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前回、海外への無関心と無知が偏狭を生むことを見ました。
今回は歴史、特に海外の歴史を理解しない弊害を見ます。
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はじめに
つくづく歴史を見ない人が多いことに溜息します。
私の周囲にはたくさん本を読む人がいる。
彼らの読書の嗜好は千差万別ですが、概ね日本の歴史に関心を持っておられます。
それでも多くは歴史ミステリーの謎解き(邪馬台国、聖徳太子など)が中心です。
そして彼らは自論を篤く語るか、多くは本の一節を読み上げることが多い。
彼らは自論が如何に見栄えするかに関心があるようです。
歴史を語る彼らに共通することは、自論に反する本は読まない、愛読する本に疑問を持たない、また本の引用が多く、自分なりの言葉で語ることが少ないなどです。
自論に関して知識は深いが、他の日本史に関心が薄く、まして中国を除く世界史にほとんど関心が無い。
これは以下のように解釈できる。
さして真偽の確認をせず一度自論が固まると、その後はまったく疑いを持たなくなる。
多くは好みの論調(左派右派)の受け売りで、ここでも村意識(帰属集団で安心を求める)が影響している。
また歴史のメカニズム(因果関係)に興味がなく、その知見を社会の理解に生かそうとしない。
例えば世界の古代都市の誕生パターン(メカニズム)を理解することは邪馬台国誕生の検証に役立ちます。
読書量の多い人でさえこれですから、本を読まない人に歴史を理解することなど期待できない。
学校では歴史の年号を記憶させても、そのメカニズムを識るように教育していない(かつて植民地では国民の覚醒を妨げる為、歴史や政治教育を行わなかった)。
狭い範囲での私の見立てですが、これが現状です。
このような状況で、前回取り上げた日本会議(保守派)の日本を美化する説は、多くの人を魅了することになる。
この歴史、特に世界の歴史を理解しないことが、未来への大きな第5の壁になる。
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* 私と歴史
もともと私は歴史が嫌いでした。
なぜ嫌いかと言えば、暗記が弱かったからです。
私は自然科学が好きで技術者として働いて来ました。
しかし、自然科学だけでは、疑問や問題の解決に役立たないことを痛感するようなった。
なぜ人は戦争を始め残虐になるのか、平和をどうして構築すべきか、なぜ国は衰退するのか、などの答えを私は探し続けている。
結局、日本史、中国史、世界史、人類史、進化論に広がり、美術史、法制史、医術史、宗教史、戦争史などにも手を広げました。
海外旅行に行くようになると、これまでの疑問―社会問題、美術、戦争と平和、宗教など、を解くために各国史を調べるようになりました。
これを繰り返して行く内に、少しづつ視界が晴れて行くことを実感するようになった。
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* なぜ歴史への理解が必要なのでしょうか?
一番は社会で起きている現象を正しく理解する為です。
技術者はトラブルを解決する為に、ある仮説を立て、これを実験で確認することが出来ます。
実は、これはこれでかなり困難なのですが、それでも対策を実施する前に正否を確認できます。
しかし、現実の社会問題ではそうは行かない。
一つは、自分で直接、現地調査もありうるでしょうが、ほとんど無理です。
結局は、新聞や論説、書籍などで調査することになる。
ここで問題は、相反する論説や報道の取捨選択です。
例えば南京虐殺事件に関して、日本の左派右派の肯定否定論が完全に対立しています(私は両論を計15冊ほど読んだ)。
こうなると自信を持ってどちらが正しいかを言い切ることは難しい。
< 5.南京城、赤線に注視! >
そこで中国側の資料(翻訳)に目を通してみる。
眉唾が多いかもしれないが、注意して読むと膨大な死体がなぜ消えたが分かってくる(ヒント、南京城の直ぐ横の長江の流量は1秒間に2万トン)。
また世界の虐殺史を調べると、人は置かれた境遇によって、平常時には想像出来ないような惨いことを犯すことがわかる(「殺人百科」など)。
アウシュヴィッツ収容所所長アイヒマンの裁判を傍聴したハンナ・アーレントは彼を極悪人ではなく普通の小心者と評した。
後に、このことをスタンフォード監獄実験(1971年)が実証した。
これは、一般の正常な人を被験者にした心理学実験で、誰でも凶暴になることが確認された(危険な為、途中で中止された)。
つまり日本人は善良な民族だから、捏造と決めつけるのは短慮に過ぎる。
むしろ世界の戦史から見れば、他国に深く侵攻し欠乏する兵站に喘ぐ日本軍、さらには村意識(旅の恥はかき捨て)が強い日本兵の心境を考えると、何が起きるかは容易に予想がつく。
その例はアフリカ植民地での英仏兵、大戦時のドイツ兵やソ連兵、ベトナム戦争での米兵などに見られる。
さらに日本の文化(村意識)が、この事件の真相解明を困難にしている。
日本軍は証拠を残さない、また帰還兵は仲間を裏切る真実の吐露を行わない。
(佐川長官の在職時の日程記録はすべて破棄していた、注釈1)
当時、報道は完全に軍がコントロールし、まして一般人が直接現地を知ることは不可能でした。
結局、私達が平和を構築する為に、隣国との相互理解を妨げている事件や問題を理解するには、日本だけの狭く偏向した報道や論説だけで判断出来ないのです。
間接的ではあるが、世界史から人間の行動や社会のメカニズムを理解し、出来るだけ客観的に真実に近づかなればならいのです。
これが歴史、世界史を理解することの重要性です。
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* 歴史を理解するために
以前、私のブログ記事を批難した方が、その根拠に歴史は繰り返さないので歴史的説明は無意味だと指摘されたことがありました。
この論調は、ウヨの方に多いように見受けられるが、ある意味、ポイントを突いています。
この指摘を簡単に反証しておきます。
前述の南京事件の解説で読者は気づかれたかもしれないが、日本人が中国で起こした事に対して、私はポーランドやアメリカ、それこそ世界各地でドイツ人、米兵などあらゆる民族が関わった事件を援用して説明して来ました。
それこそ起きた時代も違います。
ベストセラーになった「銃・病原菌・鉄」「文明の衝突」「21世紀の資本」に始まり、各種スポーツの解説書に至るまで、世界各地、あらゆる民族と時代を扱っています。
私達読者は、そこに普遍性を当然のように見出して理解しています。
つまりウヨの方が言われることは、普遍性を非常に厳密に定義しているか、単に都合の悪い歴史を無視したいだけかもしれません。
* 大事なこと
繰り返しになりますが、日本人はどうしても狭量になり易い。
これを自覚し、自ら世界に向かって視野を広げることで、皆さんは日本の衰退に気付き、かつ対策を諸外国から学ぶことが出来ます。
さらに平和を構築する方法や近隣諸国との理解も得られるでしょう。
最後に、朗報を一つ。
文化心理学で東アジア人(中国、韓国、日本人)は西欧人に比べ、木より森を見る傾向があることがわかっています。
これは被験者に魚が泳ぐ水槽を見せた後で何を見たかを聞く実験です。
この時、西欧人は一番大きな魚の特徴を主に語り、東アジア人は背景の水草や小さな魚等を含めた全体を語るそうです。
つまり東アジア人は空間的には全体的な捉え方をするのです。
次回は、今を理解するヒントを歴史から紹介します。
注釈1
もし在職時の全日程記録があれば佐川の行動や面会の記録から、森友問題の解決に役立っと考えたNPO法人が情報公開請求を行った。
しかし国税庁からの回答は1日分の簡単な日程1枚で他は廃却したでした。
現代ビジネスの4月5日の記事。