20170220

何か変ですよ! 52: トランプの評価を巡って





*1


不思議なことがある。
大衆はなぜ突如として極端な行動に出るのだろうか?
トランプ大統領の選択がその好例です。

不思議なこと
私はトランプに関する本を6冊読んだが、トランプ大統領の評価は混乱している。

彼の就任は悪化している米国の現れか、彼の希代の才能ゆえか、それとも何かの間違いか?
我々は彼に期待すべきか、はたまた最悪の事態に備えるべきか?
これは世界にとって吉兆なのか、それとも凶兆なのか?

これら相矛盾する評価から、米国社会と世界の混沌が見えて来ます。



 
*2


相矛盾する評価

*トランプ氏に対する評価
意見は大きく二つに分かれる。

トランプを高評価する人は、彼は群を抜いた交渉力を持ち、幾多の困難を乗り越えたビジネスマンで、機を見るに敏だと言う。
また彼は自己資金で戦ったので既成勢力と無縁で、正直者だからと期待されている。

彼を否定する人は、彼は感情的、ナルシスト、守銭奴だから信用出来ないと言う。
また彼は政治経験がなく、極右で、煽動家だから危険だとされている。


*トランプ氏が選ばれた背景
概ね以下のように要約できる。

幾多の有力候補やヒラリーが嫌われ、投票率が低い背景に、ホワイトハウスへの根深い不信感があり、大衆は既成政治との断絶を求めた。
さらに白人層の危機感と女性蔑視が大きく作用した。

彼は大衆の不満(移民、ムスリム、派兵、失業など)を積極的に取り上げ、既成概念に囚われない解決法を示した。
それをデマゴーグと非難するマスコミと他候補に対して、彼は悪態とメール発信でやり込めることが出来た。

彼はテレビ番組の人気者であったが、当初、泡沫候補と見られていて、マスコミは興味本位に彼を扱ったことより、露出度が非常に高まった。
マスコミは彼の人気が出てから批判を始めたが、既成勢力と非難され、逆効果となった。

他に、米国における闇の支配者などの陰謀説もある。


*著者たちのトランプ大統領の評価

彼をレーガンやエリツインになぞらえ、彼こそが米国で創造的破壊を起こしてくれるとの期待がある。
確かに、他の候補では超富裕層による支配、戦争継続、移民増大、格差拡大が続く可能性がある。

当然、危険視する意見もある。
彼のほとんどの解決策はデタラメで、特に経済政策、結局は米国と世界を混乱に陥れる可能性が高いと見られている。

結局、ジリ貧になっていく白人層は、溺れる者は藁をも掴む心境のようだ。
日本もこうならないように願いたいのだが。


様々な疑問

A: 経済に創造的破壊は必要だが、大統領が旗を振ってうまく行くのだろうか?

歴史的には、イギリスの産業革命などのように、良い創造的破壊が起きる時は、それぞれの利益を代表する集団が交渉し妥協しながら自由裁量権を得て、イノベーションへの意欲が持続する時です。
残念ながら、現状は金権政治(超富裕層による支配)で社会の調整機能が失われているのですが。

彼が進める公害防止や金融規制などの緩和・撤廃、また相続税廃止などの富裕層減税は、明らかに弱者を増やすだけで、創造的破壊とは別物です。

世界を牽引している米国の情報通信などのイノベーションは政府の関与とは言えない、また移民も大きく関わっている。



B: 大統領に破壊を期待すると、何が起きるか?

レーガンの経済政策により、後に米国は双子の赤字と格差拡大で苦しむことになり、日本は円高を飲まされることになった。

エリツィンの経済政策により、ロシアはハイパーインフレを起こし経済破綻し、プーチンの独裁を招くことになった。

ヒトラーの例は既に述べました。

レーガンはインフレを抑制し冷戦終了を導いた、またエリツィンはソ連崩壊と共産経済の低迷からの脱出を導いたと言える。

結局、国民は混乱に備え、相当の覚悟が必要です。



C: 大統領に人格や見識は必要ないのだろうか?

例えば、彼は数度の倒産にもめげず大富豪に成り得たのだから素晴らしい胆力と能力を持っていると評価される。
見方を替えれば、幾度も借金を踏み倒し、従業員を路頭に迷わせたのだから、無計画で無責任な人間とも言える。

実際、彼のビジネス手法には違法まがいが目立ち、また脱税(節税)しているらしい。
はたしてこのような人物に国を任して良いのだろうか。


D: トランプを期待する心理の不思議。

概ねトランプを評価する著者らは共和党寄りのように思える。
彼らは民主党政権には辛辣だが、共和党への悪口がまったくない共通点がある。
逆も真なりですが。

例えば、ヒラリーは多額の献金を受け、戦争を拡大させ、裏で汚い事をしていると罵る。
また民主党政権は中東で手を打たなかったから戦火が拡大したと言い、一方でトランプは外国に干渉しないから、世界は平和になるとも言う。
中東を大きく混乱させたのはブッシュ親子だと思うのだが。

私は、どっちもどっちで、まだ民主党の方が少しましなように思えるが。

また、盛んに陰謀論を唱える福島隆彦は2016年7月出版の本で、ロックフェラーがトランプに決めたと自慢げに書いている。注釈1。
キッシンジャーとトランプの娘婿の父親は共にユダヤ系の大物であり、彼らが仲介したと説得的でした。

しかしその年の4月の彼の本を見ると、ロックフェラーがヒラリーに決めたと書いていた。注釈2.

陰謀論は読んでいてワクワクするが、少し考えれば腑に落ちないことが見えてくる。


まとめ
やはり、米国は病んでいる。
米国主導のグローバリズムによって世界も病んでいる。
グローバリズムが悪いわけでは無いが、自由放任が悪い。

いつしか、既得権益層が社会を牛耳り、格差拡大が蔓延し、大衆の団結を防ぐ為に疑心暗鬼が煽られ、分断が深まった。
そして社会を変えられない大衆が焦り、そしてポピュリズムによる大きな左右への揺れが起きた。

この状況は、帝国主義やファシズムを生み出した社会と酷似しているように思えるのだが。
この時も、ナショナリズムと保護主義が世界に蔓延して行き、2度の大戦へと繋がった、

皆さん、どうか自分の身を守る術を考えておいてください。



 

*3


参考文献の紹介
*「トランプがはじめた21世紀の南北戦争アメリカ大統領選2016 
渡辺由佳里著、2017年1月刊。

彼女は米国で長年暮らしているジャーナリスト。
この度の大統領選の集会などを直に取材し、市民の眼からレポートしている。
トランプを支持する人々(主に白人)の実態が良く伝わってくる。
彼女はヒラリー寄りで、リベラル派の惨敗に気落ちしている。


*「トランプ政権でこうなる日本経済 」
岩崎博充著、2016年12月刊。

彼は日本在住の経済ジャーナリスト。
この大統領選挙を取材ではなく資料や本から分析しているようです。
トランプが選ばれた背景を妥当な情報で分かりやすく解説している。
私の感じでは、中立的な立場で、トランプ政権の今後を占っている。
彼はトランプによって災いが起きることを恐れている。


*「なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか
佐藤 則男著、2015年11月刊。

彼はニューヨーク在住40年を超えるジャーナリスト。
書かれたのが序盤戦(予備選)の時期なので切実感はないが、米国大統領選の裏表を見せてくれる。
また序盤でのトランプへの悪評とヒラリーへの嫌悪感がよく伝わってくる。
彼は共和党寄りです。


*「トランプ大統領とアメリカの真実」
副島隆彦著、2016年7月刊。

彼はアメリカ政治思想研究の第一人者と自称している。
大統領選が混沌としている中で、早々とトランプで決まりと発言している。
本は読んでいて面白い。
米国の政治思想史や支配層の人脈を縦横に駆使しながら大統領選を鮮やかに分析している。
陰謀説で、踏み込んで断定する割には、2017年2月20現在において、多くが外れている。
極端で眉唾ものと思って読む分にはよい。
なぜか、この手の本はアマゾンでは評価が高い・・・。


*「『闇の支配者』最後の日々」
ベンジャミン・フルフォード著、2016年4月刊。

彼はカナダ出身のジャーナリストで日本に帰化。
この本ではトランプは扱われていませんが、米国の裏側を知りたいと思って読みました。
日本、米国、世界を股にかける闇の支配者が出て来ます。
私には、真贋を検証する力がありませんので、途中で放棄しました。
これもアマゾンでは評価が高い・・・。


*「トランプ・シフト これからの世界経済に備える14のこと」
塚口直史著、2016年12月刊。

彼は大成功しているヘッジファンドマネージャーで、世界の政治史にも見識がある。
この本は、トランプ後の世界の経済・金融を理解するには必見です。
経済用語が出て来て読みづらいところはあるが、読めば世界の現状と混乱の広がる様子を知ることが出来ます。
日本のアベノミクス、日銀政策についても明快な判定を下しています。

彼は、現実に大きな資金を運用する立場にある為、この危機にあって、今は様子待ち(手元流動性を高め)を行い、しっかりと備えるべきと警鐘を鳴らしています。

私がトランプの次に恐れているのは、中国経済の崩壊ですが、これがトランプによって更に悪化するかもしれない。
世界の悲運は、政府の些細な判断ミスや外交ミスの積み重ねで訪れるものです。

これで終わります。


注釈1
既述の「トランプ大統領とアメリカの真実」


注釈2
「マイナス金利「税」で凍りつく日本経済」副島 隆彦 著。




20170218

Bring peace to the Middle East! 69: Why was it exhausted ? 7: The period background of imperialism 2


中東に平和を! 69:  なぜ疲弊したのか 7: 帝国主義の時代背景 2





*1

Last time we saw why the imperialism began.
However, the explanation lacks a certain something. 

前回、なぜ帝国主義が始まったのかを見ました。
しかし、何か大事なことが抜けている。




*2

What did it lack?
In the previous explanation, it is difficult to understand why competition for getting parts of colony began in the 1880's.
There must be a common motive for Western countries, and I think it eventually led to two great wars.

In the latter half of the 19th century, there are some important changes that occurred in the Western Europe.

A: Capital exports and emigrants from the Western Europe had doubled every 10 years.
For example, the development of steamboats expanded a maritime traffic, and the export value was growing every year.
After the Industrial Revolution, the economy and the science technology developed, so the difference in national power between the UK and the US or the Germany was decreasing in size.

B: Although the economic recession had already occurred repeatedly, finally a major depression lasted for about 20 years since 1873.
As a result, each country took a protective trade policy, and at a same time nationalist sentiment intensified.

C: A thought "The Western Europe is superior to the other world and develops" had been timely widespread .
The people adopted Darwin's theory of evolution, and they were convinced that the excellent Western civilization was evolving through the principle of the survival of the fittest.

D: In 1884, 14 Western countries held a conference in Berlin, and decided the rules of partition of Africa, then after that the competition for getting parts of colony began.

At that time, the Africa was an unexplored area where fever disease spread in, and the colony of the Western Europe was only 10% in it.
A conflict occurred when countries (Belgium etc.) that had lagged behind in getting of colony tried to enter it.
In order to prevent this conflict, certain rule " the country that first occupied and dominated colony is granted the control of it" was stipulated.
Thus, the competition began.

Although there is a part overlapping with the previous explanation, you may notice a strange something.


何が抜けているのか
前回の説明では、1880年代から植民地獲得競争がなぜ始まったが分かり難い。
やはり西欧諸国に共通する動機があるはずで、やがてそれが二度の大戦へと繋がったように思える。

19世紀後半、西欧に起きていた重要な変化を挙げます。

A: 西欧からの資本輸出と移民が10年毎に倍増した。
例えば蒸気船の進歩が海上交通を発展させ、輸出額は毎年伸びていった。
また産業革命後、経済と科学技術が発展し、これによって英国と米国やドイツなどの国力差が縮小した。

B: 既に景気後退が繰り返し生じていたが、ついに1873年から大不況が約20年間続いた。
これによって各国は保護貿易に転じ、また愛国主義の風潮が高まっていった。

C: まさにこの時期、「西欧は世界に優越し発展する」との思想が広まっていた。
彼らはダーウインの進化論を取り入れて、優れた西欧文明は適者生存により発展していると確信した。

D: 1884年、西欧14カ国がベルリン会議を開き、アフリカ分割のルールを決め、この後、植民地獲得競争が始まった。

当時、アフリカは熱病が蔓延する未開の地で、1割が西欧の植民地となっていただけであった。
そこで、植民地獲得に遅れをとっていた国(ベルギー)が参入しようとして衝突が起きた。
この争いを防ぐ為に、ルール「先に占領し支配した国が領有する」が定められた。
こうして競争が始まった。

これは前回の説明と重複するところもあるが、こうして見ると不思議な事に気づく。




*3

What is it?
That is certain mentality of the Western Europe that appears in the above paragraph C and D, and it is probably more intense than East Asia.

If I were to use one word, it will be a feeling of superiority passing over a self-confidence of Westerners.
They who were Christian and White despised pagans and different races.
They understood a social system that was different from their society as deteriorating or undeveloped society.
What an inconsistent stance. Annotation 1.


それは何か
それは前述のC,D項に現れている西欧の心性で、おそらく東アジアより強烈と思われます。

敢えて言うならば、それは西欧人の自信を通り越した優越感でしょうか。
キリスト教徒であり白人である彼らは異教徒や異なる人種を蔑んだ。
彼らは自分達の社会制度と異なるものは劣化か未発達だと捉えるところがある。

例えば、欧米は東京裁判において日本を「平和に対する罪」などで裁いた。
この罪は侵略戦争に対して言っているのですが、この60年前のベルリン会議で、欧米は侵略を合法化していたのです。
如何にも矛盾しています。注釈1.



*4

What is the mentality of the imperialism?
In the age of European Imperialism, the brutality of the Western Europe that was shown in colonies was based on a strong discriminatory sentiments and contempt.

This would have lowered resistance sentiments toward exploiting and controlling the colonies.
Although this mentality was also common to the empire of Japan and the fascism of Nazi Germany.


Then, what has happened?
In 1914, the First World War began from one assassination incident in the Balkans.

In the competition for colony, the Western countries did not big fight against each other.
However, during the competition, eventually the greed of larger countries and the  backlash of the colony must have exploded.

Knowing this process, the judgment of whether the imperialism was holding down internal conflicts or was preparing the world war depends upon the person.
I have the latter view.

This continues to the next time.



帝国主義の心性とは何か
帝国主義の時代、西欧が植民地で行った蛮行に通底しているのは、強烈な差別感情、蔑視でした。
これが植民地への搾取や支配への抵抗感を低くしたことでしょう。
もっとも、この心性は大日本帝国やナチスドイツのファシズムにも共通していたのですが。


その後、何が起きたのか
1914年、バルカン半島での一つの暗殺事件から第一次世界大戦が始まります。

植民地争奪では西欧各国は互いに大きな戦闘をすることはなかった。
しかし、植民地の獲得競争の中で、やがて大国の強欲と植民地の反発は爆発することになった。

この経緯を見て、帝国主義が内紛を抑えていたのか、はたまた世界大戦を準備していたのかは判断が別れます。
私は、後者の見方に立ちます。


次回に続きます。



注釈1.
この60年間の隔たりをどう見るのか。
それまでの西欧の激しい対立と戦争の歴史、特に二つの大戦の経験から、彼らは大いに反省し、自らも含めて侵略行為に制裁を科そうとしたのだろうか。
残念ながらそうは思えない。
米国による広島への原爆投下や、ベトナム戦争などから察すると、やはり欧米の異人種・異教徒への蔑視と復讐心は強烈で、自戒をあまり期待できないようです。

私は東京裁判の意義を認めるが、この心性に人類共通ではない特有の恐ろしさを見る。
しかし、この章では深く立ち入らない。


参考文献
帝国主義については下記図書を主に参考にしました。
「概説 世界経済史Ⅱ」p176-191.
「早わかり 世界史」p254-259.
「世界の歴史 帝国の時代8」第二章。
「世界歴史地図」ムーア著、第9章。
「丸善エンサイクロペディア 大百科」p1778.
「帝国主義」アンドリュー・ポーター著。


20170217

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 33: ワルシャワ3



 *1


今日は、王宮広場からクラクフ郊外通りを紹介します。
紺碧の空に映える建物や通りを歩き、ショパンの関わりある場所を巡りました。


 
< 2. 王宮広場 >

上の写真: 奥が、既に紹介した旧市街で、右手が旧王宮です。
中央に立っているのはジグムント3世の像です。
この王がポーランド・リトアニア共和国(1569-1795年間、現在のポーランド、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナを含む大国)を継承し、1596年に首都をクラクフからワルシャワに移した。

下の写真: 旧市街を見ています。
建物の間の通りを行くと旧市街広場に戻ります。


 
< 3.旧王宮 >

上の写真: 現在博物館になっている旧王宮。
ジグムント3世の居城だっただけでなく国会などしても使用された。
第二次世界大戦で完全に破壊されたが再建された。

中央の写真: 旧王宮の中庭。

下の写真: 中庭のポスター。
これらは1956年のポーランドのポズナン暴動とハンガリー動乱を扱っているようです。
この事件はソ連でフルシチョフがスターリン批判をしたことに端を発して、両国の民衆がソ連と自国の共産政権への不満から暴動となった。
ポーランドは自国で鎮圧し死傷者は百名ほどであった。
しかしハンガリーはソ連軍によって鎮圧され2万人近くが死に、20万人が難民となった。



 
< 4.王の道を行く >

上の写真: 今回紹介するコース。
Sは王宮広場で、Eは徒歩観光の終点で、この間はクラクフ郊外通りです。
この通りを右側(南)に真っすぐ行くと、中心市街地の新世界通りを抜け、後に紹介するワジェンキ水上宮殿公園に至り、この道は王の道の一部です
Aは大統領官邸、Bは道を挟んでチャプスキ宮殿とワルシャワ大学、Cは聖十字架教会、Hは私達のホテル。

中央の写真: 王宮広場からクラクフ郊外通りを見ている。

下の写真: クラクフ郊外通りから王宮広場の方を見ている。


 
< 5.クラクフ郊外通り  >

上の写真: 王宮広場の方を見ている。

中央の写真: ポーランドの国民的詩人の像。
彼はショパンと同時期に活躍した。

下の写真: Kościół seminaryjny w Warszawie
17世紀に造られ始め18世紀のファサードを持つカトリック教会。 
詩人の像と大統領官邸の間にある。


 
< 6.大統領官邸 >

上の写真: クラクフ郊外通りの中頃から南側を見ている。

中央の写真: 大統領官邸の前に立つポーランドの英雄像。
彼は19世紀始め、ナポレオンに従って祖国ポーランドの為に戦い、戦死した。
彼は池田理代子の漫画『天の涯まで ポーランド秘史』の主人公となっている。

奥の大統領官邸はかつて貴族の館で、18世紀に一部劇場として開放され、ここでショパンが初めてのピアノ演奏会を行った。

下の写真: 18世紀に建てられた後期バロック様式のヴィジトキ教会。
学生のショパンがこの教会の日曜ミサでオルガニストをしていた。


 
< 7. ワルシャワ大学 >

上二つの写真: ワルシャワ大学。
かつてショパンはこの大学内の中・高等学校で学んだことがあった。

下の写真: クラクフ郊外通りの中頃から北側を見ている



 
< 8.ショパンのゆかりの地 >

上の写真: ユニークな像が入り口を飾る建物。

下左の写真: かつてのチャプスキ宮殿、現在は美術アカデミー。
写真は正面左側の建物で、ショパン一家は1827~1830年までこの3階で暮らした。
1830年、彼がウィーン滞在中にワルシャワでロシアからの独立を求めて「十一月蜂起」が勃発し、帰国を断念し、パリに赴いた。
ショパンにとっては、ポーランドで最後の家となった。

下右の写真: これはショパンのベンで、ショパンゆかりの地に幾つも置かれている。
ベンチには説明が書かれており、ボタンを押すとショパンの曲が流れてくる。


 
< 9.聖十字架教会 >

上の写真: 鐘楼はクラクフ郊外通りのほぼ北の端に建つ聖十字架教会。
下二枚の写真: 聖十字架教会の内部。
ショパンの心臓が右の柱に埋められている。
彼は39歳の若さで肺結核でパリに死すが、彼は埋葬を嫌い、遺言に従いこの教会に眠ることになった。


 
< 10.広場や通りの人々 1 >

 
< 11. 広場や通りの人々 2 >

下の写真: 先ほど紹介した美術アカデミー(チャプスキ宮殿)の奥の建物。


ワルシャワ・ゲットについて
前回紹介した最高裁判所の脇にワルシャワ・ゲットーの境界跡と記念碑がありました。
その位置は下の地図の黒の矢印で、黒の楕円枠は城壁で囲まれた旧市街、黒の四角枠は私達のホテルです。
赤枠が第二次世界大戦中に設置したワルシャワ・ゲットーで、如何に巨大かがわかります。

私達はポーランドがホロコーストの主な舞台だったことを知っています。
一つには悪名高きアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所がポーランドにあったからでしょう。
ナチス・ドイツが殺戮したユダヤ人約600万の内、300万人はポーランドに暮らすユダヤ人でした。


 

< 12.ワルシャワ・ゲットー >

これらの地図と写真は1939年から1945年までのワルシャワ・ゲットーに関するものです。
*当時のワルシャワ・ゲットー赤枠で示されています。
*1942年、ゲットーのユダヤ人の絶滅収容所への移送。
*1940年、ゲットーの壁建設
*1943年、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人が武装蜂起した報復にドイツ軍は街を焼き払い掃討した。
*1943年、ワルシャワ・ゲットー蜂起鎮圧戦の最中に連行される人々。


私はユダヤ人で気になっていたことを、前回のポーランド女性に聞いてみた

質問1:
「映画シンドラーのリストでは、ポーランド人がユダヤ人迫害に同調したように描かれているが、どう思いますか?」

答え:
監督はユダヤ系アメリカ人なので迫害を際立っさせるために、ポーランド人を悪く描いているのでしょう
ポーランド人は、多くのユダヤ人を受け入れた国であり、他の場面ではユダヤ人を助けている」

質問2:
「リトアニアではユダヤ人がソ連の手先になって裏切り、ユダヤ人が嫌われたが、ポーランドではどうだったのか?」

答え:
答えは明瞭ではなかったが、ポーランド人はユダヤ人を嫌っていないと言いたいようでした


ポーランドのユダヤ人 注釈1
ユダヤ人は中世より西欧での迫害を逃れて東欧への移住を進めていた。
西欧では例え住むことが許されても、限られた町で職業と人数に制限があり、多くのユダヤ人の暮らし劣悪で人数も少なかった。

ユダヤ人は15世紀にはすでにワルシャワで暮らしていた。
民族的に寛容なポーランドでは、ユダヤ人はごく一部の大都市の旧市街を除いて、基本的にどこでも自由に住むことができた。
18世紀末以降、緩和が進み、旧市街にユダヤ人が住むようになった。
19世紀半ばより、キリスト教徒もユダヤ教徒も比較的裕福な人々は近代市街地やその郊外へと居を移していき、旧市街などには貧困層が集中して住むようになった。
この状態は20世紀のはじめまで続いた。
この時代、ワルシャワのユダヤ人人口は急増し、ユダヤ人の自治共同体が急成長した。
第二次世界大戦直前のワルシャワ市には全人口の30%にあたる38万人のユダヤ人が暮らしていた。
ワルシャワは、ニューヨークに次いでユダヤ人人口の多い都市だった。

ワルシャワ・ゲットーの歴史
1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、ワルシャワは占領された。
ユダヤ人居住区でチフスが流行していた為、1940年、隔離の為にゲットーが建設され、その中に45万人が詰め込まれ封鎖された。
このユダヤ人は強制労働に駆り出され、食料配給は必要摂取カロリーの10分の1に過ぎなかった。

1942年7月、ユダヤ人の絶滅収容所への移送が始まるが、この時までに8万人が飢えと病で死亡していた。
これに抵抗してユダヤ人は暗殺を手始めに武装蜂起し、ワルシャワ・ゲットー蜂起を起こした。
しかしドイツ軍による1か月の鎮圧で、全住民は移動させられゲットーは破壊された。
住民は瓦礫で圧死し、捕虜は銃殺され、残りは強制収容所で死んだ。

1945年、ソ連軍が到着するまでにワルシャワで生き残ったユダヤ人は約200人だった。

次回に続く。



注釈1
説明は主にウィキペディアによる。




20170213

何か変ですよ! 51: 忠犬の何が悪いのか?






*1


日本の未来は安倍首相の肩にかかっている。
去年まで、日本の政治は規定路線の延長から右旋回を始めたぐらいに思えた。
しかし、今回の日米首脳会談で、ある恐れが現実のものになった。


何が恐ろしいのか?
アベノミクスは変化があっても、せいぜいバブルの後に、より深い経済と財政の悪化を招くだけでしょう。
それは欧米の長年の悪戦苦闘の結果を見ればわかります。
それを遅れて真似ただけなのですから。

私が最も恐れるのは日本の安全保障です。
ここで二つの視点があります。

一つは、アジア大陸からの侵略です。
仮に中国や北朝鮮、ロシアが攻めて来た場合、まして核弾頭が撃ち込まれれば一たまりもありません。注釈1.
米国が後ろ盾になっていれば安心と思うのも無理はありません。

一方で、大戦後を振り返ればあることに気付きます。
戦争は核弾頭によるものではなくて、大国の周辺で果てしなき代理戦争が行われたことです。

ここで問題になるのは、日本の立位置です。
米国と敵対するのは危険ですが、さりとて、かつて侵略した中国と敵対するのも危険です。
やはり、ここはEUのように米国から一歩引いて民主主義と平和を守る自由主義圏の同胞として付き合うのが無難でしょう。

最大の問題は別にあります。
それは米国への従属です。
これは今までも議論されて来ましたが、今回、その懸念は現実のものとなった。

米国への従属がなぜ悪いのでしょうか?
中東やベトナム、アフガンの紛争を見ていると、米国は現地に親米政権(傀儡政権)を作り、望んでいたとまでは言えないが、代理戦争の一方の旗頭に祭り上げ、その結果、国民はどん底に叩き落された。
始めは米兵が世界の正義のために血を流してくれていたのですが、徐々に様変わりし、現在、現地は最新兵器の償却の場となった観がある。
歴史的に見て、欧米は異民族、異教徒を最後には利用するだけになった場合が多い。




*2

日本は米国の属国になったのか?
これが問題です。
簡単に言えば、米国に操られ、言いなりになり、挙句は捨て駒になってしまうことが悲しいのです。

実は、私はこの手の情報を様々な本から知る機会があっても、今まで確証はなかった。
しかし、今は確信に近いものがあり、放置すると危険であり、早急に手を打つべきと考えます。

安倍政権になってからの米国寄りの姿勢、ましてや今回の首相の訪米を見ていると、露骨な米国追従です。
トランプ氏の発言を聞く限り、大方のEU首脳の反応こそが世界の平和と安全には正しいと思います。

しかし、今の日本はやわな指摘では済まされない状況にある。

特定秘密保護法や共謀罪の強引な成立には裏があったのです。
この一連の法整備には違和感があった。
かつての治安維持法の恐ろしさを知っていれば、強行採決など出来なかったはずです。

実は、これは米国から日本への指示だったのです。
小笠原みどり著「スノーデン、監視社会の恐怖を語る」2016年11月刊(p90)でスノーデンが暴露しています。

彼は米国のアメリカ国家安全保障局 (NSA) および中央情報局 (CIA) の優秀な元局員で、横田基地のNSAでも業務していた。
彼は米国の悪辣な諜報行為、米国民だけでなく同盟諸国すら盗聴し監視する体制の底なしの闇に恐怖と怒りを持った。
最初、彼は長官に事実の公表を求めたが、否定されたので暴露せざるを得なくなった。

私はグリーンウォルド著「暴露:スノーデンが私に託したファイル」も読んでいますが、彼の米国を想い、将来を憂う真摯な態度に感銘を受けた。

一方、日本はこのように扱われても米国に対して全く異論を唱えない。
当然、防諜対策も米国への逆の諜報活動もしない。
実に今の日本政府は従順な忠犬というところでしょうか。





*3

忠犬のどこが悪いのか?
きっとこんな指摘をする人がいるはずです。

実は、忠犬が悪いのでは無く、国民が知らない内に米国に操られていることなのです。

例えば、米情報機関は電話やメールをすべて盗聴しているので、政府にとって都合の悪い官僚や政治家の秘密を握り、マスコミに情報を流して、簡単に追い落とすことが出来ました。
現実に、米国ではベトナム戦争反対派の封じ込めなどの常套手段でした。

当然、日本でも行われており、確証とまでは言えませんが、野党や中国寄りの政治家などの追い落としは孫崎享著「戦後史の正体」で指摘されています。
日本での米情報機関による大々的な盗聴は揺るがない事実ですが、日本政府が何処まで積極的に追従しているかは闇の中です。

これを陰謀説と一笑に付することも出来ますが、ロシアのKGB出身のプーチン大統領、かつての東欧共産圏の監視社会などを思い起こせば、空恐ろしくなるはずです。
これは世界各国の政治史、宮廷ドラマではありふれた謀略に過ぎない。

米国の監視社会は世界にとっても危険の極みにあり、他山の石ではない。




*4


結論
日本は米国への盲従を止め、少なくとも米国の監視下から脱して、EUの首脳並みの態度が取れるように方向を修正すべきです。
放置すれば、やがて大陸の境界に位置する日本列島は代理戦争の大きな災厄に見舞われるでしょう。

どうか、歴史を自力で確認し、何が真実かを見極めて頂きたい。

唯々、祈るばかりです。
「南無阿弥陀仏、アーメン、アッラー・・・」



注釈1.
迎撃ミサイルによる防御には限界があり、非現実的です。
このことは他の記事で幾度も解説しています。
実際問題、米ソの核開発競争を振り返れば、答えが無くて、その結果、核弾頭の廃棄物が山のように溜まっただけでした。







20170212

Bring peace to the Middle East! 68: Why was it exhausted ? 6: The period background of imperialism 1

中東に平和を! 68:  なぜ疲弊したのか 6: 帝国主義の時代背景 1




*1


We have seen who has scattered the disaster to the world until now.
It seemed like ordinary people fascinated by demons.
However, this eventually will push our world into the mire.

これまで誰が世界に災厄を撒き散らしたのかを見て来ました。
それは悪魔に魅入られた普通の人々のように思える。
しかし、このことがやがて世界を泥沼に突き落とすことになる。





<  2.  colonial countries that were once controlled by Western Europe  >
< 2. かつてヨーロッパの植民地だった国 >

Introduction
Later, we see that the imperialism which colonized almost all countries of this earth was deeply involved in the confusion and conflicts of present developing countries.
But before that, there is something we need to confirm.

That is to say, why was the imperialism that was selfish, violent and ruthless done by the people.
Why did the people do the inhumane exploitation?
Why could the people be cruel to indigenous people?
This was at most half a century ago.

Until now, we've looked at some cases, but people easily sacrifice other people.
If the imperialism was done by not so much demon but consensus of ordinary people, even now, their minds do not change, it may be a possibility of repeating easily.



はじめに
後に、地球上のほぼすべての国を植民地化した帝国主義が、現在の発展途上国の混迷と止まない紛争に深く関わっていることを見ます。
しかし、その前に確認したいことがあります。

それは身勝手で、暴力的で、無慈悲であった帝国主義がなぜ行われたのかと言うことです。
なぜ人々は人道に反する搾取を行ったのか?
またなぜ人々は先住民に対してあれほど残虐になれたのか?
これはたかだか半世紀前のことです。

今まで、事例を見て来ましたが、人々はいとも簡単に他者を犠牲にします。
もし、帝国主義が悪魔ではなく普通の人々の総意で行われていたとしたら。
今でも、その心性は変わらず、容易に繰り返す可能性があるかもしれません。




*3

What is the imperialism?
It is a policy to make other country a colony and dependent country by military power.
Although there was an expansionism and conquestism from a long time ago, especially it refers to the policy done by nations that became a monopoly capitalism stage since the end of the 19th century.
It began with the African division of Western Europe and then spread to the world.

The essential point is like that, but strangely the opinion of historians about it has divided.
The imperialism is an undeniable fact, but they can not identify its motive.
It is largely divided into three opinions. Annotation 1.

A:  A capitalist state developed through the industrial revolution was seeking many export destinations for not only goods but also excessive capital to the world.

B:  At that time, economic depression repeatedly had occurred, income disparity was bigger than now, the dissatisfaction was accumulating in the countries.
In addition, the reversal of economic power was occurring among countries having many colonies (Britain) and countries no having it (Germany).
Thus, the Western European countries tried to divert the public's dissatisfaction by making an advance outside the area, and it became a competition.

C:  The imperialism progressed sequentially by the interaction between the ruling side and the colonial side, and the factors differed from region to region.
In addition to the two above-mentioned reasons, the major factors were for recovering the losses due to prohibition of a slave trade, and the resistance and looting in the locale against the Westerners' residents and immigrants.
After all, it was tangled with the past Western intervention, and it headed for further intervention.

In other words, rather than that the imperialism was initiated for a purpose, it can be said that it occurred as a result of various factors overlapping.


帝国主義とは何か

軍事力で他国を植民地や従属国にする政策。
古くから膨張主義や征服主義はあったが、特に19世紀末以降、独占資本主義段階に至った国家が行った政策を指す。
これは西欧のアフリカ分割から始まり、その後、世界に蔓延していった。

要点はこうなるが、不思議なことに歴史学者の意見が分かれている。
帝国主義の事実は動かせないのですが、その動機を確定出来ないのです。
大きく三つに分かれています。注釈1.

A: 産業革命を経て発展した資本主義国家は、商品だけでなく過剰な資本の輸出先を世界に求めていた。

B: 当時、恐慌が繰り返し発生し、今より所得格差は大きく、国内に不満が鬱積していた。
また植民地を多く持つ国(英国など)とそうでない国(ドイツ)で経済力の逆転が起こりつつあった。
こうして西欧諸国は、域外に進出することで国民の不満をそらそうとし、競争することにもなった。

C: 帝国主義は支配側と植民地側との相互作用で順次進行し、地域ごとで要因が異なる。
主要な要因としては、上記二つの理由に加えて、奴隷貿易の禁止による損失挽回の動き、西欧人の居留民や移民に対する現地の抵抗や略奪などがある。
これにしても、以前からの西欧の介入で紛糾し、さらなる介入を招いたことになる。

つまり、帝国主義は目的を持って始められたと言うよりは、対立国との競争、国内の不満回避、植民地との紛争を巡って、いつしか泥沼に突き進んだしまったと言える。




*4

Something seen from a misunderstanding
There are persons who say that the former action is not exploitation against East Asia because the Empire of Japan made huge investments (dam and railroad) for it.

Actually, the imperialist countries of the Western Europe came to have large loss due to deployment of troops and investment in the locale, and the people disliked it in the late stage.
Even so, the governments continued to take the policy for securing the colonial security and prestige of the state.

Similarly in Japan, the people amassed a huge debt (foreign bonds) for the war, lost everything in the defeat, and had to keep returning the foreign bonds even after the war.

In other words, in the time of the imperialism, it expanded because there were people got profit even though the government and the people were suffering.

This continues to the next time.


誤解の先に見えるもの
かつて大日本帝国は東アジアに莫大な投資(ダム、鉄道など)をしたのだから、搾取ではないと言う人がいる。

実は、西欧の帝国主義国家も軍隊派遣や現地への投資で、政府としては損失が大きく、末期には国民に嫌われていた。
それでも植民地の安全確保や国家の威信の為に続行された。

日本も同様で、戦争の為に莫大な借金(外債)を行い、敗戦ですべてを失っただけでなく、戦後も外債を返却し続けなければならなかった。

つまり、帝国主義の時代、政府と国民は苦しんでいても、利を得る存在があるからこそ拡大していったのです。


次回に続きます。


注釈1.
この説明は主に「講座/世界史5 強者の論理/帝国主義の時代」p.44を参考にしています。