< 1.ジャングル戦 >
ベトナム戦争も複雑な経緯を辿って、戦線が拡大していきました。
先ず、戦争の主要な転換点を振り返ります。
後に、米国政府の意図と世論、それを結ぶ情報を見て行きます。
戦線拡大のポイント
簡単にするため北ベトナムの動きを省略し、米国大統領の動きを中心に見ます。
トルーマン: 1949年、インドシナ戦争でフランス支援を決定。
アイゼンハワー: 54年、ジュネーブ会議はベトナムの停戦と南北分割を決めるが、米国と南ベトナムは統一選挙実施で調印を拒否。
南ベトナム: 米国は、この政権に反共産を条件に軍事・経済援助、軍事顧問団派遣を行う。
この政権は、宗教対立や不満に弾圧で臨んだため、国民は離反し、武力蜂起が起きる。
北ベトナムは、この反体制派(解放戦線)に援助し内乱は深まる。
ケネディ: 61年、内乱を鎮める為に軍事顧問団を増強し、実際は数百名の戦闘部隊が攻撃を開始した。
< 2.弾圧に抗議し焼身自殺する仏教徒 >
南ベトナム: 63年、政権がクーデターで交代するが、以降幾度も繰り返される。
ジョンソン: 64年、北ベトナムに攻撃された報復に大規模な軍事行動を開始(捏造事件)。
これにより中ソの北ベトナムへの軍事援助が本格化し、北ベトナムと南ベトナム解放戦線は米軍と直接地上戦に入る。
< 3.爆撃 >
この報復に米軍は北爆、最大55万の派兵、ジャングルや農村部への無差別爆撃を行い、戦争拡大。
68年、戦争反対の世論に押され、北爆を停止する。
ニクソン: 69年、大統領選挙の公約通り米兵撤退を一部行い、北ベトナムと和平交渉を開始。
一方、北ベトナムの補給路を断つ為、隣国2ヵ国に侵攻を開始するが、失敗に終わる。
72年、和平条件を有利にする為、大規模な北爆と機雷封鎖を実施。
これにより、北ベトナムは軍事拠点と経済に壊滅的な打撃を受け、大量の死者を出し、戦闘続行が不能となった。
この北爆は国際世論の反発を招き、中止。
73年、北ベトナムと米国は和平条約を締結し、米軍が全面撤退。
南ベトナム: 75年、北ベトナムと南ベトナム解放戦線による攻撃で政権が崩壊し、1年後に統一選挙が行われた。
素朴な疑問
米国の膨大な人命損失と経済損出、それを遙かに上回るベトナムの国土破壊と人命損失をなぜ食い止められなかったのか?
本当に、「共産主義封じ込め」政策が必要だったのか?
現在、ベトナムは共産国家として成長を遂げている。
その後の世界や東南アジアの状況を見ると、その政策は誇大妄想に思えるのだが。
< 4.ジュンソン大統領とマクナマラ国防長官 >
何が問題か
米国の歴代大統領は真剣に、自国と同盟国の安全保障の為に努力した。
しかし、その結果は、常識的に見て失敗だと思える。
その食い違いはなぜ起きたのか?
戦争を指揮する政府に過失や別の意図、又は不作為があったのかもしれない。
今、一つは、国民が政府と戦争の実情を知らされず看過したのか、情報操作で踊らされたのかもしれない。
次回から、この事を検証していきます。
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