20170613

フランスを巡って 11: 古都アルル


< 1.アルル付近の景色 >


今日は、古代ローマとゴッホの息づかいを感じることが出来る町アルルを紹介します。
ここはローヌ川に面したなだらかな丘にあります。
深い青空に緑と白い大理石が光っていました。


 

< 2. アルルとローヌ川の地図、共に上が北。 >

ローヌ川に沿って古くからの都市アルル、アヴィニヨン、リヨンがあります。
かつてローマの軍隊と文明がこの川を遡上していったのです。
そしてローヌ川と、リヨンの北側のソーヌ川沿いにワインの産地が続くようになった。

またこの地域にはミストラルと呼ばれる北風が地中海に吹き降ろします。
特にローヌ川谷において、ミストラルは時速90kmの速さに達する。
これがアルル近郊の景観をエクス・アン・プロヴァンスまでのものと異なったものにしています。


 

< 3. アルルの地図、共に上が北。 >

上の地図: 上部中央がアルルの旧市街。
下側にゴッホの跳ね橋があります。

下の地図: 徒歩観光のコースを赤線で示しています。
Sから始め、2から7と巡り、元に戻り、バスに乗って跳ね橋に向かいました。
歩き始めたのは15:10で、戻ったのは16:35ぐらいでした。


 

< 4. エクス・アン・プロヴァンスからアルルまでの景色 >

下の写真: 北風ミストラルの為の防風林として糸杉が、この地域に入るとがぜん増えて来た。
ゴッホはこれをさかんに描くことになる。


 
< 5. アルルの町に入った >



 
< 6. 旧市街に着く >

上の写真: アルルの東側を走る鉄道。
下の写真: 車窓から見たムルグの塔。地図番号1。
紀元前のローマの城壁の一部が残っている。


 

< 7. 徒歩観光のスタート、地図番号S. >

上の写真: 街路樹が林立する大通り。西側を見ている。

下の写真: 大通りの東側を見る。
この直ぐ右手にインホーメーションオフィスがある。


 

< 8. エスパス・ヴァン・ゴッホに向かう >

下の写真: エスパス・ヴァン・ゴッホの入り口。
かつてゴッホが入院した病院で、今は文化センターになっている。


 
< 9. エスパス・ヴァン・ゴッホの中庭、地図番号2. >

ここの庭は、ゴッホの絵のままに再現されている。


 

< 10. 市庁舎広場、地図番号3. >

上の写真: 中央正面が市庁舎。世界遺産。
ここを入ると、紀元前1世紀に造られたローマ時代の地下回廊がある。

下の写真: サン=トロフィーム教会。世界遺産。
11~12世紀に建てられたロマネスク様式の教会で、かつては大聖堂の地位を得ていた。


 

< 11. フォーロム広場に向かう >

下左の写真: 左の木立が見えるところがフォーロム広場。
下右の写真: ゴッホの絵「夜のカフェテラス」に描かれた状況を再現したカフェ。
地図番号4.


 

< 12. 円形闘技場に向かう >

下の写真: 細い通りから円形闘技場に出た。


 

< 13. 円形闘技場。地図番号5.世界遺産 >

古代ローマ時代の剣闘士競技などが行われた闘技場で、1世紀末頃に建造された。当時は3層構造で2万人を収容できたとされるが、現存するのは2層のみです。
内部の観客席が整備され、数々のイベントが行われている。
私は疲れたので入場しなかった。

 

< 14. 古代劇場、地図番号6. >

紀元前1世紀に作られた劇場跡。世界遺産。
中世には採石場とされた後に要塞に転用されたが、19世紀に現在の形に復元された。
残念ながら舞台部分の復元はされていないようです。


 

< 15. 夏の庭園を後にして >

上の写真:  夏の庭園、地図番号7.
ゴッホの首だけの彫刻が突き出した記念碑が見える。


 

< 16. ゴッホの跳ね橋に向かう >

上の写真: 跳ね橋が架かる運河。
跳ね橋側から撮影。

下の写真: ゴッホの絵「アルルの跳ね橋」を再現したもの。


 

< 17.アルルを離れてアヴィニヨンに向かう、車窓から >

上の写真: ローヌ川の向こうの丘に広がるアルルの町。
川の手前にたくさんのキャンピングカーが見えるが、フランス各地でキャンピングカーを楽しむ光景に出会うことになる。

中央の写真: アルル近くの農家。
この地はミストラルが強いので、北側の窓は小さく造られているそうです。
うまく写真で撮ることが出来ませんでした。

下の写真: この地方で有名なカマルグの白い馬でしょうか。


ゴッホについて
アルルはビゼーの組曲「アルルの女」やゴッホの絵「アルルの跳ね橋」で私達には身近なものになっている。

ゴッホはオランダ人だが、画家を目指しパリに出た。
彼はパリで印象派に触発されたが、画壇から認められることはなかった。
彼は日本の浮世絵に惹かれ、1988年2月にアルルにそのイメージを求め、移り住んだ。
彼はアルル滞在の1年あまりの間に200点以上の絵を描いた。

この10月に、待ちに待ったゴーギャンがアルルに到着し、共同生活を始めた。
しかし、二人は喧嘩をし、ゴッホは自分で耳を切り落とし、ゴーギャンは去りました。
ゴッホは市立病院(エスパス・ヴァン・ゴッホ)に収容された。

1889年5月、彼はアルルから20km余り離れた精神病院に入院した。
1890年5月、退院し、パリの近くに移り住んだ。
この7月、彼はピストル自殺し、37歳の生涯を終えた。


 

< 18. ゴッホの絵 1 >

絵は制作日順に並んでいます。

左上の絵: 「モンマルトル」1886年。
パリで描いた。

右上の絵: 「アルルの跳ね橋」1888年3月。
アルルで描いた。

下の絵: 「収穫」1888年6月。
アルルで描いた。



 
< 19. ゴッホの絵 2 >

左上の絵: 「夜のカフェテラス」1888年9月。
アルルにゴーギャンが来る直前に描いた。

右上の絵: 「アルルの病院の中庭」1889年4月。
市立病院から精神病院に転院する直前に描いた。

下の絵: 「糸杉と星の見える道」1890年5月。
彼が精神病院退院間際に描いた絵で、プロヴァンスで描いた最後の絵となった。
この絵の糸杉は、自然の糸杉とは異なり、大きくうねり、彼の苦悩と不屈の精神がせめぎ合っているようです。

後期印象派を代表するセザンヌとゴッホは共に、このプロヴァンスで大きな転機を得た。


アルルについて
紀元前より海上・陸上交通の要衝として発達し,古代においてはローマ帝国属州の中心であった。
4世紀以降、キリスト教の重要な拠点として幾多の宗教会議が開かれ,6世紀には大司教座の地位を獲得した。
10世紀アルル王国の首都になり、プロバンス伯領に従属する13世紀中頃まで独立を守っていた。
円形競技場、野外劇場、公衆浴場など、フランスにおける古代ローマ時代の遺跡の最大の宝庫で、「ガリアのローマ」と呼ばれる。
またサン・トロフィーム教会は正面および回廊の石像彫刻で知られ、その豊かさはプロバンス随一です。  


次回に続きます。

   

20170611

フランスを巡って 10: 古都エクス・アン・プロヴァンス





*1


今日は、陽光溢れる粋なプロヴァンスの古都を紹介します。
ここはかつてプロヴァンス伯爵領の首都だった。
またセザンヌの生誕の地であり、晩年を過ごした所でもあります。


エクス・アン・プロヴァンスとセザンヌ



< 2. エクス・アン・プロヴァンスの地図、すべて上が北。 >

エクス・アン・プロヴァンスの旧市街にはセザンヌに関わる所は多いが、郊外にも彼が頻繁に訪れた所がある。


上の地図: セザンヌが良く行き来したところ。
エクス・アン・プロヴァンスの旧市街から北側に赤字Sの「セザンヌのアトリエ」がある。
また中心部から東側に赤字Bの「ビベミュスの石切り場」があり、その手前に彼が一時住んだ「シャトー・ノワール」がある。
黒の矢印にサント=ヴィクトワール山がある。
赤字の「セザンヌの道」はセザンヌがキャンバスを背負って歩いた道で、「トロネの道」と同じだと思います。
これらの地名は彼の画題に出てくる。

下の地図: 旧市街の徒歩観光のコースを示す。
徒歩観光はSのド・ゴール広場(ロトンドの噴水)から始まり、赤線のミラボー通りを進み、左に折れて、奥にある5番のサン・ソヴール大聖堂まで行き、入場した。
この間、12:00に始まり、12:40で終わった。
ここから皆は自由となり、昼食も各自取ることになる。
私達は6番のレストランで昼食をとり、青線を通り、集合場所のSに戻ったのは13:40でした。




< 3. セザンヌの描いたサント=ヴィクトワール山の絵の変化 >

上の写真: 「サント=ヴィクトワール山」1885-1887年。

中央の写真: 「ビベミュス(の石切り場)から見たサント=ヴィクトワール山」 1897年。

下の写真: 「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」 1904-1906年。

彼は1880年代からエクス・アン・プロヴァンスで隠遁生活を続け、印象派からの脱却を模索していた。
そして幾つものサント=ヴィクトワール山を描いて行くうちに、やがてピカソのキュービズム(立体派)の前兆となる画境に達した。


町の散策
旅行3日目、5月19日(金)。
素晴らしい天気でした。



< 4. ミラボー通りを進む >

上の写真: ミラボー通りを進む。
進行方向の右手の一角に、セザンヌの母が住んでいたアパートがある。
この通りの突き当りの向こうにはセザンヌの生家がある。

下の写真: ロトンドの噴水を振り返った。



< 5. ミラボー通り >
左上の写真: 温水が湧き出る泉。
紀元前、ローマの将軍セクスチアスが湧き水の多いこの地を「セクスチアスの水(アクアエ・セクスチアエ)」と呼んだことに由来する。

右上の写真: カフェが並び、テラスでくつろぐ人々。

左下の写真: 地図の1番。
セザンヌやゾラが通ったカフェのレ・ドゥー・ギャルソン。

右下の写真: 地図の2番。
ここはセザンヌの父が働いた帽子店だった。
私達はこの建物の左の道を入って行った。



*6

至る所に大小の広場があり、木々が青々と茂り、噴水があり、市が開かれていた。
陽射しは厳しいが、陰に入ると涼しい。



< 7. 市庁舎広場の市、地図番号3 >

魚介類やチーズ、野菜などを売っていた。



< 8. 市庁舎広場 >

上の写真: セザンヌが結婚式を挙げた市庁舎。

下の写真: 広場中央に巻頭写真の噴水がある。
広場は凄い人出でした。



< 9. 大学と大聖堂 >

上の写真: 地図番号4.
セザンヌが入学した法学部、しかし中退した。

下の写真: 地図番号5.サン・ソヴール大聖堂。
彼がよくミサに来たところで、彼の葬儀も行われた。



*10

左の写真: 名物のお菓子カリソンを買った店。

右の写真: 通りの建物を見上げた。
柱の彫刻が往時を偲ばせる。



< 11. 昼食で入ったレストラン >

上の写真: 地図番号6.市が開かれている広場に面したレストラン。
看板のメニューに、本日のお薦め「plat du jour」が13ユーロとあったので入った。
注文は出来たはずだが、料理が来るのに時間がかかったので不安だった。
出て来た料理は2品が載ったワンプレートとデザートです。
店員の対応は問題なく、店を出る時は、笑顔で手を振ってくれた。



< 12. レストランの中から >

フランスで初めてテラスで食事をした。
周りを見ていると飽きないが、集合時間が気になり出た。





< 13. ロトンドの噴水に戻る途中 >

ほんとうにこの町は賑わっている。
観光のメッカなのだろう。




< 14. ロトンドの噴水 >

こうしてセザンヌの所縁の地を訪ね、プロヴァンスの陽を浴びながら古都を歩き、自らレストランに飛び込み、愉しい時間を過ごした。
次はアルルに向かう。


エクス・アン・プロヴァンスについて
紀元前102年、エクス一帯でガイウス・マリウス指揮下のローマ軍がゲルマン人を撃破した。
これを記念して聖なる勝利の山としてサント=ヴィクトワール山と名付けられた。
この山は、この町の守護神とみなされた。

4世紀にはガリア・ナルボネンシス(ローマの属州)の首都となったが、5世紀には西ゴート族によって占領された。
その後も、フランク族、ロンバルド族らの侵攻を相次いで受け、8世紀にはサラセン人(イスラム帝国)に侵略された。
12世紀になると、アンジュー家(フランス系)やアラゴン家(スペイン系)の下で文化的な中心地となり、とりわけプロヴァンス伯でもあったルネ・ダンジューの時代(15世紀中頃)の繁栄が知られる。
1486年に、プロヴァンスの他の地域とともにフランス領となった。


次回に続きます。



20170609

フランスを巡って 9: ニースからエクス・アン・プロヴァンスまでの眺め





*1


今日は、バスの車窓から見たプロヴァンスの景色を紹介します。
コートダジュールの海と崖とは異なるのどかな山野が広がっていました。
青い空に、白い雲が流れる南仏の絶景です。


ニースを発ってエクス・アン・プロヴァンスまで
旅行3日目、5月19日(金)、9:20頃ニースを発ち、エクス・アン・プロヴァンスに到着したのは12:00でした。
西に向かって走って行くうちに、10:00頃には快晴になりました。
走行距離は178kmで、途中1回、行程の中ほどで休憩しました。
走って行くと、徐々に低い山々の間に平野や畑が広がって行きます。

エクス・アン・プロヴァンスはセザンヌの出身地であり、晩年を過ごした所でした。
途中、車窓から彼がよく描いたサント・ヴィクトワール山を見ることが出来ます。





< 2. プロヴァンスと走行ルート、上が真北です >

上の地図: プロヴァンス全体を示しています。
この地域は、西にローヌ川、北と東にアルプス山脈、南に地中海によって区切られている。
また東でイタリアと国境を接している。

下の地図: 青線は今回走行したルートです。


 

< 3. 10:00、10:10撮影 >

以下の写真は撮影順に並んでいます。


 

< 4. 10:40撮影 >

上の写真: 休憩で立ち寄った所。
ここはちょうど中間ぐらいにあり、高速道路にあるガソリンスタンドとコンビニです。

下の写真: 休憩した所からの眺め。
この山系はサント・ヴィクトワール山とは異なり、それよりは東南にあります。


 

< 5. 10:50~11:05撮影 >
ここまで来ると、ワイン用のブドウ畑が増えて来ます。
フランスを縦断していくと解るのですが、この辺りのブドウ畑は区画が小さいようです。
またブドウの木の背丈が低い。


 

< 6.11:10頃撮影 >


 

< 7. 11:30頃撮影 >

麦畑でしょうか?

 
*8

上の写真: 高速道路沿いに今を盛りに咲いていた黄色い花。
この花はコートダジュールからプロヴァンスの道路沿いでよく見ました。

下の写真: 11:35頃撮影。


 

< 9. サント・ヴィクトワール山 >

11:35~11:50撮影。

この山はバス進行方向の右に見えます。
この山は全長18km、最高点は1011mです。
石灰岩の山で荒々しく、私には美しい山とは思えないのですが、この地域では一際映える山には違いありません。

残念ながらセザンヌが多く描いたこの山の絵は、下の写真の撮影位置よりもっと左に回り込んだ所から描いたようです。
つまり、彼はエクス・アン・プロヴァンスの郊外から見たのでしょう。

 
 

< 10. セザンヌが描いたサント・ヴィクトワール山  >


上の絵: 「サント=ヴィクトワール山」、1886~87年。

下の絵: 「トロネの道とサント=ヴィクトワール山」、1896~98年。

セザンヌは1880年代から、それまでのパリ暮らしから故郷のエクス・アン・プロヴァンスに戻り制作を行った。
彼はパリ仲間(モネ、ルノワール、ピサロ)の印象派の技法に飽きたらなくなっていた。

 

< 11. エクス・アン・プロヴァンスに到着 >

11:55頃撮影。
上の写真: 町に入って来ました。
下の写真: 中心部に近い鉄道の駅。

この日は、この後、ローヌ川沿いのアルルを観光し、さらに上流のアヴィニヨンに向かい、宿泊します。

これまでの景色とローヌ川沿いの景色はまた異なります。
その違いはゴッホの絵に現れています。


次回に続きます。





20170608

フランスを巡って 8: 大リゾート地のニース



< 1. 小雨降るプロム―ナド・デザングレの朝 >


今日は、フランス最大のリゾート地ニースを紹介します。
エズとモナコに続いてコート・ダジュールの目玉の観光になります。
早朝は小雨が降っていたが観光の途中から止み、やがて快晴になった。


 

< 2. ニースの地図、共に上が真北 >

上の写真: ニース観光を終えて、Sからバスに乗り青線のルートで次の観光地に向かった。

下の写真: ニースで観光した場所。
ホテルからバスでSまで行き、赤線に沿って徒歩観光し、Rからバスに乗り、次の観光地に向かった。
青線はバスのルートです。


ニースの観光
2017年5月19日(金)、旅行3日目です。
ホテルを8:00に出発し、10分後には徒歩観光を始め、9:10過ぎにはバスに乗りました。
観光したのはニースのほんの一部に過ぎません。


 

< 3. 朝のニース >

上の写真: 6:30頃のホテル近く。

下の写真: ホテルからのバスより。


 
*4

上の写真: マセナ広場、地図のM。2枚共、バスからの撮影。
中央の通りがジャン・メドサン通りで、奥が北側、私達のホテル側です。

中央の写真: マセナ広場の海側の噴水。

下の写真: 旧市街地と海岸の間にある小さな公園。
この季節、フランス各地で花が咲いていました。



 

< 5.プロム―ナド・デザングレ >

せっかくのコート・ダジュール(紺碧の海岸)とプロム―ナド・デザングレ(英国人の散歩道)が厚い雲と小雨で台無しでした。
それでも、その大きさと林立するホテル群から賑わいを想像することが出来ました。
以前、スペインのマラガで見た紺碧の海岸が目に浮かびます。
散歩する人やジョギングする人、サイクリングする人が行きかっていました。


 

< 6. 印象に残ったもの >

左上の写真: 海岸沿いの建物の鎧戸。
フランス南部ではこのような鎧戸が必ず窓に付いていました。
多くは古びた木製で、強い陽射し除けだそうです。

右上の写真: サレヤ広場から海岸に通じるトンネル。

下の写真: サレヤ広場の海側レストラン街の屋上への階段。
屋上には行けませんが、踊り場から次の写真を撮りました。


 

< 7. 旧市街のサレヤ広場、地図のSa >

上の写真: 踊り場から西側を望む。
奥が旧市街のサン・フランソワド・ポール通り、右手にサン・フランソワド・ポール教会の鐘楼が見える。

下の写真: 踊り場から東側を望む。
サレヤ広場の周囲をパステルカラーの建物が囲み、奥には城跡公園の丘が見える。
一番左側のカーキ色の建物はミゼリコルド礼拝堂で1740年のバロック建築です。

ここで少し驚いたことがありました。
ドイツの哲学者ニーチェの名を冠したテラスがこの城跡公園にあると後で知りました。
実は紹介していなかったのですが、エズ村の入口近くに「ニーチェの散歩道」の標識があり、海岸までの急峻な山道だそうです。
それを聞いた時は信じていなかったのですが、ニーチェは病気療養のために夏はスイス、冬はイタリアやフランスのここニースやエズで過ごしたことがわかりました。


 

< 8.サレヤ広場の市 >

妻と期待して花市の自由時間を楽しもうと8:30頃に乗り込んだのですが、まだ店開きを始めているところで、少し拍子抜けでした。
本来は6:00から開いているはずなのですが、雨のせいかもしれません。
それでも果物とこちら名産のお菓子を買い、後で食べることが出来きて満足でした。

この市は長さ250mの広場にテント張りの店が3列びっしりと並んでいました。
店の多くは花、お菓子、果物、野菜で、土産物なども売っていました。
困ったのは公衆トイレが閉まっていたことで、フランス旅行ではトイレの場所をいつも把握しておかなければなりません。
無ければカフェなどで借りなければなりません。
ツアーの観光中は添乗員が前もって教えてくれますが、自由散策では注意が必要です。



 

< 9. サン・フランソワド・ポール通り >

上の写真: 右手にサン・フランソワド・ポール教会の正面が見える。

下の写真: 中央の建物がオペラ座です。

この通りを抜けると二本の道路に挟まれた大きく長いアルベール1世公園に出ます。
ここからバスに乗り、西に向かって次の観光地に向かいました。





 

< 10. 高級ホテルが並ぶ海岸沿いの道プロム―ナド・デザングレから >

以下の写真はすべてバスの車窓からの撮影で、地図の青線上からです。

上の写真: 1913年創業の5つ星のホテル・ネグレスコです。
2016年7月、84名の死者を出したニーストラックテロ事件はこの賑わう海岸の通りで起こりました。

下の写真: これらのホテルや別荘群は海岸に沿って5kmも続いています。
西にいくほどモダンな建物になって行きます。


 

< 11. ヴァール川を越えて西に走る >

川を渡ったのは9:40頃で、最後の写真のように20分も走るとほぼ快晴になりました。
悔しい!!
しかし、この後、当初の長期天気予報が外れ、素晴らしい天気と強い陽ざしに見舞われました。

こうしてコート・ダジュールの三つの観光地を後にし、これから陽光溢れるプロヴァンスを2日かけて4つの観光地を訪れます。


ニースについて
ここは人口34万の地中海に面する世界的な保養地です。
これから訪れるプロヴァンスと異なり、北にアルプスの山々を控え、南仏特有の強風から守られている。

ニースは紀元前5世紀頃ギリシャ人によって建設され、古代には交易植民都市ニカイアとして知られていた。
その後ローマ人に占領され、その後支配者が何度もかわり、多くの戦争に苦しめられた。
中世にはプロヴァンス伯領に属し、その後フランスに帰属した。
また近世にはエズを要塞化したサヴォイア公国やスペインに帰属した。
1860年、サヴォイア公国の後継国(サルデーニャ王国)がイタリア王国の成立をフランスに承認してもらうため、再びニースはフランスに割譲され、今日に至る。

この結果、この温暖で気候が安定しているニースが外国人(特にイギリス人)の避寒地として発達し、多くの王侯貴族や文人が訪れるようになった。
この中に19世紀後半に活躍したニーチェがいた。
そして、第2次大戦後はバカンス客で賑わうことになった。


次回に続きます。 


20170607

フランスを巡って 7: 旅行2日目のまとめ


< 1. ニースのノートル・ダム教会 >


今日は、旅行2日目、5月18日(木)の他の体験を紹介します。
この日はニースの空港に着いてから、エズとモナコを観光してニースに戻り、中心街のホテルに泊まりました。
時間を追って紹介します。


 

< 2.2日目のコースの地図 >

上の地図: 青線が行きのバスルートで、赤線がニースに戻るルートです。
上が真北です。
1: コートダジュール空港。14:00頃に到着。
2: エズ村。
3: モナコ。
4: ニース。私達のホテルは中心街にある。
空港からモナコまでの直線距離は19kmです。


 

< 3. 空港の様子 >

他の空港と違うと感じたのは、出国ゲートで待つツアー関係者やタクシー運転手の多くが黒のスーツを着ていることでした。

 

< 4. 空港からエズ村までの景観 >
近代的なビルが並ぶ空港周辺を過ぎると平野部は無く、起伏のある丘陵地帯の至る所に民家が建っている。


 

< 5. エズ村からモナコまでの景観 >

バスは断崖絶壁の道を縫うように走った。


 

< 6. ニース中心街に向かう >

上の写真: モナコから戻って来て、眼下にニースが見えて来た所。
下2枚の写真: ほぼニースの中心部。



 

< 7. ジャン・メドサン通り 1 >

このメインストリートにあるホテルに20:00頃に着いて、夕食のレストランに歩いて向かう時に撮影した。

上の写真: ノートル・ダム教会。20:40撮影。
日没まで、まだ十数分ある。

下の写真: 今回最初の地元の人の笑顔です。
何処に行っても、フランス市民に親し気な対応して頂いた。


 

< 8. ジャン・メドサン通り 2 >

この通りにはトラムが走っている。
この通りにはデパートや大型スパーがあるのですが、この時間には皆閉まっていました。


 

< 9. レストランで夕食 >

今回の旅行で、初めてフランスで食べる食事です。
左の料理はニース風サラダです。
今回の旅行の料理はすべて三品で、最後がデザートでした。


 
< 10. レストランからホテルへ帰る途中 >

22:00の撮影です。

この季節の旅行は非常に日が長いので、朝も夜もホテル周辺の街歩きが出来る利点がある。
しかし、いい気になってがんばっていると疲れてしまった。
また、夜景やライトアップを撮るには10:00~10:30を過ぎないと行けないので、これがまた疲れます。

こうしてフランス1泊目の夜は更けて行きました。


次回に続きます。