20190326

北欧3ヵ国を訪ねて 59: フェリー 1 





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これから最後の訪問国デンマークを目指します。
今回は、フェリーからのオスロ湾の眺めを紹介します。
晴天に恵まれ、そよ風に吹かれながら広大なフィヨルドを堪能しました。


 
< 2. フェリーの航路 >

左上: 全航路オスロとコペンハーゲン間を黒い線で示す。
赤い矢印はオスカシボルグ要塞で、今回はオスロ出港からここまでを紹介します。

右上: オスロとオスカシボルグ要塞の間を拡大したものです。

フェリー出港は2018年6月6日、16:30です。
そしてオスカシボルグ要塞を過ぎたのは17:40頃です。
 
下: フェリーのフロア図。
かなり大きいですが、クルーズ船ほどには楽しめるスペースは無いようです。






 
< 3. フェリー内 >

上: ここが唯一気楽に過ごせる、カフェでしょうか。
パンなども売られているので軽い朝食に良いでしょう。
奥に免税店が見えますが、高価なものが多いようです。

下: 屋上後部デッキ。
やはりクルーズと言えば、ここで皆、ビールでしょうか?
ところが、わりとジュースが目につきました。



 
< 4. フェリーからオスロ市街を見渡す >

上: 白いのがオペラハウスです。

下: 左の森はアーケシュフース城、写真中央の遠方に見える二つの茶色の塔がオスロ市庁舎です。


 
< 5. フェリーのデッキから 1 >
いよいよ出港です。

中: オスロ市街が遠くに見えます。


 
< 6. フェリーのデッキから 2 >


 
< 7. フェリーのデッキから 3 >

出港から30分ほど経った頃、不思議な光景を目にすることになりました。
それは進行方向右側の港から無数の高速ボートが白波を立て、このフェリーに近づいて来たのです。
そしてフェリーを囲み、追い越したりしていました。

まさか海賊、ヴァイキングとは思いませんでしたが。
どうやら観光のようでした。


 
< 8. フェリーのデッキから 4 >

出港から40分ほど経っと前の海峡が非常に狭くなり、まるで塞がっているように見えました。




 
< 9. フェリーのデッキから 5 >

フェリーは幾度も右左と大きく旋回し、島を避けながら海峡を抜けて行きます。



 
< 10. オスカシボルグ要塞 >

狭い海峡を抜け、振り返ってみると何やら要塞らしきものが見えました。
後でグーグルマップで調べると、ここがオスカシボルグ要塞だと言うことが分かりました。

ひょっとすると、この三枚の写真のいずれかはドイツの戦艦が撃沈されたところかも知れません。


次回に続きます。




20190323

平成の哀しみ7: 深まる亀裂 5: 繰り返す過ち 1


 
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いつも争う国同士には、ちぐはぐな激情が吹き荒れる。


「言論NPO」の世論調査の結果を使い、日本・韓国・中国の心の揺らぎを見ます。



 
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赤線:日本の嫌中は中国が尖閣領有を主張した2007年に急騰。
紫線:中国の嫌日は日本が国有化した翌年2013年に急騰。
この間、競い合うように悪化。

2018年も日本の嫌中は90%を越えるが、一方で中国の嫌日は78%まで下がっている。


 
*3

赤線: 日本の嫌韓は続いている。
紫線: しかし韓国の嫌日は改善している。


 
*4

韓国では日本の現首脳と慰安婦合意への評価が非常に悪い。


 
*5

日本は韓国に軍事的脅威を感じていないが、韓国は感じている。


 
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日本の最大脅威は北朝鮮、次いで中国。
中国の最大脅威は米国、次いで日本だが、北朝鮮には感じていない。

中韓が世界8位に過ぎない軍事力の日本を恐れている(中国2位、韓国10位)。

2018年、中国は最大脅威を米国ではなく日本(76%)に感じている。
これは最近の日米軍事同盟強化が大きく、これがまた軍拡競争を招く。


歴史と海外に関心が薄いと井の中の蛙になってしまい、自国の振る舞いの影響を押し計ることが出来ない。
これが日本の哀しみの一つです。


次回に続く


20190322

平成の哀しみ6: 深まる亀裂 4: なぜ米国は変わったのか





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なぜ米国は戦争をするのか?

ある時まで米国はヨーロッパに干渉せず、対外戦争を避ける国でした。
しかし第一次世界大戦(1914~)で米国は戦争を終わらせる為に参戦します。
そして二度の大戦で大きな犠牲を払い、また経済援助によって世界平和に貢献した。




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この間、米国は軍需景気で潤い、最大の経済大国に上り詰めた。
第二次世界大戦以降、米国の軍産共同体は肥大化し、各国への支援は経済覇権を拡大させた。

初め、米国はヨーロッパなどの植民地政策を批判し、是正しようと各地で介入した。
だがソ連の共産圏拡大が進むと、米国は対決姿勢を強め、互いに軍拡、同盟国造り、反同盟国潰しへの競争を激化させていった。
両国の暗躍により、発展途上国でクーデター、独裁政権誕生、そして内戦へと戦火は拡大していった。
さらに米国が途中からイスラエルに加担したことで、中東はまさに火の海となった。

世界は核戦争を逃れたが、紛争が多発し憎悪と飢餓は広がり、難民はブーメランとなって欧米を痛めた。

いつしか米国は世界中に火種を撒き、時には火消し役も務めた。
それは米国の経済(負債)と社会にも深く傷を残した。

これは繰り返された盛者必衰の一幕かも


次回に続く

20190321

北欧3ヵ国を訪ねて 58: オスロ17: 陸軍博物館からフェリー乗船まで






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今回は、アーケシュフース城の横にある陸軍博物館を紹介します。
またコペンハーゲン行きのフェリーの乗船も紹介します。
これでオスロとお別れです。



*2

上: アーケシュフース城(右側の城壁)を出た所。
海側を見ている。
通りを隔てた広い敷地(写真左側)に現代美術館や陸軍博物館などがあります。

下: この敷地からアーケシュフース城を望む。



 
< 3. 陸軍施設 >

上: 建物の表側。
手前のコンテナには「国際派遣の為のノルウェー団体」との記載があります。

下: 上記写真の建物の右側を通って、振り返った所。
先ほどの裏側を見ている。
私の立っている背中側に陸軍博物館がある。





 
< 4. 陸軍博物館 >

世界各地での平和維持活動や派兵の実績を展示。

上: この建物の右正面に入り口がある。
左の木の手前の木陰に砲台をこちらに向けた戦車が置いてある。

下: これはおそらく中東、ベイルートなど高原に建てられた見張り台のようです。



 
< 5. 平和維持活動の展示 1 >

上: アフガンの多国籍軍派兵かもしれない。


ノルウェーは小さい国ながら、20世紀以来、ずっと世界の平和と紛争調停に積極的に関わって来た。

以前紹介した探検家ナンセンは初代難民高等弁務官として活躍し、難民の父と呼ばれている。
国連安保理立案者の一人で初代国連事務総長になったのはノルウェーの外務大臣でした(前回紹介したドイツ占領時の亡命政府)。
ノルウェーがノベール平和賞の選定と授与を行っている。

ノルウェーは数多くの紛争調停に関わっているが、オスロ合意が最も有名でしょう。
当時絶望的であったイスラエルとアラブとの紛争にあって、突如、光明が射したことを覚えています。
1993年、犬猿の仲であったイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で合意がなった。
残念ながらイスラエルの侵攻で無に帰したが。
この時、クリントン大統領が全面に出ていたが、実はそこに至るお膳立てはノルウェー政府と民間人によってなされていたのです。
またクラスター爆弾の禁止条約の立役者でもあります。

北欧のスウェーデンとノルウェーは世界平和への貢献が素晴らしい。
大国が身勝手な戦争をする傍らで、両国の政府、軍、民間NGO、研究機関が世界各地に出て、平和と紛争解決に尽力している。

なぜ彼らが我が身を惜しまずにここまでやるのか、おそらく日本人の理解を越えているだろう。
ここ数世紀の小国の悲哀、プロテスタント、スカンジナビアの地政学的な背景が関わっているのか?
ひょっとしたらヴァイキング時代からの世界志向が、そうさせているのかもしれない。



 

< 6. 平和維持活動の展示 2 >

上: ノルウェーは実に多くの地域で活躍している。

下: これから乗るフェリーが見える。
荷物をホテルに取りに帰る為に、バス停に行く途中。



 
< 7. ホテルに戻る >

上: バス停。
もし、この付近に荷物を預ける場所があれば、ホテルに戻らず、このままフェリーに乗ることが出来たのですが。
事前にインターネットで探したが見つからなかった。
フェリー会社に、ターミナルにロッカーが有るかとメールで尋ねたのですが、無いとの返事でした。

荷物(スーツケース)の扱いが、旅行の自由度をかなり制限します。

下: バスでもう一度中央駅付近に戻り、トラムに乗り換え、ホテルに行きます。



 
< 8. フェリーDFDSに乗船 >

上: 乗るフェリーが見えます。
同じバス停に戻って来た。
手前にターミナルがあります。

下: ターミナルの検札を無事通過して、振り返った所です。
実はターミナルに入った所にロッカーがあったのですが、スーツケースが入るかは不明です。

私は係員から、ここで注意を受けました。
それはインターネットでの予約書(印刷物)で通過しようとしたら、発券機でチケットを発券しなさいとのことでした。
私が躊躇していると、今回初めてだから良いが、次回から自分でやりなさいと言い、その場で発券してくれました。
感謝!


簡単にフェリーを紹介します。

当然、初めて乗ったのですが、大変お薦めです。
便利で快適、コストパフォーマンスが良く、景色が良く、さらに夕食も素晴らしい。
オスロ発16:30でコペンハーゲン着翌日の9:45で、一日一便です。
料金は全部で146ユーロ(19600円)です。

明細を記します
Transportation Oslo - Copenhagen  0.00 EUR 
 2-bed inside cabin with bunk beds  88.00 EUR 
(部屋の種類が多いが安い方の一部屋の料金。一人で使う)
 7 Seas Restaurant 18:00 CET 7 Seas Dinner Buffet incl 1 drink 7 Seas Dinner Buffet incl 1 Drink      43.60 EUR 
(ビール一杯付きの夕食料金。オプションから時間などを指定する)

Transfer bus: DFDS terminal - Nørreport St. 
Transfer bus: DFDS Terminal - Nørreport station 3.00 EUR
(コペンハーゲンのターミナルから地下鉄駅近くまでの送迎バス料金)

Booking Fee   10.00 EUR   
Credit card fee 1.51 EUR

事前に日本からインターネットで申し込んだのですが、非常に細かくオプションを指定しなけらばならない。
後日予約内容を変更したが無事問題無く、予約は出来ました。

オスロとコペンハーゲン間の移動は、他に鉄道と航空機が有りますが、ターミナルがオスロ市街地に近いこと、夜の移動で時間短縮になり、ホテル代込み運賃としては安いのが魅力です。
予想以上に良かったのは食事とオスロ湾とヘルシングボリの海峡の景色でした。

フェリー内には、このバイキングのビュフェ以外にレストランが有りますが安くはない。
もっとも、北欧のまともなレストランは私には高いのですが。

パンとコーヒーを販売している小さなストアはあります。
もしかしたら、外から弁当を持ち込んでも良いのではないでしょうか。
荷物のチェックはありませんでしたから。

            

 
< 9.ターミナルから船内へ >

上: ターミナル側の渡り廊下。
地中海クルーズで利用したMSCのクルーズ船と違って、乗船はあっけないものでした。
検札などの大渋滞はなく、荷物チェックもなく、ターミナル内部も簡素で迷うことは無い。

下: 通路から最初に乗船したフロア。
この上の階にインフォメーションがあります。



 

< 10. 船内 >

上: 船室。
何の手続きも必要なく、自分の船室に入ることが出来ます。
ただ清掃の関係か、船内で定められた入室時間まで待つことになりました。
この様子だと早く行く必要はないかもしれない。
もっともチェックイン15:15~16:15で、私が検札を通ったのが14:15でした。

私が乗船した時の乗船客は、アジア系やヒスパニックが多く、数人のグループが多かった。
気楽に利用している感じがした。

下: インフォメーション。


次回に続きます。



20190317




隣国はなぜ軍拡に走るのか?


北朝鮮は建国以来、ソ連援助の下で核開発を行っていた。
ソ連崩壊後、この庇護が無くなり、核兵器こそが米国への抑止力とみなされた。

一方、米国はそれまでの宥和策から強硬策に転じ、北朝鮮を悪の枢軸と名指した。
これに呼応するように北朝鮮はミサイル発射と2006年から核実験を繰り返した。

この米国の転換は子ブッシュ大統領(2001~2009)と取り巻きのネオコン(新保守主義)による。
彼らは米国の覇権を守るためには武力行使も辞さないとし、対外戦争と軍事費増大を図った。
これは彼らが軍産複合体で収入を得ていたことと、同時多発テロも影響している。
 

 

 


1980年代、中国経済は躍進を始め、歴史的に貧弱だった海軍力をシーレーン確保の為に増強する。
その後、台湾の領有を巡り米国との間で緊張が生じ、ロシアと協力し欧米を牽制した。
2010年頃から、南シナ海への侵出を強めた。
これは米国の核攻撃と海空軍の中国本土攻撃に対抗する目的で、核ミサイル原潜の深い航路と空軍の滑走路確保と考えられている。

現在、中国の軍事力は世界第3位になり、米国海軍艦艇の大半が太平洋に配されている。


次回、米国の戦争を見ます。