20171209

晩秋の京都を訪ねて 4: 新京極商店街から木屋町通りへ






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今日で、京都散策の紹介を終えます。
帰路の途中、河原町周辺で夕食をとりました。
食事処を探しながらの散策でした。




 
< 2. 散策ルート、上が北 >

赤線が散策ルートで、S地点から右上の「美よし」で食事し、
河原町駅で帰路につきました。
写真は撮影順に並んでいます。



 
< 3. 新京極商店街の入口 >


 
< 4.新京極商店街 >

 

 
< 5.錦天満宮入口 >


 
< 6.錦天満宮境内 >

 
< 7. 河原町通り >


 
< 8. 高瀬川 >

上の写真: 道端にあった小さな神社。

下の写真: 高瀬川。
この浅い川に沿って並ぶ古い町並みの風情が好きで、よく立ち寄ります。
もっとも帰りの阪急電車の始発駅が近くにあることもあるのですが。


 
< 9. 麺処、美よし >

私達が夕食の為に立ち寄った所で、まったくの偶然でした。
入ると決めた理由は、高瀬川沿いにあることと、なぜか伝統を感じたからです。
どちらかと言えば古さを感じたからでした。


 
< 10. 店の中 >

私は巻頭写真に似た蕎麦とかやく御飯、それにおばんざいを頼みました。
蕎麦の出汁が、少しからめでしたが美味しく、また独特の味でしたので、これはきっと京都の味だと納得しました。
またおばんざいや蕎麦の具の煮物は素朴な味だが良かった。

厨房で料理している人達の歳が80歳を越えているようなので、店は建て替えて新しいのですが、きっと老舗だと思った。

給仕している人に聞くと、ここの創業は昭和元年で、写真の団扇は芸子さんが持って来たものだそうです。

ひょんなことで京都を味わうことが出来ました。


昼には、北王路駅の北文化会館で大学オケの定期演奏会を聴いたのですが、ここでも京都らしさを味わったように思います。

今回は急に京都に紅葉を見に行くことを思い立ち、ついでに交響楽も聞きたいと思った。
それでこの定期演奏会に初めて来たのですが、舞台のオケのヴァイオリン奏者(第一と第二)が非常に少なく、さらに始まると素人(おそらく1年生)が混じているのがわかりました。
管楽器は頑張っており楽しむことも出来たのですが、演奏は残念な結果におわった。
コンマスなど数人のヴァイオリン奏者の孤軍奮闘が痛ましく、オケ演奏会でこのように痛々しい思いをしながら聞くのは初めてでした。

私が驚いたのは、聴衆に不平や不満などでざわめきが起こらなかったことです。
皆さん紳士的でした。
ひょっとしてこれは京都の良さなのかと思いました。

この若い演奏家達が、将来喜々として演奏出来ることを願って、会場を後にしました。

これで終わります。





20171208

晩秋の京都を訪ねて 3: 下鴨神社 2





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今日は、河合神社を紹介します。



 
< 2. 地図、 上が北 >

写真は表参道のSから撮影したものから順番に並んでいます。



 
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< 4.馬場に露店 >

表参道と西側に平行に伸びる馬場に多くの露天が並んでいた。


 
< 5.河合神社の境内 >

境内に入った右側に鴨長明の住まいが再現されていた。
彼はこの神社の神官の子として生まれ、歌人として活躍した後に出家し、京都で写真のような小さな庵で暮らした。


 
< 6. 深紅と金色が映える風景 >

 
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< 10. 鴨川の上流を望む >

市民や鳥たちが憩う川べり。
この日は雲も風もなく、歩き続けると汗が噴き出て来ました。

晩秋ではあるが、黄葉と紅葉を思う存分味わい、久しぶりの京都を満喫出来た。

次回に続きます。








20171207

何か変ですよ! 85: 何が問題か? 8: 摩訶不思議な言葉遊び






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前回は、日本だけでなく世界が右傾化している背景を見ました。
右傾化はハンチントンが指摘した文明の衝突が大きく影響している。
今回は、今起きている不思議な言葉遊びを見ます。


はじめに
今の日本の経済と政治は凋落を深めているように思える。
しかし、多くの人にはそうは映らない。
この違いを「何が問題か?」で解明したいと連載を始めました。

今まで、日本の経済先行きと所得格差、右傾化を取り上げて来ました。
しかし、これとて反対の立場から見れば正常に見えるらしい。
今回、この反対の立場の一端をみます。



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忖度を巡って
ある田舎の役場を退職した人に、私は「役場で忖度(そんたく)はどのような感じですか?」と聞きました。
彼は「そんなものは無いよ! 第一、忖度と言う言葉は急に出て来たものだから・・・」とあっさり否定されてしまった。

マスコミでは森友・加計問題、詩織さん事件で「忖度」が毎日のように騒がれています。
私は彼の口から、忖度の事例が聴きたかったのですが、拍子抜けでした。

忖度と言う言葉はあまり使われていなくても、出世を望む人の多くは上司の意向を汲み取り仕事をするのが当然で、実際に忖度はまかり通っているはずです。
これが出来ないと上司から「気配りの出来ない奴」と相手にされなくなるでしょう。

敏感な彼は、とっさに私の質問に政府批判を汲み取り(忖度し)、否定したのでしょう。
彼は如何にも強面で独断専行タイプでした。

「忖度」はあまり使われない言葉ですが、その意味するところは大概の人には分かり、日本の社会に定着した精神文化です。
どちらかと言うと良い意味で使われ、その意味は他者への配慮、気配り、推察などでしょう。

ある新聞記者が2003年に投稿した文に忖度を使っていた。

「・・。あえて忖度すれば、そのような錘(おもり)を心の中にぶら下げた人々が、数多く戦後の数十年を生きて来たのではないか。」

これは戦後、親しい人物が誰にも従軍中の体験を語らなかったことについて触れたものです。



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あるテレビのニュース番組で
以前、二人のコメンテーターが森友問題に関して答えていました。

司会者が「官僚は忖度するものですか?」とこの二人に尋ねました。
すると、一人は「忖度は当然あるはずです」と答えた。
もう一人は、「上級の官僚は忖度なんかしないですよ」と明言した。

私は聞いていて、奇異な感じを受けた。
忖度自体が悪いのではなくて、上司や利害関係にある人物の便宜を計り、法や手続きを曲げて、不公正なことをする事が悪いはずです。
このことは自明なのに、簡単に忖度を否定し、しかも下級の官僚ならやるでしょうとはぐらかす返答に、この人物の悪い忖度例(権力者へのおもねり)を見た。

この人物とは田崎史郎氏でした。


面白い座右の銘
ある官僚の座右の銘が「面従腹背」だそうです。
この意味は「うわべだけ上の者に従うふりをしているが、内心では従わないこと」で、通常悪い意味で使われます。

この官僚なら上の者(権力者)に忖度をするはずはなく、自ら便宜を計らない潔癖な官僚と言える。
それこそ田崎氏の弁に従うなら、正に上級官僚の手本と言えるかもしれない(笑い)。
もっとも出来る官僚達は政治屋を馬鹿にしているので、このような風潮が生まれと言え、やはり良い状況とは言えないが。

この官僚とは前文部科学省事務次官の前川喜平です。


これに輪を掛けて不可思議な事
実は、この前川氏を「官僚のクズ」と言い放った元官僚がいた。

この元官僚は「面従腹背などと言って逃げず、官僚なら正々堂々とクビを覚悟で仕事をしろ!」と前川氏を罵倒する。
私もそうあって欲しいと願うが、そうでないのが日本の悲しさ!
官僚組織は縦割社会の典型で、残念ながら長いものには巻かれろは日本の風土です。

かの田崎史郎氏は忖度しないのが上級官僚と言い放ったのに、ここではそれが仇になっている。

この元官僚とは岸博幸氏です。




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何がおかしいのか
おそらく私のこの説明を読んでも、二つの異なる立場は対立したままでしょう。
現政権内で忖度が災いを生んでいると考える人と、忖度など無いと考える人の溝は埋まらないでしょう。

簡単に言えば、忖度はありふれた日常の行為で、これを否定することに無理がある。
むしろ日本では出生する人ほど(仕事が出来る人ではない)、忖度出来るのが常識です。
重要なことは、忖度により不正が行われることです。

先述の役場の退職者や田崎氏、岸氏の立場は「忖度があった」ことを否定することにより、配下の不正行為を権力者(上司から首相まで)と切り離すことにあるようです。
つまり彼らは誰かの立場が悪くならないように忖度しているのです。
残念ながら、この態度も日本の組織でよく見られるトカゲの尻尾きりで、幾度も繰り返されて来ました。


悲しい事
今の日本の政治では不毛な口論が延々と続くだけです。

不毛なのは追及する側と追及される側だけではない。
それらに加勢し、さらにつまらない口論と煽動を行うマスコミに生きる人々が居る。
この人々の言説に留飲を下げ、憂さを晴らす人々が、さらに大勢居る。
これが最も悲しいことだろう。


私の知る限り、革新が続き、成長し続ける会社の社長は、部下が上司への無駄な忖度、おべっかなどをしないようにさせている。
小さな不正も積もれば、やがて山となるの例えです(笑い)。
日本の政治も私利私欲(党利党略)を離れ公正でありたいものです。


次回に続きます。






20171206

晩秋の京都を訪ねて 2: 下鴨神社 1






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今日は、京都植物園を出てから下鴨神社までを紹介します。
神社はたくさんの人出でした。



 
< 2. 地図、上が北 >


上の地図: 赤線が今回紹介する散策ルートで、京都植物園の正門Sからスタートし住宅街を抜け、下鴨神社に入りました。

下の地図: 下鴨神社境内の散策ルートです。

写真は概ね、撮影時間順に並んでいます。


 
< 3.植物園とお別れ >

上の写真: 植物園の正門から内部(北側)を望む。
下の写真: 鴨川の上流(北側)を望む。


 
< 4. 鴨川 >

上の写真: 鴨川の下流を望む。
下の写真: 北大路の東側を望む。


 
< 5. 下鴨本通り >

下の写真: 下鴨神社参道の案内が見える。

 
< 6. いよいよ下鴨神社 >

上の写真: 西参道の先に鳥居が見えた。

下の写真: 手前が舞台、右奥が本殿に至る中門です。

子供が七五三の着物を着て、緊張した面持ちで両親に連れられている姿を至るところで見た。
度々、子供に「かわいいね」「おめでとう」と声を掛けると、お母さんが微笑んで感謝の言葉を返してくれた。
気持ちの良い一時でした。






 
< 7.立派な楼門 >

これは表参道から塀に囲まれた社殿に入る為の楼門。
上の写真: 社殿境内から見た。
結婚の新郎新婦が記念写真を撮っていた。

下の写真: 表参道側から楼門を見た。


 
< 8. 表参道を行く1 >

まるで原野のような糺の森(ただすのもり)を抜ける。



 
< 9. 様々な紅葉 >

薄暗く濃い緑の森の中で、赤や黄、茶色に色づいた木の葉が陽を受け輝いている。

下の写真: 表参道の東側を流れる泉川の風情。


 
< 10. 表参道を行く2 >



次回に続きます。