20150224

Winter seashore in Awaji Island 1


淡路島 冬の海岸1
  

The left end in a far mountain range is the Kitan Strait

< 1.  The left end in a far mountain range is the Kitan Strait >
< 1. 遠くの山並みの左端が紀淡海峡です >

From now on, I introduce the sceneries of winter seashore in Awaji Island in installments.
Today, it is scenery that I photographed from the road between Higashiura and Sumoto.

これから数回にわたり、冬の淡路島、海岸の景色を紹介します。
今日は、大阪湾側の東浦から洲本の間の道路から撮影した写真です。

The photography day was February 19, 2015, and clouds were rising, but when the clouds drifted away, Osaka bay was beautiful.
Taking photographs of these began from Kamaguchi of Higashiura, and finished close to Sumoto in last.

撮影日は2015年2月19日で、雲は多かったが、晴れ間が覗くと大阪湾がきれいでした。
写真は東浦釜口から始まり、最後は洲本近くで終わりました。


Flowers of oilseed rape were in full bloom 

< 2.  Flowers of oilseed rape were in full bloom >
< 2. 菜種が満開でした >


 the opposite shore is in Sennan of Osaka prefecture from Wakayama prefecture

< 3.  the opposite shore is in Sennan of Osaka prefecture from Wakayama prefecture
< 3. 対岸は大阪府の泉南から和歌山になります >


 the fishermen are harvesting seaweed in the waters off Awaji Island

 the fishermen are harvesting seaweed in the waters off Awaji Island

< 4,5.  the fishermen are harvesting seaweed in the waters off Awaji Island >
< 4、5. 漁師が沖に出て海苔を収穫しています >

Now, it is a picking season.
This work is hard at cold windy day.

今は最盛期でしょう。
寒い風のある日はきつい仕事です。


The low mountain seen subtly in the distance is Mount Rokko of the opposite bank 

< 6.  The low mountain seen subtly in the distance is Mount Rokko of the opposite bank >
< 6.遠くに微かに見える低い山並みは、対岸の六甲山系です >


the place of mountain range disconnected far in left and right is the Kitan Strait.

< 7.  the place of mountain range disconnected far in left and right is the Kitan Strait. >
< 7. 遠く左右の山並みが途切れているところが紀淡海峡です >

It was windy a little on this day, but when the sun shone bright between the clouds, I felt coming of spring a little.

この日は、少し風がありましたが、陽が差し込むと少し春の到来を感じさせました。






20150222

社会と情報 41: 新聞と検察、相克と癒着 2

 
*1

前回に続いて、著書「検察が危ない」から記者クラブの状況を見ます。



< 2. 霞ヶ関、司法記者クラブでの原告団記者会見 >

「一心同体の司法クラブ」(P154~155)から抜粋引用します 
前回からの続きになります。

「 被疑者の逮捕、起訴等の節目で地検次席、特捜部長が記者に対して行う会見には、司法クラブの記者だけが参加できる権利を与えられる。しかも、そこではカメラで撮影することも許されないし、録音することも許されない。そこで配られた資料を外部に出すことも禁止される。
 それは記者会見ではなく、公式リークと言った方がいい。要するに、自分たちのお仲間にまとめて情報提供して、説明しているだけに過ぎない。
 このように、実際に検察の内実を多少なりとも知り得るのは、この閉鎖的な空間にいる司法クラブの記者か、その出身者というごく限られた人間達であり、それ以外の“よそ者”はこの世界に入ってくることは出来ない。
 このように、司法クラブの現場記者は恒常的「従軍記者」的な立場で、検察翼賛報道を続けるが、その一方で、新聞等は政治的に検察を利用しようとする動きを見せることもある。
 いずれにしても、現役の司法クラブ記者であれ、司法クラブ経験者の社会部遊軍記者であれ、デスクや部長であれ、司法クラブでの経験を基に、検察関係者との人的なつながりを持っている記者にとって、その人的つながり自体が記者としての貴重な財産になっている。
 それは、検察が正義であり、社会的に、政治的に大きな影響力を持っているからこそ、財産であり続けるのであり、検察の威信が地に墜ちてしまうと財産価値がなくなってしまう。
 こうして、メディアが検察をほとんど批判することなく、一方的に賞賛する報道のなかで、世の中の「検察の正義」に対する信頼はほとんど信仰に近いもになっていく。 」


明確になったこと
上記の記述は、両者の一体化、特に新聞社が検察に寄り添う状況をうまく説明しています。

1.冤罪を生む体質
これまでに紹介した事件は、検察・警察・国税庁と新聞社が暴走し冤罪に繋がったと説明しました。
これについても、著者は両者の一体化に原因があるとしています。
連載37~39話:新聞は誰の味方か 1~3、に詳しい。

これほどまでに記者クラブは問題を孕んでおり、海外や「国境無き記者団」、国内からも批判されていながら、大手新聞社は既得権益にしがみついています。



< 3. 郵便不正事件での証拠改竄の被告検事たち >

2.             日本の新聞社は権力を監視することが困難 
「原発事故で官僚が情報隠蔽」や「郵便不正事件」などの報道から、あることが見えてきました。
記者クラブに属する新聞社が権力を批判することは困難でした。
しかし記者クラブに属さない雑誌やフリーランスにはそれが期待出来ます。
残念ながら、まだまだその力は弱い、記者クラブの壁が立ちはだかっているからです。

多くは追従していると言えるが、時に権力に逆らい、その悪行を暴露する新聞社もまだ健在している。
これは長年、国民が新聞社に権力の監視を期待しているからで、これが無くなると危険な状態になる。
このことが、官僚化の弊害に染まっている朝日を幾分なりとも救っているのでしょう。
連載37話:新聞は誰の味方か1、に詳しい。

次回に続きます。




20150220

社会と情報 40: 新聞と検察、相克と癒着 1

 

< 1. 特捜部の強制捜査 >

前回まで、検察と大手新聞が一体となって如何に傍若無人に振る舞ってきたかを見ました。
この両者の一体化は記者クラブを介して起こっています。
今回から、このメカニズムの説明を元検事の著作から見ます。



< 2. 著者郷原信廊 >

著書: 「検察が危ない」
著者: 郷原信廊。地検検事を歴任後、弁護士、大学教授。
出版社:KKベストセラーズ、ベスト新書。2010年刊。
補足: アマゾンのカスタムレビューの評価(21件)は4.5。


「一心同体の司法クラブ」(P152~154)から抜粋引用します 
「 ・・・
司法クラブ記者が検察と一体化していく原因の一つに、特捜部と「司法クラブ」(記者クラブ)との「軍隊的体質」という面での共通性がある。
 特捜部の共同捜査では、主任検事と担当副部長が事件全体の情報を独占し、末端の取り調べ担当検事は、事件の全体像を知らされないまま、主任検事の意向通りの自白を取ることを求められる。・・
 それと同様に、司法クラブの記者も、事件の全体像や意味もわからず、ただただ連日深夜まで、取材先の特捜部の幹部などへ「夜回り」をするということに「耐える」生活を強いられる。
 また取材窓口が特捜部の部長、副部長に一本化され、ヒラ検事からの取材が禁止されて厳しい情報統制が行われているため、司法クラブの記者は取材先である部長、副部長の機嫌を損ねないように最大限に配慮しながら記事を書かざるを得ない。捜査に批判的な記事でも書こうものなら、特捜部の幹部が相手にしてくれなくなるという恐怖が待ち受けている。
 各社の記者は、特捜幹部からは得られない捜査情報をヒラ検事から得ようとして、他社に感づかれないように深夜物陰に潜んではヒラ検事の帰宅を待ち伏せすることもしばしばである。こういうことをつづけているうちに、・・記者は、事件が展開し、強制捜査着手にこぎ着ける日を心待ちにしながら、・・・生活が当たり前になっていく。
 このように、もともと組織の体質が共通しているのに加えて、特捜幹部による報道の締め付けが行われることで、大部分の記者は、盲目的に特捜部の捜査の動きを追いかけることになる。こういう記者の仕事の中からは、捜査に対して批判的な観点など、出てくるわけがない。
 強制捜査着手という段階になったとき、検察の捜査は社会的な注目を集めることとなる。・・それは司法クラブの記者にとって最も輝かしい日々である。
 こうして、特捜部と司法クラブの記者との利害は完全に合致することとなる。・・司法記者の多くは、日々特捜部の動きを追いかけ、捜査の展開を予測することのみに心を奪われ、事件の社会的背景の分析、摘発された側の実情などを独自に掘り下げて取材することはほとんど無い。 
このため、特捜部が強制捜査に着手したとなると、ほとんど「従軍記者」の記事のような提灯記事が社会面を飾ることになる。 」


< 3. 夜討ち朝駆け >

明確になったこと
上記の記述は、これまで取り上げてきた問題がなぜ起きたかをうまく説明しています。

1.             徒弟制度のような陳腐化した体制
元朝日の著者烏賀陽氏は、朝日の「夜討ち朝駆け」に見られる体質を陳腐極まりないと指摘しました。
結局、その体質は、検察と新聞社の軍隊的体質であり、すべてに言えるわけです。
この体質が良くないのは当然ですが、新聞社によれば、このような厳しい社内批判を徹底的に封殺するところがあります。
後日、扱います。
連載36話:著書「『朝日』ともあろうものが」、に詳しい。

2.             記者は事件の被告や背景を取材しない
「山口組絡みの資金洗浄事件」の報道で、新聞社が被告道傳側をまったく取材していないことがありました。
この理由も検察と記者クラブの一体化から説明しています。
また烏賀陽氏は、周りの記者には自ら問題を探し、掘り下げる意識がまったくないとも指摘していましたが、これも同様な理由です。
連載38話:新聞は誰の味方か、に詳しい。 


次回に続きます。









20150218

Taking a picture of nature 3: bird 3


自然を撮る 3: 鳥 3



< 1.  How regal these birds of prey are! >
< 1. 猛禽類には威厳があるな・・ >

Following previous time, I introduce some pictures of birds offered by an acquaintance.
前回に続いて、提供された鳥の写真を紹介します。



< 2.  What will I be able to think on dead branch?  After all, I am a little hunger. >
< 2. 枯れ枝に我一人、何を思うや、・・・腹が減った。 >



< 3.  Springtime seems to come. Hmm, I mistook with “ springtime has gone,
and summertime seems to come” of "Man-yo-shu". >

< 3. 春来るらし・・、あれ「春過ぎて夏来るらし白妙の・・」(万葉集)と間違ったか >



< 4. Today is fine day with water being warm.  
< 4. 今日は水温む良い日よりだな >



20150216

People who passed through the hardest wall 5: Mandela 3


穿つ者 5: マンデラ 3



< 1.  winning the Nobel Peace prize >
< 1. ノーベル平和賞の受賞 >

I think about the splendorous reformation of Mandela today.
It is that to have avoided an outbreak of civil war and to have ended firm racial discrimination.

今日は、マンデラ氏の改革の素晴らしさを考えます。
それは内戦勃発を避けて強固な差別支配を終わらせたことにあります。


< 2.  the conflict of Ukrainian >
< 2. ウクライナ紛争 >

Preface

In the world, armed conflicts break out more than 30 always, and 1/3 of the world population lives in conflict-affected region.
The total number of refugees surpassed 40 million people, and in Rwanda, approximately 900,000 people were killed by the civil war in three months.
Here, we see difficulty to stop an armed conflict.

はじめに
世界で、いつも30件以上の武力紛争が起き、世界人口の1/3が紛争地域に住んでいます。
難民の総数は4000万人を越え、ルワンダ内戦では3ヶ月で約90万人が殺害されました。
ここで武力紛争を止める困難さを見てみましょう。

< 3.  areas of conflict in the world >
< 3. 世界の紛争地 >

Why does armed conflict occur?
Before an armed conflict starts, the rich-poor gap or religious and ethnic conflicts have occurred in the country, and the quarrel of territory or concession, and the historical grudge have occurred between the countries.
And the opposing group runs up the next step, and the armed conflict breaks out.

Step 1:  "The human being murders for the purpose."
Step 2:  "A group or a nation does armed struggle of one mind." (Weapon makes the war expansion easy.)
Step 3: "The world can't prevent the armed struggle before happens." (The peace after starting is more difficult.)

For example, when a group can't share an opposing feeling of contempt and hate and fear, even if the dictator tries to begin war, it's impossible.
An armed conflict has necessarily the history of the inveterate opposition and tragedy, by all means, and in such situation, this task to achieve peace is difficult extremely.
But still there were facts that evaded and ended the conflicts in South Africa, Estonia and Northern Ireland during these 20 years.
Furthermore, it was never possible to achieve by exterminating the opposed partner.

武力紛争はなぜ起こるのか
武力紛争が始まる前に、国内では貧富の格差、民族や宗教の対立など、国家間では領土や利権争いと歴史的遺恨などによる対立が生じている。
そして対立集団が次のステップを駆け上がり、武力紛争が勃発する。

ステップ1:「人間は目的の為には殺人を行う」
ステップ2:「集団や国家は一致して武力闘争を行う」(武器は戦火拡大を容易にする)
ステップ3:「世界は武力紛争を未然に防止出来ない」(開始後の和平は更に困難)

例えば、一人独裁者が戦争を始めようとしても、集団が対立感情(蔑視、憎悪、恐怖)を共有出来なければ無理です。
武力紛争には必ず根深い対立と悲劇の歴史があり、このような状況で和平を達成することは至難の業です。
しかしそれでもここ20年の間に、南アフリカやエストニア、北アイルランドにおいて紛争を回避し終息させた事実はある。
しかも、それは対立する相手を殲滅して成し得たのではない。


< 4.  South African boys and jacaranda >
< 4. 南アフリカの少年達とジャカランダ >

The main point of the Mandela great achievement
1.  He made his supporters that continued to be murdered stop the armed uprising.
He appealed "do not respond to a provocation" "endure it" to the victims (black) of the armed attack.
If the civil war began, He deeply recognized to be dragged into the mud.
This seems to have been accomplished with his popularity and the dignity of the leader.
It is written in "Mandela 1" in the detail.

2.  He made the killing enemy carry out disarmament and joining the government
The most important point is that he tried to allay the enemy side’s sense of guilt and fear.
He thought that the understanding of the opposite partner was the most important to peace building.
This prevented the further increase of the enemy and produced calming.
It wasn't effective about a part, but the white representative of overwhelming majority accepted.
It is written in "Mandela 2" in the detail.


マンデラ氏偉業の要点
1.      彼は、殺されている味方に武装蜂起を思い留まらせた。
彼は、既に始まっている武力攻撃の被害者(黒人)に、ただただ「挑発に乗るな」「我慢しろ」と訴えた。
彼は、内戦を始めてしまえば泥沼に陥ることを深く認識していた。
これは彼の人望と指導者の品格によって成し得たのでしょう。
「マンデラ1」に詳しい。

2.      彼は、殺している敵に武装解除と政権参加を実行させた。
大事なことは、彼は敵側(白人)の罪悪感と恐怖心を和らげることに腐心したことです。
彼は相手の理解こそが、平和構築に最も重要だと考えた。
これが敵の更なる増大を防ぎ、沈静化を生んだのです。
一部については有効ではなかったが、圧倒的多数の白人代表は受け入れたのです。
「マンデラ2」に詳しい。


3.  He made the white government decide his release.
The white government representative is urged by international pressure and had conferences with Mandela before his release on many occasions.
At that time, white representative felt that it is reliable even if they turn everything over to Mandela in the same manner as above-mentioned.

3.      彼は、白人政府に彼の釈放を踏み切らせた。
白人政府代表は国際的な圧力に促されて、釈放前にマンデラ氏と面談を重ねています。
この時、前述したと同様に、白人代表はマンデラ氏に政権を任せても安心だと感じたのです。


< 5. movie “Invictus” >
< 5. 映画「インビクタス/負けざる者たち」 >

4.  He supported the South Africa rugby union team of World Cup.
This was the last consummation.
Black people hated the rugby as white people's thing.
Mandela wished all nation support it together, and then he stepped into the stadium at the risk of assassination.
And South Africa team won, and a sense of unity of the nation were born.
It is described in movie "Invictus" in the detail.


4.      彼は、南アのラクビー・チームのワールドカップを応援した。
これは最後の仕上げでした。
黒人は、ラクビーを白人のものとして嫌悪していました。
マンデラ氏は国民が一緒になって応援することを望み、自らも暗殺の危険を覚悟でスタジアムに乗り込みました。
そして南ア・チーム優勝と国民の一体感が生まれました。
映画「インビクタス/負けざる者たち」に詳しい。

At the end
Mandela peacefully succeeded in the splendorous social reformation in the nation where discrimination and violence had spread over.
In the world, many conflicts deepen confusion with no getting away from the conventional technique that is different from Mandela.
I'm thankful that Mr. Mandela who gave a splendid example to the world lived in the same age.

Unfortunately, Mr. Mandela died in 2013.
I pray for the repose of Mandela's soul

At this time, I end this article of Mandela.


最後に
マンデラ氏は、差別と暴力が蔓延する国家にあって、ここまで鮮やかに平和裡に社会改革を成功させた。
世界では、多くの紛争がマンデラ氏と異なる従来の手法から脱却出来ずに混迷を深めています。
私は、世界に模範を示してくれたマンデラ氏が同じ時代に生きたことに感謝します。

残念ながらマンデラ氏は2013年に永眠されました。
冥福をお祈り申し上げます。

今回で、マンデラ氏の記事を終わります。

主要な参考資料
「二人のマンデラ」ジョン・カーリン著
「南アフリカ 『虹の国』への歩み」峯陽一著
「よくわかる世界の紛争」毎日新聞画外信部編
「現代世界の紛争解決学」オリバー・ラムズボサム他著

借用した主要な画像
各国の「ウィキペディア」
ブログ「ネルソン・マンデラ、哀悼と回顧」
HPGallery Ezakwantu




20150214

People who passed through the hardest wall4: Mandela 2





The Election in 1994 

< 1.The Election in 1994 
< 1. 1994年の選挙 >

Last time, Mandela appealed to his comradely black people to have to control themselves.
On the other hand, Mandela confronted the strongest enemy.

前回、マンデラは味方の黒人に向かって耐えることを訴えた。
その一方で、マンデラは最強の敵と対峙していた。

a demonstration which wished Mandela release in 1985

 2.  a demonstration which wished Mandela release in 1985 >
< 2.1985年、マンデラ釈放を願うデモ >

The last enemy appeared.
In May 1993, an armed group that consisted of the extreme right wing of white emerged from under the ground.
This organization was 100,000 heavy-armed soldiers, and consisted of many groups including a sect that had believed in Hitler.
They had much in common, regarding Mandela as a terrorist of communist and despising black people.
If their leader ordered it, they were the professional group that doesn't mind terrorist violence and assassination.

The general received into their leader was being former commander in chief of land, sea and air forces, and was also commanding for repressing in the nation formerly.
He appealed the militiamen who had chosen him.
"Because there is not any person who protects us, you must protect yourself, and our farm and school is target of attacks all.  If the self-defense ability is robbed, we are destroyed.  We are sacrificed with pleasure because our justice is right. "

They promised to fight for the construction of  "Israel of Afrikaner" as a pure nation of white people.
(Afrikaner is white people that mainly consisted of the descendants of the Netherlands emigrant)


最後の敵が出現した
1993年5月、白人の極右勢力からなる武力組織が地下から現れた。
この組織は重装備をした10万の軍人からなり、ヒトラーを信奉する分派やクー・クラックス・クランの支部など、数多くの集団からなっていた。
彼らはマンデラを共産主義者でテロリストとみなし、黒人を蔑視することで共通していた。
彼らは、指導者の命令ならばテロ攻撃や暗殺も厭わないプロ集団だった。

彼らの指導者に迎えられた将軍は、陸海空軍の元最高司令官であり、かつて国内の武力制圧も指揮していた。
彼は選んでくれた民兵達に叫んだ。
「・・他に誰も守ってくれる人はいないのだから、自分を守らなければならない。・・農場も学校もすべて狙われている。・・自衛能力を奪われれば、我々は破壊されてしまう。・・我々の大義は正しいのだから、喜んで犠牲となろう!」

彼らは、純血白人国家「アフリカーナーのイスラエル」の建設を目指し戦うと誓った。
(アフリカーナーとは、主にオランダ移民の子孫からなる白人)


a procession for the election in 1994 

< 3.  a procession for the election in 1994 >
< 3.1994年、選挙の行列 >

Move of Mandela

As this information was collected more, Mandela found the destructive power of the enemy bigger.
The general of the enemy was saying, "The day of the armed uprising is near " "the political situation of South Africa will become out of control".
Even if national military security was dispatched and arrested this general, he thought that the military authorities that loved the general as hero would rise in revolt.
In this September, Mandela managed to reach the secret talks with the general.

Approximately, Mandela talked to the general as follows
“ You are able to choose a way of our war, and I understand well your supporters’ fear and anxiety.
For South Africa, the war will have little to gain and much to lose, and there is never a winner.
Your army is skillful in military affair, but my army excels in the number, and completely is supported by international society.
After all, will it become "peace in a graveyard"? “

They repeated the talks, and six months later, the general ordered the cancellation of the armed attack.
They announced that they would participate in the general election of all race participation in March 1994.
The strongest enemy vanished like mist, and the way to democratization became in this way.

マンデラの一手
マンデラは情報収集をすればするほど、敵の破壊力の大きいことを知った。
敵の将軍は「武装蜂起の日は近い」「南アフリカの政情は収拾がつかなくなるだろう」と言いつのっていた。
マンデラは、例え国家治安部隊を派遣し,この将軍を逮捕しても、彼を英雄と慕う軍部が反旗を翻す可能性が高いと考えた。
その9月、マンデラはその将軍との秘密会談にこぎつけた。

マンデラは将軍に概ね以下のように語った。
「戦いの道を選ぶことは可能だし、あなたの支持者たちの恐れや不安は良く理解している。この戦争は誰も勝利することのないもので、南アフリカにとっては得るものは何もなく失うばかりだ。あなたの軍は軍事に熟練しているが、私の方は数で勝っていて国際社会からは文句なしに支援が得られる。結局は『墓場の平和』になるのが落ちではないか」

会談を重ねて6ヶ月後、その将軍は武力攻撃の中止を命令した。
1994年3月、さらに全人種参加の総選挙に参加することを表明した。
こうして最大の敵は、雲散霧消し民主化への道が成った。


the prison that Mandela entered for 27 years 

< 4. the prison that Mandela entered for 27 years >
< 4. マンデラが27年間入っていた監獄 >

Why could Mandela persuade the general?
The general talked later.
"When negotiating with enemy, the most important one is whether the person in the other side of a table has excellent dignity, and has gotten supporter's trust. Mandela had both of them."
Mandela charmed many white people on enemy sides.

But this isn't enough.
Mandela learned the Afrikaans that Afrikaner spoke, with a correspondence course in the prison, and learned their history and famous poetry by myself.
At the talks with the general, he talked in Afrikaans but language of black people.
" Afrikaner did terrible things to black people, but still I have big respect for the humanity of them".

The general talked later.
"When I was talking with Mandela, Afrikaners' sense of the guilt and the scare were fading certainly."

マンデラはなぜ将軍を説得出来たのだろうか
その将軍は後に語っている。
「敵と交渉するとき、最も重要なのは、テーブルの向こう側にいる人間の品格と、その人物が支持者の信頼を得ているかどうかだ。マンデラは両方を備えていた」
マンデラは多くの敵側の白人を魅了した。

しかしこれだけではない。
マンデラは獄中、アフリカーナーが話すアフリカーンス語を通信教育で学び、彼らの歴史や有名な詩などを独学していた。
将軍との会談で、彼は黒人の言葉ではなくアフリカーンス語で話した。
「アフリカーナーは黒人に酷いことをしたが、それでも、私はその人間らしさに大きな敬意を持っている」と彼は言った。

後に将軍は語っている。
「マンデラと話していると、アフリカーナー達の罪悪感や恐怖感は間違いなく薄らいでいった」


And the last final stage came over

In early 1994, maximum political party headed by Mandela proposed to replace to a freeing song of black people from a song of white people for a national anthem.
Mandela intensely opposed it, and decided to sing two national anthems together.
When the general heard this, he decided the dissolution of his military forces.

On the next time, I analyze the first-ever achievement of Mandela.


そして最後の詰めがやって来た
1994年初め、マンデラ率いる最大政党は、国歌を白人のものから黒人解放の歌に変えるべきだとした。
これをマンデラは猛烈に反対し、その二つの国歌を共に斉唱することにした。
これを聞いて、将軍は軍隊解散を決意した。

次回は、マンデラ氏の前人未到の功績を分析します。