20140118

社会と情報 7: 到来しつつある社会

1969年、月面着陸のテレビ放送 

< 1969年、月面着陸のテレビ放送 >

既に見ましたが、一人の内部告発者が巨大産業の不正を暴き、社会が良くなりました。
この成功は1990年代の米国だから可能だった。
恐らく現在の日本や、20世紀中頃以前の欧米も不可能だったでしょう。
その違いを探ります。

告発が成功した社会背景(ワイガンド博士の事例から)
当時、民間企業の内部告発者を保護する法律はありませんでした。
以前の法制度下では、告発者は、いとも簡単に合法、非合法によって社会から抹殺されてしまいます。
司法は、適用可能な法と証拠が無ければ何も出来ません。
このような状況を救ったのはマスコミ(テレビ局と新聞社)でした。


1960~75年、ベトナム戦争の報道

< 1960~75年、ベトナム戦争の報道 >

マスコミはなぜ告発者に味方したのでしょうか?
マスコミには告発された組織からの妨害に立ち向かう強い動機があったからです。
それは国民のマスコミに対する期待と信頼であり、盛り上がる世論です。
米国の有力マスコミは、ここ半世紀あまり、政府の失策や企業の腐敗を暴いて来ました。
そのマスコミは、政府から機密漏洩、企業から損害賠償の訴訟に晒され、時には大統領からの圧力を受けることもありました。
しかしその圧力を名物編集長やプロデユーサーらがはねのけて来たのです。
そのことが、有力テレビ局や新聞紙の存在理由かもしれません。


1982年、100万人反核デモの報道

< 1982年、100万人反核デモの報道 >

それではなぜ、半世紀前以前の米国と状況が異なるのでしょうか? 
それは相次いで起きた内部告発が世論を巻き込み、大きな成果を挙げるようになったからです。
それがまた、内部告発(公益通報者)保護法の成立と改良に向かわせたのです。
つまりは、告発が瞬時に国中の世論と呼応するようになったからです。


1989年、ベルリンの壁崩壊の報道

< 1989年、ベルリンの壁崩壊の報道 >

情報ネッワークが急速に発展している。
米国において、19世紀中頃には新聞は大衆化していた。
1946年、北アメリカでラジオの聴衆者が人口の85%に達する。
1960年までに、米国のテレビ視聴時間がラジオを抜いて、最大のメディアになる。
国民は、興奮する月面着陸や悲惨なベトナム戦争、大統領の素顔、世界の事件を生放送で見ることが出来るようになった。
1980年代、世界の多くの地域で、テレビが余暇活動の中心に、また主要なニュース源となる。

現代社会は、情報ネットワークが国民の最有力な武器と成りつつあるのです。

次回、ベトナム戦争を終結に向かわせた内部告発を紹介します。












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