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20190804

北欧3ヵ国を訪ねて 74: シェラン島北東部を巡る 6: クロンボー城



*1


今日は、半島の突端にあるハムレットの舞台で知られている城を紹介します。
城の地下にあるダンスク像や港町ヘルシンオアも紹介します。


 
< 2.散策ルート、上が北 >

上の衛星写真: 赤線がヘルシンオア駅から徒歩で右上のクロンボ―城までの徒歩ルートです。
ピンク線は帰路、城を出てヘルシンオアの町を歩いたルートです。

下2枚: 電車の車窓から見たヘルシンオア近くの住宅です。


 
< 3.ヘルシンオア駅 >

ここは終点です。
外観趣はあるが、中はコンビニと待合室があるだけです。
私が訪れた北欧の地方の駅舎は概ね合理化されて無人に近く、コンビニとトイレ、場合によってロッカーがあるぐらいです。



 
< 4. 駅前の広場から >

駅舎からクロンボ―城に向かう。


上: 町の方を望む。
中: 右手が海峡で、フェリーが着岸している。
対岸のスウェーデンの町ヘルシンボリまで5kmしかない。
スウェーデンはアルコール類(規制があり)が高いので、安いデンマークに買いに来るようです。

下: 左が駅舎です。

< 5. クロンボ―城の堀に来た >


 
< 6. いよいよ入城 >

上: 左のゲートを抜けると巻頭写真1の入り口が見え、ここでチケットの確認がある。

下: 城の中庭。



 
< 7. 内部 >

下:大広間。
城の内部には豪華な装飾や特筆すべきものは無いように思う。
ハムレットを演じた俳優などのパネルがあった。
異国でシェイクスピア作品の舞台に触れることはなぜか興奮させる
ただシェイクスピアはこの城を訪問してはいないのだが。

この城の建設はデンマークが力を持ち始めた時期の13世紀に重なる。
この城は通行税を徴収する為のものでした。
当時、ヨーロッパによるバルト海東方との交易が盛んになっておりここは唯一の海路であり、この城の前の海峡が最も狭い
通行税によってデンマークは財政的に潤うことになる。

その後この城は幾度も戦火や火災に遭い、また軍事基地として使用された。



 
< 8. いよいよ地下に入る >

左上: ハムレットの寸劇を中庭でやっていた。
言葉が分からないので、残念。

右上: 地下への入口。

左下: 地下通路。

右下:ホルガ―・ダンスク像
この像はデンマークの伝説上の英雄で、フランク王国のカール大帝と戦った人物です。
この英雄像は第二次世界大戦時ドイツに占領された時、デンマークのレジスタンスの象徴でもあった。


< 9. 地下道 >

地下は非常に暗く、足元はほとんど見えない。
非常に広いようです。
地下牢や兵舎があったようです。





< 10. 城外に出る >

上: 海峡側を歩くと砲台があった。
対岸ヘルシンボリが見える。
1日前にこの海峡をフェリーで通りました。

中: 海峡側から見た城。

下: ヘルシンオアの街側から今来た道を振り返る。
途中、地下に航海博物館がある。
手前左に近代的な建物のカルチャーセンター、博物館、レストランがある。
最近出来たようです。
手前に単線の線路があるが、ヘルシンオア駅からこの左側に駅があり、ここまで路面電車で来ることも出来る。





< 11. ヘルシンオアの街 1 >

歩いたのは2019年6月8日(金)16:30頃です。



 

< 12. ヘルシンオアの街 2 >

帰りに町の通りを歩いていると、所々で子供達が集まっており、大人が何かを説明したり、スタンプを押したり、ジュースを与えたりしていました。

この日はイベントが催されていた。
右上の写真に横断幕が見えます
何か歴史的なイベントで、英雄ダンスクとも関りがあるようです。

左下: レストランに入ると、今日は祭りで料理はこれしかないとのことでした。
今回の旅行で幾度か食べた手軽な料理、上等なサンドイッチのようなものです。

右下: なぜか日本の着物が売られていました。


次回に続きます。





20190616

北欧3ヵ国を訪ねて 72: シェラン島北東部を巡る 4: 野外博物館 2





*1


今回は野外博物館の後半です。
三ヵ国の民俗家屋の野外博物館を見た感想も記します。




 
< 2.No.54の建物 1 >

上: 建物の説明書き。
この建物は、スカンジナヴィア半島南西部の海峡に面した所(現在スウェーデン)に17世紀建てられた。
この地域は数世紀にわたり、デンマーク領でした。
右上に示されているように住人は8人で多くの家畜がいた。
この農家はforest farmと書かれており、森林を利用して家畜を育て、穀物は家庭用に栽培された。
18世紀、この地域の木材は対岸のデンマークに小型ボートで輸出され、ユトランド半島東部の穀物と交換された。

下: 外側から見た。
中央に入り口が見える。


 
< 3.No.54 の建物 2 >

外観は古くてみすぼらしいが、中庭を囲むように四方に家屋が建っている。
二枚とも、中庭から見た写真。


 
< 4.No.54 の建物 3 >

古いが貧しい暮らしとは言えないようです。
内壁の板が縦方向で、外壁は横方向に並んでいるので、間に断熱の工夫がされているのだろう。


 
< 5.No.55 の建物 >

上: 建物の説明書き。
この建物も、スカンジナヴィア半島の最南端の(現在スウェーデン)に17世紀後期に建てられた。
この地域も数世紀にわたり、デンマーク領でした。
右上に示されているように住人は8人と7人の2家族です。
彼らは穀物栽培農家でした。
大きな家で、中庭を囲むように四方に家屋が建っている。



 
< 6.No.37-40 の建物 >

ここにはユトランド半島東側、デンマークの南端にあった4棟が集めらている。
皆、17から18世紀の農家です。


 
< 7.No.40 の建物 1 >

6人家族の農家で、豊かな暮らしをしていたようです。
外壁と竈兼暖炉はレンガ造りです。



 
< 8.No.40 の建物 2 >

多くの建具や家具は幅の広い板材が使用され、塗装もされている。




 
< 9. No.34の建物 >

上: 建物の説明書き。
ユトランド半島西側、ワッデ海のレモ島に1750年に建てられた建物。
この島は砂地で荒地です。
この島の多くの少年は水夫になり、大人になってオランダ捕鯨船のキャップテンになる者もいる。
この地では農業より漁業と航海が重要で、18~19世紀に繁栄をもたらした。

下: 左側の建物。



 
< 10. No.31の建物 >


上: 建物の説明書き。
ユトランド半島西側の南端に17世紀に建てられた建物。
此の農家は、最初オランダ商人が建て、賃貸されていた。

下: 特異な形をしている。
大きく高い屋根、小さな扉と窓が目立ちます。
中は暗いが大きな居間、納屋、家畜小屋がありました。


三ヵ国の野外博物館を見て

多くの農家は、木材が多用されていた。
ノルウェーは巨木が生かされていたが、他の建築材料に乏しい。
デンマークは木材に乏しく、豊富な土や草が補っている。
スウェーデンは両者の中間と言ったところでしょうか。

三ヵ国共に寒冷地なので、居間や寝室には大きな造り付けの大型の暖炉兼竈があった。
デンマークのように外壁レンガと内部は木張りにし、間に断熱効果を持たせれば、暖房効果は上がるでしょう。
その点、他の二ヵ国ではログハウスのような造りが見られるが、暖房に難点があるように思えた。

三ヵ国共に展示家屋の家族構成を見ていると、数世代にわたる大家族はなかった。
使用人や親族とは限らないような住人が共に暮らすことがあるようです。
デンマークでは家畜が多い。

これら野外博物館では農家の畑の様子、特に大きさと水源管理が分からない。
農地は穀物栽培の畑を柵で囲うだけのもので、東アジアの水田のような手間暇のかかるものではない。
また家畜も森林で飼育するようなので、人口密度の低いこれらの国では放牧地の維持に気をあまり使わないのではと感じた。


日本と比べて


氷河後退地の為、土壌が貧弱でさらに寒冷地なので、農業、特に集約農業が発展しなかった。
農業は麦などの穀物栽培なので、水管理も重要ではなかったようです。
生業としては日本のように農業中心ではなく林業、漁業、水運による交易などに多様化した。

これが東アジアとの家族制度の違いを生んだのだろう。
生業を多くの子供達に助けてもらう必要もなく、土地はどこにもあるので土地の相続でもめることもなく、親の権威が強化されることがなかったのだろう。

この結果として、貧弱な土地への執着がなく、水運を利用した移動と交易が相俟って、人々は外界への転出に抵抗がなかった。
むしろ発展と捉えたのだろう。
これは中国南部の山地に暮らす客家等の人々が、東南アジアや海外に進出することが飛躍だと考えているのに似ている。
古代ギリシャの植民にも似たところがある。

以下は、まったく私の感想です。
おそらく、親の権威が高まらなかった家族観、外界への転出意欲、土地への低い執着が、ヴァイキングを生み出した。
さらに千年の後の北欧の福祉国家の成功、短期間で貧しい国からの飛躍を可能にしたのだろう。

一方、日本の現状を見ると、山腹や小さな渓谷沿いの狭い土地を先祖伝来の地として守る姿が痛ましい。
美しい日本の原風景ではあるが、社会の変革を妨げる頑な姿に思えてしまう。


次回に続きます。


20190610

北欧3ヵ国を訪ねて 71: シェラン島北東部を巡る 3: 野外博物館 1






*1


2回に分けて野外博物館を紹介します。
これでスカンジナビア3ヵ国の民俗家屋をすべて見ることが出来ました。
訪問したのは2018年6月8日10:00~11:00で、
ちょうど1年前でした。


 
< 2.野外博物館の地図 >

上: ホームページにあった地図。
本当は大きな地図で、展示家屋に番号があるが説明はデンマーク語です。
ホームページは英語表記が可能です。

下: 全景写真、上が北。
南北の長さは約1.4kmあり、黄色線が博物館の敷地です。
赤矢印の建物から入場し、ピンク線を徒歩で巡りました。
速足で一割ほどの家屋を見るだけで一時間掛かりました。

次の訪問地に急ぐ為、職員に頼んで黒矢印のゲートから特別に出してもらった。


野外博物館、FrilandsmuseetThe Open Air Museum)について

開設されたのは1897年と古い。
1650~1950年に建てられた主に農家100軒以上が、広い草原や森林に移築され再現されています。
出来るだけ自然な保存を心がけているようです。

平地なので歩き易いが広大です。
またスウェーデンのスカンセン野外博物館のようなレジャー施設はないようです。
参加できる催しはあるようですが、学生が民俗を学ぶ場所に特化しているようです。
また他の2ヵ国と違って、家屋内に説明員はいませんでした。
お陰で気兼ねなしに見学出来ました。

スウェーデンやノルウェーの野外博物館と違ってほとんど学生だけで、家族連れや海外の観光ツアー客には出会いませんでした。
コペンハーゲンから離れていることもあるかもしれない。


 
*3


 
< 4.No1の建物 >

上: 建物の説明書き。
ユトランド半島の北西部、北海に面した砂地に18世紀建てられた。
家族6人と家畜が右上に表示されている。
住人は農業と漁業を行っていた。

デンマークは大陸から突き出たユトランド半島と数多くの島からなる。
この半島の西側、北海に面したエリアは氷河後退により土壌が貧しく、高木が育たない。
なので、このような屋根は草ぶき、外壁は石やレンガなどになったのでしょう。
他の二ヵ国は圧倒的に巨木をふんだんに使い、屋根を樹皮で拭くこともあった。


 
< 5.No1の室内 >

室内の床、天井は木材、壁は木材と漆喰のようです。
良く分からないのですが、木材を燃やす暖炉(鉄製ストーブのような物も)などが室内にはあるのですが、
この建物には煙突が無かったようです。
ひょっとすると白川郷の合掌造りのように、排気を屋根裏を通しているのかもしれません(暖房の為か)。



 

< 6.No2の建物 >

上: 建物の説明書き。
ユトランド半島の中央西部、北海に面した所に18世紀建てられた。
住人は船長で、大半を海で過ごし、この農家を手に入れた。
住人は9人と家畜が右上に表示されている。
収入はアイスランドとの航海で得ていた。


< 7.No2の建物 >

内装、調度品、食器などから前の家よりは良い暮らしぶりがうかがえる。

下: これは暖炉と竈の兼用らしい。



 
*8

全体に長方形の大きい家屋が多いようです。


 
< 9. 風車 >

この敷地内には三基の風車があった。


 
< 10. No6の家屋 >

上: 建物の説明書き。
二番目に大きい島、フュン島の農業に適した森林に18世紀建てられた。
住人は代々製粉業者として成功し、二基の水車を所有していた。
住人8人と馬などの家畜が右上に表示されている。

森林に囲まれた敷地内の三方に長い家屋が配されている。
一方の裏が小川で水車がある。

中央: 今から敷地内に入って行く。



 

< 11. No6の水車 >

確か、室内は入れなかった思う。
水車の横軸が家屋内に入っており、これが製粉機を回していたのだろう。



次回に続きます。