< 1.朝鮮戦争 >
前回紹介したエルズバークは、ベトナム戦争の経緯を分析し、大統領府の犯罪性に憤り、告発の挙に出ました。
国家が戦争に深入りしていく過程で、情報がどのように関わっているか、要点を見ます。
はじめに
皆さんは、自国の戦争が無駄で、犯罪と指摘されることに憤るでしょう。
ましてや身近な人が負傷し死亡されておられればなおさらです。
また、戦争は好んでするものではなく、憎むべき極悪の敵国があればこそだと思っている方も多いはずです。
一方で、正義の戦争があるとしても、戦争は小さく短く終わって欲しいとも思われるはずです。
< 2.当時の共産圏首脳 >
ベトナム戦争の泥沼へ
この長大な戦争を、人々の感情と情報の観点から、要点を切り取り、見ていきます。
そこには思わぬ落とし穴と情報の欠陥が待ち受けていました。
1945年、第二次世界大戦は日本への原子爆弾投下で幕が閉じましたが、これを命じたのがトルーマン大統領でした。
敗戦後、トルーマンは米ソに共通の敵が無くなることから先手を打ち、ソ連に対して強硬路線を取り(トルーマン・ドクトリン)、冷戦時代へと突入することになります。
50年に朝鮮戦争が勃発し、急激に共産主義への脅威が高まり、赤狩り(マッカシー旋風)が米国に吹き荒れます。
大戦時のヒトラーや中国共産軍への初動の抑え込み不徹底が、戦火の拡大を招いたとの反省が起こります。
こうして、米国はこの後、「共産主義封じ込めの民族支援」で世論が一致し、長らくその呪縛から解けなくなります。
一方、ベトナムは2千年にわたる中国とフランスからの独立を戦い抜いて来ました。
そのゲリラ戦は筋金で入りでした。
大戦後、北部ベトナムに共産主義政権が興りますが、当時、多くの植民地も同様に独立を目指していました。
米国政府は、植民地化政策に反対だったのですが、フランスが負けると、ベトナムの自由主義を守る意図で、介入していきます。
こうしてトルーマンに始まり、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの5人の大統領が政策を継承し戦争を拡大していくことになります。
< 3.1945~74年の米国の大統領 >
この初期の米国に、何か問題があったのでしょうか?
この段階で失策だとは断言出来ない、残念だとは思うが。
日本の明治維新から太平洋戦争への経緯もそうですが、最初は確かに脅威が存在しました。
そして戦いを継続していく内に、初期の脅威論とは別の意図や世論が拡大を促しました。
どこかで道を間違ったのは確かですが、そのターニングポイントの指摘では意見が分かれるところです。
しかし一つだけ、言えることがあります。
戦争を遂行する上層部には、正しく状況を把握している人々が少なからずいたはずです。
その真実が国民に伝われば、犠牲を強いられる人々は進路変更を早く望んだはずです。
次回、ベトナム戦争が拡大していく過程で情報がどうなるかを見ていきます。
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