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20180121

フランスを巡って 55: パリ散策3



*1



今日はカルチエ・ラタンからシテ島までの散策を紹介します。
ルートは大学街を抜けアラブ世界研究所からノートルダム大聖堂までです。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

赤線が散策ルートで、地下鉄駅M1「クリュニー・ラ・ソルボンヌ」から歩き始め、地下鉄駅M2「シテ」まで行きました。
Sはソルボンヌ大学、Cは立ち寄ったカフェ、Aはアラブ世界研究所、Caはノートルダム大聖堂です。
私が歩いたパリ大学横の通りはエコール通りです。

このセーヌ川左岸のエコール通り一帯はカルチェ・ラタンと呼ばれ、ここはパリ誕生期からキリスト教の中心地で、やがて神学教育の場から現在の大学の街となりました。
シテ島はパリの起源となった所で、古くは様々な侵入者、バイキングなどを迎え撃つために要塞化した島でした。


 
< 3. 地下鉄駅から地上に出る >

「クリュニー・ラ・ソルボンヌ」駅を出て、サン・ミシェル大通りを少し行き、左に曲がりエコール通りに入った。


 

< 4.パリ3・4大学(ソルボンヌ) >

2枚の写真は共にパリ大学(地図S)ですが、この一帯にはパリ大学の13校が集中しており、ソルボンヌの名が冠せられている大学は上記含め3校だけです。


 
< 5. エコール通りの光景 >

下の写真: 通り沿いにある公園。

途中、本屋や人通りが少ないので気が付いたのですが、私は散策ルートを間違っていました。
私が行きたかった所は学生街のあるラ・ソルボンヌ広場で、サン・ミシェル大通りを一筋早く左に曲がってしまっていた。
結局は、このまま歩いて行きました。


 
< 6. カフェ >

上の写真: エコール通りの突き当りにパリ6・7大学が見える。
下の写真: パリ6・7大学の手前を左に曲がるとカフェ(地図C)があった。
カフェにカメラを向けると、テラス席の青年がピースサイン(V字の指)で応えてくれた。
トイレ休憩をするために中に入り、ドリンクを注文した。


 
< 7. アラブ世界研究所 >

上の写真: カフェの中。
下の写真: アラブ世界研究所(地図A)

当初、私がここに来たのはアラブの情報、アラブ料理、屋上からの眺望が目的でした。
中に入るとたくさんの人がおり、特別展が開催されていて、アラブ関係の書店もありました。
しかし、結局は屋上からの眺望を楽しむだけにしました。


 
< 8. アラブ世界研究所からの眺め >

上の写真: 眼下にセーヌ川、左手にノートルダム大聖堂が見えます。

下の写真: 北方向を中心にパノラマ撮影した。
中央はサン・ルイ島です。

この屋上からの眺望は北方向には開けているのですが、南方向には障害の建物があります。
入場は無料です。


 
< 9. セーヌ川の左岸 1 >

アラブ世界研究所を出て、セーヌ川沿いを行きました。


 
< 10. セーヌ川の左岸 2 >


 
< 11. シテ島に入る 1 >

多くの市民がそれぞれの楽しみ方でセーヌ川で憩っていました。


 

< 12. シテ島に入る 2 >

上の写真: 橋の上からサン・ルイ島、東側を望む。

下の写真: ノートルダム大聖堂の正面。
中に入ろうと思ったのですが、大勢の人が行列をなしていたので止めました。

皆さんに注意を一つ!
大聖堂横を歩いていると南西アジア系の数人の若い女性が「アンケートをお願いします」としつこく寄って来ました。
恐らくはアンケート用紙に記入している間に財布をスルのが目的だと思います。
新手のスリでしょう。


 
< 13. シテ島中央 >

下の写真: 最高裁判所。


 
< 14. 花市 >

中央に緑が一杯の場所があり、ここが常設の花市でした。


次回に続く。



20180118

フランスを巡って 54: パリ散策2





*1


今日はサン・ジェルマン・デ・プレ教会を紹介します。
この教会はパリに現存する最古の教会でロマネスク建築です。
このセーヌ川左岸の教会でパリの始まりを偲ぶことが出来るはずです。





< 2. 散策の地図 >

上の地図: 乗り継いだ地下鉄と散策の場所を示します。上が北。
今日紹介するのは黒字No.2の青枠です。

中央の地図: おそらく6世紀頃のパリ。上が北。
フランク王国の最初の王朝(メロヴィング朝)が506年にパリを始めて首都にした。
セーヌ河の中州のシテ島に王宮が見え、ノートルダム大聖堂が後に出来ることになる。
赤い矢印がおそらくサン・ジェルマン・デ・プレ教会だと思います(地図の表記は異なりますが)。

下の地図: おそらく10世紀頃のパリ。左側が北。
シテ島を中心に左岸(地図右側)と右岸が城壁に囲まれ、町が拡大発展している。
この城壁は幾度も拡張され、19世紀に造られた城壁が現在のパリを囲むようになった。
赤い矢印がおそらくサン・ジェルマン・デ・プレ教会だと思います(表記は不明)。





< 3. 地下鉄駅 >

上の写真: サン・ポール駅から地下鉄を乗り継ぎ、サン・ジェルマン・デ・プレ駅を目指す。

下の写真: 途中、地下鉄を乗り換えたシャトレ駅。






< 4. 車内にて >

上の写真: 地下鉄の車内でカメラを向けると笑顔を返してくれた人。
今回のフランス旅行では、街角の人々のさりげない表情を撮りたいと思い、至る所でカメラを向けました。
中には嫌悪感を示す若い男性の視線に躊躇することはあったが、圧倒的に多くは笑顔で対応してくれ、ポーズを取る男性も居た。
フランス人の気さくさに惹かれました。

下の写真: サン・ジェルマン・デ・プレ教会の全景。




< 5. サン・ジェルマン・デ・プレ教会外観 >

この教会は王都パリの最初期の歴史を物語る。

古くは、パリにはケルト人が住んいたが、紀元前後にローマ人に支配された。
当時は、シテ島と左岸に小さな集落があっただけだった。
その後、東方の異民族の侵略などにより荒廃した。
やがて勢力を拡大して来たフランク王国の初代王朝(メロヴィング朝)のクローヴィス王が506年にパリを首都にした。

542年、この王の子(キルデべルト王)がスペイン遠征の際、サラゴサで殉教した聖人の遺物を持ち帰った。
パリ司教サン・ジェルマンはこれを納めるためにこの教会を建築した。
この王はここに埋葬され、この教会は初代王朝の霊廟となった。

その後、フランク王国の分裂、バイキングの度重なる襲撃を経て、パリは王都から一地方都市になっていた。
987年、ユーグ・カペーはフランスの初代国王(カペー朝)に選ばれ、パリを首都にした。

この頃から12世紀にかけてパリは帝国の首都、学術と教会の拠点として発展していった。
政治と宗教生活の拠点であったシテ島では1163年、ノートルダム大聖堂の建設が始まった。
左岸(セーヌ川の南側)は教会が運営する様々な学校が置かれた学術の中心であり、後に大学の町へと発展した。
逆に対岸の右岸(セーヌ川の北側)は商業と経済の中心として発展していった。

こうして、1136年頃にパリ北端のサン=ドニ大聖堂ゴシック建築で改造され、ゴシック建築がフランスで開花し、ヨーロッパに広がった








< 6. サン・ジェルマン・デ・プレ教会 1>

教会は修復工事中で観光客も少なかった。
教会内は暗く、ロマネスクらしい重厚で質素な趣がある。
この教会はロマネスク建築だが、後にゴシック様式で改造されている。




< 7. サン・ジェルマン・デ・プレ教会 2 >

右下の写真: パリ司教サン・ジェルマンの像と礼拝堂。
彼がこの教会を建て、鐘楼の下に眠っている。





< 8. サン・ジェルマン・デ・プレ教会 3 >

今は小さな教会だが、かつて8世紀と17世紀は大規模な修道院で隆盛を極めたが、フランス革命で多くを焼失した。




< 9. サン・ジェルマン・デ・プレ教会前の交差点 >

上の写真: 右奥がレンヌ通りで南側を望む。
下の写真: サン・ジェルマン大通りの西側を望む。






< 10. 地下鉄駅 2 >

上の写真: 路線が異なるのでオデオン駅まで歩き乗車。
マピヨン駅が近かったが、迷ってしまって次の駅まで行った。

下の写真: クリュニー・ラ・ソルボンヌ駅で降車。
ここから大学街を歩き、アラブ世界研究所に向かう。


次回紹介します。


20180113

フランスを巡って 53: パリ散策 1




*1


これから4回に分けて、パリの街を紹介します。
午後一杯かけて、中心部の5か所を巡りました。
この日も快晴で、パリの町と気さくな人々に触れ合いました。


はじめに
散策したのは、2017年5月27日の12:00~20:30です。
ルーブル美術館を正午に出て、ラ・デファンスに戻るまで地下鉄と徒歩で市内を巡りました。
この日は土曜日で至る所に市民が楽しく、くつろいでいました。

主に巡った所は市民が集い食事を楽しめるアンファン・ルージュの市場とムフタ―ル通です。
また歴史あるサン・ジェルマン・デプレ教会を訪れました。
さらに大学が並ぶエコール通りからセーヌ川沿いのアラブ世界研究所、ここからシテ島のノートルダム大聖堂まで歩きました。

交通機関はすべて地下鉄を利用しました。

 
< 2. パリの散策マップ、上が北 >

地図の見方
赤矢印は地下鉄の乗車駅で、黒矢印は下車駅です。
赤の番号は乗車の順序です。
黒の曲線は乗り継ぎを示す。
青枠は散策した地域で、黒の番号は散策した順序を示す。

今回は、青枠の1番になります。


 
< 3.地下鉄駅 >

上の写真: 最初の乗車駅、赤番号1のパレ・ロワイヤル ミュゼ・デュ・ルーブル駅。

下の写真: 最初の降車駅、アールゼ・メティエ駅。



 
< 4. アールゼ・メティエ駅から歩き始める >


 
< 5. アンファン・ルージュの市場に到着 >

この市場は「Rue de Bretagne」通りの交差点の角にある30m四方の市場です。
まさに庶民の市場の風情です。
観光客をほとんど見かけなかった。


 
< 6. 昼食時 >

訪れたのが13:00頃だったので、食事処はごった返していました。

 
< 7. アラブ風の料理を食べました >

上の写真: 右端の女性が注文を受付てくれる。

右下の写真: 注文した料理。



 
< 8. アンファン・ルージュの市場を去る >


 
< 9. カルナヴァレ館 >

下の写真: パリの歴史が見られる貴族の館であるカルナヴァレ館はあいにく閉館していました。


 
< 10.サン・ポール駅まで歩く >


次回に続きます。


20180103

フランスを巡って 52: ルーブル美術館





< 1. ルーブル美術館に入る >


今日は、パリ観光の目玉、ルーブル美術館を紹介します。
その前に、パリの名所を少し案内します。
この5月27日も快晴でした。


私がルーブル美術館を訪れるのは3回目になります。
30年以上前に初めて訪れたこの美術館での興奮が忘れられません。
その巨大さと展示物の豊富さ、古代ギリシャとロ―マの彫刻群、中世ヨーロッパの絵画に圧倒されながらも、くまなく見ようとしたことが懐かしい。

今回は、前回のフリーと違ってツアーの見学なので、有名な美術品を足早に見ました。



 
< 2. エッフェル塔 >

バスを下車して、シャイヨー宮から眺めた。


 
< 3.凱旋門 >

上の写真: 車窓から見たコンコルド広場。


 
< 4. オペラ座 >

上の写真: 車窓から見たオペラ座。


 
< 5. 街の人々 >


ルーブル美術館にて


 
< 6.瀕死の奴隷 >

下の写真: ミケランジェロの2体の作品。
手前が「瀕死の奴隷」、左が「抵抗する奴隷」。


 
< 7. ミロのヴィーナス >


 
< 8.サモトラケのニケ >


 
< 9. モナリザのある部屋にて >

上の写真: 「モナリザ」を見入る人々。
モナリザの写真が上手く撮れなかったので、替わりに。

下の写真: 「カナの婚宴」
モナリザの向かいに掛けてあるルーブル最大の絵。
モナリザの前は人だかりが多いので、モナリザを遠くから眺めている人々。



 
< 10. フランスの歴史を物語る絵 >

上の写真: 「ナポレオン1世の戴冠式」
下の写真: 「民衆を導く自由の女神」ドラクロワ作。


 
< 11. ルーブル美術館を見終えて >


次回から、パリの街角を散策し、市民の暮らしを肌で感じます。