20190926

北欧3ヵ国を訪ねて 83: 北欧の旅を終えて 4





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日本にとって北欧とは?


 
< 2. 両国にとって天国とは? >


北欧は遠い

北欧は寒くて荒海に閉ざされ、人口は少なく、作物は乏しく、小国ばかり。
まして大阪からストックホルムまで直線距離で8000km、航空機で12時間と遠い。
(エアチャイナの北京経由であれば時間はかかるが往復7万円台で可能)

北欧では収入の半分以上が税や保険料として徴収される、いくら教育・医療・福祉が無料だとしても、日本の現状から想像するに生活なんぞ出来ないぞ!
ましてそんな巨大政府の下では官僚や役人が横暴で、また平等が押し付けれ生活の隅々まで制約され息苦しいはずだ!

確かに日本の中央集権化しマンネリ化した政治状況で暮らす国民にとっては、議員や官吏の腐敗、汚職、非効率は当然に思えるかもしれない。

しかし、まったく違うのです。
日本の政治家は年3000万円貰っても賄賂を要求し汚職をするが、北欧の議員は手弁当であり、汚職がニュースになることは無いそうです。
共産圏のように一党独裁ではなく多党制です。
当然、日本のように世襲議員が50%越える党などないし、女性議員は5割近いのです。

日本にどっぷり浸かっていると、どうしても日本の悪弊から抜け出せない。
思考が停滞してしまう。



< 3. 日本と北欧の政治家の違い >


少し海外を知るだけで
北欧の政治や経済システムがわからなくても、自らの足で北欧を1週間ほど巡ると、日本との差異に気付くはずです。
それも大きな違いに!

郊外の都市であれ首都であれ、午後4時半を過ぎる頃には、市民は仕事から解放されて至る所で寛いでいる(6月初旬)。
夫婦や子供らと、そして恋人や友人と、街の中の公園や海岸・湖畔・河畔やレストランで過ごしている。

逆に、日本の飲み屋街や赤ちょうちん、くだを巻く男性の集団を見ることはなかった(35年前はそうだった、今回、夜遅く出歩いていない)。

また男性が乳母車を押している姿を如何に多く見たことか。
北欧では男女同権が浸透し、家事や育児の分担が進み、制度的にも支援が行き届いている(女性の8割以上は勤めている)。


さらに
このような少ない労働時間でも北欧の一人当たりの国民所得は日本の2倍弱あるのです。
(女性の高い就労率と賃金差の無いことも大きいのだろう)
しかも主要な出費は無料です。
(私には円安も加わり物価は高かった)
浮き沈みはあるが、概ね日本よりも高い経済成長率が続いている。

不思議に思いませんか?


次回に続きます。



20190925

北欧3ヵ国を訪ねて 82: 北欧の旅を終えて 3







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かつて日本は異国から数多くを学んで来た。
今もその時です。


これまでの日本

日本列島は古来より大陸の影響を受け、多くの技術、文化、制度、思想を受容して来た。
江戸時代までは中華文明、明治維新以降は西欧文明、敗戦後は米国と、柔軟に対応して来た。

しかし気になることがある。
それは受容が中央政府からのトップダウンになりがちだと言うことです。
残念ながら日本列島は海と異言語によって周辺国から閉ざされている。
どうしても政府の都合で、受容すべきものが選択され、入手出来る情報も偏ってしまう。

このことは現在のようなIT社会でもあまり変わらない。
やはり日本語使用が世界で1ヵ国だけであり、さらに海外に無関心な日本の国民性が大きい。
その上、マスコミやインターネットで政府追従によるネガティブ・キャンペーンやフェイクの発信が続くと防ぐ手立てがない。


 
*2

それでも
例えば、日本の現状が成熟か凋落かを知るにはどうすれば良いのでしょうか?

国内に立ち止まり、昔を振返っても分からない。
残念なことに、国が隆盛期を過ぎて衰退している時、往々にして内に籠り易くなる(かつての英国の保守化と帝国主義化)。


やはり思い切って、日本を外から俯瞰するしかない。

二つの方法がある。
一つは、国際機関が発表する経済や社会指標の推移を見ることです。
一目瞭然ですが、発表機関の偏りを見抜く必要があります。

例えば米国の体制寄りの機関であれば米国や日本に高評価を与えます。
国際的または西欧の機関の多くは、北欧などを高評価し日本を低評価しているが、西欧や自国への評価も低いことがあるのです。
つまり公平に扱っているようです。

今一つは、特色ある国を知ることです。
例えば、高福祉国家の北欧、発展を続ける共産主義中国、資本主義先進国だが分裂著しい米国などです。
知る方法としては、やはり訪問するのが手っ取り早い。

あたりまえだが、やはり海外を訪れる以外に道はない。
「人の振り見て我が振り直せ」でしょうか。


 
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とは言っても
やはり上記の手段を取れる人は少ない。

そうであっても、国民が海外事情に疎いことで大きな失敗を招いた歴史があったことを忘れないで欲しい(太平洋戦争への道)。
日頃から、心地よい情報を疑い、時には自ら真贋を確認するようにして下さい。

私は北欧の旅行記を通じて真の姿を伝え、微力だがネガティブ・キャンペーンに抵抗したい。


次回に続きます。


20190924

北欧3ヵ国を訪ねて 81: 北欧の旅を終えて 2







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なぜ北欧に暗いイメージを持つ人が多いのか?
以前から気になっていた。


 
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偏見の正体

これは日本に蔓延るプロバガンダと乏しい国際感覚に起因している。

北欧に関して人々は、せいぜいフィヨルド観光か、稀にアイスランドの直接民主主義ぐらいを知っているぐらい。

北欧のイメージはかなりステレオタイプです。
それは福祉国家による重税で、息苦しく活力が無いイメージです。
実体とかけ離れたイメージがなぜ蔓延しているか?

ある時、この謎が解けた。
暗いイメージを持つ人の中に、意外にもスウェーデンの高い税率や自殺率などを知っている人がいたのです。
(自殺率の高さは社会の息苦しさもあるが、文化や尊厳死との兼ね合いもあり一律には論じられない)

日本の改革派(野党)は時折、北欧を理想国家に挙げることがある。
一方、保守派(自民党・経済界)は米国主導の自由放任経済に突き進んでいる。
これを受けて日本の御用マスコミは、自由放任経済の対極にある巨大政府に繋がる福祉国家へのネガティブ・キャンペーンを続けている。
(だから無関心なはずの北欧について負の側面だけ詳しい)


 
< 3. 米国でニュデイール政策が貶められるのも同じ理由から >


こうして国民は北欧を敬遠し、素晴らしさに触れることはない。
これでは日本が衰退を極め、取り残されていることに気が付けない。
まさに体制の思う壺です。


それにしても、なぜ日本人は大失敗を招くプロバガンダに安易に陥ってしまうのだろうか?

日本国民は80年ほど前、政府・軍部に洗脳され、極悪ヒトラーを信頼し、強大な米国を過小評価し敵視し、さらには隣国を蔑視した。
そして敗戦によって間違いは明らかになった。

しかし反省することはなかった。
最近、特にこの数年、米国追従は極まり、隣国への過小評価や敵意を煽られても疑うことがない。

やはり国民は海外に閉鎖的な為、簡単に流されてしまうのか。
そうとするなら大陸の反対にある国の真の姿など知ることは不可能だ。

日本の閉鎖性やガラパゴス化は政府、それとも国民性によるものなのか?


これに関して、私が北欧を巡って得た答えは絶望的なものでした。

確かに日本の政府や経済界、教育に問題は多いが、国民性の違いが大きい。

北欧の人々は昔から海外志向で、今も幼い頃から多言語を学び、家族から海外勇躍は当然とみなされている。

このことが高付加価値、そして経済成長を生み、高福祉の高負担を可能にしている一因です。


次回に続きます。





20190923

北欧3ヵ国を訪ねて 80: 北欧の旅を終えて 1





< 1. 1984年訪問時のスウェーデン郊外1 >


私が北欧を訪れたいと思ったのは、日本の進むべき道を知りたかったからです。
そして北欧への羨望と日本への哀惜の念はさらに深まった。
それでも日本への愛着が衰えることはないが。
これから北欧と日本への想いを語ります。


 
< 2. 2018年の北欧旅行のルート >


はじめに
私が北欧に初めて関心を持ったのは40年ほど前でした。
当時、日本は高度経済成長のピークを過ぎ、その余韻を残してはいたが、先が見えなかった。(今の方がより見えなくなっているが)
一方、北欧は高度福祉国家として名声を博していた。

当時、日本でスウェーデンに関してよく知られていたのはダンスミュージックのABBAとフリーセックスぐらいでした。
一方、数社のスウェーデン・メーカーは日本で今より活躍していた。


 
< 3.1984年11月訪問時のスウェーデン郊外2 >

1984年にスウェーデンとデンマークを視察し、現地の企業経営、福祉政策、人々のライフスタイルに深い感銘を受けた。
この1週間ほどの訪問で、私は日本と北欧二ヵ国の差異をつぶさに見聞した。

大きなカルチャーショックを受けたが、一言で言えば「家族と日々おおらかに楽しむ北欧」と「がむしゃらに走り続ける日本」の違いでした。
当時、北欧の暮らしに憧れたが、まだ日本の未来に希望を抱いていた。





 

< 4.1984年訪問時のコペンハーゲン >


それから35年経った現在、両者間には更なるギャップが生じていた。

日本の経済や社会の水準は概ね世界の30位前後まで低下し、一部の指標では100位前後も増えた。
一方、北欧4ヵ国は概ねほとんどの指標で5位以内を占め、希に10位内もあるが。

私は日本の現状を憂う中で、「北欧は手本になりうるのか」また「日本に欠けているものは何か。経済、政治、社会、国民性のどこに問題があるのか」の答えが無性に知りたくなった。
そして自ら北欧を訪れるしかないと決意した。

しかも観光ではなく、北欧三ヵ国の社会の実情と文化歴史を直に体得する必要がある。
この為に、一人で公共交通機関を使い、自分の足と口で、人々に接しながら北欧の首都と地方都市を巡ることでした。


次回に続きます。


20190914

北欧3ヵ国を訪ねて 79: コペンハーゲン 5 : 国立美術館を最後に別れを告げて






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今回で、北欧観光の紹介を終えます。
始めにコペンハーゲン大学植物園と国立美術館、次いでホテルの部屋とコペンハーゲン空港を紹介します。

 
< 2. 散策ルート、上が来た>

ローゼンボー城Sを出て、赤線に沿って植物園を歩き、一周を終えたらピンク線に沿って国立博物館に行きました。
植物園と美術館を訪問したのは、2018年6月9日(土)15:00から16:30まででした。

その後、Nørreport駅から電車に乗り、中央駅まで行き、ホテルに戻りました。

翌日は、午前中、ホテル周辺を観光してから午後の飛行機で帰国するはずでした。
しかし、疲れと帰国便の搭乗手続きに不安があり、観光を省き空港には9時頃には到着していました。


 
< 3.植物園内1 >

敷地は非常に大きく、植物園と言うよりは自然な公園が市民の憩いの場になっている。

 
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温室でしょうか。
中には入っていません。


 
< 6.国立美術館の建物 >

上: 正面。
中央が入り口。

下: 前庭の噴水。


 
< 7. 風景画 >

上: Johan Christian Clausen Dahlの絵
彼は19世紀のノルウェーの画家で、コペンハーゲンで絵画を学び、デンマーク王の支援を受けた。
後に『ノルウェー風景画の父』と称されるようになった。

下: L.A. Ringの絵
象徴主義と社会的現実主義の両方を開拓した20世紀のデンマーク画家。


 
< 8. 人物画と現代美術 >

左上: Ejnar Nielsenの絵
20世紀のデンマーク画家で、象徴主義絵画の中心的人物でした。

右上: L.A. Ringの絵
先ほどの風景画も書いているが、人物画が多い。


この美術館は非常に大きく、西欧の美術品も所蔵していますが、私は北欧の美術と現代美術だけを見ました。
現代美術の展示も沢山ありました。

今回の北欧旅行で、各国の王宮内の絵画を見ることは出来ましたが国立美術館に訪れたのはノルウェーとデンマークだけでした、。

スウェーデンの美術館を見ていないので、はっきりは言えないのですが、北欧三ヵ国の絵画には大きな発展や特色が無いように思えた。
文化はドイツやオランダの影響を大きく受けているが、模倣を越えて、異彩を放ち有名になったようなものはないようです、ノルウェーのムンクを除いて。

このことはスペインを旅行した時にも感じたのですが、地理的に辺境、大陸の端になる国々は、中央の西欧から隔絶されている感がある。
ヨーロッパ美術史にしても、中央の西欧が中心で、他の地域は割愛される傾向が強い。
スカンディナヴィア半島やイベリア半島は距離的にそんなに離れていないにも関わらず。
中世美術のゴヤやエル・グレコの絵画に特色はあるが、何か主流から外れている感がある。

現在の北欧は、経済と暮らしの豊かさで世界のトップにあるが、美術ではそうでは無かった。
北欧の文化が成熟していないとは思えない。
かつての美術の発展は、国の経済力、特にパトロンとなる王侯貴族らの経済力が影響したのかもしれない。
さらに西欧の中心的な王家との血縁や宗派の繋がりが重要だったのかも知れない。



 
< 9. 現代美術 >

上: 展示室を見て回っていると、突如として白い病室に行き当たりました。
良く見ると、病人は蝋人形でした。

下: 左右二つの映像に分かれて、同時進行し、語りかけてくる声が聞こえて来るのですが、意味は不明でした。


 
< 10.Nørreport駅 >


 
< 11. ホテル、CABINN City >

上: 中庭

下: 私の部屋。
この部屋は二人まで宿泊できるタイプで、当然、一人で使用しました。
使用にまったく問題はなかった。
学生の集団や労働者、若い旅行客が多かった。

ここは中央駅に近く、中央駅内にスーパーやコンビニがあり便利です。
朝食は安さ相応でした。



 
< 12. コペンハーゲン空港 >

上: コペンハーゲン空港駅。
ホームのすぐ隣が空港ロビーです。
この駅には中央駅から直通で来れます。

下: ロビーは大きくない。


 
< 13. チケットカウンター >

上: 右手中央から右手に数多くの発券機が並んでいる。
下: 右手奥がチケットカウンターです。


私は帰国の飛行機でトラブルに遭うことになりました。
これから北欧旅行される方は参考にして下さい。

トラブルの概要
この日、私はエアチャイナ運行のコペンハーゲン空港発、ストックホルム空港乗り継ぎ、さらに北京国際空港乗り継ぎ、関西空港着の飛行機に乗ります。
トラブルはストックホルム空港で北京行きの飛行機に乗せて貰えない状況になったことでした。

トラブルの発端
コペンハーゲン空港では航空チケットは全員が発券機で行うようになっていた。
それをチケットカウンターに持って行き、受託荷物を託す必要があった。
(自分で受託荷物を処理することも出来るようですが)
私は発券機の操作が上手く出来なかったので、一か所だけあるサービスカウンター(チケットカウンターの反対側)に並び、お願いしてEチケットを見せて発券してもらった。
しかし、発券されたチケットを見ると二つのフライトが一枚に印刷されていただけでした。
(私の予想では、帰りのフライト三便が三枚に印刷されるはずでした)

そこで係員に疑問を投げ掛けたのですが、問題無いと言う。
さらにチケットカウンターの係員も、そのチケットで処理してくれたので安心した。

そしてストックホルム空港で北京行きの飛行機に乗り込もうとしたら、搭乗ゲートでストップになった。

搭乗出来ない状況から
私を止めたのはスカンジナヴィア航空の白人男性係官でした。
私が航空チケットを見せると彼は「乗るな」と言い、私を脇に寄せて、「英語を話せるか」と聞き、私は「ノー」と声た。
すると彼は軽蔑するような素振りをし、私をそこに立たせ、終始無視した。

他の乗客がほとんど乗り終えた頃、エアチャイナの中国人男性の搭乗ゲート責任者が私に「どうしたのか」と聞いて来た。
私は「あの白人からストップと言われている」と答えた。
彼はどうやら私を搭乗させたいようでした。

私は女性の係員に私の機内の席はまだ空いているのかと聞いた。
空いているとの返事だったので、意を決して、急いで搭乗口に向かった。
もう誰にも止められなかった。

こうして無事、北京空港に着いた。
空港内の乗り継ぎ通路の途中で、税関の係官に関空行きの発券が出来る場所を聞いたら、近くにあると教えてくれた。
指示された方向に行くと臨時の発券カウンターがあり、中国人係員が日本語と英語で対応してくれた。

かくして無事に関空に辿り着くことが出来た。


感じた事
三ヵ国の中でスウェーデンが外人、ひょっとしたら東アジア人か中国人に対して悪感情を持っているなと感じた。

三ヵ国とも、何処に行っても市民は親切なのですが、スウェーデンでの公共機関や商業施設などでは冷たい応対に遭うことがあった。

三ヵ国の中で、スウェーデンは経済的に低迷しており、移民が多く、格差も拡大している。
また中国人観光客も多く、トラブルが頻発しているように思う。
これらのことが私への対応になったのかもしれない。

それにしても旅先での中国人、空港での係員の温かい対応には助かった。
いつのまにかエアチャイナに親しみを感じていた。


次回から、北欧旅行全体について語って行きます。








20190912

北欧3ヵ国を訪ねて 78: コペンハーゲン 4 : ローゼンボー離宮





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今回は、こじんまりした建物だが豪華な宮殿を紹介します。
私がコペンハーゲンで訪れた宮殿はここを含めて二ヵ所だけです。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上: ピンク線が今回の徒歩ルートです。
左端の労働者博物館からローゼンボー離宮(ピンク枠)まで歩きました。
緑枠は、次回紹介する所です。

下: ローゼンボー離宮の拡大図。
左上の道路側から敷地内に入り、黄色矢印の建物で手続きをして、建物の北側(緑の矢印)の入り口に並んで、入場を待ちました。
赤線は建物を出てから、外観写真を撮るために歩いたところです。





 
< 3. 自転車の街 >

ここは公共交通機関が交差しコペンハーゲンで最も賑やかな通りで、行き交う市民の姿を多く見た。
首都なのに車の数より自転車の方が多い。
さすが「持続可能な社会」を目指す国だけはある。
健康的で環境に優しい。
私の記憶では、30年ほど前にコペンハーゲンを訪れた時、このように自転車が多い印象はなかった。
この間に意識改革が起こった。
羨ましい限りです。




 
< 4. ローゼンボー離宮に入る >

下: 敷地内に入ると、正面に2階の建物が見える。
その向こうに宮殿が見える。
真中から入って左側に宮殿の入場料を支払うカウンターがあります。
係りの人は英語で丁寧に話してくれたが、今一つ意味が分からないまま無事終了した。

入城の為に宮殿入口で並んでいる時に気が付いたのですが、入場時間が決まっており、係りの人は私にこの了解を得ようとしていたのでした。
もう一つ、注意することは荷物入れのロッカーが小さかったように思います。
大きなバッグは預けられないでしょう。


 
< 5. ローゼンボー離宮 1 >


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小さいが内部は非常に豪華でした。
暗いのが私にとっては困りものでした、写真の関係で。
この建物は17世紀初めの建設で、クリスチャン4世の熱烈な愛を成就した新居だった。
さもありなんと納得した。

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< 8. 庭園 1 >

下: 宮殿周辺の巨大な庭園。


 
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上: 地図の赤線の端(西側)から撮影。
下: 北側からの撮影。

次回に続きます。

20190905

北欧3ヵ国を訪ねて 77: コペンハーゲン 3 : フードマーケットと労働者博物館



 
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これからローゼンボ―離宮周辺を紹介します。
今回はフードマーケットTorvehallerneと労働者博物館の紹介です。
コペンハーゲン市民の今の暮らしと100年前の暮らしが見えて来ます。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上: 今回紹介する全体図。
下側のスロッツホルメン島を後にして、徒歩で地下鉄駅Kongens Nytorvに行き、Nørreport駅で地下鉄を降ります。

下: 地下鉄駅の降り口Sから歩いてすぐにフードマーケットがあります。
赤線に沿って、最終、労働者博物館Eに行きました。



 
< 3.クリスチャンスボー城とお別れ >

上: 国立博物館を出て、クリスチャンスボー城を後にしながら。

下: ストロイエ通りに向かう。


 
< 4. 地下鉄駅Kongens Nytorv >

下: 地下鉄駅Kongens Nytorvの地上部分。


 
< 5. 地下鉄の様子 >

上: 地下鉄駅Kongens Nytorvの地下部分。


 
< 6. Torvehallerne >

訪れたのは2018年6月9日(土)で、13時を過ぎていました。
建物は新しい。


 
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< 8. おいしいそう >

今回の旅行では、スウェーデンの海辺のレストランで落ち着いてシーフードを食べるチャンスを逃した。
別の場所で写真に似たものは食べましたが、残念!


 
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< 10. 労働者博物館を目指して >

上: Torvehallerneを振り返って

下: 赤い旗のある下側に、入口があります。
私は気付かずに通り過ぎてしまい、地元の人に聞いてやっとわかりました。
博物館と言うより、古いアパートを改造した建物です。



 
< 11. 労働者博物館、Arbejdermuseetの入り口 >

上: 入り口に掲げてあった標識。
The Workers Museumと大きく表示していないので注意してください。

下: 一つゲートをくぐると、中庭の奥にアパートの入り口のようなものが見えます。
これが労働者博物館の入り口です。
半世紀から1世紀前の暮らしを感じさせてくれることになる。




 
< 12. 展示 1 >

建物は大きくないが、1から3階まであります。
私の館内見学は30~40分ぐらいでした。
展示内容は19世紀から20世紀中頃までの工場や作業場、そして19世紀末から20世紀中頃の都市家庭の室内などの再現模型が主です。

 
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< 14. 19世紀末以降の労働者家庭のアパートらしい >


 
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私は、北欧三カ国の文化歴史博物館や野外博物館を通じて、おおよそ2世紀前からの北欧の地方と都市部の暮らしを知ることが出来ました。

全体を通じて感じたことは、現在の北欧の豊かさや繁栄の萌芽がそれら建物には見られず、現在の豊かさと先進性はその後急激に起きたらしいと言うことです。

都市部の建物では一部で生活に余裕を感じたが、都市化が遅れていた北欧では例外だろう。
地方の農村、漁村、山村では木材資源こそ豊かで、住居は大きいが生活は質素だった。
おそらく産業と経済がまだ未成熟だったのだろう。

私が得た結論は、北欧の発展はここ百年以内、それも第二次世界大戦以降の政治経済の変革こそが重要だったと言うことです。
但し、それを可能にした文化、特に精神文化が既に根付いていたことが重要であったことは間違いない。
さらにドイツに侵攻されたが、中立政策を貫き、戦争の被害を最小にしたことも大きい。
加えて戦後、大国ロシア、西欧、米国の外縁にあったことも幸いしている。

普通、人口が少ないと自国の市場が小さいので経済的に不利になるが、これを逆手に取って、ヴァイキング以来の海外志向を生かして人々や企業は最初から海外展開を目指したことが、企業や経済に好循環をもたらした。
日本のように高度経済成長期に人件費を抑えて大量に出現し下請けに甘んじた中小企業が、今となっては足枷になっている。

半世紀ほどの間に、北欧と日本の選んだ道が、かくも大きな違いを招いてしまったようです。


次回に続きます。