20190529

北欧3ヵ国を訪ねて 69: シェラン島北東部を巡る 1



 
*1


これから数回に分けて、シェラン島の北東部を紹介します。
主な訪問地は野外博物館、フレデリクスボー城、クロンボ―城です。
途中の街々も紹介します。
今回は、ホテルからLyngbyの街までを紹介します。


 
< 2. 訪問地、上が北 >

訪れたのは2018年6月8日(金)です。

右下にコペンハーゲン、左下の矢印が既に紹介したロスキレです。
この日の最初の訪問地はAの野外博物館で、次いでBのフレデリクスボー城、最後にクロンボ―城を見て、コペンハーゲンに戻ります。

主な交通機関はデンマーク国鉄の列車で、鉄道駅からはバス利用になります。
すべてコペンハーゲンカードを利用し追加料金なしです。


 
< 3. コペンハーゲン中央駅、上が北 >

右下の矢印が私が泊まったホテルCABINN Cityです。
ホテルから中央駅まで徒歩6分、中央駅内には売店があるので便利です。ホテルは便利でありながら料金が安く、学生や若い旅行者、出張者などが多く利用している。
部屋は特に問題ありませんでした。


 
< 4. ホテルから中央駅へ >

上: ホテルはロ字型の建物の一部で、写真の右側です。

下: 左側が中央駅で、右に見える木立がチボリ公園です。


 
< 5. 中央駅で >

下: ホームにあった表示


左には路線番号(Linje)、行先(Til)ホーム番号(Spor)、何分後の出発が表示されている。
私の乗るべき列車はHillerød St. 行きで、降車駅はLyngbyです。

右には路線番号(Linje)と停車駅が表示されています。

矢印がそれらを示しています。



 
< 6.Lyngby駅 >

コペンハーゲン中央駅で列車に乗ったのは7:55頃で、乗車時間は20分程でした。
車内は通勤客で満席になっていました。
北欧の場合、郊外を行き来する列車は朝夕であっても、たいがい席は空いていたのですが。
このLyngby駅で降りる人も多かった。


 
< 7. Lyngby駅周辺 >

上: 徒歩ルートの地図、上が北。
中央左右に高架の国鉄と道路が走っている。
私は北側と南側をそれぞれ黄色線に沿って歩いた。
矢印が野外博物館に行くことが出来るバスの停留所です。
オレンジ線がそのバスの走行ルートです。

下: 駅を北側に出た所から駅を見た。


 
< 8. Lyngby駅 >

上: 駅の北側。
写真の高いビルの1階の中央を抜けて北側の街に出た。

下: 駅北側高架下の花屋兼果物屋。


 
< 9. 北側の街並み >

少し古い趣のある通りがあった。
ここは街の中心部なのでしょう。



 
< 10. 北側から南側の街へ >

上: 北側の大通りの交差点。

下: 駅の下を抜けて南側に出たところ。
歩く人々の服装を見ると、こちらは通勤客ではなく住民が多いようです。

右手の階段上のベンチに4人ほど腰かけているが、男性はアルコールらしいものを飲んでいるようです。
もう少し行くと公園があったのですが、そこでも老女が一人でアルコールらしいものを飲んでいた。

デンマークで一番驚いたのは、朝から外で飲酒(?)する姿を見たことです。
実は、ノルウェーとスウェーデンの街歩きではこのような光景を見ることはなかった。
スウェーデンは百年以上も続く飲酒に厳しい歴史があります。

飲酒がいけないとは思わないが、何か不自然な感じがした。


 
< 11. 南側の街並み >

上: 公園の様子。

下: 北側は新興住宅街のようです。


 
< 12. バス停 >

上: 駅前のバス停の一つ。
ここから野外博物館を通るバスに乗ります。

中: この駅北側にはバス停が無数にあります。
私が利用したバス停は駅からの赤線で示しています。
日本で事前にグーグルマップで確認していたのですが、不安でした。
可能なバス路線は幾つかあるのですが、私は184路線に乗りました。
降車駅はFrilandsmuseet (Kongevejen) です。

下: バス停の表示。


次回に続きます。



20190527

平成の哀しみ 47: 日本経済に何が起きているのか 13: 何を間違ったのか 4


 


衰退する中で日本は何をして来たのか


高度経済成長が終わる頃、一握りの経済学者は人口減により日本は長期衰退期に入ると警鐘を鳴らしていた。

私も含めて大方は、次の産業革新がやって来て経済は再び活況を呈すると期待した。
なにしろ日本の労働者は勤勉で忠誠心と能力が高いのだから。

一部楽観的な学者や経営者は日本の製造業の復活を信じ、大規模な工場を国内に建てたが、やがて海外に身売りする羽目になった。

幾つか産業革新は起こったが多くは米国からの流入で、価格優位だけではやがて競争力を失った。

政府は経済界の要望に沿って大規模な手を打った。
円安で輸出向け製造業の延命、法人減税と確定拠出年金などで企業負担を減らした。




 

さらに最低賃金を先進国中最低に押さえ、首切り容易な非正規を増やし続けることで企業のコスト競争力を高めようとした(働き改革)。
そして労働者の質が先進国中トップにも関わらず、賃金は下がり続けた。
しかし企業の内部留保と海外投資が増えただけ。


 

男尊女卑から抜け出せず出生率向上と女性活用が出来なかった。
安く外国労働者を使うだけなので、将来、賃金低下と治安悪化を招くはず。

要は古い頭と体質が根本的な対策を拒んだ。


次に続く


20190526

平成の哀しみ 46: 日本経済に何が起きているのか 11: 何を間違ったのか 3









前回、度重なる失策と無策が惨めな日本経済を招いたことを見ました


ここで問わなければならないことがある。
なぜ政府は失策を繰り返すのか

 


自民党と官僚は、仕方なかったと反論するでしょう。

米国が自国への輸入制限と関税を盾に自主規制、円高、構造改革、金融ビッグバン、内需拡大(日銀の金融緩和)を日本に迫ったと。

米国は育ての親で一番の輸出先であり、軍事同盟で結ばれているのだからと。
しかし現在、中国は米国と対等に貿易交渉を行っている。

いくらか抵抗したとは言え、ほぼ米国の要望を呑んだ結果が円高と巨大バブルの崩壊になった。
また米国盲従は後に見るように、米国の多くの悪い点が日本に蔓延った。



 
 


一方、他の先進国は対策を打って来た。

少子高齢化と人口減少を避けるために、ヨーロッパは30年近く前から幼児保育と手当などの出生率向上策と移民政策を行って来た。
男女平等の政策が女性の活躍を促し労働力不足を補った。
漸次的な最低賃金アップにより所得と消費需要をアップさせて来た。

米国は移民による人口増と新産業創出(GAFAで成長を続け、中国もしかり。

日本だけがいつまでも公共投資と金融緩和、既存産業優遇だけで、巨大な負債を負った。


次回に続く




20190525

平成の哀しみ 45: 日本経済に何が起きているのか 11: 何を間違ったのか 2









なぜ経済は衰退したのか


 


日本(青)は成長しなくなった。


 


日本(赤)は年を追うごとに順位を下げた。


 

日本は73年で高度経済成長を終えたが、74~90年もまだ好調だった。
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と世界から称され、日本企業がニューヨークの不動産を買占め、国内ではゴルフ場が乱立した。


 

しかし91年にバブルが弾けた。


 

巨大バブルは、米国が戦争と大減税で双子の赤字を抱え日本に円高の協調介入を要求した事に始まる(85年プラザ合意)。

成長の牽引力だった輸出企業は円高で業績を落とした。
そこで日銀は貨幣供給量(赤枠)を大幅に増やした為、株や土地への投機が過熱した。

そして崩壊し、多くの金融機関と企業は巨額の負債を抱えた。
国が約100兆円をつぎ込んでも、経済は萎縮し続けた。


 

さらに1995年から生産年齢人口が急減した。
いわゆる少子高齢化です。

これが致命的なのは、例え需要を喚起してもそれに応える労働者がいなくなり、確実に経済は縮小します。

一方高齢者増は介護従事者を必要とし就業者を増やすのですが、国内総生産が縮小し社会保障が破綻することになる。


こうして日本は悲惨な末路が・・


次に続く





20190524

平成の哀しみ 44: 日本経済に何が起きているのか 10: 何を間違ったのか 1


 

何が起きたのか


 

国民は

学校教育で歴史は割愛され、政治や経済を議論し理解する機会は奪われた。
手本にすべき国は米国だけで、如何に他の国が成功していようが情報はない。
多くの若者は海外へ勇躍する気概を失った。
若者だけでなく多くが政治に希望を持てず投票率は下がるばかり。
さらにマスコミは事実報道(政府批判)を抑制している。

これでは国民が問題を見つけ、政治をより良くするなど夢物語です。


 

政治経済は

政治は戦後から続く自民党政権、そして大半の議員は世襲。
官僚組織は特殊法人と共に肥大化したまま。

彼らがもたらしたこと
公共事業のばら撒きと税制の歪によって地方は活力と自主性を失い、累積債務は巨大になったが、お陰で自民党は命脈を保つ。
自民党に根付く古い家族観や社会意識(男尊女卑)が災いし、少子高齢化と人口減への対策が進まなかった。
米国追従で経済に深い傷をつけ、改革も出来なかった。
官僚が牛耳る膨大な特別会計が野放し。

こうして故意とは言わないが無駄と徒労を繰り返し、先進国中最悪の経済へと堕ちて行った。

今の衰退の原因を作った自民党と官僚は、野党の監視の目が効かないことを良いことに問題を糊塗し先送りしているだけ。


次回に続く


20190523

平成の哀しみ 43: 日本経済に何が起きているのか 9: 気になる兆候 9







麻薬で景気が良くなった


 

麻薬はいつか使用を止めるべきで、副作用があり、止めればさらに悪化する。
だが知らずに使用されているとハッピーです。

今の日本経済でこれが多用されています。
知らぬが仏が無数にあります。

赤字国債発行、日銀の国債引き受けによる景気刺激策、円安、最低賃金、非正規雇用などが大きい。

世界の常識は日本の借金がGDPの数百%にもなって危険だから減らせと忠告する。
しかし、このお陰で政府も私達も贅沢が出来ます。
まだ副作用は出ていないが金利が上がると税収のすべてが利払いで消えることにもなる。

日銀の国債引き受けも、同じ御利益と甚大な被害がある。

バブル崩壊後の景気刺激策がより大きなバブルを生み、繰り返され、その傷は深まるばかり。

円安は輸出企業を一時潤しても、上がった物価で輸入業者と国民は苦しみ、
再び円高になれば輸出企業の夢は潰える。
先進国は通貨高になる宿命にあり、日本は産業の高付加価値化と高生産性への転換が必要なのです。

最低賃金が低いことは競争力の低い企業を存続させ、また国民の所得と消費が増えないので、いつまでもデフレが続く。

非正規は企業には優しいが同じ弊害がある。

実に馬鹿げている。


次回に続く




20190522

北欧3ヵ国を訪ねて 68: ストロイエからニューハウンへ 






*1


今回は、運河クルーズ後に訪れたストロイエからニューハウン、そして救世主教会を紹介します。
観光したのは2018年6月7日木曜日、17:30~18:30です。


 
< 2.散策ルート、上が北 >

黄色線が徒歩、赤線が地下鉄で、星印が観光地です。
No.1が目抜き通りストロイエの端にあるボート発着桟橋、No.2がニューハウン、No.1が救世主教会です。


 
< 3. ストロイエ 1 >

上: 通りの端、桟橋の近くに建つ司教アブロサンの像。
軍人としても活躍したが、キリスト教や教育の普及に貢献した。

下: 像の横を通り、北に進むとコウノトリの噴水に突き当たる。


 
< 4. ストロイエ 2 >

下: コウノトリの噴水が見えた。
この十字路の左右と真直ぐの通りが、歩行者天国で賑やかな通りストロイエです。



 
<  5. ストロイエ 3 >

上: 桟橋の方を振り返った。
クリスチャンスボ―城が奥に見える。

下: 右に曲がり、コンゲンス・ニュートー広場(王様の新広場)に向かう。
広場は大工事中で囲いで覆われていた。


 
< 6. ニューハウン 1 >

上: 広場を迂回してニューハウンに到着。

下: ここから運河クルーズのボートが発着する。



  
< 7. ニューハウン 2 >

実にデンマークらしい眺め!
かつては長い航海を終えた船乗りたちが羽を伸ばす居酒屋街で、カラフルな木造家屋が並んでいる。
今は、有名観光地で観光客が一杯だ!




 

< 8. 地下鉄駅へ向かう >

王様の新広場沿いに地下鉄駅がある。

下: 広場の南はずれのこの建物の手前に地下鉄駅がある。
このKongens Nytorv駅から、一駅先のChristianshavn St. 駅に行った。

200mほど歩くと教会に着いた。



 

< 9. 救世主教会 >

この教会は1696年の建設で、螺旋状の尖塔は50年後に付け加えられた。
中に入り螺旋階段を上り尖塔のてっぺんまで行くつもりいたが、疲れて登る気は失せていた。




 
< 10. 付近の光景 >

上: 救世主教会の庭で。
ここには観光客の姿はなく、近所の人が小さな庭にある数台のベンチに腰掛けて寛いでいた。
お母さんに連れられ来た可愛い娘さんが印象的でした。

下: Christianshavn St. 駅の前の通り。
この辺りはもう下町の雰囲気が漂っていました。

こうしてコペンハーゲンの1日目が終わりました。


次回に続きます。



20190520

平成の哀しみ 40: 日本経済に何が起きているのか 6: 気になる兆候 6

 すみませんでした。
連載の1話が抜けていましたので追加します。

 


経済を見る国民の眼力は大丈夫か







巨大金融緩和と財政出動、そしてバブル崩壊が繰り返された。
円安と株高の波が来て、去ってしまえば経済はさらに弱体化していた。
これがここ半世紀の日本の姿です。

まだ景気刺激が手緩い、更なる強硬策を唱える政府と日銀。
これを弁護する御用学者。

やがて衰退し破綻すると警鐘を鳴らす国際機関と学者。
政府は無視を決め込む。

そして大半の国民は成り行きを傍観するだけ。


日本は幾度失敗しても反省しない民族だと、つくづく思う。

福島の原発事故が起こる前、電源喪失や事故の危険性を訴えた人々は嘲笑された。
御用学者は、原発は絶対安全で水素爆発が起きないと言った。
この権威は裁判や反対派をねじ伏せる盾になった。

だが一介の機械技術者からみて原発の安全は不完全でした。
それは部品寿命と故障の確率を考慮していたが、人災や天災はほぼ考慮外でした。
だから耐震基準は震災の度に数倍づつ上げざるを得なかった。


それでも国民は政府を信じ、そして事故後も変わらない。

経済問題も同様で、致命傷を被る政策には慎重になるべきなのですが、国民は気にも止めない。

社会保障の資金が無くなってから、想定外では済まない。

茫然自失!


次回につづく