< 国家安全保障会議 >
大統領は、ベトナム戦争の政策をどのように決定したのだろうか?
ここでは歴代大統領と大統領府に共通する行動パターンを見ます。
ホワイトハウスとベトナムをよく知るエルズバーグ博士が書いた1972年刊「ベトナム戦争報告」を参考にします。
はじめに
最高指揮官の大統領は国家安全保障会議の助言を得て、戦略・作戦を決定する。
但し、その実施には議会の承認が必要になる。
安全保障会議には、大統領と外交(国務省)、情報(CIA)、軍事(国防総省)のトップ、主要補佐官が参加する。
ベトナム紛争は、世界の紛争に目を配り、百万の軍隊を動かす大統領にとって国内外の処理すべき1案件にすぎない。
例えば、ケネディ以降の3人の大統領は、米ソの緊張緩和、中近東問題、アポロ計画、人種差別、環境保全、中国承認、核兵器削減など、大きな仕事を成し遂げていた。
< 国防総省 >
彼らの行動パターンは?
非常に乱暴な要約ですが、彼らに共通するものでしょう。
大統領
a. 自分の任期中には、共産主義者にベトナムを明けわたさない。
b. 国民や議会の不人気や反発を招く戦争拡大は避け、かつ弱腰と見られたくない。
軍部
c. 米兵の死傷者を少なくするために、核の使用や空爆を優先し、地上軍派遣は抑えたい。
d. しかし中途半端でなく、早めに大兵力で相手を徹底的に叩いてこそ勝利するとの信念がある。
全体(上級スタッフ、軍部、官僚)
e. 米国の為の戦いだから、ベトナム側の被害には関心がない。
f.
作戦の失敗には触れない、新たな作戦に活路を見出し、作戦や援助には希望があることを示す。
< ベトナムでの夜間攻撃 >
この行動パターンからベトナム戦争が見えてくる。
大統領達は軍部が要請する増派と爆撃に対して、かなり控え目に決断することが多い。
公表では、自国の派兵や損害を目立たなくし、将来の増派や戦線と被害の拡大が少ないように印象付ける。
したがって、ベトナムで戦火が広がり、南ベトナムの不利が明白になるまで手を打たず、概ね大統領就任時や最悪期、または選挙を睨んで手を打つことになる。
このことが、20年間で5人の大統領による戦争へのテコ入れが5回繰り返された理由だろう。
こうして戦火は拡大しながら継続することになった。
結果的に、大統領達は米国初の敗戦の将の不名誉を避け、次ぎに譲ったように見える。
南ベトナム政府が統治の呈を成していないことを彼らは充分承知の上で、これを伏せ、援助すれば、戦いに希望があると訴えた。
米国には反共産の強権的な傀儡政権が必要で、このことが弾圧と腐敗を深める政権を生み、南ベトナム国民は離反していった。
米国の助言を聞かないこの政府は豊富な物資と軍事援助を流用するだけだった。
米国のゲリラ対策失敗も重なり、始め非共産だった人々も、北ベトナムに呼応することになり、益々兵力投入が必要になった。
ケネディは一度、この政権を見限ろうとしたが出来なかった、後にこの政権は転覆させられる。
次回に続きます。
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