20170625

何か変ですよ! 59:  惜しい人

  *1


私は今の首相の豪胆さに感服しています。
端的にはアベノミクスと憲法改正です。
ここまでやれる人物は他にいないでしょう。
事の良し悪しは別ですが。


 
*2


まえがき
私はアベノミクスの意気込みを評価します。

成功すれば首相は日本史に燦然と輝いたことでしょう。
それまでの日本の金融トップ官僚、エコノミスト、日銀とは真逆の施策をぶち上げた。
彼は著名なクルーグマンが唱えた政策を即刻2013年から実施した。
狙い通りに行くと、苦労無く莫大な累積債務は消え失せ、経済は復活するのですから、私も成功を願ったものでした。

円安は確かに輸出大手企業を潤してはいるが、いまだに目標インフレ値は達成できず、好況の実感はない。
後5年じっと我慢すれば景気は好転すると信じたいが、当のクルーグマンが2015年秋に異次元緩和は失敗だったと言っている。

もともと、私はすんなりとは行かず、行ってもより大きなバブル崩壊を招くだけだと推測していた。
実際、アベノミクス(リフレ策など)の多くは欧米先進国が既に実施している施策で、その結果、欧米の状況は良くなったと言えるでしょうか。
アベノミクス前の日本の経済状況(失業率など)でも経済成長率を除いて欧米より良かったと言える。
今の状況を見ると、クルーグマンの後の指摘が正しいのでしょう。

それでも私は首相の豪胆さに感心する。
ひょっとすると自信過剰か無鉄砲なだけかもしれないが。
もに一つ気になるのは、せっかく恵まれた家系や政治基盤を持ちながら、従わない人に対して下品なところです。
惜しいような気がする



 
*3

彼の行動パターンに不安がある
国民が望んでもいない憲法改正に、自分の歴史観を前面に押し出し、突き進む姿勢には驚かされます。

これに関連し、憲法改正について御贔屓の読売新聞を読んでくれと国会で答弁する神経は凄い。
正に、お友達(加計学園)や右翼の同志(森友学園)への身びいきは強烈だ。
かつて品格ある首相はたとえ思っていても、ここまで贔屓を露骨に言い募ることは避けるでしょう。
明らかに、これは国のトップが自ら公明正大で無いことを吹聴しているのですから。

もっとも、彼にとっては自分に付き従うものこそが正義であり、反対するものは偏向している悪なのでしょう。
だが、世界の報道マンは読売新聞を、日本の新聞の中でどう評価しているのでしょうか?
決して上位には見られていません。

しかし、ここで一考が必要です。
なぜ現首相は、このようなことが出来るのでしょうか?
よく一強だと言われます。
それはそれで間違いはないのですが。
それは小選挙区制や与党が取り組んできた官邸支配の結果とも言えますが、やはり一番はポピュリズムでしょう。

先の民主党の失敗、長い経済低迷、ころころ変わるトップ、さらに加えて先進国の同様の状況があります。
端的な例は、現首相がポピュリズムの権化トランプ大統領と気が合い、さらに大統領はタカ派ルペン党首と気が合うことで、正に右翼ポピュリズムの大合唱です。

一番のポイントは、現首相が圧倒的な人気を保持していることに尽きる。
人気があれば、与党議員は当然付き従う。
また官僚も民主党のように敵と見なさいのであれば組みやすい。


 
*4

しかし、ここに問題があります
結論から言うと、国民は真実を知ることが出来ずに、国家が暴走することを防げなくなることです。
既にこのことを危惧している方もいるでしょうが、安心している方に何が問題かを示します。

視点は三つあります。
A: 国会審議での政府や官僚の答弁に難点あり。

つまらない森友学園や加計学園の問題です。
日本の国家予算は100兆円ほどあり、この両者による無駄な出費は自治体分を入れても200億円以下でしょう。
首相にすれば、たかだか1/5000のロスに過ぎない。

そんな小さなことでも政府はまともに答弁せず、また官僚も記録が無いとか、全面黒塗りの資料を出す始末です。
つまり、政府や官僚にとって都合の悪い情報は一切出さなくて良いと開き直っている。
特定秘密保護法がこれに加わるのですから鬼に金棒です。
要は、国民が真実を知る権利より、首相の面子が重要なのでしょう。

これがまかり通れば今後、為政者は国民を偽って思いがままに振る舞うことが出来る。


 
*5

B: さらに日本の組織文化が災いを生む。

日本人は村意識が強く、トップや集団の意向に盲従し易い。
俗に言う、忖度や気配りで人は動き、悪く言えば「赤信号、皆で渡れば怖くない」に陥る。
企業で働いた経験のある方は、このことに納得できるでしょう。

もっとも、これにも良い所があり、組織が一丸となって秩序を維持し、また事に当たることです。
しかし、これがまた問題を生む。
それは、社会正義に基づいた内部告発であっても、組織やトップへの裏切りと見なされることです。
この意識は日本では根深く、加計学園の前前川事務次官でも激しい。

つまり、この組織文化は良いこともあるが、トップや組織が悪い方向に向かっているのに是正する力が働かず、大きな災いを生むことになる。
原発や食品偽装の内部告発などにもその例があった。


C: この問題は幾度も不幸な歴史を生み続けて来た。

日本の組織は都合の悪い情報や記録を残さない、出さない傾向が強い。
大戦時、米英は日本より遥かに戦場の情報を国民に流すように努めた。
日本はドイツほどではないが、偽情報を意図的に流した。
また軍部は徹底して記録隠滅を図った。

米国政府は政策決定過程を記録し保存し、後に為政者の判断が正しいかを検証する歴史があるが、日本には乏しい。
日本には、お上のやることに口出ししない雰囲気が残っている。
隠蔽状況は、現政権により強化され、昔に逆戻りしている。



 

*6


今後、何が起きるのだろうか?
このような場合、歴史上、一番起きやすいのは戦争でしょう。

世界の戦史を見ると、本当に敵国が一方的に攻めてくることもある。
だが往々にして自ら口火を切った戦争や、小競合いから始まり、互いに戦火を拡大させた戦争もある。

後者の場合、国民が些細な戦闘などの事実でもスピーデイに入手出来れば、早期に為政者や軍隊の暴走を防ぐことができる。
当然、マスコミが御用新聞でないことも重要ですが。
しかし、これが政府により捻じ曲げられたり、伝わらなけらばどうなるのでしょうか?
今回の二つの問題や南スーダンの自衛隊日報のような政府答弁では・・・。

その先に来るものは80年前に歩んだ道であり、今まだ御存命の戦争経験者の悲願を無にすることになるかもしれない。
歴史は、大惨事に至る道が準備されていることを教えてくれています。


今、私達に求められているのは先の大惨事を予見することです。



20170624

フランスを巡って 17: 大都市リヨン 3



今回は、リヨンの今、新市街のベルクール広場とレストラン街を紹介し、街の人々の表情をお伝えします。
この日は、この旅行最初の個人予約したレストランで食事をした。


 
< 2. 地図、右が真北です >

Hは今回のホテル「ベスト・ウエスタン サフィール」です。
Pはツアー観光で訪れたベルクール広場です。
S旧市街をツアー観光した時の始まりと終わりの場所です。
黄色の線は、夕方に自由散策した通りです。
Rは予約したレストランです。
M1M2M3は地下鉄駅で、夕食後、ホテルまで帰るのに寄りました。

赤矢印はフルヴィエールの丘です。
こうして見ると、この丘がローマ時代から戦略上、交易上需要な拠点だと言うことが推察できる。
この丘は直ぐ下を流れるソーヌ川から標高差130mほどの高さにあり、川を掘りとした堅固な要塞と見なせる。
ソーヌ川は真っすぐ北に延びる河谷を抜け、フランス中部の平野へと至る。
この地はローマ軍がガリア支配の拠点にするには打って付けだったろう。
その下の川はローヌ川で、この地から東に進路を変え、スイスのアルプス山脈に至る。
この地は温暖で、南北と東への交易の交差点だった。


 
< 3. 旧市街からベルクール広場まで >

これらは地図のS地点からバスに乗り、ベルクール広場までの景観です。
この川はソーヌ川です。


 
< 4.ベルクール広場 1 >

上の写真: 広場の南西端から中央に向かう。

中央の写真: 広場中央のルイ14世像(太陽王)

下の写真: 広場の中央北端からフルヴィエールの丘の大聖堂を望む。

この日は土曜日で市民らの人出が多かった。




 
< 5. ベルクール広場 2 >

広場の南縁に延びる公園でくつろぎ、遊ぶ人々。

フランス各地を訪れて行くうちに、様々な人種や民族が違和感なく暮らしていることを知ることになった。
旅行に行く前、マスコミ報道や何冊かのフランス事情の本から得た知識により、移民や人種間に気まずい雰囲気があるように思っていたのですが、どうやら思い過ごしのようでした。




< 6. ベルクール広場からホテルへ >

上の写真: 広場南西端にあるサンテグジュペリの像。
小説「星の王子様」で有名な彼はリヨンで生まれた。

下の写真: ホテル近くのバス停。地図番号M3
この下に地下鉄駅がある。
夜、ここからホテルまで道を迷った。


自由散策を始める
自由散策は旅行4日目、5月20日(土)の夕方から夜までです。
この日の夕食はツアーにないので、オプションか自由になっていました。

ツアー観光が終わり、皆がホテルに入ったのは18:00を過ぎていました。
私達は一度部屋に入り、直ぐ出ました。
ホテルでタクシーを呼んでもらい、ホテルから予約したレストラン近くまで10分程で着き、時刻は19:00でした。
まだ外は十分明るく、少し暖かった。

予約時間まで時間があったので、大型スーパーの「Monoprix」(地図番号M1)まで歩きました。
たしか3階まである大きなスーパーでしたが、この時は何も買わずに出ました。
その後、レストランに向かいました。


 
< 7.証券取引所まで散策 >

下右の写真: 証券取引所の建物。地図番号M1
この前に大型スーパー「Monoprix」、タクシー乗り場、地下鉄駅がある。


 
< 8. 大型スーパー「Monoprix」からレストランへ >

上の写真: 左のガラス壁面が大型スーパー「Monoprix」。

下の写真: 予約レストランのある通り。
レストランは通りの右側中ほどにある。
この辺り、特に突き当りの左右に延びる通りは著名なレストラン街としてガイドブックに載っている。


 
< 9. レストラン「La Maison Marie」 >

上の写真: 予約していたレストラン。
下の写真: 向かいのレストラン。

La Maison Marie での食事について
このレストランはトリップアドバイザーで探しました。
ここはリヨンのレストラン2837軒中35位と人気がある店で、コースの値段が手頃で、新市街の便利な所にあったので決めました。
予約はトリップアドバイザーのオンライン予約で19:30を希望し、後に確認メールが届きました。

私達は室内よりテラス側を選んで座った。
ウエイターの対応は爽やかで丁寧でした。
料理は店に入ってから注文した。
初めからコース料理「Menu Printanier」を考えていました。


 
< 10. コースメニュー >

コースメニューはこれだけで他はすべて単品注文です。
金額は29ユーロです。
どうやらこの料理の組み合わせは数か月間同じようです。
このコースメニューは前菜2種類、メイン2種類、デザートかチーズから選ぶようになっています。
私達二人は、それぞれ前菜とメインで異なるものを注文し、シエアし、最後は同じデザートを注文しました。
上記メニュー内の「ou」は英語の「or」です。

今思えば、一人はチーズを注文すれば良かったと少し後悔しています。
フランス人は食事の最後に結構、チーズ「Fromages」を食べるようです。




< 11.コース料理 >

上から前菜、メニュー、デザートと並んでいます。

今回の旅行で最もおいしく味わいのある料理でした。
ただ一つ残念なことは、スープが冷製で体が冷えたことです。
テラスに座った頃はまだ外は温かったのだが、日が暮れるにしたがってどんどん涼しくなった行きました。
私達が食事を終える21:00頃には、他の客は皆、室内で食事をしていました。

サービスも問題なく、豊かな時間を過ごせました。


 
< 12.食事中の通りの様子 >

やはりテラスでの食事は楽しい。
通りを行きかう人や、向かいで飲食し談笑する人を眺めることは興味が尽きない。
ただ、あまり繁々と見ていると、誤解を招くので注意が必要です。
ここでも、またポルトガルのポルトでも少し嫌な思いをさせたようです。

一つ楽しい出会いがありました。
食事をしていると、通りの向こうから同じツアーの夫婦が歩いて来ました。
聞くとレストランを探しているとのことで、このレストランを薦め、隣の席で一緒に食事することになりました。
この広い、リヨンで出会えるとは驚きです。
他のツアー客のほとんどはオプションか、ホテル近辺で食事をとっていたのですから。

実は、後の観光地でも、夕方以降の自由散策でばったり出会うことになります、
この夫婦は好奇心が旺盛でチャレンジを厭わないようです。
  


< 13.いよいよホテルに帰る >


来るときは時間を無駄にしたくないことと夜の地下鉄利用が不安だったこともあり、タクシーを利用した。
もっとも、来るときは明るかったが。
タクシーの運転手のマナーに問題はなかった。

しかし、先ほどの夫婦は地下鉄で来ており、地下鉄は便利だと教えてくれた。
それで私達も地下鉄で帰ることにした。
レストランから証券取引所まで歩き、そこの自動販売機で切符を買い、地下鉄に乗った。
地下鉄はベルクール広場の駅で一度外に出て、乗り継ぎをしなければならない。
切符はそのまま使えます。

この時、地下鉄のホームで、どちらに進むべきかわからず、同じく乗車していた地元の家族に尋ねました。
すると若い男性は、ほんとうに親切に笑顔で答えてくれて、不安そうに私達が行く方向を見届けてくれていた。
これ以降、フランス人の親切と愛想の良さに幾度も出会うことになる。

下の写真は、この時、一度ベルクール広場まで出た時、撮ったものです。
この時、9:35でした。

この後、ホテル近くの地下鉄駅(地図番号3)で降りて、地上に出たのですが、土地勘がなく、暗かったので道がわからなくなった。
ここでも、近くにいた男性を呼んで、看板の地図で道を聞いた。
この時も、親切に教えてもらえた。

その後、幾分道を迷いながらもホテルに無事に辿りついて、やっと1日が終わった。


次回に続きます。




20170623

フランスを巡って 16: 大都市リヨン 2

 
*1


これから、フランス第2の都市リヨンを2回に分けて紹介します。
今日は、歴史的な場所、フルヴィエールの丘と旧市街を紹介します。
次回は、リヨンの今、新市街の広場とレストラン街を紹介します。


リヨン観光
観光したのは旅行4日目、5月20日(土)で、ツアーで観光したのはフルヴィエールの丘と旧市街、新市街のベルクール広場です。
観光した時間は15:45~17:40でした。
観光している間、徐々に雲が多くなりましたがまだ少し暑いぐらいでした。
この後、全員がバスでホテルに向かい、その日の観光は終わりました。

私達は直ぐタクシーで新市街に戻り、街歩きと夕食を楽しみました。
街歩きでは色々経験し、ホテルに戻ったのは22:00を過ぎていました。

リヨンの都市圏人口は165万人と多く、ローヌ川とソーヌ川の合流するこの地は古くから金融と交易の町として栄えていた。
この地はローマ時代、パリを含むガリア属州(フランス南部除く東半分)の中心地であったので、ローマ時代からの遺跡がある。
中世になると大司教の支配が続き、13世紀、このリヨンで公会議が2回行われ、神聖ローマ帝国皇帝の弾劾や十字軍遠征などが討議された。
リヨンがフランス王国に併合されたのは14世紀初めで、このころから絹織物の交易の一大中心地として発展した。


 
< 2. リヨンの地図 >

上の地図: リヨンの観光地とホテルを示す。上が真北です。
番号1の赤丸はフルヴィエールの丘、番号2の赤線は旧市街の徒歩観光した通り、番号3の茶色四角はベルクール広場、番号4の茶色線は自由散策したレストランのある通りです。
番号5の黒四角はホテルです。

下の地図: 今回紹介する観光箇所。右が真北です。
Aの赤丸はフルヴィエールの丘の大聖堂です。
Bはローマ劇場の遺跡で、バスで横を通過する時、車窓から見ただけです。
赤線は旧市街の徒歩観光のルートです。
Sからスタートし、概ね番号1から5の順に見て、また戻って来ました。
写真もその順に並んでいます。
黄色の線は抜け道(トラブール)です。



 

< 3. ノートルダム大聖堂と展望台、地図番号1 

かつて、丘の頂上にはローマ時代の広場があって、その後、ペストの流行から街が救われたことを感謝して小さな教会が建てられた。
次いでプロイセン・フランス戦争の折、プロイセン軍がリヨンに迫ったが、退けられたことに感謝して、この小さな教会の上に大聖堂が建てられた。
この大聖堂は1884年に建物が完成し、更に内装が完成したのは1964年でした。
この大聖堂はリヨンの街のどこからでもよく見える。

下の写真: 大聖堂の横の展望台にはたくさんの人がいました。



 
< 4. 展望台からの眺め >

展望台は東方向に視界が開けている。
写真は上から順番に左側(北東)、正面(真東)、右側(東南)を見ている。

この日はローヌ川沿いを走って来て、狭い河谷だと思っていたのだが、展望台に立って驚いた。
このような都市景観が遥か遠くまで続いているとは思わなかった。



 

< 5. 大聖堂の側面と正面から見下ろした広場 >


 

< 6. ノートルダム大聖堂の内部 1 >

この聖堂の外観はゴシックではなく、ロマネスクとビザンチン様式で、最初、違和感があった。
しかし中に入ると、その豪華絢爛さと荘厳さを兼ね備えた内装に圧倒された。





< 7. ノートルダム大聖堂の内部 2 >

上の写真: モザイク画。
教会内であまり見ることがない物語が描かれていた。



 

< 8. 旧市街の通り >

この三枚の写真は、徒歩観光の始め頃、中頃、終わり頃のものです。






< 9. 抜け道(トラブール)1、地図番号1 >

上の写真: 右側の鉄柵がある建物は裁判所で、その向かいすぐ左側に抜け道の入口があります。

左下の写真: これが抜け道を通る時の様子です。
右下の写真: 抜け道の途中の中庭から見上げたところ。

この抜け道は、建物の中庭を通って路地と路地を行き来できるものです。
かつて織物工業が盛んだった頃、商品を雨に濡らさないようにするための屋根付き小道で、リヨン特有のものです。


 


< 10. 抜け道2と博物館 >

上2枚の写真: 別の抜け道を入ります。地図番号1。
抜け道1と直ぐ近くにあります。
入口には扉があり、閉まっているので、一見民家の玄関に見える。
入口に表示があるようですが、私には理解できません。

下の写真: ミニチュアと映画博物館「Musée Miniature et Cinéma
地図番号2.
約100年前に、リヨンで映画が生まれた。



 

< 11.サン・ジャン大司教教会、地図番号3 >
この建物はかつての大聖堂で、1180年に建設が始まり、完成したのは1480年でした。
上の写真の丘の上にノートルダム大聖堂が見える。
公会議がここで行われたのだろうか?



 

< 12. リヨン名物の菓子店、地図番号4 >

上の写真: 店「A La Marquise」の正面。
店内でお菓子を買うこともできるが、外で食べることも出来ます。

下2枚の写真: お菓子店の右側の入口から入った中庭。
元は修道院関係者の住居で、ゴシック様式の螺旋階段などがあり、現在は博物館です。
ここだけなら無料です。
菓子店が入居している建物は、古くは13世紀に始まり、幾度も改築され、今はアパートになっている。




 

< 13. 元証券取引所、地図番号5 >

最初、通った広場に戻って来ました。
上の写真の左側に元証券取引所の正面が見えます。
下の写真が元証券取引所です。
この建物はフランス革命後、しばらくしてプロテスタント教会になりました。


次回に続きます。