20180916

北欧3ヵ国を訪ねて 26: スカンセン(野外博物館) 2



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今回で、スカンセンの紹介を終わります。
写真は2018年6月2日(土)、12時から12時半までの撮影です。


 
< 2. スカンセンの地図、上が北 >

青線が今回紹介する徒歩ルートで、Sがスタート、Eが終わりを示します。

私は1時間かけて見て歩いたのですが、観光時間は、じっくり伝統文化を知ろうとするなら2~3時間、また動物園や遊戯施設もありますので子供らと家族で楽しもうとするなら半日以上が必要でしょう。


 
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下の写真: 鱗状の木の板を重ねた外壁。
フランスのストラスブールで民家の屋根に鱗状瓦を見たのですが、このようなものは初めてです。

 
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上の写真: 孔雀がのんびり散歩しており、怖がる様子はありませんでした。


 
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上の写真: 子供向けの催し。
多くの家族が参加していました。

下の写真: 18世紀の木造の教会。
これはスウェーデン南部のVästergötland地方、大きな湖のある地域に建てられていたものです。
No4の下の写真は、この教会を裏側から撮ったものです。


 
< 8. 風車小屋 >


 
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上の写真: 18世紀の農家兼邸宅です。
左右に納屋のようなものがあり、工具、蹄鉄、鍬などが制作されていた。
建てられていたのはストックホルムから西に200kmほど行ったNärke地方です。
この地域は先ほどのVästergötland地方の北東で接しています。

このスカンセンは主に古い農家や街の家、教会などを移築し、庶民の暮らしがわかるようにしているのですが、この邸宅だけは別格で大きい。


 
< 10.展望広場から  >

南側の対岸、セーデルマルム島を見ています。
現在、この地域が住宅地、観光地として発展しているようです。

下の写真: 手前にスカンセンの直ぐ下にあるチボリ公園が見えています。
この日は土曜日なので、このユールゴーデン島は人出が多かった。


* 感想
古民家を見て、スウェーデンの18世紀はあまり豊かではない印象を受けた。
そうは言っても、日本の江戸時代末期と同時代なのですから、遜色はないのかもしれません。

豊かな木材資源を使って太い木材が大量に使用されている一方で、構造材としての石材や壁材としての粘土の使用が見られなかった。
これは北欧の厳しい自然、貧しい土壌、乏しい資源を象徴しているようでした。
もっとも人口密度が低いので暖房用の薪は充分に入手出来た。

北欧を旅行して感じたのは、他の地域に比べ、民族舞踊や歌唱などの伝統文化を売りにした観光が見当たらないことです。
四季折々の祭典やヴァイキング村の再現はあるのですが、ポルトガルのファドやスペインのフラメンコのようなものが無い。

多くの外国人は美しい自然と整った街並みを楽しみに、この北欧を訪れる。
そこで観光資源として伝統の歌舞演劇などをもっと押し出しても良いと思うのだが。
結構、古い歴史と文化があるはずなのに不思議です。

そのような中で、19世紀の終わりにこのような伝統文化として民家を残し得たのは非常に良かったと思います。
これは国民の為なのでしょうが。


次回に続きます。





20180911

沼島を訪ねて 3






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今回は、沼島一番の観光名所、上立神岩への道を紹介します。
この岩は国生み神話と深く結びついています。


 
< 2. 散策マップ、上が北 >

赤線が前回紹介した沼島庭園から上立神岩までの道です。
右側二つの赤丸が上立神岩を見るポイントです。
黄色矢印の上側は上立神岩で、下側は平バエ(岩礁)です。
ピンク線と黄線は沼島八十八霊場巡りの一部で、今回歩いた道です。

今回紹介するのは赤線とピンク線です。
左側の赤丸はおのころ神社です。
茶色線は漁港沿いの道で、左の黒丸は海水浴場、右の黒丸は昼食をとった食事処「水軍」です。


 
< 3. 谷間の一本道を行く >

正面と左側に見えるのは沼島中学校と小学校です。
道に沿って小川があり、その流れは奥の池から始まっていました。


 
< 4. 沼島緑地おのころ公園 >

ここに池があります。
この辺りはちょうど二つの山が寄り添い、その間の一本道が反対側の海岸にある上立神岩まで導いてくれます。


 
< 5. 上立神岩の見晴台 >

上の写真: 今、登って来た1本道を振り返った。

下の写真: 見晴台。
左に延びる小道をさらに上ると上立神岩を見下ろす別の見晴台に行けます。
それが次の上の写真です。


 
< 6. 上立神岩と下り坂 >

下の写真: 見晴台を最高地点にして、後は急な坂を海岸まで下って行きます。
遠くの海上に平たい岩礁が小さく見えます。
これが平バエです。


 
< 7. 険しい海岸 >


 
< 8. 降りた海岸線から >

上立神岩は高さ30mあり、国生み神話の大地を掻き混ぜた天沼矛(あめのぬぼこ)や天の御柱とも見立てられている。

 
< 9. 沼島八十八霊場巡り 1 >

先ほどの見晴台までの一本道を少し戻り、枝分かれした道を左に入ると、山の稜線を進むことになります。
これが沼島八十八霊場巡りの道です。

上の写真: あまり人が通らない道のようです。
始めは鬱蒼とした森の中の坂道を上ることになりました。

下の写真: 道沿いにあずまやが造られています。
休憩は出来ますが、木立が延びて見晴らしはあまり良くなかった。


 
< 10. 沼島八十八霊場巡り 2 >

このような見晴らしの良い道もありますが、繁茂した木々が両側から覆いかぶさるようなところもあります。
この道で人に出くわすことはなかった。

下の写真: 遠くの山影は紀伊半島でしょうか。


 
< 11. 眼下に平バエが見える >

この平らな岩礁の平バエで毎年、旧暦の3月3日に沼島の漁船が大漁旗を立てて終結する平バエ祭りがあります。
海上安全と大漁を祈願する祭りです。

下の写真: 平バエ祭りの様子。
写真左隅に上立神岩が見えます。


* 上立神岩と平バエについて

古事記に
「イザナギとイザナミは天の浮橋から矛を降ろして地を求めた。 」
・・・
「イザナギとイザナミはそのオノコロ島に降り立って、大きな神殿(八尋殿ヤヒロドノ)を作り、柱(天の御柱)を立てました。」
とあります。

沼島では古くから、上立神岩はこの矛か御柱で、平バエは神殿と見做されており、このことが沼島こそが「おのころ島」だとする根拠になっているようです。

実にロマン溢れる素晴らしい自然の造形です。


次回に続きます。




20180909

北欧3ヵ国を訪ねて 25: スカンセン(野外博物館) 1






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これから数回に分けて、スカンセン(スウェーデンの伝統的な建物を移築した巨大なテーマパーク)を紹介します。
多くの家族連れや観光客で賑わっていました。
写真は2018年6月2日(土)、11時半から12時までの撮影で、快晴に恵まれました。




< 2.スカンセンの地図、上が北 >

黒線はトラム、赤線は今回紹介する徒歩ルート、緑線はエスカレーター、オレンジ枠は今回紹介する農家です。


* スカンセンについて

1981年に開園した世界初のこの野外博物館には、スウェーデン全土から移築された160以上もの代表的な家屋や農園が点在しています。
広大な園内(直径600mの木々に覆われた丘)には動物園や水族館、様々な工房街やミュージアムショップもあり、大人も子供も楽しめるテーマパークです。

私はここで北欧文化の基層、昔の生活の一端を見ることを楽しみにしていました。
私はスウェーデンだけでなく、ノルウェーとデンマークにある同様の博物館も訪れたました。
それらから3ヵ国の相違、建物の構造や生活、展示方法などの違いに気づくことも出来ました。



< 3.停留所Nordiska Museet/VasamuseetからSkansenまで >

ヴァーサ―号博物館を出てもう一度、北方民族博物館の前に出てトラムに乗り、スカンセンで降りた。
この間、バスもあります。
実は記憶が定かでは無いのですが、降りたのは大通りにある下の写真のトラム停留所だったと思う。
スカンセンのゲート前にも停留所(バスやトラム)はあったと思うのだが。



< 4. スカンセンの入場ゲート >

上の写真: 入場ゲート。

下の写真: ゲートから入場して、少し上った平坦部から振り返ったところ。



< 5. いよいよ野外展示場へ >

上の写真: 平坦部を奥に進むと大きな岩をくり貫いた入り口が見えます。
中にあるエスカレーターに乗り、さらに丘の上に行きます。

下の写真: 丘の上に出て、今来たゲート側(南側)を見下ろしている。




< 6. 伝統家屋 1 >

最初に見た伝統家屋群。
この辺りは下り坂の周囲に当時の民家やショップが集まっている。
家庭菜園も再現されている。



< 7. 伝統家屋 2 >


< 8. 伝統家屋 3 >

ちょうどショップから出てきた女性。
この方は係員なのでしょう。
この野外博物館には、所々に説明や作業の模擬の為、また店員としてこのような衣装を着ている女性がいました。



< 9. 伝統家屋 4 >

この二つは屋敷や公的な建物などで、民家ではないようです。


< 10. 伝統家屋 5 >

これら建物には入れるものとそうでないものがあります。
また入れても、デモや説明をしている建物は限られています。
建物には、建築年代や建築地、使用目的などが書かれた看板がある場合もあります。

下の写真: 1810年代に建てられた商人の邸宅です。
北欧の赤壁の家を見るのを楽しみにしていましたが、ここにはたくさんありました。



< 11. 農家 1 >

上の写真: 邸宅の庭園だろう。

下の写真: 中で説明が行われていた農家。
地図でオレンジ枠のあるところです。

この境界を囲む柵の形は北欧3ヵ国に共通していました。



< 12. 農家 2 >

この一群の建物は、ノルウェーとの国境に近いスウェーデン中央部Härjedalen、ストックホルムから北西に約400km行った標高500mの高原地帯にある農場を再現しています。
この地の主な生業は牛の繁殖で、土壌は貧弱だったので大麦を栽培し、林業も重要でした。
周囲の森には熊、狼、ヘラジカが生息しており、冬は雪に覆われます。

建築材は全てが木材と言えます。
壁は構造体であり、いわゆる木組みのログハウスです。
屋根材も分厚い木材を縦に並べ、その下に白樺の樹皮らしいものが敷いてありました。
断熱の為のレンガや土壁の使用は無かったが、室内にある竈は大きく、暖炉も兼ねているようです。



< 13. 農家 3 >

これらは牛などの厩舎なのでしょう。
今考えれば不思議なのですが、周辺に狼がいるのに、上の写真の厩舎の入り口は簡単な柵だけでした。


< 14. 農家 4 >

建材から家具、生活用品なども多くは木製です。
北欧の人々が、木工製品に優れている理由がわかります。

下の写真: この左端にほぼ天井に迫る大きな暖炉があります。
ここは食堂兼居間なのでしょう。



< 15. 農家 5 >

上の写真: 部屋に入ると、観光客の前で写真の女性が何かの家事作業のデモをちょうどしているところでした。
この部屋は煮炊きが出来る竈があるので作業場兼台所なのでしょうか?
しかし調理場らしいものが見当たらなかった。
この竈の右横に薪が積み上げられていた。
このメインの一軒の数部屋の内、二つの部屋に暖炉(竈)があった。

私は知らずにフラッシュを使い、彼女から禁止だと注意を受けて、一瞬笑いが起きました。



次回に続きます。





20180908

沼島を訪ねて 2







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今回は沼島の中心部、漁村にある神社を紹介します。
なぜか小さい島に神社が多い、そこには沼島ならではの歴史があります。



 
< 2. 散策ルート、上が北 >

下の地図: 赤線が今回紹介する散策ルートで、Sは高速艇乗り場です。
赤丸は上から厳島神社、沼島八幡神社、梶原五輪塔、沼島庭園を示します。


 
< 3. 厳島神社 >

別名弁天さんと呼ばれ、また戎神社も祀られている。
立派な石組みや石段、巨大な松がありました。
漁師たちが安全を祈願する神社として、当時は岬の先端に建てられていたのでしょう。


 
< 4. 港に沿って歩く >

上の写真: 遠くに厳島神社が見える。

下の写真: 進行方向を見ている。


 
< 5.沼島八幡神社 1 >

上の写真: 村のほぼ中央、山の裾野の小高い丘の上に神社が見える。
これが沼島八幡神社です。

下の写真: 石段を上り切った境内から。


 
< 6. 沼島八幡神社 2 >

上の写真: 境内から見下ろす。
港と漁村が一望できます。
遠くの山影は淡路島、右下に神宮寺が見えます。

下の写真: 境内にある本殿です。


 
< 7. 沼島八幡神社の本殿 >

上の写真: 沼島八幡神社の本殿内側正面に掛けられている大きな絵。
この絵は「賤ケ岳合戦」(1583年)を描いており、これが淡路島、沼島の歴史と深く関わっているのです。

この合戦で秀吉は柴田勝家との雌雄を決した。
この合戦で活躍した賤ヶ岳の七本槍の一人、猛将脇坂甚内安治は秀吉から淡路島を与えられます。

淡路島と沼島は古くから、大阪湾の守りの要であり、瀬戸内海に往来する海路の要衝でした。
またこの海峡沿いには由良水軍、鳴門水軍、そして沼島には沼島水軍が存在しました。
後に朝鮮出兵で、脇坂は水軍を束ねる三人の将の一人となります。

淡路島は奈良王朝の時代から天皇家の直轄地で、海水産物を献上する御食国でした。
実は、淡路島、沼島には海人族(海運や漁労を生業とする外来の集団)がいたのです。
このことが漁労や水軍の発展に結びついたのです。
沼島には縄文人の土器が見つかっており、古くから人々は暮らしていた。

古事記の国生み神話に出てくる「おのころ島」の候補地の一つとして、沼島が挙げらています(候補は淡路島島内と周辺の島を含めて11ヵ所)。
この国生み神話の原型は中国の長江流域の稲作文化にあります。
おそらくは大陸から、(対馬)、九州、瀬戸内を経て淡路島に到達した海人族が神話を伝承し、それを天皇家が自らの創世神話に拝借したのでしょう。

沼島と淡路島は、大陸と日本の古代を結ぶ架け橋の一つだったのです。


下の写真: 梶原五輪塔を示す看板。
漁村特有の密集する民家の路地を奥まで進むと、右手にこの看板がありました。
この右手に空き地があり、村人に聞くと、昨日ここで地蔵盆を行っていたとのことでした。


 
< 8. 梶原五輪塔 >

下の写真: 右手に二基ある五輪塔の右側が梶原景時の墓と言われています。

梶原景時は源頼朝に仕え、今の明石から広島までの山陽道の守護に任じられ、幕府宿老まで上り詰めていた。
しかし後に義経と対立し、幕府から追放され一族は滅ぼされた(1200年)。
彼は後世、義経の判官びいきとは逆に大悪人と見なされて来た。

梶原景時の墓と呼ばれるものは鎌倉にもあるが、真贋は如何に。

「梶原一族と沼島水軍」によると、以下のように説明されています。

滅ぼされた年に梶原景時の一族が、沼島城主になった。
これは水軍つながりだそうです。
後に梶原家が沼島八幡宮を創建した。
1521年、足利十代将軍義植が流浪の末、沼島に来て梶原の庇護を受ける。
この将軍が梶原家に後に紹介する沼島庭園を贈呈した。
神宮寺は梶原家の菩提寺でした。
しかし16世紀末、滅ぼされて梶原の治世は終わる。

こうしてみるとこの小さな漁村に、多くの神社仏閣、沼島八幡宮、神宮寺、蓮光寺(居城)、西光寺があることが理解できる。
これらはすべて梶原家の創建によるものだそうです。
墓がここに建立された可能性はあるが、景時が討たれたのは静岡でした・・・。


 
< 9. 沼島庭園 1 >

上の写真: 路地を奥まで進むと看板が見えた。
この看板には「伊藤庭(沼島庭園)」と記されていた。
右手に入って行くと、雑草が生い茂る空き家があった。


下の写真: この空き家を迂回して裏に回る。
ここは個人宅の庭です。


 

< 10. 沼島庭園 2 >

すると打ち捨てられた石組みの小さな庭が見えた。
鬱蒼と茂る木々の陰になって、庭はいっそう暗く侘しい佇まいでした。

これが室町時代、戦乱と内紛を逃れた10代将軍が過ごした場所であり、庭だと思うと虚しさを感じる。

一方で、淡路島と沼島に不思議な存在感を感じた今回の散策となった。


 
< 11. 沼島庭園 3 >

久しぶりに見たサワガニです。
昔は、淡路島の小川では至る所で見られたのですが、ついぞ見なくなりました。
私があまり外出しなくなったからもしれないが。

沼島を散策して不思議に思ったのが、こんな小さな島なのに沢をよく見かけたことです。
水が豊富なようです。



次回に続きます。