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20190420

平成の哀しみ20: 深まる亀裂 18: 軍拡のジレンマ 1







「平和を愛する国民なんていない」と断言する首相もいるが、
皆さんはどうですか

軍備拡大を考えます

歴史を見ると、軍事力を軽視した国と小国は滅び、強大な軍事力が帝国を築いたように思える。

だが強大な軍事力にも問題はある。

A 軍事大国の内部
多くは軍事優先になり戦争を拡大し続け、経済・社会は疲弊し、遂には内部崩壊する。

ローマ帝国、中世スペインとフランス、大英帝国、大日本帝国と今の米国に共通するものがある。
戦費調達の為に、収奪目的の侵略戦争と苛酷な課税が繰り返され、遂には過大な負債が残る。
日本も日露戦争から戦費調達の外債発行で敗戦まで自転車操業に陥った。

B 軍事大国の周辺
侵略競争が常態化し、周辺諸国は軍拡競争と軍事同盟に走り、苦境に陥り、遂には破局を迎える。
この結果が20世紀の大戦でした。

これが軍拡を恐れる理由です。

この反省からパリ不戦条約や国連憲章で、世界は戦争と侵略を違法と見なすようになった。
この60年間、問題はあるが大国間の戦争が無くなり、多くの小国が独立している。





実は、中国の宋王朝は文治主義を採った珍しい王朝で最長の寿命を得た。
軍隊が弱く外圧に苦しんだのだが、文化と商業が非常に発展した。


次回に続く





20190401

平成の哀しみ10: 深まる亀裂 8: 勘違い 2



*1


日本民族には世界に類を見ない崇高な精神がある








世界の歴史家が認める日本の帝国主義を無かったことにし、自虐史観と非難する人々にとっては、これが譲れない。

彼らがこの矛盾に気づかない限り、けっして自国の罪業を認めない。
そして隣国との宥和は遠のくでしょう。

答えは、人類は皆同じ行動パターンを取る事に尽きる。

右翼の雄でさえ「世界は一家、人類は皆兄弟」と言っていた。
これはさておき、人間は極限状態で常軌を逸することは心理学実験や歴史的事実として知らている。

武士道が例証されるが、高々数百年の軍人階級に育まれた文化で、この恥や名誉を重んじる行動パターンは世界中の先住民から英国にもある。
特段優れたものとは言えず歪もある。

日本の精神文化は強い軍隊を生み出すが、人道的な問題を生じやすい。
これは東アジア、特に日本で強い帰属意識が原因です。
これは同胞外への迫害、同胞域外での倫理観放棄、権威への盲従(ドイツも同じ)、同胞の悪事隠蔽、これらが外地の軍隊の非道を招くことになった。

また日本軍の個人無視と無責任な作戦が災いし、兵站無視による飢えで外地では極限状態が頻発した。

こうしてせっかくの崇高な精神は潰えた。


次回に続く








20190328

平成の哀しみ8: 相争う 6: 繰り返す過ち 2



 
*1


なぜ人は過ちを繰り返すのか?



 


1.子ブッシュ米国大統領

彼は2001年同時多発テロ直後の勇ましい発言で史上最高の支持率を得たが、任期終了時は史上最低だった。

外部に敵を作り、罵倒する姿勢は絶大な人気を得ることがある。
人々は愛国心に燃え敵意を高ぶらせ不満を忘れる。
これはヒトラーのような悪辣な為政者の常套手段で多くは悲惨な結果に終わる。

一方で希に敵を正しく捉え世界を救う為政者もいる、ルーズベルトやチャチールのように。


2.繰り返すナショナリズム

日本では負の歴史を自虐史観と罵り、美化する機運が高まっている。

実は、これは世界の潮流でもある。
冷戦などにより後進国で内戦が蔓延し、欧米への難民とテロが頻発し、文明対立が強く意識されるようになった。
一方で欧米は経済が伸び悩み、格差を拡大させ、国民の不満が高まっている。
こうして国内では分断、海外には排他的になった。
しかし、これが安易に受け入れられようになったのは大戦後70年以上経ったからです。

さらに日本では歴史を自省していないことが災いしている。
これは19世紀末に、国内の停滞を植民地に活路を求めた西欧の状況と非常に似ている。
そして第一次世界大戦が始まった。

次回に続く







20190322

平成の哀しみ6: 深まる亀裂 4: なぜ米国は変わったのか





*1


なぜ米国は戦争をするのか?

ある時まで米国はヨーロッパに干渉せず、対外戦争を避ける国でした。
しかし第一次世界大戦(1914~)で米国は戦争を終わらせる為に参戦します。
そして二度の大戦で大きな犠牲を払い、また経済援助によって世界平和に貢献した。




*2

この間、米国は軍需景気で潤い、最大の経済大国に上り詰めた。
第二次世界大戦以降、米国の軍産共同体は肥大化し、各国への支援は経済覇権を拡大させた。

初め、米国はヨーロッパなどの植民地政策を批判し、是正しようと各地で介入した。
だがソ連の共産圏拡大が進むと、米国は対決姿勢を強め、互いに軍拡、同盟国造り、反同盟国潰しへの競争を激化させていった。
両国の暗躍により、発展途上国でクーデター、独裁政権誕生、そして内戦へと戦火は拡大していった。
さらに米国が途中からイスラエルに加担したことで、中東はまさに火の海となった。

世界は核戦争を逃れたが、紛争が多発し憎悪と飢餓は広がり、難民はブーメランとなって欧米を痛めた。

いつしか米国は世界中に火種を撒き、時には火消し役も務めた。
それは米国の経済(負債)と社会にも深く傷を残した。

これは繰り返された盛者必衰の一幕かも


次回に続く

20190321

北欧3ヵ国を訪ねて 58: オスロ17: 陸軍博物館からフェリー乗船まで






*1


今回は、アーケシュフース城の横にある陸軍博物館を紹介します。
またコペンハーゲン行きのフェリーの乗船も紹介します。
これでオスロとお別れです。



*2

上: アーケシュフース城(右側の城壁)を出た所。
海側を見ている。
通りを隔てた広い敷地(写真左側)に現代美術館や陸軍博物館などがあります。

下: この敷地からアーケシュフース城を望む。



 
< 3. 陸軍施設 >

上: 建物の表側。
手前のコンテナには「国際派遣の為のノルウェー団体」との記載があります。

下: 上記写真の建物の右側を通って、振り返った所。
先ほどの裏側を見ている。
私の立っている背中側に陸軍博物館がある。





 
< 4. 陸軍博物館 >

世界各地での平和維持活動や派兵の実績を展示。

上: この建物の右正面に入り口がある。
左の木の手前の木陰に砲台をこちらに向けた戦車が置いてある。

下: これはおそらく中東、ベイルートなど高原に建てられた見張り台のようです。



 
< 5. 平和維持活動の展示 1 >

上: アフガンの多国籍軍派兵かもしれない。


ノルウェーは小さい国ながら、20世紀以来、ずっと世界の平和と紛争調停に積極的に関わって来た。

以前紹介した探検家ナンセンは初代難民高等弁務官として活躍し、難民の父と呼ばれている。
国連安保理立案者の一人で初代国連事務総長になったのはノルウェーの外務大臣でした(前回紹介したドイツ占領時の亡命政府)。
ノルウェーがノベール平和賞の選定と授与を行っている。

ノルウェーは数多くの紛争調停に関わっているが、オスロ合意が最も有名でしょう。
当時絶望的であったイスラエルとアラブとの紛争にあって、突如、光明が射したことを覚えています。
1993年、犬猿の仲であったイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で合意がなった。
残念ながらイスラエルの侵攻で無に帰したが。
この時、クリントン大統領が全面に出ていたが、実はそこに至るお膳立てはノルウェー政府と民間人によってなされていたのです。
またクラスター爆弾の禁止条約の立役者でもあります。

北欧のスウェーデンとノルウェーは世界平和への貢献が素晴らしい。
大国が身勝手な戦争をする傍らで、両国の政府、軍、民間NGO、研究機関が世界各地に出て、平和と紛争解決に尽力している。

なぜ彼らが我が身を惜しまずにここまでやるのか、おそらく日本人の理解を越えているだろう。
ここ数世紀の小国の悲哀、プロテスタント、スカンジナビアの地政学的な背景が関わっているのか?
ひょっとしたらヴァイキング時代からの世界志向が、そうさせているのかもしれない。



 

< 6. 平和維持活動の展示 2 >

上: ノルウェーは実に多くの地域で活躍している。

下: これから乗るフェリーが見える。
荷物をホテルに取りに帰る為に、バス停に行く途中。



 
< 7. ホテルに戻る >

上: バス停。
もし、この付近に荷物を預ける場所があれば、ホテルに戻らず、このままフェリーに乗ることが出来たのですが。
事前にインターネットで探したが見つからなかった。
フェリー会社に、ターミナルにロッカーが有るかとメールで尋ねたのですが、無いとの返事でした。

荷物(スーツケース)の扱いが、旅行の自由度をかなり制限します。

下: バスでもう一度中央駅付近に戻り、トラムに乗り換え、ホテルに行きます。



 
< 8. フェリーDFDSに乗船 >

上: 乗るフェリーが見えます。
同じバス停に戻って来た。
手前にターミナルがあります。

下: ターミナルの検札を無事通過して、振り返った所です。
実はターミナルに入った所にロッカーがあったのですが、スーツケースが入るかは不明です。

私は係員から、ここで注意を受けました。
それはインターネットでの予約書(印刷物)で通過しようとしたら、発券機でチケットを発券しなさいとのことでした。
私が躊躇していると、今回初めてだから良いが、次回から自分でやりなさいと言い、その場で発券してくれました。
感謝!


簡単にフェリーを紹介します。

当然、初めて乗ったのですが、大変お薦めです。
便利で快適、コストパフォーマンスが良く、景色が良く、さらに夕食も素晴らしい。
オスロ発16:30でコペンハーゲン着翌日の9:45で、一日一便です。
料金は全部で146ユーロ(19600円)です。

明細を記します
Transportation Oslo - Copenhagen  0.00 EUR 
 2-bed inside cabin with bunk beds  88.00 EUR 
(部屋の種類が多いが安い方の一部屋の料金。一人で使う)
 7 Seas Restaurant 18:00 CET 7 Seas Dinner Buffet incl 1 drink 7 Seas Dinner Buffet incl 1 Drink      43.60 EUR 
(ビール一杯付きの夕食料金。オプションから時間などを指定する)

Transfer bus: DFDS terminal - Nørreport St. 
Transfer bus: DFDS Terminal - Nørreport station 3.00 EUR
(コペンハーゲンのターミナルから地下鉄駅近くまでの送迎バス料金)

Booking Fee   10.00 EUR   
Credit card fee 1.51 EUR

事前に日本からインターネットで申し込んだのですが、非常に細かくオプションを指定しなけらばならない。
後日予約内容を変更したが無事問題無く、予約は出来ました。

オスロとコペンハーゲン間の移動は、他に鉄道と航空機が有りますが、ターミナルがオスロ市街地に近いこと、夜の移動で時間短縮になり、ホテル代込み運賃としては安いのが魅力です。
予想以上に良かったのは食事とオスロ湾とヘルシングボリの海峡の景色でした。

フェリー内には、このバイキングのビュフェ以外にレストランが有りますが安くはない。
もっとも、北欧のまともなレストランは私には高いのですが。

パンとコーヒーを販売している小さなストアはあります。
もしかしたら、外から弁当を持ち込んでも良いのではないでしょうか。
荷物のチェックはありませんでしたから。

            

 
< 9.ターミナルから船内へ >

上: ターミナル側の渡り廊下。
地中海クルーズで利用したMSCのクルーズ船と違って、乗船はあっけないものでした。
検札などの大渋滞はなく、荷物チェックもなく、ターミナル内部も簡素で迷うことは無い。

下: 通路から最初に乗船したフロア。
この上の階にインフォメーションがあります。



 

< 10. 船内 >

上: 船室。
何の手続きも必要なく、自分の船室に入ることが出来ます。
ただ清掃の関係か、船内で定められた入室時間まで待つことになりました。
この様子だと早く行く必要はないかもしれない。
もっともチェックイン15:15~16:15で、私が検札を通ったのが14:15でした。

私が乗船した時の乗船客は、アジア系やヒスパニックが多く、数人のグループが多かった。
気楽に利用している感じがした。

下: インフォメーション。


次回に続きます。



20190317




隣国はなぜ軍拡に走るのか?


北朝鮮は建国以来、ソ連援助の下で核開発を行っていた。
ソ連崩壊後、この庇護が無くなり、核兵器こそが米国への抑止力とみなされた。

一方、米国はそれまでの宥和策から強硬策に転じ、北朝鮮を悪の枢軸と名指した。
これに呼応するように北朝鮮はミサイル発射と2006年から核実験を繰り返した。

この米国の転換は子ブッシュ大統領(2001~2009)と取り巻きのネオコン(新保守主義)による。
彼らは米国の覇権を守るためには武力行使も辞さないとし、対外戦争と軍事費増大を図った。
これは彼らが軍産複合体で収入を得ていたことと、同時多発テロも影響している。
 

 

 


1980年代、中国経済は躍進を始め、歴史的に貧弱だった海軍力をシーレーン確保の為に増強する。
その後、台湾の領有を巡り米国との間で緊張が生じ、ロシアと協力し欧米を牽制した。
2010年頃から、南シナ海への侵出を強めた。
これは米国の核攻撃と海空軍の中国本土攻撃に対抗する目的で、核ミサイル原潜の深い航路と空軍の滑走路確保と考えられている。

現在、中国の軍事力は世界第3位になり、米国海軍艦艇の大半が太平洋に配されている。


次回、米国の戦争を見ます。

20190315

北欧3ヵ国を訪ねて 57: オスロ16: ノルウェー抵抗運動博物館





*1


今回は、アーケシュフース城内にあるノルウェー抵抗運動博物館を紹介します。
ここには第二次世界大戦の抵抗運動の様子が展示されています。
小国の悲哀と独立への強い思いが錯綜する中で、希望へと導いた国王の行動が光ります。






 
< 2. 博物館と関連映画 >

上: ノルウェー抵抗運動博物館の外観。
地下に展示室が広がり、狭いながらも十分に当時の状況を感じることが出来ます。
観光客は少ないが、学生や夫婦の見学者が少なからずいた。

左下: 抵抗運動の象徴になったノルウェー王ホーコン7世の肖像画。

右下: この抵抗運動が始まった三日間を描いた映画「ヒトラーに屈しなかった国王」のポスターです。

映画の主人公はホーコン7世です。
私は偶然、旅行に行く前にこの映画を見ることが出来ました。
これはノルウェー製でハリウッド製のような派手さはないが、当時の緊迫感と揺れる首脳陣の思いが伝わってくる良作でした。




 
< 3. 展示物 1 >

左上: この地図はドイツ軍がノルウェーに侵攻した状況を示しているようです。

右下のオスロ湾に一群のドイツ艦隊が侵入しているのが分かります。
当時の政府首脳と国王はオスロにいました。
抵抗のドラマはオスロから始まりました。

ドイツ軍は雪が残る1940年4月にノルウェー各地に同時に侵攻した。
ドイツは前年、ポーランドに侵攻を開始し大戦が始まっていた。
破竹の勢いで進軍したドイツ軍は1940年6月にパリを陥落させた。
この5月にはチャーチルが英国首相となり、英国は和平から臨戦体制に転換した。

左下: おそらく左がホーコン7世のようです。

右で威張っているのが悪名高いクヴィスリング首相でしょう。
ノルウェー軍人の彼はナチスを信奉しており、前年にヒトラーにノルウェー侵攻を要請していた。
実は、彼はナチス主体の「北海帝国」を妄想していた。
いつの世にもこのような人物は出るようです。
彼はドイツ軍侵攻の混乱に乗じ、全権掌握を宣言し、自ら傀儡政権を任じます。
しかし彼はノルウェー首脳と国民からは疎んじられ、ヒトラーを除いてドイツ側も信用していなかった。
彼は戦後、裁判によって銃殺刑に処せられた。
彼の名は今でも「売国奴」と同義語として使用されている。

右下: おそらくドイツ軍に占拠されたオスロ港でしょう。



 

< 4. 映画のシーン 1 >

上: 映画は冒頭、闇夜から始まった。

それはオスロ湾で最も狭いドレーバク水道にあるオスカシボルグ要塞の守備隊が舞台になります。
この要塞の島をフェリーか眺めることができました。

闇夜に乗じてドイツの戦艦が迫って来たので、守備隊長は王宮に判断を仰ごうとするのですが連絡が取れません。
ここで彼は砲撃の命令を独断で下し、戦艦を撃沈します。
(私には出来なかったでしょうが)

この彼の行動が国王に逃亡の時間を与え、後の抵抗運動に繋がった。
後に彼は勲章を授与されます。


下: 右はドイツ公使で左はドイツ将校です。

この映画で国王に次いで、心打たれた人物がノルウェー駐在ドイツ公使Curt Bräuerです。

映画の舞台は翌日のオスロに移ります。
彼はドイツ軍による支配を極力穏便に済まそうと調整に努めます。
ヒトラーとも直談判し、また侵攻して来たドイツ将校相手に孤軍奮闘します。
しかしホーコン7世はヒトラーから条件(傀儡政権を認める)を呑むことが出来ず、家族と政府首脳と共にオスロを去り列車で北部へ逃亡します。

大使の仲介の労は無に帰し、彼は任を解かれソ連への前線に送られ、9年間のソ連での捕虜生活に耐えることになる。
このような身の危険を顧みない他国を思う外交官がいたことに感動した。



 

< 5. 映画のシーン 2 >

上: ホーコン7世と王子、そして政府首脳がドイツ軍の追撃から逃れているシーンです。

下: 国王一行を守る兵士は少なく、少年兵も参加している。

ホーコン7世は逃亡しながらドイツの降伏要求を拒否し続け、2か月後に国外脱出を果たすることになる。
この時「独立を取り戻すための戦い」の声明を残し、王家、政府と軍の要人500名と共に船で英国に亡命します。
ロンドンで亡命政府を樹立し、連合軍と共に戦うことを宣言し、ノルウェー国内の抵抗運動への指示と支援を続けます。

そして国民は一丸となって統率の取れた抵抗をおこなった。
初めは非協力・非暴力で抵抗し、地下に潜伏し、ドイツ軍の劣勢が伝わると武力闘争に切り替えっていった。

戦後、国王は帰国を国民の大歓迎で迎えられ、再び独立を取り戻した。
そして現在、世界で一番豊かで幸福な国と言われる。



 
< 6. 展示物 2 >

ドイツ軍の侵略を模型で示したものです。


 
< 7. 展示物 3 >

抵抗運動の主役たちと様々な抵抗の様子が展示されていました。



 
< 8.展示物 4 >

これはどうやら抵抗運動側によるオスロでの破壊指令のようです。

指令書の地名は地図の黄色の破裂マークで、前回紹介したアーケシュフース城に至る道で、右側にオスロ中央駅があります。
指令書の目標名は、ドイツが創設したノルウェー内のナチス党組織です。
日時は終戦の前年の1944年です。


* 感想

この抵抗運動と映画も含めて感想を記します。

一番印象深いのは、劇中でのホーコン7世が語る言葉です。

彼は「私は国民から選ばれた王だから、もっとも尊重すべきは国民の声である」として、安易にドイツの言いなりなることは出来ないと悩みます。
ドイツに屈服して王家と国民の命を守るべきか、それとも半世紀前にやっと手に入れた独立を守るべきか。

実は、彼は1905年のノルウェー独立に伴い、国民投票でデンマークの王子からノルウェー王になっていたのです。

一方ドイツ侵攻で政府首脳はうろたえ、王は「君たちは国民から選ばれたのだから、国を率いる責務があるのだ」と諭します。
しかし彼らは答えを出しません。

王は象徴的な存在であって、政治に口出すべきでないとホーコン7世
は考えていた。
彼への国民の信頼は絶大で、ノルウェー政府も王の言葉を待ちで、ドイツも彼を条約調印の相手と見做していた。

彼は一人悩み「降伏拒否」を宣言することになる。
映画はここに至る3日間を描いている。


私が北欧に惹かれ、政治社会経済の良さを知りたいと願い、今回の旅にでました。

北欧三ヵ国に共通するのは立憲君主制ですが、大いに英国や日本と異なるものがある。
ここ数百年の歴史を見ると、北欧三ヵ国は王家の力が弱く、貴族と対抗させ、国民がまとまるため、国民が王家に国の統率を依頼するようなところがある。
これはヴァイキングが隆盛した社会背景と共通しているように思える。

ともかく議会制民主主義が国民と王家の信頼によってより強固になっている。
不思議な国です。

抵抗運動が分裂せず、スムーズに行われたのもこの国王への人気の賜物かもしれない。


実は、この館を退出する時、事務所の男性職員が目を合わせ「ありがとう」と言ってくれた。


次回に続く。