20190912

北欧3ヵ国を訪ねて 78: コペンハーゲン 4 : ローゼンボー離宮





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今回は、こじんまりした建物だが豪華な宮殿を紹介します。
私がコペンハーゲンで訪れた宮殿はここを含めて二ヵ所だけです。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上: ピンク線が今回の徒歩ルートです。
左端の労働者博物館からローゼンボー離宮(ピンク枠)まで歩きました。
緑枠は、次回紹介する所です。

下: ローゼンボー離宮の拡大図。
左上の道路側から敷地内に入り、黄色矢印の建物で手続きをして、建物の北側(緑の矢印)の入り口に並んで、入場を待ちました。
赤線は建物を出てから、外観写真を撮るために歩いたところです。





 
< 3. 自転車の街 >

ここは公共交通機関が交差しコペンハーゲンで最も賑やかな通りで、行き交う市民の姿を多く見た。
首都なのに車の数より自転車の方が多い。
さすが「持続可能な社会」を目指す国だけはある。
健康的で環境に優しい。
私の記憶では、30年ほど前にコペンハーゲンを訪れた時、このように自転車が多い印象はなかった。
この間に意識改革が起こった。
羨ましい限りです。




 
< 4. ローゼンボー離宮に入る >

下: 敷地内に入ると、正面に2階の建物が見える。
その向こうに宮殿が見える。
真中から入って左側に宮殿の入場料を支払うカウンターがあります。
係りの人は英語で丁寧に話してくれたが、今一つ意味が分からないまま無事終了した。

入城の為に宮殿入口で並んでいる時に気が付いたのですが、入場時間が決まっており、係りの人は私にこの了解を得ようとしていたのでした。
もう一つ、注意することは荷物入れのロッカーが小さかったように思います。
大きなバッグは預けられないでしょう。


 
< 5. ローゼンボー離宮 1 >


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小さいが内部は非常に豪華でした。
暗いのが私にとっては困りものでした、写真の関係で。
この建物は17世紀初めの建設で、クリスチャン4世の熱烈な愛を成就した新居だった。
さもありなんと納得した。

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< 8. 庭園 1 >

下: 宮殿周辺の巨大な庭園。


 
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上: 地図の赤線の端(西側)から撮影。
下: 北側からの撮影。

次回に続きます。

20190905

北欧3ヵ国を訪ねて 77: コペンハーゲン 3 : フードマーケットと労働者博物館



 
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これからローゼンボ―離宮周辺を紹介します。
今回はフードマーケットTorvehallerneと労働者博物館の紹介です。
コペンハーゲン市民の今の暮らしと100年前の暮らしが見えて来ます。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上: 今回紹介する全体図。
下側のスロッツホルメン島を後にして、徒歩で地下鉄駅Kongens Nytorvに行き、Nørreport駅で地下鉄を降ります。

下: 地下鉄駅の降り口Sから歩いてすぐにフードマーケットがあります。
赤線に沿って、最終、労働者博物館Eに行きました。



 
< 3.クリスチャンスボー城とお別れ >

上: 国立博物館を出て、クリスチャンスボー城を後にしながら。

下: ストロイエ通りに向かう。


 
< 4. 地下鉄駅Kongens Nytorv >

下: 地下鉄駅Kongens Nytorvの地上部分。


 
< 5. 地下鉄の様子 >

上: 地下鉄駅Kongens Nytorvの地下部分。


 
< 6. Torvehallerne >

訪れたのは2018年6月9日(土)で、13時を過ぎていました。
建物は新しい。


 
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< 8. おいしいそう >

今回の旅行では、スウェーデンの海辺のレストランで落ち着いてシーフードを食べるチャンスを逃した。
別の場所で写真に似たものは食べましたが、残念!


 
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< 10. 労働者博物館を目指して >

上: Torvehallerneを振り返って

下: 赤い旗のある下側に、入口があります。
私は気付かずに通り過ぎてしまい、地元の人に聞いてやっとわかりました。
博物館と言うより、古いアパートを改造した建物です。



 
< 11. 労働者博物館、Arbejdermuseetの入り口 >

上: 入り口に掲げてあった標識。
The Workers Museumと大きく表示していないので注意してください。

下: 一つゲートをくぐると、中庭の奥にアパートの入り口のようなものが見えます。
これが労働者博物館の入り口です。
半世紀から1世紀前の暮らしを感じさせてくれることになる。




 
< 12. 展示 1 >

建物は大きくないが、1から3階まであります。
私の館内見学は30~40分ぐらいでした。
展示内容は19世紀から20世紀中頃までの工場や作業場、そして19世紀末から20世紀中頃の都市家庭の室内などの再現模型が主です。

 
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< 14. 19世紀末以降の労働者家庭のアパートらしい >


 
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私は、北欧三カ国の文化歴史博物館や野外博物館を通じて、おおよそ2世紀前からの北欧の地方と都市部の暮らしを知ることが出来ました。

全体を通じて感じたことは、現在の北欧の豊かさや繁栄の萌芽がそれら建物には見られず、現在の豊かさと先進性はその後急激に起きたらしいと言うことです。

都市部の建物では一部で生活に余裕を感じたが、都市化が遅れていた北欧では例外だろう。
地方の農村、漁村、山村では木材資源こそ豊かで、住居は大きいが生活は質素だった。
おそらく産業と経済がまだ未成熟だったのだろう。

私が得た結論は、北欧の発展はここ百年以内、それも第二次世界大戦以降の政治経済の変革こそが重要だったと言うことです。
但し、それを可能にした文化、特に精神文化が既に根付いていたことが重要であったことは間違いない。
さらにドイツに侵攻されたが、中立政策を貫き、戦争の被害を最小にしたことも大きい。
加えて戦後、大国ロシア、西欧、米国の外縁にあったことも幸いしている。

普通、人口が少ないと自国の市場が小さいので経済的に不利になるが、これを逆手に取って、ヴァイキング以来の海外志向を生かして人々や企業は最初から海外展開を目指したことが、企業や経済に好循環をもたらした。
日本のように高度経済成長期に人件費を抑えて大量に出現し下請けに甘んじた中小企業が、今となっては足枷になっている。

半世紀ほどの間に、北欧と日本の選んだ道が、かくも大きな違いを招いてしまったようです。


次回に続きます。






20190821

北欧3ヵ国を訪ねて 75: コペンハーゲン 1 : 国立博物館



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今回は、デンマークの国立博物館を紹介します。
デンマークの歴史と文化が広範囲に深く紹介されています。
日本も含む世界の展示もあります。



< 2. 国立博物館について >
正式名称: Nationalmuseet, National Museum of Denmark

上: 上が北。黒い屋根の建物が東西に延びているのが国立博物館。
矢印が入り口で、運河を隔てた右にクリスチャンスボー城が見えます。
長さ170m、幅80mほどあり、大きくて2時間で全てを見ることは出来ませんでした。

下: 入り口は簡素です。



< 3. ルーン石碑とオーロックス >

上: ルーン石碑はヴァイキング時代9~11世紀に造られ立てられた。
多くはルーン文字で死者を称える文が書かれ、独特の装飾もされている。

下: 紀元前8600年、氷河期のデンマーク、シェラン島北部で鏃が刺さったオーロックスの骨が見つかっている。
おそらくスカンジナビア半島で最も古い大型獣の狩猟の痕跡でしょう。
絵はヨーロッパ大陸の洞窟壁画でしょう。



< 4. 琥珀と葬祭 >

上: 琥珀は石器時代を通じてユトランド半島北部の海岸で取集され、宝石として使われた。
思っていたより古くから使われていた。

下: 紀元前4000年以前、石器時代の祭式小屋と石組みの墓。
左上部が祭式小屋遺跡の平面図と再現図。
中央から下が墓の遺跡。

これらはユトランド半島のものらしい。



< 5.横穴式石室と大規模な祭式場 >

上: 紀元前3200年頃の横穴式墓室、デンマークのロラン島。

下: 紀元前3400年の大規模な葬祭場、墓や祭壇が連なっている、デンマークのフュン島。





< 6. 青銅剣とフリント製短剣 >

上: 青銅製の曲がった剣。
青銅器時代は紀元前1700~500年。

下: フリント製の短剣。
この短剣の普及のピークは金属時代の始まりまで達した。
地図によるとこれはユトランド半島から大陸とスカンジナビア半島に広がった。






< 7. 青銅器時代の絵と神聖なもの >


上: 石刻の絵。
剣を腰に差して踊っている。
この絵はスウェーデン南西部、氷河期末期には海岸であった巨石に彫られた絵でしょう。
今は陸地です。

下: サン・ホルダーと呼ばれる神聖な道具。
左は神聖な道具と祭式を行う様子が描かれている。
右の青銅製のホルダーに赤い琥珀が嵌められている。
サン・ホルダーを見た時は、遥か昔のミステリアスな場所に来たように感じた。
発掘場所は不明。



< 8. 青銅器時代の遺物  >

上: 太陽の馬車(サン・チャリオト)。
全長60cmの青銅像に金箔が張られていた。
シェラン島西部で紀元前1350年頃のもの。
この地では馬が飼育されていたのでしょう。

下: 青銅製のヘルメット。
ヘルメットに角に似たものが見えるが、ヴァイキング時代より遥か昔のもです。
これもシェラン島のもの。




< 9. 青銅器時代と鉄器時代の遺物  >

上: 青銅器時代、手前の物は盾に思えたのですが、そうではないようです。
後の展示ケースに治まっている曲がった物は青銅器のホルンです。

下: 代表的な展示品の一つ、グンデストルップの大釜。
ユトランド島北部で発見された直径70cmの銀器で紀元前1世紀のものです。
ヨーロッパの鉄器時代の銀器としては最大で、彫像が素晴らしい。




< 10. 鉄器時代からヴァイキング時代 >

上: 2世紀末から3世紀のかけて新しい部族がスカンジナビアとドイツ北部に勢力を持った。
彼らはローマ人と同盟を図り、ローマの道具を使用した。

この後、ゲルマン民族の大移動に伴って、デンマークの祖先となるデーン人がスウェーデン南部からデンマークに南下して来た。

下: 9世紀から11世紀のヴァイキング時代の航海ルートと定住地。




< 11. 世界各地の紹介 >

エジプト文明に始まり、東南アジア、中国、日本まで紹介されている。
ここでも他の北欧の博物館と同様に北方民族のサミー、イヌイット、アイヌなどが紹介されていた。



< 12. 興味を惹いた展示 >

上: 型で造形された煉瓦や瓦など。
私が北欧を歩いて驚いたのは、屋根瓦が日本とよく似ていることでした。
フランスとはかなり違いました。
この博物館でまじかに見ると、益々その意を強くした。

左下: デンマークが一時、世界中に植民地を持っていた事を知りませんでした。




< 13. その他 >

上: 博物館内から東側を望む。
クリスチャンスボー城が見える。

中央: おそらく百年程前の暮らしを紹介しているのでしょう。

下: わざわざ一室を設けて、日本のコスプレとプリクラが展示されていました。
何か誇らしくもあり嬉しいものです。



次回に続きます。


20190813

北欧3ヵ国を訪ねて 75: コペンハーゲン 1 : スロッツホルメン




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今回は、コペンハーゲン発祥の地、スロッツホルメン島を紹介します。
私はクリスチャンスボー城、王立図書館、蚤の市を訪れました。
訪問したのは2018年6月9日(土)8:00~10:30です。


 
< 2.散策ルート、上が北 >

赤線が徒歩、ピンク線がバス。
Sからチボリ公園横のバス停まで行き、バス下車後、蚤の市のあるAまで行った。
まだ蚤の市はやっていなかった。
Bクリスチャンスボー城もまだ開城していなかったので、周辺を少し歩いて、Cの王立図書館に行った。

王立図書館入館後、クリスチャンスボー城に入場し、その後、蚤の市を見た。

 
< 3.チボリ公園とバス停 >


 
< 4. クリスチャンスボー城の外観 1 >

西側から見ている。



 
< 5. クリスチャンスボー城の外観 2 >

南側から見ている。
上の写真、中央に見えるのはクリスチャン9世の像です。

下の写真の中央が入り口になる。


 
< 6. 王立図書館 1 >

別名ブラック・ダイヤモンドと呼ばれる。
3枚の写真はほぼ同じ位置から見ている。
上の写真は、東側の図書館、中央の写真は西側、下の写真は運河を隔てた南側を望む。

私は二日前にこの運河をクルーズし、この小さな島スロッツホルメンを一周していた。


 
< 7.王立図書館 >

私がここに着いた時はまだ開館しておらず、運河側の広場で休憩していると、興味ある光景を目にすることになりました。

一人の恰幅のいい中年男性が上半身裸でベンチに腰掛け、お菓子をぱくつきながらビールを飲み、日光浴を楽しんでいました。
また若い男女のカップルが来て、服を脱ぎ始め、二人は水着姿になり、タオルケットを敷き、日光浴を始めました。
さすがに私のすぐ横ではなく、それは少し離れたところでしたが。

それでも驚きの一瞬でした。
彼らが一番乗りで、後には大勢の人が訪れることでしょう。
既にクルーズ船からその光景を見ていましたので、想像できます。


図書館に入ると、予想もしない展開が待っていました。
私は海外旅行では必ず書店に入るのですが、今回はこの図書館だけでした。

下の写真、1階を入って右側に休憩所と喫茶がありました。
そこを見やると日本人がいましたので、これ幸いと話掛けました。
閲覧室や自習室は2階のようです。

彼女らは二組の母子で、お母さんは共に日本から来た人で、数年と10年、コペンハーゲンに暮らしています。
ここで毎週、子供達に日本語の勉強をさせているとのことでした。

彼女らと30分以上、デンマークと日本の社会、教育、政治の違いについて話し合うことが出来ました。
内容は後に紹介します。


 
< 8.  クリスチャンスボー城 1 

この城はかつて王宮として使用され、現在は国会議事堂などに使われている。
この城の歴史は古く、12世紀にアブサロン大司教が建てた城塞が最初で、その後幾度も戦火や火災に遭い、18世紀に現在の形になった。

興味を惹いたのが、アブサロン大司教です。
彼は後にデンマーク王になる人物の弟で、司教としてキリスト教の布教に貢献するのですが、それだけではない。
兄と共に王位争いの暗殺を逃れ、戦いに勝利し政治権力を握ると、バルト海の海賊掃討に注力し、また教会建築と学校設立などで国の文明化にも貢献した。
実に文武両道の人物でした。




 
< 9. クリスチャンスボー城 2 

やはり宮殿内は立派でした。


 
< 10. 宮殿横の蚤の市 >

10:30頃に行くと、既に始まっていました。
それほど規模大きくはない。


次回に続きます。


20190804

北欧3ヵ国を訪ねて 74: シェラン島北東部を巡る 6: クロンボー城



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今日は、半島の突端にあるハムレットの舞台で知られている城を紹介します。
城の地下にあるダンスク像や港町ヘルシンオアも紹介します。


 
< 2.散策ルート、上が北 >

上の衛星写真: 赤線がヘルシンオア駅から徒歩で右上のクロンボ―城までの徒歩ルートです。
ピンク線は帰路、城を出てヘルシンオアの町を歩いたルートです。

下2枚: 電車の車窓から見たヘルシンオア近くの住宅です。


 
< 3.ヘルシンオア駅 >

ここは終点です。
外観趣はあるが、中はコンビニと待合室があるだけです。
私が訪れた北欧の地方の駅舎は概ね合理化されて無人に近く、コンビニとトイレ、場合によってロッカーがあるぐらいです。



 
< 4. 駅前の広場から >

駅舎からクロンボ―城に向かう。


上: 町の方を望む。
中: 右手が海峡で、フェリーが着岸している。
対岸のスウェーデンの町ヘルシンボリまで5kmしかない。
スウェーデンはアルコール類(規制があり)が高いので、安いデンマークに買いに来るようです。

下: 左が駅舎です。

< 5. クロンボ―城の堀に来た >


 
< 6. いよいよ入城 >

上: 左のゲートを抜けると巻頭写真1の入り口が見え、ここでチケットの確認がある。

下: 城の中庭。



 
< 7. 内部 >

下:大広間。
城の内部には豪華な装飾や特筆すべきものは無いように思う。
ハムレットを演じた俳優などのパネルがあった。
異国でシェイクスピア作品の舞台に触れることはなぜか興奮させる
ただシェイクスピアはこの城を訪問してはいないのだが。

この城の建設はデンマークが力を持ち始めた時期の13世紀に重なる。
この城は通行税を徴収する為のものでした。
当時、ヨーロッパによるバルト海東方との交易が盛んになっておりここは唯一の海路であり、この城の前の海峡が最も狭い
通行税によってデンマークは財政的に潤うことになる。

その後この城は幾度も戦火や火災に遭い、また軍事基地として使用された。



 
< 8. いよいよ地下に入る >

左上: ハムレットの寸劇を中庭でやっていた。
言葉が分からないので、残念。

右上: 地下への入口。

左下: 地下通路。

右下:ホルガ―・ダンスク像
この像はデンマークの伝説上の英雄で、フランク王国のカール大帝と戦った人物です。
この英雄像は第二次世界大戦時ドイツに占領された時、デンマークのレジスタンスの象徴でもあった。


< 9. 地下道 >

地下は非常に暗く、足元はほとんど見えない。
非常に広いようです。
地下牢や兵舎があったようです。





< 10. 城外に出る >

上: 海峡側を歩くと砲台があった。
対岸ヘルシンボリが見える。
1日前にこの海峡をフェリーで通りました。

中: 海峡側から見た城。

下: ヘルシンオアの街側から今来た道を振り返る。
途中、地下に航海博物館がある。
手前左に近代的な建物のカルチャーセンター、博物館、レストランがある。
最近出来たようです。
手前に単線の線路があるが、ヘルシンオア駅からこの左側に駅があり、ここまで路面電車で来ることも出来る。





< 11. ヘルシンオアの街 1 >

歩いたのは2019年6月8日(金)16:30頃です。



 

< 12. ヘルシンオアの街 2 >

帰りに町の通りを歩いていると、所々で子供達が集まっており、大人が何かを説明したり、スタンプを押したり、ジュースを与えたりしていました。

この日はイベントが催されていた。
右上の写真に横断幕が見えます
何か歴史的なイベントで、英雄ダンスクとも関りがあるようです。

左下: レストランに入ると、今日は祭りで料理はこれしかないとのことでした。
今回の旅行で幾度か食べた手軽な料理、上等なサンドイッチのようなものです。

右下: なぜか日本の着物が売られていました。


次回に続きます。