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20190928




*1


なぜ北欧は成功したのか


彼らの国民性が幸いしている

経済的側面から見ると、旺盛な海外志向が大きい。
これは多言語教育や、規模を問わず海外進出を図る企業や個人の姿勢に見られる。

社会的側面から言うと、高い政治と社会意識が大きい。
これはほぼ全員のボランティア参加や高い投票率に見られる。

この淵源はどこにあるのだろうか?
これはヴァイキング時代に遡るだろう。

ヴァイキングの大遠征(北米への航海など)は先駆を成すもので、危険極まりないものでした。
当初は、作物が採れない冬期の交易の為で、スカンジナヴィア半島内を行き来するものでした。
やがて航海術の向上、西欧の発展による交易のメリット、西欧からの侵略への対抗策として、逆に遠洋航海による交易と侵攻に向かったのだろう。
そして彼らが非キリスト教だったことが暴力行為への抵抗を弱めた。

もう一つの側面は共同体の有り様でした。
ヴァイキングが作った国、アイスランドは直接民主主義でした。
遠征時のヴァイキングのリーダーも仲間によって選ばれた。
このことは出港地の村落共同体でも同じでした。


 
*2


ヴァイキング精神は今も生きているのか?

逆に、国民性は何百年も経てば特徴を無くしてしまうのでしょうか?
実は、国民性を育む文化、特に生業と家族形態が存続していれば、国民性は生き続けます。

ヴァイキング精神はゲルマン文化と氷河後退地の地形と気候が育んだと言える。
言語や法意識(村の掟)は、農耕と牧畜を生業としたゲルマン文化を受け継いだ。
一方、寒冷気候と痩せた土壌、平らな大地を縦横に貫く遠浅の湖や河川、また荒海から深く入った良港のフィヨルドは、北欧の生業と交通手段を規定した。
それは水際の小さな村落で漁労、農業、牧畜を細々と兼業していくことでした。
そして喫水の浅いボートで遠くまで交易することで不足の資材を補った。

このことにより、アジアのような大規模な農耕地と大都市の出現が遅れ、
かつての地中海の海洋都市国家のように、植民都市開拓や交易に重きをおくようになった。
このことが、後に誕生した王や貴族への権力への集中が遅れた理由でしょう。


この背景になっている状況は、それほど変わらなかったと思う。
ノルウェーなどはむしろ海上運輸や海洋資源を生かし続けている。

おそらくは国民性を育む最も重要な家族制度にも変化はなかっただろう。


 
*3

ストックホルムとオスロの巨大な墓苑を見たが、多くはシンプルな墓石で装飾にあまり差が無く、大きさにも差がなかった。
そして区画ごとに整然と並んだ墓石群、森林に囲まれた様子を見て、今なお、かつての国民性は健在だと感じた。
(新しい一部の墓石には大きなものや華美なものもあったが)

人は墓に最も保守的な側面、自然や社会への意識を遺すものです。


次回に続きます。


20190927

北欧3ヵ国を訪ねて 84: 北欧の旅を終えて 5


  


*1


北欧の歴史的意義とは?


 
< 2.2019年の世界幸福度ランニング、北欧青矢印 >
赤矢印の日本は低下し続けている(2015年は46位だった)。


不思議な北欧

北欧三ヵ国の人口は530~990万人と少ない、当然経済大国ではない。
寒冷地の為、農作物は期待出来ない(自給出来るようになったが)。
ノルウェーを除いて豊かな資源国とは言えない。
しかし日本のGDPに占める貿易額(輸出と輸入の計)の比率が30%に比べてスウェーデンは60%もある。
これが経済の強みの一つです。


北欧三ヵ国は福祉国家を目指している。
簡単に言えば、国が人権(健康・安全・生活)を手厚く保障している。
日本の通念では、国民の権利保護の行き過ぎが経済の自由を奪い、経済失速を招くはずです(米国に沿った主張)。
北欧は試行錯誤しながら隣国同士が切磋琢磨しながら国民の権利保護と経済成長を両立させ来た。

この試みは20世紀半ばに始まったに過ぎない。
なぜ彼らは画期的な挑戦を始め、成功させているのだろうか?
社会主義と目指す所は同じようだが、独裁と官僚主導を排し、経済効率も手に入れている。


北欧はバルト三国ほどではないが、侵略の苦渋をなめて来た。
両地域には似た宿命がある。
大国(ドイツやソ連)に侵攻され、また互いに争うこともあった。
助け合うこともあるが強固な同盟を結ぶわけでもない。

弱小国だけに、独立は武力ではなく世界の信任に頼らざるを得なかった。
現在、北欧三ヵ国は西欧(EUやNATO)との絆を強め、1世紀前の中立政策から距離を置いているようだ。

北欧三ヵ国は過去の軋轢を乗り越え、同じゲルマン民族として、よく似た政体(立憲君主制、福祉国家)を保持している。




 
< 3.小さな国土ながら世界に打って出た国々、赤の星印 >

小さいが一味違う北欧

小国が世界をリードしたことはあっただろうか?
ユダヤ王国、古代アテネ、古代ローマ、リトアニア、ポルトガル、オランダ、イギリス、日本などはどうだろうか?
これらの国は初期こそ国土は小さいが、やがて周辺から世界に君臨したことがあった。
但し、武力を背景にしていたが。

かつて日本は西欧の覇者イギリス、フランス、ドイツに政治・産業・軍事を学んだ。

しかし、これからの時代、最大の軍事力や経済力ではなく、国民が最高の幸福と所得を共に得ている北欧から学ぶべきではないだろうか。

米国は同じ資本主義である北欧に比べ国民の幸福と平和において遥かに及ばない。
(米国の平均所得は高いが、90%の国民は低い)

北欧はこれまで世界を席巻した文明国とは一線を画している。
この国々は今が旬かもしれない。
遠く小さいからと侮ることは避けたいものです。


次回に続きます。


20190926

北欧3ヵ国を訪ねて 83: 北欧の旅を終えて 4





*1

日本にとって北欧とは?


 
< 2. 両国にとって天国とは? >


北欧は遠い

北欧は寒くて荒海に閉ざされ、人口は少なく、作物は乏しく、小国ばかり。
まして大阪からストックホルムまで直線距離で8000km、航空機で12時間と遠い。
(エアチャイナの北京経由であれば時間はかかるが往復7万円台で可能)

北欧では収入の半分以上が税や保険料として徴収される、いくら教育・医療・福祉が無料だとしても、日本の現状から想像するに生活なんぞ出来ないぞ!
ましてそんな巨大政府の下では官僚や役人が横暴で、また平等が押し付けれ生活の隅々まで制約され息苦しいはずだ!

確かに日本の中央集権化しマンネリ化した政治状況で暮らす国民にとっては、議員や官吏の腐敗、汚職、非効率は当然に思えるかもしれない。

しかし、まったく違うのです。
日本の政治家は年3000万円貰っても賄賂を要求し汚職をするが、北欧の議員は手弁当であり、汚職がニュースになることは無いそうです。
共産圏のように一党独裁ではなく多党制です。
当然、日本のように世襲議員が50%越える党などないし、女性議員は5割近いのです。

日本にどっぷり浸かっていると、どうしても日本の悪弊から抜け出せない。
思考が停滞してしまう。



< 3. 日本と北欧の政治家の違い >


少し海外を知るだけで
北欧の政治や経済システムがわからなくても、自らの足で北欧を1週間ほど巡ると、日本との差異に気付くはずです。
それも大きな違いに!

郊外の都市であれ首都であれ、午後4時半を過ぎる頃には、市民は仕事から解放されて至る所で寛いでいる(6月初旬)。
夫婦や子供らと、そして恋人や友人と、街の中の公園や海岸・湖畔・河畔やレストランで過ごしている。

逆に、日本の飲み屋街や赤ちょうちん、くだを巻く男性の集団を見ることはなかった(35年前はそうだった、今回、夜遅く出歩いていない)。

また男性が乳母車を押している姿を如何に多く見たことか。
北欧では男女同権が浸透し、家事や育児の分担が進み、制度的にも支援が行き届いている(女性の8割以上は勤めている)。


さらに
このような少ない労働時間でも北欧の一人当たりの国民所得は日本の2倍弱あるのです。
(女性の高い就労率と賃金差の無いことも大きいのだろう)
しかも主要な出費は無料です。
(私には円安も加わり物価は高かった)
浮き沈みはあるが、概ね日本よりも高い経済成長率が続いている。

不思議に思いませんか?


次回に続きます。



20190925

北欧3ヵ国を訪ねて 82: 北欧の旅を終えて 3







*1


かつて日本は異国から数多くを学んで来た。
今もその時です。


これまでの日本

日本列島は古来より大陸の影響を受け、多くの技術、文化、制度、思想を受容して来た。
江戸時代までは中華文明、明治維新以降は西欧文明、敗戦後は米国と、柔軟に対応して来た。

しかし気になることがある。
それは受容が中央政府からのトップダウンになりがちだと言うことです。
残念ながら日本列島は海と異言語によって周辺国から閉ざされている。
どうしても政府の都合で、受容すべきものが選択され、入手出来る情報も偏ってしまう。

このことは現在のようなIT社会でもあまり変わらない。
やはり日本語使用が世界で1ヵ国だけであり、さらに海外に無関心な日本の国民性が大きい。
その上、マスコミやインターネットで政府追従によるネガティブ・キャンペーンやフェイクの発信が続くと防ぐ手立てがない。


 
*2

それでも
例えば、日本の現状が成熟か凋落かを知るにはどうすれば良いのでしょうか?

国内に立ち止まり、昔を振返っても分からない。
残念なことに、国が隆盛期を過ぎて衰退している時、往々にして内に籠り易くなる(かつての英国の保守化と帝国主義化)。


やはり思い切って、日本を外から俯瞰するしかない。

二つの方法がある。
一つは、国際機関が発表する経済や社会指標の推移を見ることです。
一目瞭然ですが、発表機関の偏りを見抜く必要があります。

例えば米国の体制寄りの機関であれば米国や日本に高評価を与えます。
国際的または西欧の機関の多くは、北欧などを高評価し日本を低評価しているが、西欧や自国への評価も低いことがあるのです。
つまり公平に扱っているようです。

今一つは、特色ある国を知ることです。
例えば、高福祉国家の北欧、発展を続ける共産主義中国、資本主義先進国だが分裂著しい米国などです。
知る方法としては、やはり訪問するのが手っ取り早い。

あたりまえだが、やはり海外を訪れる以外に道はない。
「人の振り見て我が振り直せ」でしょうか。


 
*3


とは言っても
やはり上記の手段を取れる人は少ない。

そうであっても、国民が海外事情に疎いことで大きな失敗を招いた歴史があったことを忘れないで欲しい(太平洋戦争への道)。
日頃から、心地よい情報を疑い、時には自ら真贋を確認するようにして下さい。

私は北欧の旅行記を通じて真の姿を伝え、微力だがネガティブ・キャンペーンに抵抗したい。


次回に続きます。


20190924

北欧3ヵ国を訪ねて 81: 北欧の旅を終えて 2







*1


なぜ北欧に暗いイメージを持つ人が多いのか?
以前から気になっていた。


 
*2


偏見の正体

これは日本に蔓延るプロバガンダと乏しい国際感覚に起因している。

北欧に関して人々は、せいぜいフィヨルド観光か、稀にアイスランドの直接民主主義ぐらいを知っているぐらい。

北欧のイメージはかなりステレオタイプです。
それは福祉国家による重税で、息苦しく活力が無いイメージです。
実体とかけ離れたイメージがなぜ蔓延しているか?

ある時、この謎が解けた。
暗いイメージを持つ人の中に、意外にもスウェーデンの高い税率や自殺率などを知っている人がいたのです。
(自殺率の高さは社会の息苦しさもあるが、文化や尊厳死との兼ね合いもあり一律には論じられない)

日本の改革派(野党)は時折、北欧を理想国家に挙げることがある。
一方、保守派(自民党・経済界)は米国主導の自由放任経済に突き進んでいる。
これを受けて日本の御用マスコミは、自由放任経済の対極にある巨大政府に繋がる福祉国家へのネガティブ・キャンペーンを続けている。
(だから無関心なはずの北欧について負の側面だけ詳しい)


 
< 3. 米国でニュデイール政策が貶められるのも同じ理由から >


こうして国民は北欧を敬遠し、素晴らしさに触れることはない。
これでは日本が衰退を極め、取り残されていることに気が付けない。
まさに体制の思う壺です。


それにしても、なぜ日本人は大失敗を招くプロバガンダに安易に陥ってしまうのだろうか?

日本国民は80年ほど前、政府・軍部に洗脳され、極悪ヒトラーを信頼し、強大な米国を過小評価し敵視し、さらには隣国を蔑視した。
そして敗戦によって間違いは明らかになった。

しかし反省することはなかった。
最近、特にこの数年、米国追従は極まり、隣国への過小評価や敵意を煽られても疑うことがない。

やはり国民は海外に閉鎖的な為、簡単に流されてしまうのか。
そうとするなら大陸の反対にある国の真の姿など知ることは不可能だ。

日本の閉鎖性やガラパゴス化は政府、それとも国民性によるものなのか?


これに関して、私が北欧を巡って得た答えは絶望的なものでした。

確かに日本の政府や経済界、教育に問題は多いが、国民性の違いが大きい。

北欧の人々は昔から海外志向で、今も幼い頃から多言語を学び、家族から海外勇躍は当然とみなされている。

このことが高付加価値、そして経済成長を生み、高福祉の高負担を可能にしている一因です。


次回に続きます。





20190912

北欧3ヵ国を訪ねて 78: コペンハーゲン 4 : ローゼンボー離宮





*1


今回は、こじんまりした建物だが豪華な宮殿を紹介します。
私がコペンハーゲンで訪れた宮殿はここを含めて二ヵ所だけです。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上: ピンク線が今回の徒歩ルートです。
左端の労働者博物館からローゼンボー離宮(ピンク枠)まで歩きました。
緑枠は、次回紹介する所です。

下: ローゼンボー離宮の拡大図。
左上の道路側から敷地内に入り、黄色矢印の建物で手続きをして、建物の北側(緑の矢印)の入り口に並んで、入場を待ちました。
赤線は建物を出てから、外観写真を撮るために歩いたところです。





 
< 3. 自転車の街 >

ここは公共交通機関が交差しコペンハーゲンで最も賑やかな通りで、行き交う市民の姿を多く見た。
首都なのに車の数より自転車の方が多い。
さすが「持続可能な社会」を目指す国だけはある。
健康的で環境に優しい。
私の記憶では、30年ほど前にコペンハーゲンを訪れた時、このように自転車が多い印象はなかった。
この間に意識改革が起こった。
羨ましい限りです。




 
< 4. ローゼンボー離宮に入る >

下: 敷地内に入ると、正面に2階の建物が見える。
その向こうに宮殿が見える。
真中から入って左側に宮殿の入場料を支払うカウンターがあります。
係りの人は英語で丁寧に話してくれたが、今一つ意味が分からないまま無事終了した。

入城の為に宮殿入口で並んでいる時に気が付いたのですが、入場時間が決まっており、係りの人は私にこの了解を得ようとしていたのでした。
もう一つ、注意することは荷物入れのロッカーが小さかったように思います。
大きなバッグは預けられないでしょう。


 
< 5. ローゼンボー離宮 1 >


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小さいが内部は非常に豪華でした。
暗いのが私にとっては困りものでした、写真の関係で。
この建物は17世紀初めの建設で、クリスチャン4世の熱烈な愛を成就した新居だった。
さもありなんと納得した。

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< 8. 庭園 1 >

下: 宮殿周辺の巨大な庭園。


 
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*10

上: 地図の赤線の端(西側)から撮影。
下: 北側からの撮影。

次回に続きます。

20190905

北欧3ヵ国を訪ねて 77: コペンハーゲン 3 : フードマーケットと労働者博物館



 
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これからローゼンボ―離宮周辺を紹介します。
今回はフードマーケットTorvehallerneと労働者博物館の紹介です。
コペンハーゲン市民の今の暮らしと100年前の暮らしが見えて来ます。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上: 今回紹介する全体図。
下側のスロッツホルメン島を後にして、徒歩で地下鉄駅Kongens Nytorvに行き、Nørreport駅で地下鉄を降ります。

下: 地下鉄駅の降り口Sから歩いてすぐにフードマーケットがあります。
赤線に沿って、最終、労働者博物館Eに行きました。



 
< 3.クリスチャンスボー城とお別れ >

上: 国立博物館を出て、クリスチャンスボー城を後にしながら。

下: ストロイエ通りに向かう。


 
< 4. 地下鉄駅Kongens Nytorv >

下: 地下鉄駅Kongens Nytorvの地上部分。


 
< 5. 地下鉄の様子 >

上: 地下鉄駅Kongens Nytorvの地下部分。


 
< 6. Torvehallerne >

訪れたのは2018年6月9日(土)で、13時を過ぎていました。
建物は新しい。


 
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< 8. おいしいそう >

今回の旅行では、スウェーデンの海辺のレストランで落ち着いてシーフードを食べるチャンスを逃した。
別の場所で写真に似たものは食べましたが、残念!


 
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< 10. 労働者博物館を目指して >

上: Torvehallerneを振り返って

下: 赤い旗のある下側に、入口があります。
私は気付かずに通り過ぎてしまい、地元の人に聞いてやっとわかりました。
博物館と言うより、古いアパートを改造した建物です。



 
< 11. 労働者博物館、Arbejdermuseetの入り口 >

上: 入り口に掲げてあった標識。
The Workers Museumと大きく表示していないので注意してください。

下: 一つゲートをくぐると、中庭の奥にアパートの入り口のようなものが見えます。
これが労働者博物館の入り口です。
半世紀から1世紀前の暮らしを感じさせてくれることになる。




 
< 12. 展示 1 >

建物は大きくないが、1から3階まであります。
私の館内見学は30~40分ぐらいでした。
展示内容は19世紀から20世紀中頃までの工場や作業場、そして19世紀末から20世紀中頃の都市家庭の室内などの再現模型が主です。

 
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< 14. 19世紀末以降の労働者家庭のアパートらしい >


 
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私は、北欧三カ国の文化歴史博物館や野外博物館を通じて、おおよそ2世紀前からの北欧の地方と都市部の暮らしを知ることが出来ました。

全体を通じて感じたことは、現在の北欧の豊かさや繁栄の萌芽がそれら建物には見られず、現在の豊かさと先進性はその後急激に起きたらしいと言うことです。

都市部の建物では一部で生活に余裕を感じたが、都市化が遅れていた北欧では例外だろう。
地方の農村、漁村、山村では木材資源こそ豊かで、住居は大きいが生活は質素だった。
おそらく産業と経済がまだ未成熟だったのだろう。

私が得た結論は、北欧の発展はここ百年以内、それも第二次世界大戦以降の政治経済の変革こそが重要だったと言うことです。
但し、それを可能にした文化、特に精神文化が既に根付いていたことが重要であったことは間違いない。
さらにドイツに侵攻されたが、中立政策を貫き、戦争の被害を最小にしたことも大きい。
加えて戦後、大国ロシア、西欧、米国の外縁にあったことも幸いしている。

普通、人口が少ないと自国の市場が小さいので経済的に不利になるが、これを逆手に取って、ヴァイキング以来の海外志向を生かして人々や企業は最初から海外展開を目指したことが、企業や経済に好循環をもたらした。
日本のように高度経済成長期に人件費を抑えて大量に出現し下請けに甘んじた中小企業が、今となっては足枷になっている。

半世紀ほどの間に、北欧と日本の選んだ道が、かくも大きな違いを招いてしまったようです。


次回に続きます。






20190821

北欧3ヵ国を訪ねて 75: コペンハーゲン 1 : 国立博物館



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今回は、デンマークの国立博物館を紹介します。
デンマークの歴史と文化が広範囲に深く紹介されています。
日本も含む世界の展示もあります。



< 2. 国立博物館について >
正式名称: Nationalmuseet, National Museum of Denmark

上: 上が北。黒い屋根の建物が東西に延びているのが国立博物館。
矢印が入り口で、運河を隔てた右にクリスチャンスボー城が見えます。
長さ170m、幅80mほどあり、大きくて2時間で全てを見ることは出来ませんでした。

下: 入り口は簡素です。



< 3. ルーン石碑とオーロックス >

上: ルーン石碑はヴァイキング時代9~11世紀に造られ立てられた。
多くはルーン文字で死者を称える文が書かれ、独特の装飾もされている。

下: 紀元前8600年、氷河期のデンマーク、シェラン島北部で鏃が刺さったオーロックスの骨が見つかっている。
おそらくスカンジナビア半島で最も古い大型獣の狩猟の痕跡でしょう。
絵はヨーロッパ大陸の洞窟壁画でしょう。



< 4. 琥珀と葬祭 >

上: 琥珀は石器時代を通じてユトランド半島北部の海岸で取集され、宝石として使われた。
思っていたより古くから使われていた。

下: 紀元前4000年以前、石器時代の祭式小屋と石組みの墓。
左上部が祭式小屋遺跡の平面図と再現図。
中央から下が墓の遺跡。

これらはユトランド半島のものらしい。



< 5.横穴式石室と大規模な祭式場 >

上: 紀元前3200年頃の横穴式墓室、デンマークのロラン島。

下: 紀元前3400年の大規模な葬祭場、墓や祭壇が連なっている、デンマークのフュン島。





< 6. 青銅剣とフリント製短剣 >

上: 青銅製の曲がった剣。
青銅器時代は紀元前1700~500年。

下: フリント製の短剣。
この短剣の普及のピークは金属時代の始まりまで達した。
地図によるとこれはユトランド半島から大陸とスカンジナビア半島に広がった。






< 7. 青銅器時代の絵と神聖なもの >


上: 石刻の絵。
剣を腰に差して踊っている。
この絵はスウェーデン南西部、氷河期末期には海岸であった巨石に彫られた絵でしょう。
今は陸地です。

下: サン・ホルダーと呼ばれる神聖な道具。
左は神聖な道具と祭式を行う様子が描かれている。
右の青銅製のホルダーに赤い琥珀が嵌められている。
サン・ホルダーを見た時は、遥か昔のミステリアスな場所に来たように感じた。
発掘場所は不明。



< 8. 青銅器時代の遺物  >

上: 太陽の馬車(サン・チャリオト)。
全長60cmの青銅像に金箔が張られていた。
シェラン島西部で紀元前1350年頃のもの。
この地では馬が飼育されていたのでしょう。

下: 青銅製のヘルメット。
ヘルメットに角に似たものが見えるが、ヴァイキング時代より遥か昔のもです。
これもシェラン島のもの。




< 9. 青銅器時代と鉄器時代の遺物  >

上: 青銅器時代、手前の物は盾に思えたのですが、そうではないようです。
後の展示ケースに治まっている曲がった物は青銅器のホルンです。

下: 代表的な展示品の一つ、グンデストルップの大釜。
ユトランド島北部で発見された直径70cmの銀器で紀元前1世紀のものです。
ヨーロッパの鉄器時代の銀器としては最大で、彫像が素晴らしい。




< 10. 鉄器時代からヴァイキング時代 >

上: 2世紀末から3世紀のかけて新しい部族がスカンジナビアとドイツ北部に勢力を持った。
彼らはローマ人と同盟を図り、ローマの道具を使用した。

この後、ゲルマン民族の大移動に伴って、デンマークの祖先となるデーン人がスウェーデン南部からデンマークに南下して来た。

下: 9世紀から11世紀のヴァイキング時代の航海ルートと定住地。




< 11. 世界各地の紹介 >

エジプト文明に始まり、東南アジア、中国、日本まで紹介されている。
ここでも他の北欧の博物館と同様に北方民族のサミー、イヌイット、アイヌなどが紹介されていた。



< 12. 興味を惹いた展示 >

上: 型で造形された煉瓦や瓦など。
私が北欧を歩いて驚いたのは、屋根瓦が日本とよく似ていることでした。
フランスとはかなり違いました。
この博物館でまじかに見ると、益々その意を強くした。

左下: デンマークが一時、世界中に植民地を持っていた事を知りませんでした。




< 13. その他 >

上: 博物館内から東側を望む。
クリスチャンスボー城が見える。

中央: おそらく百年程前の暮らしを紹介しているのでしょう。

下: わざわざ一室を設けて、日本のコスプレとプリクラが展示されていました。
何か誇らしくもあり嬉しいものです。



次回に続きます。