20170213

何か変ですよ! 51: 忠犬の何が悪いのか?






*1


日本の未来は安倍首相の肩にかかっている。
去年まで、日本の政治は規定路線の延長から右旋回を始めたぐらいに思えた。
しかし、今回の日米首脳会談で、ある恐れが現実のものになった。


何が恐ろしいのか?
アベノミクスは変化があっても、せいぜいバブルの後に、より深い経済と財政の悪化を招くだけでしょう。
それは欧米の長年の悪戦苦闘の結果を見ればわかります。
それを遅れて真似ただけなのですから。

私が最も恐れるのは日本の安全保障です。
ここで二つの視点があります。

一つは、アジア大陸からの侵略です。
仮に中国や北朝鮮、ロシアが攻めて来た場合、まして核弾頭が撃ち込まれれば一たまりもありません。注釈1.
米国が後ろ盾になっていれば安心と思うのも無理はありません。

一方で、大戦後を振り返ればあることに気付きます。
戦争は核弾頭によるものではなくて、大国の周辺で果てしなき代理戦争が行われたことです。

ここで問題になるのは、日本の立位置です。
米国と敵対するのは危険ですが、さりとて、かつて侵略した中国と敵対するのも危険です。
やはり、ここはEUのように米国から一歩引いて民主主義と平和を守る自由主義圏の同胞として付き合うのが無難でしょう。

最大の問題は別にあります。
それは米国への従属です。
これは今までも議論されて来ましたが、今回、その懸念は現実のものとなった。

米国への従属がなぜ悪いのでしょうか?
中東やベトナム、アフガンの紛争を見ていると、米国は現地に親米政権(傀儡政権)を作り、望んでいたとまでは言えないが、代理戦争の一方の旗頭に祭り上げ、その結果、国民はどん底に叩き落された。
始めは米兵が世界の正義のために血を流してくれていたのですが、徐々に様変わりし、現在、現地は最新兵器の償却の場となった観がある。
歴史的に見て、欧米は異民族、異教徒を最後には利用するだけになった場合が多い。




*2

日本は米国の属国になったのか?
これが問題です。
簡単に言えば、米国に操られ、言いなりになり、挙句は捨て駒になってしまうことが悲しいのです。

実は、私はこの手の情報を様々な本から知る機会があっても、今まで確証はなかった。
しかし、今は確信に近いものがあり、放置すると危険であり、早急に手を打つべきと考えます。

安倍政権になってからの米国寄りの姿勢、ましてや今回の首相の訪米を見ていると、露骨な米国追従です。
トランプ氏の発言を聞く限り、大方のEU首脳の反応こそが世界の平和と安全には正しいと思います。

しかし、今の日本はやわな指摘では済まされない状況にある。

特定秘密保護法や共謀罪の強引な成立には裏があったのです。
この一連の法整備には違和感があった。
かつての治安維持法の恐ろしさを知っていれば、強行採決など出来なかったはずです。

実は、これは米国から日本への指示だったのです。
小笠原みどり著「スノーデン、監視社会の恐怖を語る」2016年11月刊(p90)でスノーデンが暴露しています。

彼は米国のアメリカ国家安全保障局 (NSA) および中央情報局 (CIA) の優秀な元局員で、横田基地のNSAでも業務していた。
彼は米国の悪辣な諜報行為、米国民だけでなく同盟諸国すら盗聴し監視する体制の底なしの闇に恐怖と怒りを持った。
最初、彼は長官に事実の公表を求めたが、否定されたので暴露せざるを得なくなった。

私はグリーンウォルド著「暴露:スノーデンが私に託したファイル」も読んでいますが、彼の米国を想い、将来を憂う真摯な態度に感銘を受けた。

一方、日本はこのように扱われても米国に対して全く異論を唱えない。
当然、防諜対策も米国への逆の諜報活動もしない。
実に今の日本政府は従順な忠犬というところでしょうか。





*3

忠犬のどこが悪いのか?
きっとこんな指摘をする人がいるはずです。

実は、忠犬が悪いのでは無く、国民が知らない内に米国に操られていることなのです。

例えば、米情報機関は電話やメールをすべて盗聴しているので、政府にとって都合の悪い官僚や政治家の秘密を握り、マスコミに情報を流して、簡単に追い落とすことが出来ました。
現実に、米国ではベトナム戦争反対派の封じ込めなどの常套手段でした。

当然、日本でも行われており、確証とまでは言えませんが、野党や中国寄りの政治家などの追い落としは孫崎享著「戦後史の正体」で指摘されています。
日本での米情報機関による大々的な盗聴は揺るがない事実ですが、日本政府が何処まで積極的に追従しているかは闇の中です。

これを陰謀説と一笑に付することも出来ますが、ロシアのKGB出身のプーチン大統領、かつての東欧共産圏の監視社会などを思い起こせば、空恐ろしくなるはずです。
これは世界各国の政治史、宮廷ドラマではありふれた謀略に過ぎない。

米国の監視社会は世界にとっても危険の極みにあり、他山の石ではない。




*4


結論
日本は米国への盲従を止め、少なくとも米国の監視下から脱して、EUの首脳並みの態度が取れるように方向を修正すべきです。
放置すれば、やがて大陸の境界に位置する日本列島は代理戦争の大きな災厄に見舞われるでしょう。

どうか、歴史を自力で確認し、何が真実かを見極めて頂きたい。

唯々、祈るばかりです。
「南無阿弥陀仏、アーメン、アッラー・・・」



注釈1.
迎撃ミサイルによる防御には限界があり、非現実的です。
このことは他の記事で幾度も解説しています。
実際問題、米ソの核開発競争を振り返れば、答えが無くて、その結果、核弾頭の廃棄物が山のように溜まっただけでした。







20170212

Bring peace to the Middle East! 68: Why was it exhausted ? 6: The period background of imperialism 1

中東に平和を! 68:  なぜ疲弊したのか 6: 帝国主義の時代背景 1




*1


We have seen who has scattered the disaster to the world until now.
It seemed like ordinary people fascinated by demons.
However, this eventually will push our world into the mire.

これまで誰が世界に災厄を撒き散らしたのかを見て来ました。
それは悪魔に魅入られた普通の人々のように思える。
しかし、このことがやがて世界を泥沼に突き落とすことになる。





<  2.  colonial countries that were once controlled by Western Europe  >
< 2. かつてヨーロッパの植民地だった国 >

Introduction
Later, we see that the imperialism which colonized almost all countries of this earth was deeply involved in the confusion and conflicts of present developing countries.
But before that, there is something we need to confirm.

That is to say, why was the imperialism that was selfish, violent and ruthless done by the people.
Why did the people do the inhumane exploitation?
Why could the people be cruel to indigenous people?
This was at most half a century ago.

Until now, we've looked at some cases, but people easily sacrifice other people.
If the imperialism was done by not so much demon but consensus of ordinary people, even now, their minds do not change, it may be a possibility of repeating easily.



はじめに
後に、地球上のほぼすべての国を植民地化した帝国主義が、現在の発展途上国の混迷と止まない紛争に深く関わっていることを見ます。
しかし、その前に確認したいことがあります。

それは身勝手で、暴力的で、無慈悲であった帝国主義がなぜ行われたのかと言うことです。
なぜ人々は人道に反する搾取を行ったのか?
またなぜ人々は先住民に対してあれほど残虐になれたのか?
これはたかだか半世紀前のことです。

今まで、事例を見て来ましたが、人々はいとも簡単に他者を犠牲にします。
もし、帝国主義が悪魔ではなく普通の人々の総意で行われていたとしたら。
今でも、その心性は変わらず、容易に繰り返す可能性があるかもしれません。




*3

What is the imperialism?
It is a policy to make other country a colony and dependent country by military power.
Although there was an expansionism and conquestism from a long time ago, especially it refers to the policy done by nations that became a monopoly capitalism stage since the end of the 19th century.
It began with the African division of Western Europe and then spread to the world.

The essential point is like that, but strangely the opinion of historians about it has divided.
The imperialism is an undeniable fact, but they can not identify its motive.
It is largely divided into three opinions. Annotation 1.

A:  A capitalist state developed through the industrial revolution was seeking many export destinations for not only goods but also excessive capital to the world.

B:  At that time, economic depression repeatedly had occurred, income disparity was bigger than now, the dissatisfaction was accumulating in the countries.
In addition, the reversal of economic power was occurring among countries having many colonies (Britain) and countries no having it (Germany).
Thus, the Western European countries tried to divert the public's dissatisfaction by making an advance outside the area, and it became a competition.

C:  The imperialism progressed sequentially by the interaction between the ruling side and the colonial side, and the factors differed from region to region.
In addition to the two above-mentioned reasons, the major factors were for recovering the losses due to prohibition of a slave trade, and the resistance and looting in the locale against the Westerners' residents and immigrants.
After all, it was tangled with the past Western intervention, and it headed for further intervention.

In other words, rather than that the imperialism was initiated for a purpose, it can be said that it occurred as a result of various factors overlapping.


帝国主義とは何か

軍事力で他国を植民地や従属国にする政策。
古くから膨張主義や征服主義はあったが、特に19世紀末以降、独占資本主義段階に至った国家が行った政策を指す。
これは西欧のアフリカ分割から始まり、その後、世界に蔓延していった。

要点はこうなるが、不思議なことに歴史学者の意見が分かれている。
帝国主義の事実は動かせないのですが、その動機を確定出来ないのです。
大きく三つに分かれています。注釈1.

A: 産業革命を経て発展した資本主義国家は、商品だけでなく過剰な資本の輸出先を世界に求めていた。

B: 当時、恐慌が繰り返し発生し、今より所得格差は大きく、国内に不満が鬱積していた。
また植民地を多く持つ国(英国など)とそうでない国(ドイツ)で経済力の逆転が起こりつつあった。
こうして西欧諸国は、域外に進出することで国民の不満をそらそうとし、競争することにもなった。

C: 帝国主義は支配側と植民地側との相互作用で順次進行し、地域ごとで要因が異なる。
主要な要因としては、上記二つの理由に加えて、奴隷貿易の禁止による損失挽回の動き、西欧人の居留民や移民に対する現地の抵抗や略奪などがある。
これにしても、以前からの西欧の介入で紛糾し、さらなる介入を招いたことになる。

つまり、帝国主義は目的を持って始められたと言うよりは、対立国との競争、国内の不満回避、植民地との紛争を巡って、いつしか泥沼に突き進んだしまったと言える。




*4

Something seen from a misunderstanding
There are persons who say that the former action is not exploitation against East Asia because the Empire of Japan made huge investments (dam and railroad) for it.

Actually, the imperialist countries of the Western Europe came to have large loss due to deployment of troops and investment in the locale, and the people disliked it in the late stage.
Even so, the governments continued to take the policy for securing the colonial security and prestige of the state.

Similarly in Japan, the people amassed a huge debt (foreign bonds) for the war, lost everything in the defeat, and had to keep returning the foreign bonds even after the war.

In other words, in the time of the imperialism, it expanded because there were people got profit even though the government and the people were suffering.

This continues to the next time.


誤解の先に見えるもの
かつて大日本帝国は東アジアに莫大な投資(ダム、鉄道など)をしたのだから、搾取ではないと言う人がいる。

実は、西欧の帝国主義国家も軍隊派遣や現地への投資で、政府としては損失が大きく、末期には国民に嫌われていた。
それでも植民地の安全確保や国家の威信の為に続行された。

日本も同様で、戦争の為に莫大な借金(外債)を行い、敗戦ですべてを失っただけでなく、戦後も外債を返却し続けなければならなかった。

つまり、帝国主義の時代、政府と国民は苦しんでいても、利を得る存在があるからこそ拡大していったのです。


次回に続きます。


注釈1.
この説明は主に「講座/世界史5 強者の論理/帝国主義の時代」p.44を参考にしています。


20170211

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 32: ワルシャワ2





*1


今日は、快晴の旧市街を紹介します。
前回紹介した早朝歩いた場所と幾分重なりますが、ガイドの説明を聞くと印象はがらっと変わりました。


 

< 2. 地図 >

上の地図: 早朝歩いたルートです。上が東側です。
緑線が行きのルートで、青線が行きと異なる帰りのル-トです。
緑字のSはホテルで、赤字のSはツアーの徒歩観光の起点です。
赤字のDは城壁で囲まれた旧市街の中心に位置するマーケット・プレイスです。
上の川はポーランド最長のヴィスワ川です。

中央の地図: ツアーの徒歩観光のルートです。上が東側です。
S:起点。 A:ワルシャワ・ゲットの記念碑。 B: キュリー博物館。 C:城門バルバカン。 D: 旧市街のマーケット・プレイス。 E: 展望台。 F:聖ヨハネ大聖堂

下の地図: ポーランドとワルシャワを示す。上が北側です。


 

< 3. クランシスキ宮殿とワルシャワ蜂起記念碑 >

上の写真: 左にクランシスキ宮殿、右に最高裁判所。

下の写真: 最高裁判所の前のワルシャワ蜂起記念碑。
ワルシャワ蜂起については後で解説します。
地図のS地点から撮影。


 

 

< 4. ワルシャワ・ゲットの記念碑 >

上の写真: 最高裁判所の横。

下の写真: ワルシャワ・ゲットの境界跡と記念碑。
地図のA地点で撮影。
ワルシャワ・ゲットの解説は次回行います。



 

< 5. 新市街 >

上の写真: 北側を見ている。
地図のB地点で撮影。
すぐ右手の白い建物はキュリー博物館です。
彼女は放射能の研究で最初のノーベル賞をもらった。
彼女はここで生まれ、青春時代を過ごし、学業と研究の為にポーランドを出てパリに移り住んだ。
当時、ポーランドは帝政ロシアに併合されており、教育者だった両親ら知識層は行動を制約されていた。

下の写真: 南側を見ている。
ここを真っすぐ行くと旧市街の城に至る。


 

< 6. 旧市街の城門 >

上の写真: 旧市街の城門バルバカン。
最初は16世紀に造られたが、第二次世界大戦で破壊され、1952年に17世紀の様式で再現された。
地図のC地点で撮影。

下の写真: 旧市街の広場に向かう通路。


 

< 7.マーケット・プレイス  >

上下の写真: マーケット・プレイス。
18世紀末までワルシャワの中心でした。
1944年のワルシャワ蜂起に対するドイツ軍の報復で完全に破壊されたが、1950年代に再建された。
地図のD地点で撮影。


 

< 8. 旧市街のたたずまい >

上の写真: ハトが青空に舞い上がる。
この地は幾度も強国ロシアソ連とドイツに交互に、または同時に蹂躙されて来た。
今度こそは平和が長く続きますように祈ります。

下左の写真: これは何の変哲もない古い民家の門に見えるのですが、再建時、瓦礫となった石材や美術記録など頼りに忠実に再現されたものです。
戦火の傷跡が生々しい。

下左の写真: 屋根に取り付けられたドラゴン。


 

< 9. 展望台 >

上の写真: マーケット・プレイスの裏手にある展望台からヴィスワ川を望む。
地図のE地点で撮影。

中央の写真: 展望台から聖ヨハネ大聖堂の裏手に行く途中。
バルコニーの支えの部分に銃弾の跡が見える。
これはワルシャワ蜂起の激戦の痕跡です。

下の写真: 聖ヨハネ大聖堂の裏手。
地図のF地点付近。



 

< 10. 聖ヨハネ大聖堂周辺 >

上左の写真: 右のレンガ建築が聖ヨハネ大聖堂の側壁です。
塔の下のトンネルを抜けると聖ヨハネ大聖堂の正面の通路に出ます。
地図のF地点付近。

上右の写真: 指さしているのはポーランド抵抗の印です。
上述のトンネルの中ほどにありました。
至る所に見られます。

下の写真: 上述の聖ヨハネ大聖堂の側壁に埋め込まれた軽戦車のキャタピラ。
ワルシャワ蜂起のものです。


 

< 11. 聖ヨハネ大聖堂の正面 >

すぐ右が聖ヨハネ大聖堂の正面です。
この通路を行くとマーケット・プレイスに出ます。
地図のF地点付近。



ワルシャワ蜂起
第二次大戦末期に起こったポーランド地下軍とワルシャワ市民によるドイツ占領軍に対する蜂起。
ソ連軍によるワルシャワ解放が目前と思われた1944年7月下旬に一斉蜂起した。
8月1日、ほとんどの市民が蜂起に参加し市の中心部が解放された。
ソ連は進軍するかに見えたが、ヴィスワ川対岸で停止して、いっさいの援助をしなかった。
ようやく9月10日以降、ポーランド人部隊の渡河作戦を許したが、蜂起を救うには遅すぎた。
孤立した蜂起軍と市民はドイツ軍によって徹底的に全市を破壊され20万の死者を出した。
ついにワルシャワ蜂起は10月2日の降伏で無惨に終わった。
 
この時のソ連(スターリンがトップ)の行動は、反ソ感情の強いポーランドが衰弱してから占領する方が得策と考えたからでした。            


 

< 12. ワルシャワ蜂起 >

A: 赤枠はポーランド地下軍が蜂起した場所。
四角は私達のホテル、黒円枠は旧市街の城壁。

B: ドイツ軍が占領しているビルを銃撃するポーランド兵士。

C: ワルシャワ蜂起62周年の再現シーン。

D: 当時の若いポーランド兵士。

E: 旧市街で戦うポーランド兵士。
写真9や10で見た戦闘の傷跡はこの時のものです。

F: ドイツ軍によって破壊され炎上する旧市街。

G: 完全に破壊されたワルシャワ。


現在のワルシャワの人はこの蜂起をどのように見ているのだろうか?
直接、一人のポーランド女性と日本語で話すことが出来ましたので、質疑を要約します。

質問1:
「皆さんはドイツとロシアについてどう思っているのでしょうか?」

答え:
ポーランド人にとって両国は長年の侵略国であるが、ロシアを嫌っています
ドイツは戦後、謝罪したが、ロシアはその事実を否定しているからです。」

参考:
<カチンの森事件>不誠実な一例として。
1940年、ソ連軍はポーランド侵攻時、ポーランド将兵らの捕虜を2万人以上銃殺した。
ソ連は事件発覚後もドイツの犯行としていたが、ゴルバチョフが再調査し、1990年、事実を認め遺憾の意を示した。


質問2:
「皆さんはワルシャワ蜂起をどう見ているのですか?」

答え: 
「毎年、議論されているが評価が分かれています。

悪いとする意見
将来ある多くのインテリゲンチャが若死にし生き残った青年では将来を担うには力不足であった
また関係ない多くの人が巻き添えになって死んだ

良いとする意見
戦う伝説が作られた。
人々は、これからも他国の理不尽に対し戦う勇気を持つことが出来るだろう。」


私の感想
リトアニアでも同様でしたが、大国の侵略に対し蜂起したことに自画自賛だけで終わらない姿勢が素晴らしい。

ワルシャワ蜂起は、結局、ソ連に支配され続けただけなので私には無駄死に思える。
しかし、今回巡って来た東欧四ヵ国の異民族支配への強い抵抗に私は想像以上の篤い想いを見た。
だからと言って、私達日本人は経験したことのないこの想いをたやすく理解出来るとは思えない

私達が、この想いを少しでも理解しょうとするなら、他国を戦争で侵略した後に取るべき態度とは何かが自ずと解るはずです。
それはこの女性が言った「謝罪したドイツを許している」からも明白です。

残念ながら日本は島国で平和に暮らして来たことが、他者への理解で災いしているように思える。


次回に続きます。




20170208

Bring peace to the Middle East! 67: Why was it exhausted ? 5: History repeats itself



中東に平和を! 67:  なぜ疲弊したのか 5: 歴史は繰り返す 




<  1. a border fence along the US–Mexico border >
< 1. メキシコの壁  >


Last time we looked at that the treacherous social situation is occurring in the United States.
Here we trace back history a bit and examine this has been possible situation any time.

前回、危惧すべき社会状況が米国で起こっていることを見ました。
ここで少し歴史を遡り、このような状況がいつでも起こりうることを見ます。






< 2. Drought >
< 2. 旱魃  >

What is the president trying to sacrifice now?
The US president is trumpeting that other countries steal interests of the United States with unfair trade and that immigrants are depriving the public of their jobs.

Although there may be such an aspect, the many causes are due to the diplomacy and trade agreements in the past, and naturally the major nation (company) must have gained more profit.
For example, as a background of increasing Mexican immigrants, cheap imported corn from the US by the North American Free Trade Agreement (NAFTA) in 1994 robbed Mexico's fifteen million farmers' life. Annotation 1.

Furthermore, he is going to carry out terrible policies aiming only for prosperity of their own country on the sacrifice of other countries.

For example, he is trying to destroy the Framework Convention on Climate Change, but this will have a huge impact on the world.
Currently, the global warming is progressing, the drought in the world has already caused the rise in wheat prices repeatedly and it has caused sea level rise too.
With this discard, the US industry (16% of the world's CO2 emission) will undoubtedly increase the emission.
And the unity of the world will be disturbed, then global warming will accelerate further.
As a result, huge hurricanes frequently must have come to the United States, and the world that passively observed it will pay the penalty.

The selfish policy of major nations will drive the world into a corner all the more because its national strength is large, with everything such as environment, war, or economy.

Actually, the current American society is similar to the era when Europe moved to imperialism from the 1870s, and also the time of Hitler's dictatorship.



今、大統領は何を犠牲にしようとしているのか
米国大統領はしきりに他国が不公平な貿易で米国の利益を奪い、移民が国民の職を奪っていると喧伝している。

その一面はあるかもしれないが、多くは今までの外交や貿易協定によるもので、当然、大国(企業)がより利益を得ているはずです。
例えば、メキシコ移民が増大する背景に、1994年の北米自由貿易協定(NAFTA)による米国からの安価な輸入トウモロコシがメキシコの1500万人農民の仕事を奪った。注釈1.

さらに、他国の犠牲の上に自国の繁栄を目指す恐ろしい政策が行われようとしている。

例えば、気候変動枠組条約を破棄しようとしているが、これは世界に大打撃を与える。
現在、地球温暖化が進み、すでに世界で大旱魃による小麦価格の暴騰が繰り返され、また海面上昇を招いている。
この破棄により米国の産業(世界のCO2排出量の16%)は気兼ねなく排出を増やすだろう。
そして世界の結束は乱れ、さらに地球温暖化が加速することになるだろう。
その結果、米国には大型ハリケーンが頻繁に来襲し、それを傍観した世界にも報いは訪れる。

大国の身勝手な政策は、その国力が大きいだけに、環境・戦争・経済などあらゆることで益々世界を窮地に落とし入れることになる。

実は、今の米国社会はヨーロッパが1870年代から帝国主義に突き進んだ時代、またヒトラー独裁の時代と似ているのです。




*3


The time of Hitler
Here we can compare the current American society with the German society of the Nazis easily.

"Communists and Jews are putting our nation into turmoil! Let's recover our former territory!"
Hitler's statement was gaining tremendous popularity, and he was able to become a dictator.

What is it about Hitler took hold in the mind of people?
Its reason is due to that he attributed all cause of the deterioration to others, then proposed a method without pain for the public by sacrificing others (exclusion, expansion of territory).

Hitler is fascism, and Trump is called populism.
Although there are different things in these, there are similarities too.
The both deny existing elite layers (politicians, intellectuals, mass media) and declare that they can solve easily with exclusionary policies. Annotation 2.
And people who supported the two men are middle class in Germany and White in the United States.
People can easily accept the reckless proposal to sacrifice others if they become safe.

Furthermore, there are more interesting similar features.
At first, Hitler showed being on worker side and exclaiming against owners of capital.
However, from halfway, he sponged on some capitalists and accomplished the dictatorship with the cooperation of the military.

From the beginning, he didn't have logical and constructive assertion, so the policy was only patchwork response.
When the people noticed that they were deceived by his snow job, it's too late.


This continues to the next.



ヒトラーの時代
ここで今の米国社会とナチスのドイツ社会を簡単に比較します。

「共産主義者とユダヤ人が国家を混乱に陥れている! かつての領土を取り戻せ!」
このヒトラーの発言が絶大な人気を呼び、彼は独裁者になることができた。

ヒトラーの何が多くの心を捉えたのでしょうか。
それは悪化の原因を他者に帰し、自身は痛みを伴わない方法、つまり他者を犠牲にする方法(排除、領土拡大)を提案したからです。

ヒトラーはファシズムで、トランプはポピュリズムと呼ばれています。
これは異なるところもありますが、共通点があります。
二人は共に既存のエリート層(政治家、知識人、マスコミ)を否定し、排他的な手法でいとも簡単に解決すると明言する。注釈2.
そして二人を支持した人々はドイツでは中間層、米国では白人です。
人はいとも簡単に、自身が安泰なら他者を犠牲にする無謀な提案を受け入れてしまうのです。

さらに面白い類似の特徴があります。
ヒトラーは最初、労働者の味方で資本家を非難する素振りを見せていた。
しかし途中から裏で、一部の資本家にすがり、軍部の協力を得て独裁を成し遂げた。

元々、彼には論理的で建設的な主張がなかったので、政策はその場しのぎに過ぎなかった。
後に国民はその巧みさに騙されたと悔しがったが、後の祭りでした。



次回に続きます。




注釈1.
2017年1月、大統領はNAFTA再交渉を明言。

注釈2.
排他的な手法とは、ヒトラーの場合はアーリア人以外を強制排除(抹殺)、そして軍事力による自国の領土拡張でした。
トランプの場合は、白人とキリスト教徒以外の排除、保護貿易と2か国間交渉による自国優位です。


20170207

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 31: ワルシャワ1






*1

今日から、最後の訪問地、ポーランドの首都ワルシャワを紹介します。
訪れたのは2016年10月4日で、快晴に恵まれました。
今日、紹介するのは早朝の街歩きです。

はじめに
夜の明けやらぬ朝、一人で旧市街に向けて歩き始めました。
道に迷いながら約1時間半ほど歩き回り、やっとの思いでホテルに戻りました。
既に出発時刻は迫り、朝食抜きで最後のホテルを去りました。
朝は雲が覆っていたのですが、徐々に快晴となり、昼には素晴らしい観光日和となりました。
写真は撮影順に並んでいます。



 

< 2. ホテルを出発 >

ホテル「ソフィテル・ビクトリア」を出発し、前の「ピウスツキ元帥広場」を通り抜け、北側を目指しました。

上の写真: 左手(西側)の森は「サスキ公園」で、その前に光っているのは「無名戦士の墓」です。

中央の写真: 広場の東側。

下の写真: 「無名戦士の墓」。
この建物に近づくと、中央にある灯火を二人の衛兵が不動の姿勢で守っていました。
朝は寒く、風が吹き抜けていました。
ご苦労様です!


 

< 3. 広場を後にして >

上の写真: 「サスキ公園」を少し覗いて、ビルの谷間に向かった。
この公園を抜ける時、数人のテレビクルーが立っており、「旧市街はどちらですか?」と聞くと一人が指差してくれた。

中央の写真: 国立オぺラ劇場の前を通る。

下の写真: 「Miodowa」通りを進む。
ここは高架になっており、右手はかつての宮殿「Branicki Palace Pałac Branickich」で、この下は線路道になっている。


 

< 4.教会 >

私はワルシャワ蜂起記念碑の前に来て、右手(東側)に曲がった。
どうやら旧市街に近づいたような気がする。

上の写真: 「 Dluga」通りに面している教会Field Cathedral of the Polish Army」。

下の写真: Dluga」通りを突き当たった所にある教会「Kościół Dominikanów pw. św. Jacka」。




 

< 5. 旧市街がわからない >

ここらまで来て、旧市街がどこか分からなくなった。
私には旧市街の雰囲気に思えるのだが。
出勤途上の数人に声をかけても通じないのか、それぞれ指の差す方向が腑に落ちない。

上の写真: 「Kościół Sakramentek pw. św. Kazimierza」カトリック教会。
ここは新市街広場でした。

中央の写真: 「Church of the Visitation of the Blessed Virgin Mary」教会。
15世紀初頭に建てられた、ゴシック建築では最も古い建物の一つです。

ここで行き過ぎたと判断し来た道を戻り、真っすぐ南下した。

下の写真: やっと城壁らしいものが見えた。
中央に見える茶色のレンガ積みの門が「Barbakan Warszawski」です。
あれをくぐると、旧市街に入ります。





 

< 6. 旧市街の市場広場 >

上の写真: 先ほどの門を抜けて、城壁内側の右手を見た。

下の写真: 旧市街の市場広場。
ライトアップはなく、薄明かりの中で静かに朝を迎える町の風情がありました。
これまで歩いて来て見かけた人は少なく、ほとんどが足早に歩く人でした。


 

< 7. 聖ヤン大聖堂 >
上の写真: 旧市街の市場広場。

下の写真: 聖ヤン大聖堂「Bazylika Archikatedralna」。
14世紀末に建てられもので、ここで多くの皇帝が戴冠式を行っている。


 

< 8. 旧王宮 >

上の写真: 旧市街の南端にある旧王宮。


中央の写真: 城壁の外側に沿って歩く。

そろそろ帰路に着かなければならないが、何処にいるかわからない。
結局、来た道を戻ることにした。

下の写真: 先ほどくぐった「Barbakan Warszawski」が見えて来た。


 

< 9. 来た道を戻る >

下の写真: 「クランシスキ宮殿」が見える。
ここはワルシャワ蜂起記念碑の向かいになる。


 

< 10. ホテルが見えた >

下の写真: 「ピウスツキ元帥広場」に着いた。
右手の森の上に尖塔が小さく見えるのは、スターリン様式の文化科学宮殿です。
巻頭写真はこの建物ので、この写真は前日の夜、雨の中をスーパーまでツアー仲間と行った時に撮影したものです。

左手奥に、ホテルがやっと見えた。
張った足を引きずりながら、ホテルに急ぎ、出発には間に合った。

写真の説明は帰国後、調べて書いていますが、歩いている時はまったく分からなかった。
旧市街は近くにあり、方向さえ分かっていれば行けると簡単に思っていた。
冷や汗をかいたが、懐かしい思い出になりました。

次回に続きます。