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20200730

中国の外縁を一周して 47: 雲南民俗村を楽しむ 1







*1

 

これから数回に分けて、雲南民俗村を紹介します。

ここには雲南に暮らす25の少数民族の家屋、暮らし、衣装、祭事などが再現されています。

民族学や異文化に興味がある人には垂涎ものでしょう。

 

 

 

< 2. 先ずは門をくぐって >

 

売店が並ぶ通りを抜けて、チケット売り場に向かいます。

 

 

 

< 3.チケット売り場 >

 

上: チケット売り場

写真は各民族衣装を着た女性達がお出迎えしてくれた。

 

下: チケット確認の入場門

 

入場料は大人90元ですが、70歳以上だったので45元でした。

中国は、他国に比べ高齢者の割引が大きく、優遇している。

 

 

* 雲南民俗村について *

 

少数民族の博物館としては中国最大規模です。

この直ぐ隣に一般的な雲南民族博物館がありますが、妻も楽しめるだろと思い、この雲南民俗村を選びました。

 

特に良かった点

A 敷地内ではこの日、9:30から16:10の間に、23もの各民族の20分間の演舞が行われていました。

すべて無料で、他に有料のショーもいくつかあります。

入場時に演舞時間表をくれます。

 

B 敷地内には民族衣装を来た多くのスタッフがおり、案内や暮らしの再現を行っている。但し中国語。

 

C 建物や衣装、民具、祭事場と家屋周辺の自然環境の再現が丁寧に行われているように思える。

 

 

残念な点

D 案内や説明に日本語表記がほとんどなく、見るだけで終わった。

 

E 敷地が広大すぎて、見学と昼食に3時間半かけても半数ほどの村を素通りしただけでした。

また演舞も初めから終わりまで見たのは20分間の1本だけでした。

演舞の場所を探し、最前列に座って待つだけでも時間が掛かる。

もっとも時季外れなのか、観客は多く無かった。

演舞の時間が、重なっている場合もある。

 

全体としては、私にとって素晴らしいテーマパークでした。

 

 

 

< 4. 中国の少数民族 >

 

中国には56の少数民族が暮らし、その合計人口は8%を占める。

漢民族が大陸の中心部を占め、多くの少数民族は外縁部に暮らす。

最大なのはチワン族1700万人だが、紛争があるウイグル族は990万人、チベット族は540万人で、これに匹敵する規模の少数民族は他にも幾つかある。

 

今回、旅行して気付いたのは回族、1060万人を各地、特に開封、蘭州、麗江で見たことでした。

彼らはイスラム教徒なので、てっきりシルクロード沿いの西側、西安以西にだけ集中していると思っていたのですが。

回族の料理は、各地で不可欠となっていた。

 

元々、私は世界の文化人類学や民族学に興味がありました。

それは文化や宗教、社会の発展、そして他との交流の過程を理解するヒントが得られるからでした。

 

今回の中国旅行で最も知りたい内の一つが少数民族でした。

主に二つの理由がありました。

 

1. 中国政府が少数民族をどのように扱い、少数民族自身が意気揚々と暮らしているか?

 

中国政府は、ウイグル族やチベット族への強権的な対応で、世界から非難されている。

この政策が失敗すると、これらを含めた少数民族の不満が暴発し、中国の内乱要因になるかもしれない。

このことはやがて日本にも影響することになるだろう。

 

2. 中国南西部の山岳地帯、雲南地方の少数民族は文化的歴史的に見て興味深い。

 

紀元前一千年紀から漢民族が勢力を広げ、少数民族はその圧力に押されて辺境の地に散らばっていた、多くは南下し山岳地を転々とした。

福建省の客家、タイのタイ人、桂林のヤオ族、金沙遺址(成都)の蜀人は千年から二千年の時を経て移動した。

雲南省の各少数民族にも同様に歴史があるだろう。

雲南の地は西にチベットからインド、南に東南アジアへと交流し続けた歴史がある。

この地の少数民族の衣装や装飾品は素晴らしく、文字や神話も面白い。

 

 

これから速足で見学していきます。

 

 

 

< 5. 今回紹介する少数民族、上が北 >

 

上: 雲南民俗村の全景

敷地は東西1.2km、南北800mある。

赤枠が今回紹介する三つの民族展示場。

 

下: 上記の赤枠を拡大

今回紹介する三つの民族展示場。

赤線が主な見学ルート。

右の改札ゲートから入って、左下で終わりです。

 

 

 

< 6. 三つの少数民族 >

 

上: 黄色枠が三つの少数民族が暮らしている地域。

雲南省の西部、徳宏タイ族チンポー族自治州相当する。

盆地の標高は1000mまでだが、2000mほどの山脈に囲まれている。

彼らは亜熱帯の山間地で農業を営んでいた。

 

赤点は左から麗江、大理、昆明で、白線は新幹線のルートです。

 

 

下: 民族衣装

左は阿昌族(アチャン族)

中央は景颇族(チンポウ族)

右は德昂族(デアン族)

 

 

 

< 7. 阿昌族 >

 

阿昌族について

人口は3万人で、中国政府が公認する56の民族の中で39番目に多い。

言語はシナ・チベット語系チベット・ビルマ語派ビルマ語系に属する。

自民族の文字は無く、漢字などを使用。

かつては漢民族の地主による封建的な領主経済でした。

農業が主でしたが、手工業も発達していた。

辺境を守る駐屯兵から学んで作られるようになった阿昌刀が有名。

 

下: 民家

一階は土間で家事を行うところのようです。

 

 

 

< 8. 阿昌刀 >

 

上: 阿昌刀のようです。

 

下: 織物の実演。

 

 

 

< 9. 宗教的な部屋でしょうか >

 

宗教は主に小乗仏教のようです。

 

下: 台所でしょうか。

 

 

 

< 10. 景颇族 >

 

景颇族について

チベット・ビルマ語属で水田耕作、焼畑耕作を主とし、ミャンマー、雲南省、インドのアッサムに分布する。

総人口100万人と多いが、分散して暮らしているので言語も複数に別れ、生活水準や経済段階も様々。

雲南省には15万人が暮らす。

宗教は原始的でシャーマンが重用されていた。

 

上: 説明板

上から三行目に日本語表記があります。

 

中央: 広場に大きな柱が立っていた。

景颇族が毎年正月の15日から始める巨大な歌の祭典、目瑙纵歌节(ムゥナウゾング)があります。

この柱群はこの祭りの会場に立つ柱のようです。

数万人が打ち鳴らす長い太鼓に合わせて唄うようです。

 

下: 目瑙纵歌节の様子。

他のサイトから拝借。

 

 

 

 

< 11. 景颇族の長老の家 >

 

上: 池の端の祭祀場か

 

下: 長老の家。

立派でしっかりした大きな木造建築です。

どうやら首長が村を治めたのかもしれない。

 

 

 

 

 

< 12. 長老の家に入る >

 

上: 二階に上がる階段の壁にある不思議な飾り。

どうやら女性の乳房を模したものらしい。

私は卑猥に感じてしまったので、きっと何かの道具に違いないと、考えを巡らしたが、わからなかった。

 

後で調べると、これは階段の昇降に手摺りとして使われ、母親の偉大さに想いを馳せなさいということらしい。

 

中央と下: 家屋のすぐ横にある祭祀場

霊魂・精霊など崇めるアニミズムのようだ。

 

 

 

< 13. 2階の様子 >

 

仕切られた部屋は一部屋だけ設けられていたが、他は巨大なロングハウス(共用空間)で、おそらく家長が一部屋を使って寝るが、他は仕切りなしで寝るのだろう。

囲炉裏が二階にある。

 

 

 

 

< 14. 德昂族 >

 

上: 行先案内

 

德昂族について

雲南省とミャンマーに分布し、中国側の人口は2万人です。

言語は南アジア語系モン・クメール語族に属する。

自民族の文字は無い。

解放前までは長らく傣族(タイ族=タイ人と同じ語族)やチンポー族(景颇族)の統治と搾取を受け、社会経済は未発達でした。

宗教はタイ族の影響を受けて小乗仏教。

 

 

 

 

< 15. 德昂族の家屋 >

 

中央の写真に長い太鼓が見える。

これが景颇族の祭りで使われる楽器と同じなのだろう。

 

 

 

 

< 16. 寺院らしい >

 

おそらく德昂族のお寺と祭祀場なのだろう。

 

下: どことなくタイの寺院、チャオプラヤ川沿いにある「暁の寺」の小型版に見える。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

20200725

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 2: 川辺の街と村





< 1.うだつ >

今回は、この地方の街並みと山村を概観します。
街道や川湊沿いに発展したかつての街並み、
険しい渓谷や急峻な山で営み続ける山村、
そこにある生活と歴史を追います。


 
< 2. 訪問地の地図、上が北 >

詳しいは説明は前回の記事を参考にして下さい。


 
< 3. 脇町うだつの町並み >

地図のAにある街並み。
ここにはかつて吉野川の川湊があり、さらに二つの街道が交差していた。
また脇城の城下町として、藍染めの藍の集散地として発展した。
この街並みは軒から突き出した「うだつ」で有名です。


 
< 4. 貞光の旧家 >

地図のBの街中にある。
かっての庄屋の家屋を見学しました。

上: 塀越しの外観。
下: 台所と兼用の玄関。


 
< 5. 貞町うだつの町並み >

地図のBにある街並み。
ここは二層うだつの町並みで知られています。
ここの街並みは、脇町や池田町の古い町並みと異なり、吉野川と直角に延びていました。
ここは川湊に恵まれなかったが、剣山に至る貞光川が吉野川に注いでいる。
この通りは貞光の町と剣山の山村の暮らしを繋いでいた。


 
< 6. 渓谷沿いの家 >

地図のBCCDの景観。
険しい河谷に張り付くように建つ家々。

上: 貞光川
下: 祖谷川


 
< 7. 急峻な斜面の山村 >

地図のCDの景観。
祖谷川沿いの斜面には山村がかなり高い所まで広がっている。
人々は、今も暮らしている。
ここの暮らしには、幾つもの不思議がある。
なぜこのような不便な所に済まなければならなかったのか?
かつて生計は何に頼っていたのか?
平家の落人伝説との関りは?


 
< 8. 急峻な斜面にある家 >

平家の落人伝説を追って走っている間に、見かけた家々。


 
< 9.阿波池田うだつの町並み >

地図のFにある街並み。
ここは吉野川沿いの旧街道に発展した街並みです。
かつてたばこ等の集散地として発展した。



前回の旅では、日本の漁業を担う漁村と漁港を見て来ました。
そこは私達にとってはかけがえのない食の源です。
しかし、高齢化、漁家高の減少が相まって今や風前の灯火でした。
さらに東海大地震の津波が襲うことも確実です。

一部の人々は町の再生に尽力しているが、私の見た所、衰退を免れないだろう。
「持続可能な社会」「自然と穏やかに暮らす」「リモートワーク」などが定着しない限り、社会と政治が変わらなければ、未来は暗いものになるだろう。

今回は、川と山に育まれた街並みと村を見て行きます。
そこには、また違った気付きがあることでしょう。



次回に続きます。

20200721

中国の外縁を一周して 46: 昆明を訪ねて 2






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今回は、バスの車窓から見た昆明市内を紹介します。
公共のバスで昆明駅から雲南民俗村まで行きました。
まさに大都会でした。  


 
< 2. 昆明の衛星写真、上が北 >

青線がバスのルートで、「起」から乗って「終」で下車です。
各バス停に停車しながら45分ほどかけて到着しました。
衛星写真の下にびわ湖の3倍もある滇池が見えます。

下: 上を拡大
ホテルを8時20分頃出て、昆明駅の北側まで歩き、バスに乗った。
そしてバスは中心部を抜けて、やがて郊外にある滇池沿いに造られた雲南民俗村の前で私は降車した。


 
< 3. ホテル最上階の展望レストランから 1 >

朝食のレストランから昆明市内の360度眺望が楽しめた。

上: 西側
下: 北側


 
< 4. ホテル最上階の展望レストランから 2 >

上: 東側
下: 南側
写真中央、大通りの突当りに昆明駅の左半分が見える。


 
< 5. 朝食レストラン >

上: 朝食のレストラン

下: 大通りに出たら、朝食の屋台があった。


 
< 6. ホテルの前 >

上: 北側
下: 南側、昆明駅が見える


 
< 7. 昆明駅に近づいた >

前日、この駅で新幹線を降りた。

上: 北側
大通りの左手にホテルが見える。

下: 昆明駅


 
< 8. 昆明駅の前 >

上: 多くの人が立っている大通り沿いに、いくつかのバス停が並んでいる。
ここは昆明駅から道路一つ離れている。


 
< 9. バスは出発した >

バスは2階建てで、私は2階の最前列に陣取り、思う存分に町の眺めを楽しんだ。
朝の通勤ラッシュで、ここではまだ車に混じってバイクも多かった。


 
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郊外に来たようです。
バスに乗ってから35分ぐらい経った。


 
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下: 高級住宅街のようですが道路脇に、多くのレンタル自転車が見えます。


 
< 14. 雲南民俗村の前に到着 >

下: 乗って来たバスです。


次回に続きます。


20200716

中国の外縁を一周して 45: 昆明を訪ねて 1





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最後の訪問地、昆明を2泊3日で巡ります。
訪れたのは2019年10月27日(日)~29日(火)でした。
今回は、昆明中心部の翠湖公園と飲食街・ショッピング街(昆明老街。南屏街)を紹介します。


 
< 2. 昆明の訪問地、上が北 >

上: 私が訪れた所
赤枠A:翠湖公園と昆明老街・南屏街、赤四角B:雲南省博物館、赤枠C:雲南省民俗村と滇池海埂公园、赤枠D:西山風景区の龍門石窟、
S:列車の昆明駅、H:ホテル、黒矢印:昆明空港(ここから直行便で帰国)
昆明へは新幹線(黒線)で来ました。
空港へはホテルの前からのリムジンバス(茶色線)で直行出来ました。

昆明内の移動は全て公共機関のバスと地下鉄を利用しました。
昆明の観光では、一切通訳ガイドを付けず、自ら全てを行うようにしました。
北京もそうでしたが、北京は2回目であったし、開封は狭い範囲の移動でしたので、ほぼ問題無く観光出来ました。
昆明で、帰国日、一度バスを乗り間違いしたが、無事リカバリー出来ました。


下:上記の赤枠Aの部分を拡大
赤枠E:翠湖公園、赤枠F:昆明老街、赤枠G:南屏街
黒矢印:昆明駅、H:ホテル、昆明锦江大酒店


 
< 3. 翠湖公園に向かう >

27日(日曜日)、16時過ぎにホテル近くからバスに乗り、公園の近くの通りで降車した。
高層ビルの住宅街を抜けると、公園の門が見えて来た。


 
< 4. 翠湖公園に入る >

公園の門の周辺には多くの市民がおり、さらに公園から多くの人が出て来た。
ここに来ると急に民族衣装が増えて来た。

私がここを訪問したいと思ったのは、この公園が市民の憩いの場であると知ったからです。
訪れてみると予想以上の光景を見て、得るものがありました。

上: 公園から一団が揃って出て来た。
何かが行われている予感がした。

下: 門を抜けて真直ぐ進む。


 
< 5. 広い公園内は踊り手で一杯でした >

様々な少数民族の衣装を身に纏った人々が、集団で踊りに興じていた。
それを見入る多くの市民が彼らを取り囲んでいた。

衣装の識別が分からないのですが、概ね5から6組の少数民族の違いがあるようでした。
遊牧民族系のシンプルな衣装から、山岳民族の刺繍が凝らされた極彩色の衣装までありました。


 
< 6. イ族のグループ >

頭の冠にぼんぼりを付けたのはイ族と思われます。
このグループは幾つにも分かれて大きな輪になって踊っていた。

私が感動を覚えたのは、老若男女が共に民族衣装に身を正し、公然と誇らしく踊っていることでした。
けっして見世物では無く、自らの出自を恥じることなく、和気あいあいと行っている。

私が中国に「民族差別が中国崩壊の導火線にならないか?」との疑念を抱いてやって来たが、ここには答えが明瞭に示されていた。
開封や蘭州の回族についても、見た限りでは問題を見つけることは出来なかった。
中国政府は少数民族の扱いをうまくやっていると感じた。
もっとも蘭州の西隣り、新疆ウイグル自治区のウイグル族やチベット族については分からなかったが。


イ族は中国全体で7番目に人口が多く、雲南省最大の少数民族で、雲南省の11%を占める。
もともと雲南省で、漢民族が占めるのは67%にしかすぎず、残りを27%を7つの少数民族で占めている。

彝族(イ族)は、かつて蔑称の「夷」が通称であった。
「夷」は漢民族の中原からみれば古来より蛮族の一つでした。
イ族は中国西部のチベット族、納西族、羌族の先祖古羌の子孫ともいわれる。
彼らは南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住している。
「羌」は成都で紹介した紀元前1千年紀の金沙遺址や三星堆遺跡の住民でした。



 
< 7. 公園内の中央の通りに出た >


 
< 8. 通りを進み橋に出た >

これで公園の中心を南から北にほぼ抜けた。
この公園には幾つもの池があり、幾つもの島を橋と道で結んでいる。


 
< 9. 橋の上から >

周囲は高級住宅街でしょうか。


 
< 10. 公園の北門を出て >

バスに乗るために雲南大学の前の通りに向かう。

上: 公衆トイレ
今回の旅行で始めて使った街中の公衆トイレ、駅や観光施設内のトイレは使っていたが。
事前に日本で、散策ルート上のトイレをチェックしていて、中国のトイレは急速に整備が進んでいることを知ってはいたが、良くなっている。
綺麗で、無料で、数も沢山あるようだ。

昔、奥地の桂林や客家土楼の観光で経験した酷いトイレは今回の旅行ではなかった。


 
< 11. バスに乗って >

繁華街に向かう。


 
<  12.昆明老街周辺 >

昆明老街の一つを北から南に向かって歩いた。
数本ある中で、ここが最も古い佇まいが残っているようでした。
ここで夕食をとることにした。

上: 通り

中央: この店に入る

下: 店の中のテーブル席
開放的で凝った店内でした。


 
< 13. 店の中 >

上: 厨房の様子

中央と下: 頼んだ料理
中華料理と言っても、今回の旅行では私が日本でよく食べる中華料理にはほとんど出くわすことはなかった。
味も見栄えも様々で、けっこう楽しめた。



 
< 14. 店を出ると >

店を出たのは19時前、辺りはもう暗くなっていた。
1kmほど歩いて南屏街まで行く。

下: 繫華街の中心、南屏街。
幾つかのショッピングセンターやデパートを覗く。
出たのは20時頃でした。

ここは歩行者天国になっており、近くのバス停でバスを待つ。
バスは頻繁に来るのですが、思う行先のバスがなかなか来ない。
さすが大都会です。


 
< 15.バスに乗ってホテルへ >

やっとバスに乗り、ホテルに近いバス停を降りて、ホテルに向かう。
ホテルに到着したのは21時頃でした。

下: ホテル
便利で居心地が良く、高くないホテルでした。


公園の踊りのビデオで、約10秒間ほどです。





次回に続きます。