20191209

中国の外縁を一周して 10: 北京、紫禁城



 *1



今回は、北京観光初日に訪れた故宮、紫禁城を紹介します。
私の紫禁城への入場は2019年10月18日(金)9:00~11:00でした。
今回は2度目の見学で、前回見逃した所も見ました。


 
< 2. ホテル天安大厦から >

上: ホテルの部屋から南河沿大街を見下ろす。

朝6:30、外が騒がしいので窓から外を見た。
すると多くの中国人の観光ツアー客が、次から次へと観光バスに乗って出発して行きました。
凄いバイタリティ!!

北京初日のホテル天安大厦は、紫禁城と王府井のちょうど真中にあり、価格もリーズナブルです。
設備が古く、エアコンの調子は悪かったが、朝食ビュッフェが良く、若いフロント係が非常に親切で良かった。
しかし、夕刻、ここから別のホテルに移動する時に、思わぬトラブルに遭うことになった。

下: 大通り、東長安街の東側を望む。
ホテルを8時過ぎに出て、歩いて紫禁城へ向かう。
道路は既に車で一杯でした。
空はガスっている。





 
< 3. 紫禁城の地図、上がほぼ北 >

赤線が私の見学ルートで、写真もこの順に並んでいます。



 
< 4.いざ紫禁城へ >

上: 右に天安門、左に天安門広場の人民大会堂が見える。

東長安街を西に向かっているのですが、天安門に近づくと凄い人で道は埋まって行きました。
歩いて20分以内の距離なのですが、開場の8:30に間に合わない。
人の少ない朝一番を狙ったのですが、出鼻をくじかれた。

下: 午門。
この右手で入場券を販売している。
それは目立たない小さな窓口でした。
私達以外にこの窓口で購入する人はいなかった。
皆、事前にインターネットで買っているようでした。
圧倒的に団体客なので、添乗員などが手配しているようです。

天安門から午門の間は広いのですが、至る所に団体のツアー客が集合しており、ほぼ人で一杯でした。


 
< 5.午門をかえり見る >

上: 午門をくぐり、いよいよ入場。

下: 太和門側から午門を見る。
門と門の間で、この広さ!


 
< 6.太和殿 >

上: 太和門から太和殿を望む。
太和殿は宮廷で最重要な建物で、重大な式典ではこの広場に官吏がずらっと並びました。
今は観光客で一杯です。

ここで気が付き始め、中国を周っている間に確信したことがありました。
それは中国のおばちゃんの多くが深紅の服を着ていることです。
日本では恥ずかしくて着れないと思うのですが。

始め共産党礼賛だと思ったのですが、男性は少ないので、おそらく日本で言う還暦を迎えたら赤いちゃんちゃんこを着るようなものなのでしょう。


下: 太和殿から太和門。






 
< 7. 中和殿と保和殿 >

上: 中央奥に后右門。
中和殿と保和殿の西側にあり、ほとんど観光客は行かない。

下: 手前から中和殿、保和殿。
太和殿に続く建物です。
この二つの建物は、太和殿での式典の折、皇帝が休憩したり、更衣したりした場所です。

前回の20年ほど前と比べ、人が多く、建物の中を覗くのは困難でした。
この辺りでは人に押されて流されて行きました。






 
< 8. 乾清門 >

上: 左(西側)に隆宗门。
この広場から北側、西側、東側が内廷と呼ばれる。
この領域で皇帝が政務を行い、皇帝、皇太子や皇后などが暮らした。

下: 広場中央の乾清門。
この奥に乾清宮が見える。



 
< 9.乾清門と保和殿の間の広場 >

上: 奥(東側)に景运门。

下: 景运门側から広場を見ている。
左が保和殿、右が乾清門。

私は隆宗门と景运门の両方に入りました。
特に興味を惹くものがありませんでしたが、景运门を入って右手に休憩所があり、入りました。
小綺麗なレストランでした。



 
< 10.後三宮 >

上: 乾清宮。
歴代皇帝の寝所、または日常の政務を執り行う場所だった。

下: 交秦殿と坤寧宮。
手前が交秦殿で、皇帝や皇后の冊立の儀式が行われた場所であった。
奥の坤寧宮は皇后の寝所であった。





 
<  11. 御花園 >

上: 御花園。
ここは紫禁城にあって唯一無機質ではなく、木々の緑がある庭園です。
しかし狭い所に集約されており、奇岩の太湖石がデンと据えられており、不思議に想う。
なぜこんなに広大な宮殿なのに・・・。

太湖石とは、中国の蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から切り出されたものです。
私には美しいとは思えないのですが、中国の歴史的名園には必ずと言っていいほどあります。
文化と歴史が美感に与える影響を、毎回気付かせてくれる。

下: 西六宮の通り。
妃たち西六宮に居住していた。






 
< 12. 儲秀宮 >

ここは西六宮の一つ、儲秀宮です。
偶然、入ってみると、ここで西太后が居住していたと書かれていた。
部屋は清朝時代の様子を再現しており、ドラマ「蒼穹の昴」や中国の宮廷劇のワンシーンが浮かびました。
しかし、思ったより小さな建物でした。

今回の旅行では、北京が初めての妻に名所を見せたかったのと、私としては西太后ゆかりの所に行きたかった。
このような后の住まいを見たかったが、今回は願いが叶った。


 
< 13. 御花園を出る >

左: ここ順貞門を左側に抜けると御花園から出て神武門に向かうことになる。

右: 北門、神武門です。
ここを出る前にオーディオガイドの返却所が、左側にあります。
私は、知らずにこの門をくぐると、警備員の手持ちのセンサーが異常音を発し、止められてやっと気付きました。
借りたのは、午門の前だったように思う。



 
< 14. 見学終了 >

上: 順貞門を北側から見る。

下: 神武門を出た所から景山公園を見る。





 
< 15. 神武門 >

上: 北側から神武門を見る。

下: お堀。


次回に続きます。


20191206

晩秋の北関東をドライブしました 4: 草津温泉の夜と朝





< 1. 湯が二人の心を・・ >

今回は、草津温泉のロマンチックな景観を紹介します。
ライトアップされた湯畑と朝陽に輝く森が素晴らしかった。



 
< 2.草津温泉の地図、上が北 >
 
上: 赤い四角の右が足利、左が富岡です。
赤い三角が草津温泉です。

下: 矢印が草津温泉での宿泊ホテルです。
深い山の谷間にある巨大な温泉街です。



これらは湯畑を一周して撮影した写真です。
ライトアップが幻想的でした。
冷気の中、硫黄の微かな匂いと湯煙が温かく体を包んでくれました。
寒いにも関わらず、多くの人が湯畑を訪れていました。



 
*3


 
*4


 
*5


 
*6

 
*7



これらは翌日の早朝、ホテル周辺で撮影した写真です。

裏山を歩くと落ち葉が地面を埋め尽くし、木々には紅葉の名残りがありました。


 
*8

上: ホテルの部屋からの眺め。
おそらく高い山は草津白根山でしょう。



 
*9

草津の湯に浸かり、そしてロマンチックな湯畑と晩秋の森を堪能しました。

次回に続きます。




20191205

中国の外縁を一周して 9: 廈門から北京へ


*1


今回は、最後の廈門と北京の初日です。
廈門の暮らしと北京の夜、
そして廈門と北京の両空港でのトラブルを紹介します。




< 2. 宿泊した部屋 >
上: ホテルの部屋から見た朝焼け。

下: 杏林湾大酒店の一室。





< 3. ある億ションの一室から >

高速エレベータ―に乗って、最上階近くの一戸を訪れました。
窓からの眺めは絶景です。
この一戸は、一億近い評価額らしい。
ここには数多くの部屋があり、立派な家具調度品で埋まっていました。
退職した夫婦一組が住んでいます。
毎日、ここで孫一人を預かり微笑ましい時を過ごされており、部屋はおもちゃで一杯でした。

このような暮らしをしている人は私の周辺にはいない。

このご主人は大企業を10年以上前に退職し、このマンションを買ったようです。
大企業であれば年金は多いし、購入時、銀行から多額の借金が可能だろう。さらに退職前に企業から住居を安く支給され、多額の売買益を得ることも出来ただろう(かつて公務員の特権だった)。
それに加え、購入後に不動産が急騰しているのだからラッキーです。

このことが、代々都会暮らしで大企業にいた人と、地方から来てその日暮らしをする人の間に、ここ20年ほどで大きな格差を生んでいる。

実は、この眼下の干潟はやがて消えるそうです。
政府が近い将来、全部砂浜に変えるからです。
中国ならやるでしょうね・・・



< 4. 厦门高崎国际机场 >

ここで最初の洗礼を受けました。
それは国内線に乗るために税関で手荷物検査を受けている時でした。

突然、女性係官が私にいぶかしげにまくしたて、ストップをかけました。
まったく中国語が分からないのですが、状況からして北京へ何しに行くのかを尋ねているようでした。

そこで、私の中国旅行の15日間の日程表を彼女に見せました。
すると彼女は、それを取り上げて何処かに消えてしまいました。
しばらくすると現れ、無表情でもう行けと私達夫婦に促した。

事の経緯は分かりませんが、移民などを警戒していると感じました。

フリーの旅では、言葉が通じなくても、必ず自分でトラブルを処理しなけらばならない。
運か、経験か、機転か、他人の助けか、冷静さ、かが救いになり、北欧でも無事に旅行を終えた。

これも旅の醍醐味と言えるかもしれません。




< 5. 北京首都国際空港にて >

私達は廈門航空を使ったので、北京首都国際空港の第2ターミナルに着きました。
上記写真は参考に借用したもので、他のターミナルのものでしょう。

ここで簡単に、第2ターミナルから北京中心部に行く方法について触れておきます。

リムジンバス(机场大巴・・・线)、エアポートエクスプレス(机场线)とタクシーがあります。
リムジンバスは何種類もあり、タクシー乗り場のレーンの奥にあるようです。
リムジンバスで行っても、その後、ホテルまでタクシーや地下鉄に乗らなければならない(タクシーを拾えるかどうか不安)。
エアポートエクスプレスは階下にあり頻繁に出ているのですが、これまた他の交通機関の利用が必要です。

中国のタクシーは安いので使いたいが、長い待ち時間とトラブルに遭わないかが心配でした。

先ずはタクシー乗り場を見に行きました。
確かに写真のように長い行列はあるのですが、もの凄い数のタクシーが次々とやって来るので待ち時間は少なく、使うことにしました。

中国の幾つかの空港でタクシー乗り場を利用しましたが、すべてに差配する係員が一人はいるので安心です。




< 6. ホテルに向かうタクシーにて >
これらはすべて参考に借用した写真です。

ところが、ここでまた問題が発生しました。

私がタクシーの助手席に乗って、行先のホテル名と住所を書いたメモを見せました。
ところが、これが分からないのです。
この年配の運転手は近くにいた知り合いの運転手に聞いて、相手は大体の場所が分かるようなのですが、彼は分からない。

結局、この運転手は上の写真のようにスマホを操作して、やっと行き先を見つけて発進することが出来ました。
私も、自分のスマホでタクシーがホテルに向かっているのを横で、ずーっとチェックしていました。

結局は、無事着いたのですが、かなり時間がかかりました。
一つは、聞きしに勝る大渋滞がありました。
料金は妥当だったようです。

中国で乗ったタクシーはすべてスマホで音声ナビゲーションを使っていました。
おそらく百度マップなどでしょう。

どうやらスマホのアプリにホテル名を上手く入力出来ないようでした。
この問題は、北京だけでなく成都や蘭州などでも起きました。
最後には色々やり取りがあって何とか解決しました。

結局、私自身がスマホの百度を使えて、百度マップにホテル名を入力しておいて見せることが出来れば良かったかもしれない。




< 7. 王府井にて >

ホテルに着いてから、王府井へ夕食に行きました。
もう9時近かった。
小雨も少しあり、人はあまり多くは無いようでした。

ここで感心したのは高齢者の団体ツアー客です。
地方から来た観光客のようですが、夜にも関わらず、老人達が元気に買い物と食事へと走り回っていた。

私が入った食堂でも、彼らは賑やかでした。
本当に沢山の人が、旅行を楽しんでいました。


次回に続きます。




20191204

晩秋のアルプスに囲まれた平出遺跡を訪れました




*1


今回は、塩尻に一泊した際、
朝の散歩で訪れた縄文の集落遺跡を紹介します。
晴れた高原に朝陽が降り注ぎ、冷たい風が紅葉を揺らしていました。
そこには5000年前の人々の暮らしの跡がありました。



 
< 2. 平出遺跡の地図 >

上: 松本や塩尻がある高原の全体地図、上が北。
赤い矢印が、塩尻駅と平出遺跡です。

左(西)に上高地や奥穂高岳、右(東)に美ヶ原があり、南に行くと諏訪湖、北に行くと長野に至ります。
塩尻駅の標高は700mほどあり、北に向かって緩やかに低くなっている。

下: 平出遺跡の地図、上が南(上の地図とは向きが逆です)。
赤い枠が、今回訪れた所で、ここが縄文時代の集落跡です。
赤い枠の下部にガイダンス棟(9:00~)があります。
左側に平安時代の集落跡、右上に平出の泉と博物館があります。

黒い線が、塩尻駅から徒歩20分(1.4km)で来たルートです。




 
< 3. 縄文集落全景 >

北側から見ている。
住居の向こうに。雪を被った奥穂高の連山が見える。

駅からここまでは住宅地を通り、次いでブドウ畑を抜けて来ます。


 
< 4. 東南側と南側を望む >


 
< 5. 再現された住居 >


 
< 6. 住居の内部 >

当時の縄文土器が置かれ、囲炉裏跡もある。





 
< 7. ガイダンス棟 >

上: ガイダンス棟が見える。

下: あの山の麓に平出の泉がある。

縄文時代、この集落の人々は周囲の森のドングリを食料にし、泉の水を飲料にしていた。
5000年前の秋、きっと同じような紅葉を見て、冬の到来を感じていただろう。


これで終わります。






20191203

晩秋の北関東をドライブしました 3: 富岡から草津温泉まで





















*1

今回は、富岡製糸場のある富岡と草津までの道のりを紹介します。
写真は2019年10月17日14:30~16:30に撮ったものです。
偶然、富岡で秋祭りに出会いました。


 
< 2.富岡の散策ルートと周遊観光バス >


上: 富岡製糸場へのルート、上が北。
私は上州富岡駅近くの富岡市市営無料駐車場から徒歩で富岡製糸場(赤枠)まで歩きました。

どちらかと言うと製糸場よりは、その町の雰囲気を見たいと思っていましたが、偶然にも祭りの最中に来ました。
この日が2年に一度の秋祭りの当日(12:00~16:00)で、駅前と市役所前は祭り一色でした。
それで祭りの様子を見たり、話を聞いていると、製糸場を見る時間が無くなりました。

本当は2年に一度、来年の今頃、富岡どんとまつりが行われます。
こちらは山車が本格的に飾られ、2日かけて練り歩くそうです。


下: 富岡市市営無料駐車場富岡製糸場の間を周遊しているバス。

製糸場の門まで行って、写真のバスがすぐやって来たので、これに乗って駐車場まで帰りました。
私は門を覗くだけで終わりました。
このバス(片道100円)は非常にお薦めです。

予想していなかったのですが、バスはくねくね曲がりながら、そして女性の車掌さんが通り過ぎるかつてのは繫華街をガイドしてくれたのです。
話を聞いていると、何の変哲も無い寂れた建物や狭い通りが、明治初期、富岡製糸場華やかりし頃にタイムスリップするようでした。
歩いて来た路地が、かっては何軒もの映画館がある歓楽街に、数十人の芸者がいた置屋通りだったりするのです。


 
< 3. 秋祭り 1 >


 
< 4.秋祭り 2 >

山車の屋根の上に人形などが見えますが、無いものもあります。
これらが富岡どんとまつりの時には、完璧に飾られるそうです。
間の年(今年)は、飾りつけが手抜きになるそうです。


 
< 5. 富岡製糸場に向かう >

メインの通りのようです。


 
< 6. 富岡製糸場 >

赤い星印が入場門で、周遊観光バスの停留所もあります。
富岡製糸場の大きさは280mx200mほどあり、一面は川に面しています。
非常に大きい印象を受けました。



 
< 7. 周遊バスからの眺め >

上: 富岡製糸場の北側の塀が左側に見える。

下: この通りは当時、置屋街だったと説明されていたように思う。


* なぜ富岡製糸場がここに出来たのか?

気になり、バスの車掌さんに聞きました。

彼女の答え:
1 大量の水を使うが、良い川が横にあった。
2 周辺に養蚕農家が多かった(遥か昔から)。
3 近くに石炭の産地があった。
4 空き地が江戸時代から代官所用地として残っていた。
5 日本初の外国技術導入の工場建設だったが、住民は同意した。

当時、政府に建設を委嘱された人物は、長野県、群馬県、埼玉県を視察し、上記の理由でこの地に決定したようです。
近くに桐生があり、既に奈良時代からここら一帯は養蚕や絹織物で有名だった。



 
< 8. 草津温泉までのルート >

上: 上が北。
茶色線: 足利学校から富岡まで75km。

黒線: 富岡から草津温泉まで94km。
この道は、軽井沢を抜け、見晴らしの良い有料道路から浅間山を見ながら走り、その後は林間を抜けて草津に向かう道です。



 
< 9. 六里ヶ原休憩所より >
上: 東側から見た浅間山。
南側からは山頂付近で噴煙が昇っているのが見えた。

下: 進行方向の北側を見ている。
向こうは新潟で、白根山、苗場山や谷川岳のある方向です。
薄暗くなって来たので、これからあの山裾に向かうと思うと心細くなってきた。

軽井沢での渋滞もあり、草津に着いた時は真っ暗でした。
別のルートの方が良かったと思う。


北関東を走っていると、近畿とはかなり異なる山々が多い。
これまで見えていた赤城山、榛名山、浅間山、白根山など、ほとんどが火山で、碓氷峠のように鋭く立ち上がった崖を持つ山もある。

二つの大陸プレートがぶつかり、日本列島が折れ曲がり、険しい山並みが行く筋も隆起した所が北関東の群馬と言えるかもしれない。

走りながら百万年に及ぶ日本の成り立ちに思いを馳せた。




 
< 10. 富岡に来て気が付いたこと >

なぜ、富岡や足利に歴史的なトピックがあるのか?

私には、北関東のこの二つの地はやはり東京から遠く、辺鄙な所に思える。
しかし、一方でこの地は奈良時代から既に発展していた土地とも言える。

上記、地図を見ると足利や新田の荘園があった所は、奈良時代(律令制時代)より東山道(奈良や京都から北の奥羽地方まで連なる道)上にあったことがわかる。
実は富岡も中山道や東山道の宿場町から10kmも離れていなかった。

更に、関東平野が最後に陸地になったのは縄文海進後の6千年前に過ぎない。

これらが重なって、この富岡と足利を結ぶラインが、関東では歴史的に重要な所になったのかもしれない。
そのようなことに気付かせてくれるドライブでした。


次回に続きます。







20191129

中国の外縁を一周して 8: 廈門を訪ねて 4




*1


今回は廈門の住宅事情と中国経済の実情を紹介します。


 
< 2. 廈門一等地の高層マンションにて >

上: これは廈門島の中心部にあるマンションの外観です。
このマンションが建つ一帯では、中の一戸が日本円で1億円を超えるものがある。
それもここ十年数年で値上がりしたようです。

下: この一室から、大きな湖に囲まれた美しい白鹭洲公园が眺望できる。
湖の向こうに廈門の高層ビル群が見える。
この一室で、ある経営者にインタビューすることが出来ました。


* 面白い経済の話が聞けました

彼の事業は、父親の代から続くブランド帽子の製造販売です。
父も彼も台湾出身ですが、30年ほど前から製造を中国で、主な輸出先は日本だそうです。
彼は営業事務所をここに定め、日本に行ったことはないが、日本語はペラペラでした。
気安く何にでも答えてくれた彼に感謝します。


幾つかポイントだけを紹介します。

A 偽ブランド問題 
彼の発言:
中国国内のネット通販で、この会社の偽物が出回ることがある。
大手ネット通販に訴えても、「個々の参加会社についてタッチしないし、個人情報なので・・・」との返答で、埒が明かない。
諦めているが、最近の傾向として、中国もブランド志向になって来たので助かっている。

B 製造拠点は中国で良いのか?
彼の発言:
コスト的にはベトナムなどが良いが・・・。
移転するなら20年前に決断すべきだった、今さら遅い。
しかし、中国は製造ネットワークが整って来たので、中国残留でもメリットが出せる。

C 店舗販売とネット販売
彼の発言:
我々は日本や店頭販売に重きを置いている。
ネット通販拡大を脅威とは思っていない。

私の感想
Aについては、予想通りで、あまり当局による規制が進んでいないように思う。
ただ他の場所で得た情報では、食品の安全性については規制が功を奏しているようです。

Bについては、製造ネットワークの向上が良い状況を生むだろうとは感じていたので理解できた。
しかし産業構造を二次産業から三次産業へ、高付加価値製品へと代えなけらばならい。

Cにつては、負け惜しみともとれた。
彼のグループの全製造員が減少傾向にあるので影響があるようだ。
但し、人数減については生産性向上が寄与しているのかもしれない。

やはり台湾企業は、直ぐ隣りにあり、気候と言語が同じ廈門を進出先に選び易いのだろう。




 
< 3. 廈門の裏町の安アパートにて >

今度は場所を代え、安アパートに訪れました。
ここは大きな道路に面した建物群(上の写真)から一歩裏に入った所にあるアパートです。
三階建てですが、一戸はそれぞれの階のそれぞれ一部屋に過ぎず、部屋にはトイレとシャワーがあるだけです(廈門では湯船を使わないのかも)。
部屋の広さは独身であれば狭くないが、台所はない。
給与の相場から考えると、家賃は重荷になるだろう。

やはり地方から来た人には、都市部の高騰する住居費は厳しい。



 
< 4. 厦门市图书总馆 >

上: 図書館の前から反対方向を見た。
ここは大きな文化広場で、文化館、博物館、科学館、ショッピングセンターなどが集約されている。

下: ここは廈門島の中心部にある図書館で、正面に入り口があります。
中に入りましたが写真は撮っていません。

一番の特徴は、広々としており、書架が低いこと、そして中央に大きなジャングルのような中庭があることです。
また読書・自習用の机が書架の横に数多く広がっていることで、オープンな感じがしました。

本の貸し出し手続きは、皆、読み取り器を使いセルフでやっているようで、合理化が進んでいた。



 
< 5. 夕食は海鮮料理 >

ここは島の北部、内海に面した厦门夏商国际水产交易中心に隣接する巨大な海鮮レストラン街の一つ兴旺海鲜城です。
ここで待望の海鮮料理を味わいました。

中に入って驚きました。
十数年前に入った2軒の海鮮料理レストランとはまったく趣と規模が違いました。
前回は、川に浮かぶ小さな船上の食堂と、外人向けの高級海鮮料理レストランでした。
前者の味は素朴で、後者は洗練された味でした。

どちらにしても、これほどの大量の生け簀を前にして、食材を選ぶとは凄いの一言です。
値札に16円/元を掛けたら日本の金額になり、これら食材を何種類か選んで、料理方法を伝え、2階のレストランで食べます。
2階レストランは広いにも関わらず、また水曜日の夜だと言うのにお客で一杯でした。
これらは中国の日常の食費からすれば高いのですが、よほど生活が豊かになったのでしょうか。

以前、韓国の市場で海鮮料理を食べたことがありました。
市場で食材を選んで、食堂で料理を頼むことをしましたが、規模が違います。


 
< 6. 店内とレストラン街 >

どのレストランも繁盛しているようでした。


次回に続きます。