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20190914

北欧3ヵ国を訪ねて 79: コペンハーゲン 5 : 国立美術館を最後に別れを告げて






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今回で、北欧観光の紹介を終えます。
始めにコペンハーゲン大学植物園と国立美術館、次いでホテルの部屋とコペンハーゲン空港を紹介します。

 
< 2. 散策ルート、上が来た>

ローゼンボー城Sを出て、赤線に沿って植物園を歩き、一周を終えたらピンク線に沿って国立博物館に行きました。
植物園と美術館を訪問したのは、2018年6月9日(土)15:00から16:30まででした。

その後、Nørreport駅から電車に乗り、中央駅まで行き、ホテルに戻りました。

翌日は、午前中、ホテル周辺を観光してから午後の飛行機で帰国するはずでした。
しかし、疲れと帰国便の搭乗手続きに不安があり、観光を省き空港には9時頃には到着していました。


 
< 3.植物園内1 >

敷地は非常に大きく、植物園と言うよりは自然な公園が市民の憩いの場になっている。

 
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温室でしょうか。
中には入っていません。


 
< 6.国立美術館の建物 >

上: 正面。
中央が入り口。

下: 前庭の噴水。


 
< 7. 風景画 >

上: Johan Christian Clausen Dahlの絵
彼は19世紀のノルウェーの画家で、コペンハーゲンで絵画を学び、デンマーク王の支援を受けた。
後に『ノルウェー風景画の父』と称されるようになった。

下: L.A. Ringの絵
象徴主義と社会的現実主義の両方を開拓した20世紀のデンマーク画家。


 
< 8. 人物画と現代美術 >

左上: Ejnar Nielsenの絵
20世紀のデンマーク画家で、象徴主義絵画の中心的人物でした。

右上: L.A. Ringの絵
先ほどの風景画も書いているが、人物画が多い。


この美術館は非常に大きく、西欧の美術品も所蔵していますが、私は北欧の美術と現代美術だけを見ました。
現代美術の展示も沢山ありました。

今回の北欧旅行で、各国の王宮内の絵画を見ることは出来ましたが国立美術館に訪れたのはノルウェーとデンマークだけでした、。

スウェーデンの美術館を見ていないので、はっきりは言えないのですが、北欧三ヵ国の絵画には大きな発展や特色が無いように思えた。
文化はドイツやオランダの影響を大きく受けているが、模倣を越えて、異彩を放ち有名になったようなものはないようです、ノルウェーのムンクを除いて。

このことはスペインを旅行した時にも感じたのですが、地理的に辺境、大陸の端になる国々は、中央の西欧から隔絶されている感がある。
ヨーロッパ美術史にしても、中央の西欧が中心で、他の地域は割愛される傾向が強い。
スカンディナヴィア半島やイベリア半島は距離的にそんなに離れていないにも関わらず。
中世美術のゴヤやエル・グレコの絵画に特色はあるが、何か主流から外れている感がある。

現在の北欧は、経済と暮らしの豊かさで世界のトップにあるが、美術ではそうでは無かった。
北欧の文化が成熟していないとは思えない。
かつての美術の発展は、国の経済力、特にパトロンとなる王侯貴族らの経済力が影響したのかもしれない。
さらに西欧の中心的な王家との血縁や宗派の繋がりが重要だったのかも知れない。



 
< 9. 現代美術 >

上: 展示室を見て回っていると、突如として白い病室に行き当たりました。
良く見ると、病人は蝋人形でした。

下: 左右二つの映像に分かれて、同時進行し、語りかけてくる声が聞こえて来るのですが、意味は不明でした。


 
< 10.Nørreport駅 >


 
< 11. ホテル、CABINN City >

上: 中庭

下: 私の部屋。
この部屋は二人まで宿泊できるタイプで、当然、一人で使用しました。
使用にまったく問題はなかった。
学生の集団や労働者、若い旅行客が多かった。

ここは中央駅に近く、中央駅内にスーパーやコンビニがあり便利です。
朝食は安さ相応でした。



 
< 12. コペンハーゲン空港 >

上: コペンハーゲン空港駅。
ホームのすぐ隣が空港ロビーです。
この駅には中央駅から直通で来れます。

下: ロビーは大きくない。


 
< 13. チケットカウンター >

上: 右手中央から右手に数多くの発券機が並んでいる。
下: 右手奥がチケットカウンターです。


私は帰国の飛行機でトラブルに遭うことになりました。
これから北欧旅行される方は参考にして下さい。

トラブルの概要
この日、私はエアチャイナ運行のコペンハーゲン空港発、ストックホルム空港乗り継ぎ、さらに北京国際空港乗り継ぎ、関西空港着の飛行機に乗ります。
トラブルはストックホルム空港で北京行きの飛行機に乗せて貰えない状況になったことでした。

トラブルの発端
コペンハーゲン空港では航空チケットは全員が発券機で行うようになっていた。
それをチケットカウンターに持って行き、受託荷物を託す必要があった。
(自分で受託荷物を処理することも出来るようですが)
私は発券機の操作が上手く出来なかったので、一か所だけあるサービスカウンター(チケットカウンターの反対側)に並び、お願いしてEチケットを見せて発券してもらった。
しかし、発券されたチケットを見ると二つのフライトが一枚に印刷されていただけでした。
(私の予想では、帰りのフライト三便が三枚に印刷されるはずでした)

そこで係員に疑問を投げ掛けたのですが、問題無いと言う。
さらにチケットカウンターの係員も、そのチケットで処理してくれたので安心した。

そしてストックホルム空港で北京行きの飛行機に乗り込もうとしたら、搭乗ゲートでストップになった。

搭乗出来ない状況から
私を止めたのはスカンジナヴィア航空の白人男性係官でした。
私が航空チケットを見せると彼は「乗るな」と言い、私を脇に寄せて、「英語を話せるか」と聞き、私は「ノー」と声た。
すると彼は軽蔑するような素振りをし、私をそこに立たせ、終始無視した。

他の乗客がほとんど乗り終えた頃、エアチャイナの中国人男性の搭乗ゲート責任者が私に「どうしたのか」と聞いて来た。
私は「あの白人からストップと言われている」と答えた。
彼はどうやら私を搭乗させたいようでした。

私は女性の係員に私の機内の席はまだ空いているのかと聞いた。
空いているとの返事だったので、意を決して、急いで搭乗口に向かった。
もう誰にも止められなかった。

こうして無事、北京空港に着いた。
空港内の乗り継ぎ通路の途中で、税関の係官に関空行きの発券が出来る場所を聞いたら、近くにあると教えてくれた。
指示された方向に行くと臨時の発券カウンターがあり、中国人係員が日本語と英語で対応してくれた。

かくして無事に関空に辿り着くことが出来た。


感じた事
三ヵ国の中でスウェーデンが外人、ひょっとしたら東アジア人か中国人に対して悪感情を持っているなと感じた。

三ヵ国とも、何処に行っても市民は親切なのですが、スウェーデンでの公共機関や商業施設などでは冷たい応対に遭うことがあった。

三ヵ国の中で、スウェーデンは経済的に低迷しており、移民が多く、格差も拡大している。
また中国人観光客も多く、トラブルが頻発しているように思う。
これらのことが私への対応になったのかもしれない。

それにしても旅先での中国人、空港での係員の温かい対応には助かった。
いつのまにかエアチャイナに親しみを感じていた。


次回から、北欧旅行全体について語って行きます。








20190912

北欧3ヵ国を訪ねて 78: コペンハーゲン 4 : ローゼンボー離宮





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今回は、こじんまりした建物だが豪華な宮殿を紹介します。
私がコペンハーゲンで訪れた宮殿はここを含めて二ヵ所だけです。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上: ピンク線が今回の徒歩ルートです。
左端の労働者博物館からローゼンボー離宮(ピンク枠)まで歩きました。
緑枠は、次回紹介する所です。

下: ローゼンボー離宮の拡大図。
左上の道路側から敷地内に入り、黄色矢印の建物で手続きをして、建物の北側(緑の矢印)の入り口に並んで、入場を待ちました。
赤線は建物を出てから、外観写真を撮るために歩いたところです。





 
< 3. 自転車の街 >

ここは公共交通機関が交差しコペンハーゲンで最も賑やかな通りで、行き交う市民の姿を多く見た。
首都なのに車の数より自転車の方が多い。
さすが「持続可能な社会」を目指す国だけはある。
健康的で環境に優しい。
私の記憶では、30年ほど前にコペンハーゲンを訪れた時、このように自転車が多い印象はなかった。
この間に意識改革が起こった。
羨ましい限りです。




 
< 4. ローゼンボー離宮に入る >

下: 敷地内に入ると、正面に2階の建物が見える。
その向こうに宮殿が見える。
真中から入って左側に宮殿の入場料を支払うカウンターがあります。
係りの人は英語で丁寧に話してくれたが、今一つ意味が分からないまま無事終了した。

入城の為に宮殿入口で並んでいる時に気が付いたのですが、入場時間が決まっており、係りの人は私にこの了解を得ようとしていたのでした。
もう一つ、注意することは荷物入れのロッカーが小さかったように思います。
大きなバッグは預けられないでしょう。


 
< 5. ローゼンボー離宮 1 >


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小さいが内部は非常に豪華でした。
暗いのが私にとっては困りものでした、写真の関係で。
この建物は17世紀初めの建設で、クリスチャン4世の熱烈な愛を成就した新居だった。
さもありなんと納得した。

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< 8. 庭園 1 >

下: 宮殿周辺の巨大な庭園。


 
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上: 地図の赤線の端(西側)から撮影。
下: 北側からの撮影。

次回に続きます。

20190905

北欧3ヵ国を訪ねて 77: コペンハーゲン 3 : フードマーケットと労働者博物館



 
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これからローゼンボ―離宮周辺を紹介します。
今回はフードマーケットTorvehallerneと労働者博物館の紹介です。
コペンハーゲン市民の今の暮らしと100年前の暮らしが見えて来ます。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上: 今回紹介する全体図。
下側のスロッツホルメン島を後にして、徒歩で地下鉄駅Kongens Nytorvに行き、Nørreport駅で地下鉄を降ります。

下: 地下鉄駅の降り口Sから歩いてすぐにフードマーケットがあります。
赤線に沿って、最終、労働者博物館Eに行きました。



 
< 3.クリスチャンスボー城とお別れ >

上: 国立博物館を出て、クリスチャンスボー城を後にしながら。

下: ストロイエ通りに向かう。


 
< 4. 地下鉄駅Kongens Nytorv >

下: 地下鉄駅Kongens Nytorvの地上部分。


 
< 5. 地下鉄の様子 >

上: 地下鉄駅Kongens Nytorvの地下部分。


 
< 6. Torvehallerne >

訪れたのは2018年6月9日(土)で、13時を過ぎていました。
建物は新しい。


 
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< 8. おいしいそう >

今回の旅行では、スウェーデンの海辺のレストランで落ち着いてシーフードを食べるチャンスを逃した。
別の場所で写真に似たものは食べましたが、残念!


 
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< 10. 労働者博物館を目指して >

上: Torvehallerneを振り返って

下: 赤い旗のある下側に、入口があります。
私は気付かずに通り過ぎてしまい、地元の人に聞いてやっとわかりました。
博物館と言うより、古いアパートを改造した建物です。



 
< 11. 労働者博物館、Arbejdermuseetの入り口 >

上: 入り口に掲げてあった標識。
The Workers Museumと大きく表示していないので注意してください。

下: 一つゲートをくぐると、中庭の奥にアパートの入り口のようなものが見えます。
これが労働者博物館の入り口です。
半世紀から1世紀前の暮らしを感じさせてくれることになる。




 
< 12. 展示 1 >

建物は大きくないが、1から3階まであります。
私の館内見学は30~40分ぐらいでした。
展示内容は19世紀から20世紀中頃までの工場や作業場、そして19世紀末から20世紀中頃の都市家庭の室内などの再現模型が主です。

 
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< 14. 19世紀末以降の労働者家庭のアパートらしい >


 
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私は、北欧三カ国の文化歴史博物館や野外博物館を通じて、おおよそ2世紀前からの北欧の地方と都市部の暮らしを知ることが出来ました。

全体を通じて感じたことは、現在の北欧の豊かさや繁栄の萌芽がそれら建物には見られず、現在の豊かさと先進性はその後急激に起きたらしいと言うことです。

都市部の建物では一部で生活に余裕を感じたが、都市化が遅れていた北欧では例外だろう。
地方の農村、漁村、山村では木材資源こそ豊かで、住居は大きいが生活は質素だった。
おそらく産業と経済がまだ未成熟だったのだろう。

私が得た結論は、北欧の発展はここ百年以内、それも第二次世界大戦以降の政治経済の変革こそが重要だったと言うことです。
但し、それを可能にした文化、特に精神文化が既に根付いていたことが重要であったことは間違いない。
さらにドイツに侵攻されたが、中立政策を貫き、戦争の被害を最小にしたことも大きい。
加えて戦後、大国ロシア、西欧、米国の外縁にあったことも幸いしている。

普通、人口が少ないと自国の市場が小さいので経済的に不利になるが、これを逆手に取って、ヴァイキング以来の海外志向を生かして人々や企業は最初から海外展開を目指したことが、企業や経済に好循環をもたらした。
日本のように高度経済成長期に人件費を抑えて大量に出現し下請けに甘んじた中小企業が、今となっては足枷になっている。

半世紀ほどの間に、北欧と日本の選んだ道が、かくも大きな違いを招いてしまったようです。


次回に続きます。






20190821

北欧3ヵ国を訪ねて 75: コペンハーゲン 1 : 国立博物館



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今回は、デンマークの国立博物館を紹介します。
デンマークの歴史と文化が広範囲に深く紹介されています。
日本も含む世界の展示もあります。



< 2. 国立博物館について >
正式名称: Nationalmuseet, National Museum of Denmark

上: 上が北。黒い屋根の建物が東西に延びているのが国立博物館。
矢印が入り口で、運河を隔てた右にクリスチャンスボー城が見えます。
長さ170m、幅80mほどあり、大きくて2時間で全てを見ることは出来ませんでした。

下: 入り口は簡素です。



< 3. ルーン石碑とオーロックス >

上: ルーン石碑はヴァイキング時代9~11世紀に造られ立てられた。
多くはルーン文字で死者を称える文が書かれ、独特の装飾もされている。

下: 紀元前8600年、氷河期のデンマーク、シェラン島北部で鏃が刺さったオーロックスの骨が見つかっている。
おそらくスカンジナビア半島で最も古い大型獣の狩猟の痕跡でしょう。
絵はヨーロッパ大陸の洞窟壁画でしょう。



< 4. 琥珀と葬祭 >

上: 琥珀は石器時代を通じてユトランド半島北部の海岸で取集され、宝石として使われた。
思っていたより古くから使われていた。

下: 紀元前4000年以前、石器時代の祭式小屋と石組みの墓。
左上部が祭式小屋遺跡の平面図と再現図。
中央から下が墓の遺跡。

これらはユトランド半島のものらしい。



< 5.横穴式石室と大規模な祭式場 >

上: 紀元前3200年頃の横穴式墓室、デンマークのロラン島。

下: 紀元前3400年の大規模な葬祭場、墓や祭壇が連なっている、デンマークのフュン島。





< 6. 青銅剣とフリント製短剣 >

上: 青銅製の曲がった剣。
青銅器時代は紀元前1700~500年。

下: フリント製の短剣。
この短剣の普及のピークは金属時代の始まりまで達した。
地図によるとこれはユトランド半島から大陸とスカンジナビア半島に広がった。






< 7. 青銅器時代の絵と神聖なもの >


上: 石刻の絵。
剣を腰に差して踊っている。
この絵はスウェーデン南西部、氷河期末期には海岸であった巨石に彫られた絵でしょう。
今は陸地です。

下: サン・ホルダーと呼ばれる神聖な道具。
左は神聖な道具と祭式を行う様子が描かれている。
右の青銅製のホルダーに赤い琥珀が嵌められている。
サン・ホルダーを見た時は、遥か昔のミステリアスな場所に来たように感じた。
発掘場所は不明。



< 8. 青銅器時代の遺物  >

上: 太陽の馬車(サン・チャリオト)。
全長60cmの青銅像に金箔が張られていた。
シェラン島西部で紀元前1350年頃のもの。
この地では馬が飼育されていたのでしょう。

下: 青銅製のヘルメット。
ヘルメットに角に似たものが見えるが、ヴァイキング時代より遥か昔のもです。
これもシェラン島のもの。




< 9. 青銅器時代と鉄器時代の遺物  >

上: 青銅器時代、手前の物は盾に思えたのですが、そうではないようです。
後の展示ケースに治まっている曲がった物は青銅器のホルンです。

下: 代表的な展示品の一つ、グンデストルップの大釜。
ユトランド島北部で発見された直径70cmの銀器で紀元前1世紀のものです。
ヨーロッパの鉄器時代の銀器としては最大で、彫像が素晴らしい。




< 10. 鉄器時代からヴァイキング時代 >

上: 2世紀末から3世紀のかけて新しい部族がスカンジナビアとドイツ北部に勢力を持った。
彼らはローマ人と同盟を図り、ローマの道具を使用した。

この後、ゲルマン民族の大移動に伴って、デンマークの祖先となるデーン人がスウェーデン南部からデンマークに南下して来た。

下: 9世紀から11世紀のヴァイキング時代の航海ルートと定住地。




< 11. 世界各地の紹介 >

エジプト文明に始まり、東南アジア、中国、日本まで紹介されている。
ここでも他の北欧の博物館と同様に北方民族のサミー、イヌイット、アイヌなどが紹介されていた。



< 12. 興味を惹いた展示 >

上: 型で造形された煉瓦や瓦など。
私が北欧を歩いて驚いたのは、屋根瓦が日本とよく似ていることでした。
フランスとはかなり違いました。
この博物館でまじかに見ると、益々その意を強くした。

左下: デンマークが一時、世界中に植民地を持っていた事を知りませんでした。




< 13. その他 >

上: 博物館内から東側を望む。
クリスチャンスボー城が見える。

中央: おそらく百年程前の暮らしを紹介しているのでしょう。

下: わざわざ一室を設けて、日本のコスプレとプリクラが展示されていました。
何か誇らしくもあり嬉しいものです。



次回に続きます。