20170807

フランスを巡って 32: サン・レミ聖堂



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今日は、ランスのサン・レミ聖堂を紹介します。
これでランスともお別れです。


 

< 2. サン・レミ聖堂の衛星写真、上が北 >

赤い矢印が正面で、黄色い矢印(翼廊の南側)から内部に入りました。

この聖堂は、1007年に着工されたロマネスク様式とゴシック様式が共存する建物です。
ローマ教皇がクロヴィス1世を洗礼したレミギウス司教(聖レミ、フランスの守護聖人とされている)にこの聖堂を捧げた。


 
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< 7. 聖レミの棺 >

上の写真: 聖レミの棺の前から天井を望む。
下の写真: 聖レミの棺。


 
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次回に続きます。


20170805

何か変ですよ 66: 日本の問題、世界の問題 2: 金融の罠






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前回、日本企業の繁栄と労働者の衰退を確認しました。
これからバブル崩壊などの金融がもたらす災厄をみます。
これら三つは世界的な根で繋がっています。


 
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はじめに
実は、バブル崩壊など金融がもたらす災厄や善処策について語るのは厄介なのです。

その理由を以下に記します。

一つ目、日本において、学者から政府、国民に至るまで金融がもたらす災厄に対して無関心に近い。

二つ目、金融がもたらす災厄を研究する経済学者は少ない(特に日本)。

三つ目、現在、最も収益を上げている業界は金融業界で、かつ加速度的に巨大化している(特に米国)。

少し解説します。

ここ半世紀の間に、主に金融家による富の集中が起きた為、彼らは莫大な銭をばら撒き議員や政府、研究や広報を手玉に取るようになった。
ここで言う金融家とは、生産行為より資金を動かすことで利益を得る人々を指す。
これを米国が先導している

すると優秀な経済学者や研究所は自身が稼げる金融テクニックの開発か、金融家に都合の良い研究と報告書作成に躍起になります。
こうして金融行為で生じた社会の損害に目を向ける学者は少なくなります。
議員達は莫大な選挙資金を求めて、金融家に都合の良い規制緩和に積極的となり、政府も同様となります。

こうなると国民は金融行為による莫大な損失から目を逸らされ、政府は金融家がより繁栄する政策を推し進めることになった。

国民は当然の如く、バブル崩壊などの発生メカニズムに疎くなり、これによる巨大な災厄を運命の悪戯と捉え、泣き寝入りすることになる。
これが先進国中、とりわけ日本の現状でしょうか。


ここで金融がもたらす災厄を簡単に見ておきます
国民に大きな被害をもたらす金融的な破綻としては、銀行危機や高インフレ、通貨暴落、デフォルトがあります。
これらは経済的な災厄なのですが、現状では金融の罠とも言えるメカニズムが大きく関わっています。


 
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1. 銀行危機
これはバブル崩壊、金融危機、恐慌とほぼ同義語です。
最初に産品や株価、不動産などの価格暴落が起こり、次いで破産や失業が広がり、経済は急激に落ち込むことになる。

これが起きる前、銀行を介して貨幣流通量の増大(信用創造)が起きており、価格暴落を切っ掛けに、一気に貨幣の回収(信用収縮)が始まる。
この回収が出来ずに多くの企業や銀行が倒産し、失業者が大量発生し、消費の急減が起こり、この悪循環が一国の経済をどん底に突き落とすことになる。


 
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2. 高インフレ
インフレは物価が上昇し続ける状態で、貨幣価値の下落が起こっているとも言える。

インフレがおおよそ年率5~10%を越え、さらに大きくなればなるほど社会にダメージを与える。
高インフレが起きる場合、以下の弊害が起きる。
金融資産(預金や保険満期金、現金)は見る見るうちに減価していくことになる。
(10%のインフレが20年続くと、100万が15万円に目減する。)
通常、物価上昇が先行し賃上げが遅れるので、労働者の生活は苦しくなる。
インフレに乗じて、投機で儲けることも可能だが、多くはバブル崩壊で自滅することになる。
スタグフレーションと呼ばれるインフレと景気後退が同時に起ることもある。


3. 通貨暴落
通貨の対外的な価値(ドル/円などの為替相場)が急激に下がることです。

国や経済への信用不安が起きると、海外の投資家はこの国から資金を引き上げる為に通貨を売り急ぎ、通貨安を加速させる。

国内の発展を支えていた外資が途絶えることにより経済が急停止することになる。
また通貨安になることで外貨建て海外債務の元利払いは急増することになる。
(例えば日本国内の企業がドルで借金し、円/ドルが100円から120円への円安になると、この企業の1億ドルの借金は100億円から120億円へと増加する)
こうなると国の経済は大打撃を受けることになる。



 
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4.デフォルト(債務不履行)
ここでは国が国内外の債権者に元利の返済が出来なくなったことを指す。

債務は地方自治体や民間、個人にもあるが、ここでは中央政府が発行した債券(国債、ソブリン債)や銀行からの借入金について問題にする。
多くの場合、国はまったく返済しないのではなく、協議の上で返済条件の緩和を行い、返済し続けることになる。

デフォルトが起きる切っ掛けは様々だが以下のものがある。
累積債務の増大による信用不安が発生し、海外からの資金引揚げ(債務国が発行した外債の売りなど)が集中し、国は返済不能になる。
また発展途上国が産品輸出の好調などによる好景気時に、先進国の金融業から高金利で融資を受けていたが、産品価格暴落や先進国連動の金利高騰などにより、返済不能となる場合です。

この結果、さらなる債権発行や借り入れが困難になり、経済発展に必要な資金が枯渇することになる。
また信用低下により借り入れ金利が高騰し、新規・既発債権の負担が重く圧し掛かる。
こうして国は急激な信用収縮と急激な経済低下を起こし、さらに緊縮財政(福祉切り捨てなど)と増税が国民を襲うことになる。


 
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日本の著名な経済学者の認識
政府に近い経済学者は金融がもたらす災厄をどのように見ているのでしょうか?


1.以前、実業家兼経済学者の竹中平蔵がこのような趣旨の事をテレビのインタビューでが言っていったと思う。

「累積債務が巨大になったからと言って国家が破綻したことはかってない。」



2.経済学者の竹森俊平が2008年刊「資本主義は嫌いですか」でバブルについて書いている。

「その結論を要約すれば、『バブルの頻発』は世界経済全体の高い成長率を維持する為に、経済システムの『自動制御装置』が働いた結果であった。
高成長率の維持が難しくなる局面に来ると、民間や政府が、様々な手段を動員して高成長の維持を図る。
そのことが繰り返され、結果としてバブルが生まれた。・・・・

・・・。
バブルの発生に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。
その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。
その代わり、世界経済の成長率は低下する。・・・。」p4~5.

著者は、この一冊で長々とサブプライム危機を語っているが、私の見たところ、「バブルは調整の失敗に過ぎず、経済に必要不可欠なもの」とみなしている。


3.日銀総裁黒田東彦が2005年刊「通貨の興亡」でアジア通貨危機について書いている。

「・・・・・。

短期の外貨を取り入れて、それを為替ヘッジも十分せずに、内貨で長期貸しをしていたということも問題であった。
ジョージ・ソロスが為替投機を行ったといって批判されたが、為替投機は確かにあったかもしれない。
しかし、やはり本質的には、タイを中心に、経済にいろいろな問題がたまっていて、それが一挙に爆発したということだと思う。」p.78.

著者は、3頁ほどでこの通貨危機の原因と過程を簡明に述べているが、この危機がもたらした甚大な被害は念頭になく、当然、問題意識はないようである。


この三人の認識には、経済主体の一方である国民への眼差しが欠如しているようです。
彼らの念頭にあるのは経済成長などの成果であって、必ず起きている副作用(バブル崩壊の後遺症や格差など)には無関心なようです。
後に紹介する世界的に著名な学者に比べれば、彼らは本分を置き去りにした学者に思える。
さらに感じるのは、1980年代から米国の政治経済を支配している概念(今後説明予定)に憑りつかれ、まったく疑いを持っていないようである。

国民にとって重要なことは、国民が被る災厄への問題意識が欠如している人物が行う改革では、けっして良い結果は生まれないと言うことです。



 
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それでは皆さんに質問があります
過去200年間、世界の国々がデフォルト(債務不履行)をどれぐらい行ったかを想像して下さい。

答えは10回、50回、300回のいずれでしょうか?

「1800年から2009年にかけて、ソブリン・デフォルトは対外債務について少なくとも250回、国内債務でも68回はあった。」

つまり318回以上あった。
この記述はカーメン・M・ラインハート&ケネス・S・ロゴフ著の「国家は破綻する」(2011年刊)p.77にあります。

この事実は常識とはかなり異なるはずです。
まだ、これは金融的な破綻の一部に過ぎないのです。


次回に続きます。




20170803

フランスを巡って 31: ランスの大聖堂 3




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今日は、大聖堂の内部を紹介します。
様々なステンドグラスが私達を魅了します。
なぜランスが聖なる街になったかも見ます。




< 2.ファサードの内側 1 >

これらは正面中央の門を内側から見上げた写真。

上の写真: バラ窓。

下の写真: 扉の直ぐ上の円形のステンドグラス。





< 3.ファサードの内側 2 >

上左の写真: 身廊の正面側(拝廊)から主祭壇(内陣)を望む。

上右の写真: 身廊の中央からバラ窓を振り返る。

下左の写真: 身廊の正面側(拝廊)からバラ窓を見上げる。

下右の写真: 正面の北側の門の上のステンドグラス。





< 4.内部 >





< 5.側廊 >

上左の写真: 側廊。

上右の写真: 聖人ジャンヌ・ダルクの像。

下の写真: 側廊のステンドグラス。






< 6. 翼廊 >

北側翼廊の内外の写真。

上左の写真: 翼廊の三つの門の内、最も西側にある門を中央から見ている。

上右の写真: 上記の門を外から見たもの。

下の写真: 翼廊の三つの門の中央にあるバラ窓。





< 7.ステンドグラス 1 >

様々なステンドグラスを紹介します。
多くはフランス革命の動乱、第一次世界大戦で失われました。
中世からの残っていますが、私にはわかりませんでした。

上左の写真: 翼廊南側のバラ窓を見上げる。

上右の写真: 身廊中央から見た内陣の奥上部にあるステンドグラス。

下左と右の写真: 内陣を囲むようにして並ぶ礼拝堂のステンドグラス。
右はドイツ人芸術家による2011年制作のステンドグラス。





< 8.ステンドグラス 2 >

シャガールの1974年作の青色を基調としたステンドグラス。


 

< 9.ステンドグラス 3 >




フランスの起源とランスについて





< 10.フランク王国の誕生 >

5世紀、ゲルマン系諸集団がフン族に追われるようにして東方から西ローマ帝国に進入して来た。
451年、オランダ南部からベルギー辺りに住んでいたフランク族はローマ軍に徴用されフン族とカタラウヌムで戦った。
西ローマ帝国はフランク族や他の諸部族を傭兵とし戦わせ、彼らにロ―マ軍の装備や戦略を与えた。
これにより彼らは力を持ち王国を形成するようになった。

476年、西ローマ帝国はロ―マが蛮族に略奪されてことにより滅亡する。
482年、フランク族の王になったクロヴィス1世は領土拡大に向けて侵略を開始し、諸部族を併合していった。
511年、彼が死去した時には、現在のフランスとドイツの一部までを掌中にした。





< 11.クロヴィス1世のフランク王国 >

クロヴィス1世が掌中に収めたフランク王国の全領土は濃い緑色部と「Conquests of Clovis」の範囲です。





< 12.クロヴィス1世 >

左の絵: ランスでのクロヴィス1世の聖別戴冠式。
右の絵: クロヴィス1世。





< 13.ランスとクロヴィス1世 >

一方、ランス(Reims)はローマ時代に遡る古い町で、レミ族(Remis)の中心的城市で、この名が訛ったものです。
ランスは3世紀には司教区となっており、8世紀に大司教区となった。
481年当時のフランク王国の支配地は地図の青色部であった。
しかし、486年、クロヴィス1世は紫色部のローマ滅亡後も残っていたローマ帝国の軍司令官区に侵攻し、奪い取った。

こうして498年、クロヴィス1世は新たに手に入れたランスで、司教による聖別戴冠式を行った。
次いで508年、フランク王国(メロヴィング朝)はパリに遷都した。

ここにフランスのおおまかな形が出来た。
フランク族の語義は「自由な人」「勇敢な人」を意味し、英語で率直な性格を表す「フランク」の語源となった。


次回に続きます。