、国民の利益より国体を優先したり、人権が無視されても国民は納得してしまう。
これは先進国の中でも日本だけに見られる特異性です。注釈2.


結局、衰退する日本を改革する旗手、そして大きな抵抗に耐えて旗手を支え続ける国民が見当たらない。
このような日本独特の意識は、明治維新と大戦後にもあまり進歩していない。
むしろ衰退に適応できなくなっている意味で悪化していると言える。

さらに、悪条件が重なる。


H: 経済と政治、外交、軍事は米国に牛耳られている。
自由放任経済(富裕層と企業の優先)と金融重視、労働組合蔑視などは完全に米国の追従。
当然、敗戦以降、政治、外交、軍事も米国の追従。
虐げられている労働界が優遇されている産業界と協力するはずはなく、このままでは両者が協力して経済向上に向かうことはない。
これは隣国関係も同じ。

これから抜け出すには米国による相当の妨害(内からも)を覚悟しなければならない。

この状況から抜け出すには・・・


 
*3


* 救いの可能性を探ってみる

日本でかつて革新が行われた時代があった。
明治維新は泥沼の内戦を経ずに成し得た革命と言う意味で画期的でした。

この革命のポイントは、中央政府(江戸)から離れた外縁(外様大名)が革命の主体だったことです。
腐り果てた中央政府からは大胆な改革が生まれなかった。
またフランスのような市民が革命を担うわけでもなかった。

江戸時代末期、農業生産落ち込みと貨幣経済への移行で経済は悪化し、諸藩大名と幕府は共に巨額の財政赤字に喘いでいた。
さらに開国により国内物価が高騰し、頻発していた農民一揆がさらに増加した。

それでは、なぜ外縁である西国の大名が火の手を上げ、維新政府の主役になれたのか?

単純に西国は中央政府から軍事的に距離があった事、さらに重要なのは貿易などにより西欧事情によく通じていたことです(長州は遅れていたが)。
幕府内にも開明的な人物はいたが、世の常で内部の保守勢力が頑迷に抵抗した。

ペリー来航による日米和親条約調印から、わずか13年で尊王攘夷論から討幕へと急転換し大政奉還(1867年)へと決着した。
潮目が大きく変わったのは、1863年で、貿易で最大の影響力を持つ英国が幕府を見限り、薩長支援に廻ったからです。
これは幕府が貿易独占や旧体制維持から抜け出せず、旧態以前とし、彼らの失望を買ったからでした。
一方、薩摩などはいち早く、沖縄を介した密貿易などで財政再建を成し遂げ、島津斉彬は西欧の力と貿易の役割を良く認識していた。

つまり、明治維新は同じ武士階級であっても、より先を見通し、抜本的な改革を恐れなかった外縁だからこそ成功したのです。
英国が彼らを支え、こうして大きな内部分裂に至らなかった(フランスは途中まで幕府支援)。

これを教訓として現状の危機を改革するには何が必要かを考えます。


 
*4


* 何を諦め、誰が旗手となるべきか?

明治維新の為に、日本は260年間続いた江戸幕府を諦めなければならなかった。
そして、我々も腐敗した政治で国を低迷させている自民党政治を諦める時が来たのです。
それは独裁者井伊直弼の排除で済まなかったように、安倍晋三の辞任では済まないのです。

なぜなら、上述の問題点ABCDは安倍で酷くはなったと言え、衰退は30年はど前から始まって、現在加速しているからです(バブルで大きな波を受けて沈む)。
つまり、長期与党政権、自民党の政策が災いの根源なのです。


また旗手は誰が担うべきか?
同じ薩長日土肥の武士階級が決起したように、野党が改革の主役になるべきです。
やはり討幕派の大連合が成ったように、野党が大連合し議席の半数以上を確保すべきです。

なぜなら野党は同じ国会議員であり、外縁―腐敗の根源である縁故主義やパトロネージと無縁、さらに経済界一辺倒ではなく労働界より、だからです。
当然、自民党はこれらを絶つことは出来ない。

ここで誤解を解く必要があります。
既に説明をして来たことですが、野党が労働組合寄りであることに何ら問題はない(世界を見ればわかります)。
労働組合への違和感は、1980年代以前、組合が身勝手な振る舞いをしたこと、その後、経済界の逆襲による政府と経済学界、御用マスコミからの圧倒的な労働組合の反キャンペーンで定着したものです(大半の西欧)。

 
*5


次回に続きます。




注釈1.
議員の劣化は三バンに代表される古い政治文化が全国に根を張り、先進国では考えられない世襲議員の数に象徴される。
つまり、実力ではなく便宜供与のパイプが太いかで議員の価値は決まる。

野党は、この政治文化と労働組合低迷で力を得ることが出来ず、さらに相対する自民党議員の劣化で論戦は噛み合わず、成熟できない。


注釈2.
これは東アジアの稲作農耕文化による村意識が背景にある。
さらに、日本に特有の長子相続と絶対権力を持つ家長の家族形態がこれに加わり、特有の文化を生み出し続けている(最古層の農耕文化、一部ドイツなど)。

つまり、人々は組織のトップに従順で、帰属組織に埋没し、より広い社会の規範や正義を無視する傾向が強い。
これは団結心や気遣いを生み出し、組織が猪突猛進する時(物づくりや戦争など)に威力を発揮する。
しかし、目標やモデルが見当たらない状況では右往左往し易く、よくあるトップや組織の腐敗には抵抗力が無い。



20180419

岡山と広島を訪れました 8: 広島を発つ






< 1.広島焼き >


今日は、広島駅と呉線の前半を紹介します。
広島焼きとローカル線の旅の醍醐味を味わいました。


 
< 2. 呉線の地図、上が北 >

地図の赤丸が今回紹介する呉線(広島―三原)の広島駅―広駅の区間です。
呉線の中ほどにある広駅で電車を乗り換えます。
東西から、電車がこの広駅まで来て、乗客は乗り換えます。
海岸線を走るローカル線のイメージは次回の広駅から三原駅までの区間が似合っています。
今回の区間は、造船の街、呉がある為か郊外の通勤電車のイメージでした。



 
< 3. 栄橋 >

上の写真: 縮景園かえら広島駅に向かう途中、京橋川に掛かるこの橋を渡ります。
左側奥の高いビル辺りが広島駅で、下流を見ている。

下の写真: 京橋川の上流を望む。
左側の森が縮景園側です。



 
< 4. 広島駅周辺 >

 
< 5. 昼食のレストラン街 >

広島駅ビルのASSE(アッセ)の東エリア2階に、写真の広島風お好み焼きの店が並んでいます。
本当はネット上で人気のある店に行きたかったのですが、2回とも行列が多かったので、席が空いている店に入りました。

写真はこの時の注文したものです。
初めて食べましたが、まあまあ美味しかった。
それよりも、ビジネスマン姿の人でどの店も一杯で驚きました。
日頃、田舎暮らしをしている私としては珍しい、懐かしい光景でした。


 
*6

呉線に乗り、始めて海が見えた(坂駅付近か)。


 
*7

この辺りが広駅までで、最も海沿いを走った。
他は住宅街などが多く、代わり映えしなかったので写真を取らなかった。


 

< 8. 呉に近づいた >

奥の山を背した海岸沿いには重機のクレーンや工場の煙突がたくさん見える。



< 9.呉を離れる >

呉を過ぎると、電車は山が海に迫る狭い地域を走リ始めた。
また短いトンネルが増えだした。


 
< 10. 広駅に着 >

上の写真: ホームに出て、進行方向を見る。
待ち時間が長いので電車を降りて、駅から出ることにした。

下の写真: 広島から乗って来た電車、阪神間でよく見る通勤快速と同じです。


 
< 11. 広駅を発 >

上の写真: 広駅を出て、駅前広場の端から駅舎を望む。
残念ながら何も無い!
特に珍しいものはなかった。

下の写真: これから三原に向かって乗って行く電車です。
先ず、乗って来た電車との外観の差に驚きました。
古い汚れている!
中に入ると、さらに昔し懐かしい風情がそこにはありました。


次回紹介します。





20180417

何か変ですよ! 115: 誰の責任? 4




*1


前回、日本は崖っぷちに立っていながら脱出が困難なことを見ました。
なぜこのようなことになってしまったのか?
この謎を解きます。


 
< 2. 国民の現状 >


はじめに

誰でも崖っぷちに立てば自分が危険なことがぐらいわかります。
しかし、多くの人は日本の凋落に気付いていない。

保守的な人々(Aタイプ)は、東アジアの脅威に目を奪われ、経済の先行きや他の危機を一切省みない。

革新的な人々(Bタイプ)は、架空の脅威より進行している衰退、特に緊急性のある政治腐敗に危機を見ている。

無関心な人々(Cタイプ)は、成行きに楽観的で政治に無頓着です。

これまで日本の社会経済の劣化を見て来ました。
最も重要な幸福度と民主度、所得は年々低下し続け、既に先進国レベルから脱落し、特に安倍になってから急降下している。

それでも大半の人は、この凋落傾向に無頓着です。



* 国民はなぜ危機や凋落に無頓着なのか?

人は世界に目を向け、世界史を知ることで、日本の偏狭な通念やドグマから逃れることが出来るはずです。
しかし、この望みは益々低下する若者の内向き志向で叶えられそうにありません。

ここでもまた八方塞がりです。


ここで少し視点を変えます。


 
< 3. 投票率と信頼度 >


日本の国政選挙の投票率は年々低下し現在53%です(2017年)。
年齢別に見ると20歳代は33%で、年齢と共に上昇し60歳代で最高の72%になります。

それでは幸福度、民主度、所得が高い国の選挙事情はどうでしょうか?
北欧スウェーデンの投票率(2014年)は20歳代で81%、年齢と共に上昇し70歳で最高の92%になります。

日本の若者の政治意識の低さが際立っています。
高齢者も低いが差は少ない。

無関心な人々が政治に目覚め、選挙に行かない限り、日本は凋落から出し得ない。
選挙に行かない若者こそが日本再生の鍵になる。

もし若者に、「投票に行ったらどうですか」と声を掛けたら、おそらく、「無駄なことはしないさ」との返事が返ってくるでしょう。

なぜ北欧と日本の若者の政治意識にこれだけの差があるのでしょうか?

文化が違うから、日本の政治が腐敗しているから、どちらも正しいが、答えにはならない。

実は、北欧では小学校から政治教育が行われているのです。
小学校で環境問題を学び、中学校以上では支持政党に分かれ社会問題を議論します。
高校、大学では学校運営に必ず学生代表が関わります。

こうして北欧の若者は、社会や政治に関心を持つだけでなく、自ら社会や政治に関わることで社会人の自覚を得るのです。
そして彼らは大人になると、何らかのボランティア活動に参加して行くことになる。

一方、日本は学校教育の場に政治を持ち込むことを禁止しています。

これが答えです、つまり日本の教育が悪いのです。

なぜ日本は、この素晴らしい教育プログラムを採用しないのでしょうか?
理由は、若者が政治意識を持つことを政府が恐れるからです。
発端はGHQや安保闘争の時代まで遡るでしょうが、未だに国民を信じることが出来ず、政府転覆を恐れているのです。
まるで百年前の植民地支配です。

与党(自民党)にとっては、マスコミの支配が完了しつつある中で、政治に無関心な国民は長期政権保持に好都合です。

つまり、無知を培養する非生産的な政策を許している国民にこそ、経済低迷と社会衰退、さらには腐敗政治を招いた責任があるのです。

国民は、半世紀以上掛けて自ら墓穴を掘り続けているのです。



* なぜ経済成長が起こらいなのか?

戦後、多くの先進国で政治不信が高まっているが、中でも酷いのが日本です。
不思議なことに、同期するように長期の経済低迷と賃金低下が起きています。

政治不信の元凶は政府、つまり内閣にあると言えます。
(原因は官僚にもあるが、本来内閣が監督するものです)
しかし内閣は所詮、国民が選んだ議員であり、低俗な内閣は選挙人(国民)の責任です。
それ政府が悪いから経済も悪いのでしょうか?

ここでもまた堂々巡りで、解決の糸口は見えない。


ここでまた視点を変えます。


 
< 4. 組合組織率と生産性 >



日本の労働組合組織率は18%、米国は12%です(2008年)

日本に比べ所得格差が少なく、生産性と所得が高い国の労働組合組織率はどうでしょうか?

北欧4ヵ国(アイスランド、スウェーデン、デンマーク、フィンランド)の労働組合組織率は70~0%です(2002、2008年)。


実は、この違いに解決の答えがあるのです。


なぜ米国の経営者の所得が1980年代末から急増したのでしょうか?

ストックオプションが高額所得の主な源泉ですが、真の理由は別にあります。
この頃から労働組合の力が削がれ、労働組合による牽制がなくなったことで、この高額所得の歯止めがなくなった。
当然、その一方で労働者の賃金は抑えられた。

日本を含め欧米政府は、1980年代から協働して労働組合潰しの大キャンペーンを行い、上記のような組織率まで低下したのです(中曽根、レーガン、サッチャー)。

つまり労働組合組織率と所得格差に逆相関(組織率が高いと、所得格差は低い)
があるのです。

なぜ組織率が高いと、生産性と所得が上がり、さらには政治への信頼も上がるのでしょうか?

この政策は、今後の日本再生に不可欠です。

北欧の労働事情を紹介します。
労働者の賃金は職業毎に一定で、企業や男女などによる差はありません。
当然、正規・非正規や移民との差もない(国によって差がある)。
労働者の有給休暇や育児休暇などの処遇は国で統一されており最高水準にあり、これが少子化対策から個人の幸福度を高めることに繋がっている。

ここまでは国民の基本的人権や社会保障の充実と言えるでしょう。
しかし、これらが女性の活躍や出生率増加、労働意欲向上、生涯学習意欲などにも繋がっているのです(他の政策も関わっていますが)。


それではなぜ北欧の労働事情が生産性や所得増に繋がるのでしょうか?

北欧では、上記の労働条件の整備により、労働組合は経営者と対立せず、労働組合の代表は企業経営に参画します。
国政段階でも経済界と労働界の代表が協議し、新産業育成や産業競争力の政策を打ち出し、実施に協力するのです。

ここが日本と大きく異なっています。

例えば、安倍政権で新政策を提言する審議会には、安倍にとって都合の良い経済界サイドの識者ばかりか、まったく労働者代表を入れない。
今まで、いくら自民党と言えどもここまで酷くはなかった。
どちらにしても、日本の審議会は政府に都合の良い偏向したものが多い。

これでは労働界の反発は必至であり、施行されても労働者に良いことにはならない。

そして北欧において企業の国際競争力を高める為には、競争力が低くて賃金が払えない企業には退場してもらい、労働者も転職していきます。
失業者は職業別給与だから転職しても同一賃金かそれ以上を得ることになる。
当然、この失業者の再就職までの補償と再教育は国によって充分に行われている。

こうした労働条件の整備と、労使の協力があって初めて、生産性、国際競争力、所得が上昇し続けているのです。
この好循環が、国民の政治への信頼を高めることに繋がっている。

これで日本の企業利益が増大する一方で賃金が下がり続け、経済が成長しない理由です。

つまり、政府や経済界、保守系マスコミによる労働組合潰しを容認し、労働条件の悪化を見過ごして来た国民にこそ責任があるのです。


 
*5


* まとめ

国民が崖っぷちに立ても危機感を持たず、諦めている理由は、「低い政治意識」と「労働界の低迷」にあります。

前者は、学校での政治教育禁止が最大の理由で、これが若者の政治への無関心を生み、ついで選挙に行かないことに繋がる。
これは長期与党政権にはありがたいが、多くの国民にとって墓穴を掘ることになる。

時間はかかるが改善出来る、しかし自民党では無理です。


後者は労働組合潰しが発端で、労働界の訴求力低下により、労働条件の悪化が深刻でも、国民には打開策がない。
こうして政府と経済界は労働を置き去りにして発展を企てるが、当然のように労働者の意欲低下や労働界の反発が続くことになり、混迷が続くことになる。

この対策は、北欧を真似するだけでは困難で意識の大転嫁が必要なのでこれまた自民党では不可能です。


 
*6


次回に続きます。











20180416

岡山と広島を訪れました 7: 縮景園 2





*1

今日は、前回に続いて縮景園の後半を紹介します。


 
< 2. 庭園マップ、上が北 >

私は地図上の赤矢印の方向に歩いており、写真もほぼその順に並んでいます。
今回は、Mから始めSまでを紹介します。



 
*3

 

< 4. 跨虹橋(ここうきょう)


 
*5


 
*6

この庭園の唯一の欠点は、遊歩道が個人の散策に適しているのですが、団体には狭いことぐらいでしょうか。

 
*7


 
< 8. 庭園で見かけた鳥や鯉 >


 
< 9. 一周して来ました >

桜が満開でした。


 
*10

今回の旅行で、やっと満足出来る桜に出会えました。
青空に桜が輝いていました。
素晴らしく、晴れやかな気持ちになりました。





 
*11

上の写真: 入場門近くから見た広島県立美術館。

下の写真: 広島県立美術館内の喫茶店から庭園を眺める。

 
< 12・ 広島県立美術館の所蔵品 >

左上: 伊万里柿右衛門様式色絵馬、磁器、17世紀後半。

右上: 六角紫水、暁天獅子吼号の図蒔絵手箱、1930年作。
美術館の説明抜粋
「漢代漆芸技法から長い苦心の末に習得した様々な彫刻線を駆使して自在に描き、新たな表現を追及したこの作品で、帝国美術院賞を受賞。洞窟に差し込む暁光をあびて吼號する、堂々とした獅子の佇まいからは、困難を乗り越えた作者の自身とゆるがぬ信念が感じられます。」

中央: 平山郁夫、天山南路(昼)、1960年作。

下: サルバドール・ダリ、ヴィーナスの夢、1939年作。


* 広島県立美術館を見て

当初、入館することを予定していなかったのですが、シニアは無料だと言うことで、他の観光を止めて、こちらにしました。

有名な作品では、サルバドール・ダリの1、2点と平山郁夫の数多くの絵画が目立ちました。
平山郁夫さんは広島の生まれなので、所蔵品が多いようです。

興味を持ったのは写真の色絵馬で、伊万里柿右衛門様式にこのような造形物があることをまったく知りませんでした。

また六角紫水の独特の世界観に足が止まりました。
彼は広島出身と言うことで、数多くの所蔵品がありました。
私が興味を惹いたのは、日本が満州事変にのめり込んでいく暗い世にあって、漆工芸の新展開を必死に模索していたことです。
芸術家と戦争について考えさせられた。

同様に、ダリの作品も正に大戦へと突入する時期に写真の絵を描いていたのです。

有意義な時を過ごしました。


次回に続きます。