20190204

雪の北海道 3: 阿寒湖の新雪を踏みしめて



 
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今回は、阿寒湖岸の雪に埋もれた散策道を紹介します。
日の出後、前日の吹雪が嘘のような快晴の中を歩きました。
辺り一面を包み込んだ新雪が、朝陽に白く輝いていました。



 
< 2. 阿寒湖、上が北 >

上: 阿寒湖下側の赤線が散策ルート。

下: 阿寒湖温泉街を拡大。
赤線が散策ルートで、黄色丸がホテル。
このルートは「湖のこみち」の一部で、ホテル阿寒湖荘の裏側から弁慶の足湯を経て、ボッケに行くことが出来、さらにこの半島を一周することが出来ます。
散策したのは2019年1月30日、8:00から往復40分ぐらいでした。



 
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上: 湖岸から阿寒湖荘と「湖のこみち」の半島を望む。
左側は全面結氷した湖面。
阿寒湖荘の前は温泉が湧きだしている為、一部氷が溶けています。

下: いよいよ「湖のこみち」に入ります。
この数日の間に、雪道は幾らか踏みしめられており、歩くと雪面から20~30cm沈む込むが、ブーツを履いていればブーツに雪が入ることもなく歩けた。
但し、歩くのに時間はかかる。
私はかつて秋の頃ボッケまでこの道を歩いたことがあるので、もう一度行こうとした。
ボッケとは、高温の泥土がガス共に噴き出し、煮え立つ池のように見える所です。



 
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上: 半島側から温泉が阿寒湖に注ぎ、氷が解けている。
この右側に弁慶の足湯がある。

左下: 温泉が湖に流れて込む小川。

右下: この小川の両サイドをよく見ると、白い小さな花が群生しているように見えます。
雪か氷の結晶が成長したもののようです。
これが「フロストフラワー」と呼ばれるものかはわかりませんが。



 
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上: 阿寒湖の氷上に一面に積もった雪を望む。
朝陽が昇って来ると、湖上に急に霧が立ち込め、見る間に層を成して覆い尽くした。
さらに陽が昇るにつれ霧は消えてゆき、この散策の間に完全に無くなった。


 
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下: やっと雄阿寒岳が見えるところまで来れた。

さらにボッケまで行こうとしたのですが、これより先は雪が踏み固められておらず、行くのを断念し戻ることにした。


 

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爽快な朝の散策でした。

北海道旅行3日目の朝、体も連日のマイナス気温に慣れて、この日のマイナス18℃も苦にはならなかった。
風が無かったことと、防寒対策をしたからなのですが。


次回に続きます。





20190203

雪の北海道 2: 千変万化する冬の空






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今回は、北海道の冬の空を紹介します。
4日間で、しんしんと降る雪に始まり、吹雪と快晴が目まぐるしく変わった。
時間を追って、急変する厳しい自然を感じて頂きます。



 
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上: 1月29日、9時45分、車窓より。
十勝平野、利別川?の橋を通過中。
遠くの山並みは大雪山のある石狩山系だろう。
28日中と29日の朝までは雪が降り続けていたが、この頃には雪が止んだ。

下: 1月29日、9時59分、車窓より。
北上するうちに空が少し晴れて来た。



 
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上: 1月29日、11時57分、車窓より。
釧路の中心部に来る頃には、また分厚い雪雲が空を覆った。

下: 1月29日、13時47分、降車して。
釧路湿原に入る頃には、また青空がのぞき始めた。



 
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上: 1月29日、15時02分、車窓より。
釧路湿原を北に抜け、阿寒湖に近づいた。

下: 1月29日、20時頃。
夕食後、阿寒湖の温泉街にあるアイヌコタン通りを散策。
夜になると雪が激しく降って来た。




 
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200メートルほど異なる阿寒湖の氷上から同じ方向を撮影。

上: 1月29日、16時23分。
細かい雪が吹き付けていた。

下: 1月30日、7時46分。
朝は完全な快晴になり、ほぼ風も治まっていた。
しかし日の出前の6時にはマイナス18℃になっていた。
これが今回の旅行での最低気温でした。



 
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1月30日、10時51分。
摩周湖展望台より、摩周湖の反対側に見える雄阿寒岳を望む。



 
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上: 1月30日、12時27分、車窓より。
摩周湖からトウフツ湖への北上途中の右側に見えた斜里岳?と知床山系。
この日は1日中快晴に恵まれ、素晴らしい景観を楽しめた。

下: 1月30日、13時14分、車窓より。
網走港に近い国道244号線を北上する。
オホーツク海がまじかに見えた。



 

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上: 1月30日、16時12分、降車して。
ここは網走から温根湯に向かう途中の北見辺り。
北海道の日暮れは早い。

下: 1月31日、6時23分、温根湯のホテルの部屋から。
日の出前の町の様子、ここには温泉街が無い。
日の出は6時45分。



 

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上: 1月31日、9時17分、車窓から。
吹雪の石北峠付近を走行中。

下: 1月31日、12時31分、車窓から。
層雲峡を抜け、旭川も過ぎて札幌に向かって南下中。

旭川が最も吹雪いた為、高速道路は一部区間が閉鎖となり、一般道を走った。
この区間を過ぎると吹雪がましになり、また開通している高速道路を走行した。
積雪や吹雪きの道を車で移動するのは、簡単に1時間や2時間遅れになる。
スリップによる渋滞、視界不良や凍結による低速走行などが起こる。






 
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砂川を通り、南下を続け、もうすぐ札幌に近くなる。

上: 1月31日、14時28分、車窓から。
また吹雪になる。

下: 1月31日、14時35分、車窓から。
数分の違いで吹雪から晴れ間へと変わった。

旭川から札幌間は日本海に近く、大陸の寒気団の影響を受け易いようです。
今回の旅行では、釧路で太平洋、網走でオホーツク海を見て、この区間では日本海の影響を感じることが出来た。


次回に続きます。




20190202

雪の北海道 1: 雪の中にこそ輝くものがある








< 1. 暮れなずむ雪原 >


これから北海道旅行を数回に分けて紹介します。
訪れたのは2019年1月28日から4日間でした。
様々な冬の景色や体験を堪能して来ました。



 
< 2.北海道の旅行ルート、上が北 >

ツアー会社の観光バスで地図の青線を巡って来ました。
新千歳空港を起点にして半時計周りで巡りました。

この旅行の目玉の一つは十勝川温泉、阿寒湖温泉、温根湯温泉での宿泊です。
また雪や氷に包まれた大地や湖や海、特に丹頂鶴や白鳥などの動物、阿寒湖や摩周湖などの湖、硫黄山や雄阿寒岳などの山、オホーツク海の流氷を見ることです。
他に、夜の雪上のイベントや氷上のイベント、アイヌの民俗舞踊なども楽しみました。

予想外に素晴らしかったのは新雪の山野、紺碧の空を映す湖面、猛吹雪の峠越えなど、冬の千変万化を直に体験出来たことです。
マイナス15℃の朝、阿寒湖の氷上を歩き、また林間の新雪を歩きました。



 
< 3. 十勝平野からの日高山脈 >

車窓から撮影。


 
< 4. 丹頂鶴 >

釧路の鶴居村で撮影。


 
< 5. 阿寒湖 >

日の出直後の林間から凍った阿寒湖を撮影。


 
< 6.摩周湖 >

展望台から撮影。




 
< 7. 白鳥 >

濤沸湖(トウフツ)で撮影。




 
< 8.知床と流氷 >

天都山の展望台から撮影。
眼下に網走、そして迫る流氷、その向こうに知床山系が見える。






 
< 9.早朝の温泉地 >

温根湯温泉のホテルの窓から撮影。
月が印象的でした。


 
< 10. 吹雪 >

温根湯から層雲峡に抜ける途中にある石北峠付近で吹雪になった。
かすむ太陽、水墨画の趣がある。
車窓から撮影。


次回に続きます。




20190127

北欧3ヵ国を訪ねて 48: オスロ 7: 冒険家達の足跡








< 1.フラム号博物館 >


今回はビィグドイ地区の住宅街と三つの博物館を紹介します。
これら博物館はノルウェーが如何に海と深く関わり、偉大な海洋冒険家を頻出したかを教えてくれます。



 
< 2. ビィグドイ地区の散策ルート、上が北 >

1: ノルウェー民族博物館、既に紹介。
2: ヴァイキング博物館、既に紹介。
3: フラム号博物館、今回紹介。
4: ノルウェー海洋博物館、今回紹介。
5: コンチキ号博物館、訪問していませんが紹介。

黄線、ピンク線が博物館への徒歩ルートです。
ヴァイキング博物館からフラム号博物館までは約1.5kmで徒歩20分以内です。



 
< 3. ヴァイキング博物館のロッカー >

蛇足ながら博物館のロッカー事情を簡単に紹介します。
これまでスウェーデンとノルウェーの博物館を数多く訪れ、多くはバックなどを預ける必要がありました。
預けるべき場合は、すべて上記写真のような小さなロッカーがあり、無料でした。
小さなリュックは入るが、それ以上大きいものはどこのロッカーにも入れることが出来ません。
扱い方法は様々で、貸与してくれるコインやロッカー付属の鍵などを使う場合が多い。
分からなければ係員が近くに居て教えてくれます。

しかし、ここは少し違っていました。
ここだけはロッカールームが館外にありました。
この写真のように任意の番号を入力し、レバーを倒す方法もここだけでした。
少し戸惑ったが、扉の裏に英語で取り扱いが書かれています。



 
< 4. ヴァイキング博物館とお別れ >

上: ヴァイキング博物館。
下: 住宅街を歩き始める。


 
< 5. 高級住宅街 >

大きな住宅が並び、新築や改装中の建物も見ました。
平等の国のイメージがあるのですが、ここに富裕層が集まっているのか、それとも皆が裕福なのか、疑問に思いながら歩いた。



 
< 6. フラム号博物館が見えた >

下: 右手奥の三角屋根がフラム号博物館。
歩いている間に公共交通機関のバスの行き来を1回ぐらいしか見なかったように思う。
離れた三か所の博物館を繋ぐ便利な公共交通機関は無いようです。

 


< 7. フラム号博物館に入る >

上: 三角屋根がフラム号博物館。
右手にノルウェー海洋博物館。

下: 中に入ると、巨大な船体がすぐそこにあった。


 
< 8.甲板上  >

上: 船外の階段を登って甲板上に渡る。

下: 甲板中央から船首の方を見ている。
甲板の左右と前方を囲むように巨大なスクリーンがあり、フラム号が氷山の流れる荒海を航海している状況を再現している。
さらに音響とライトによる稲妻が臨場感を盛り上げていた。



 
< 9.フラム号の探検航路 >

上: 甲板中央から船尾を望む。
下: フラム号の3度の探検ルート。
左が二回行われた北極海の探検。
このフラム号による最初の探検は右側のルートで、ナンセンによるものです。
左側は二回目の別人による探検ルートです。

右が南極探検。
これは1910~1912年に行われたアムンセンによるもので、彼は人類史上初めての南極点への到達に成功した。


* ナンセンによる北極探検とノーベル平和賞受賞
ナンセンは科学者であり探検家でしたが、後に自国の独立と世界平和に貢献することになる。

彼は北極海を横断する海流を調査するために、このフラム号で漂流し確認しようとした。
この為に、彼は8年分の燃料と6年分の食料を積み込み、1983年に出港し、シベリア沖まで行き、そこで氷に閉じ込められ、3年間の漂流(地図中の下降)の後に寄港し、この調査探検は成功した。

一躍有名になった彼は、当時熱を帯びていた「ノルウェーのスウェーデンからの独立」に外交官として駆り出されることになる。
そして彼はロンドンで国際世論に訴え、独立の理解を求めた。
ついに1905年、ノルウェーは国民投票により無血で独立を勝ち得た。

第一次世界大戦後、彼は国際連盟の難民高等弁務官に就任した。
彼はソ連と交渉し、ロシア革命で共産政府と対立し海外移住を望んだロシア人に初めて国際的な身分証を発行した。
これにより140万人が難民移住出来ることになり、彼はノーベル平和賞を受賞した。

彼に続いてノルウェーから多数の海洋冒険家が出た。
また国として紛争仲介やノーベル平和賞授与などを通じて世界の平和に貢献し続けている。



 
< 10. ノルウェー海洋博物館 >

私にとって興味深かったのは数々の古い漁港のジオラマや木造船の模型でした。



 
< 11. コンチキ号博物館 >

ここは訪問していません。
上: 洋上のコンチキ号。
下: 航海ルート。

1947年、ノルウェーの文化人類学者ヘイエルダ―ルは自作の筏「コンチキ号」で南米からタヒチ島近くまで漂流航海を行った。
彼はイースター島のモアイ像がぺルーの像に似てるとして、ポリネシア人(南太平洋)は南米からの移住者と想定し、南米から航海が可能だったことを証明したかったのです。

彼の漂流航海は一応可能性を示せたのですが、残念ながら遺伝子分析でポリネシア人はモンゴロイドが主に台湾から航海移住によって拡散したことが現在わかっています。

それにしてもノルウェー人の冒険心を併せ持つ探求心には関心させられました。


次回に続きます。