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20171231

フランスを巡って 51: 前衛都市ラ・デファンスに泊まって





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今日は、パリの宿泊地ラ・デファンスの2日間を紹介します。
5月27日の朝夕の散策と28日(日)の朝のスーパーマーケットの紹介です。




< 2. ラ・デファンスの地図、共に上が北 >

上の地図: 左の赤丸がラ・デファンスの位置。
ここはパリのシテ島からおよそ10km西側にある近代的なビルが林立するところです。

下の衛星写真: 赤矢印はラ・デファンスのシンボル、高さ110mの「グランド・アルシュ」(大きな門)です。
白矢印は、このグランド・アルシュから延びる道路の先に凱旋門が見える方向を示す。
緑の矢印は、今回宿泊したホテル「ルネッサンス・ラ・デファンス」です。
ピンクの矢印は、今回自由散策で利用した地下鉄駅への入口です。
黄色の矢印は、5月28日、帰国日の午前中に訪れた大型スーパーの入口です。




< 3. グランド・アルシュの広場 >
27日の朝8:00頃です。

上の写真: 宿泊したホテルが中央右寄りに見えます。

下の写真: 遠くに凱旋門が見えます。



< 4. ラ・デファンスの地下鉄駅 >

上の写真: 地下に降りたところから駅を見下ろす。
切符売り場が見えている。

下の写真: 27日、20:30頃、パリの自由散策を終えて地下鉄で帰って来て、地上に出た所。



< 5. グランド・アルシュの前から >

上の写真: 20:30頃、グランド・アルシュの階段に多くの市民が腰かけてくつろいでいた。
フランスらしく、様々な人種が見られた。



< 6. 親子と交流 >

この階段で一組の親子を見つけ、妻が折り紙を見せた。
これは帆掛け船の折り紙で、船の舳先を子供に摘まんでもらい、一度目を抓むって目を開けると、摘まんでいる場所が帆に変わると言うものです。
子供は事情がよくわからないのですが、お父さんが喜んでくれたのが幸いでした。



< 7. パリの散策を終えてホテルへ >

27日は、午後、パリ中をよく歩いたので疲れた。
次回、紹介します。




< 8. 28日朝のグランド・アルシュの広場 >

東側を見ている。




< 9. グランド・アルシュの真下にて >

上の写真: 西側を見ている。
下の写真: 見上げた所。



< 10. グランド・アルシュ >

上の写真: 全景。

下の写真: 広場の南側にショッピング街があり、出発前、日曜日でも開いている大型スーパーマーケットに行きました。
最後の買い出しでした。
右手の階段を下りた所から入りました。




< 11. 大型スーパーマーケット >

ここは「Auchan」で、日曜日でも8:00AMから開いていました。
非常に大きいので商品を探すのに苦労しました。

次回に続きます。






20171227

フランスを巡って 50: ベルサイユ宮殿


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今日は、ベルサイユ宮殿の中を紹介します。


 
< 2. 観光地図 >

私達が見学したのは2階の主に番号1から19までです。


 
< 3. ルイ14世像 >

上の写真: 観光地図番号2「ヴィーナスの間」。
中央の像は「ローマ皇帝姿のルイ14世全身像」

下の写真: 観光地図番号7「戦争の間」。
中央の円形薄浮彫はオランダ戦争中にルイ14世がライン川を渡った姿。

 
< 4. 鏡の回廊 >

鏡の回廊は観光地図の最上部。


 
< 5. 王の居殿1 >

上の写真: 観光地図番号19の「閣議の間」。

下の写真: 観光地図番号18の「王の寝室」。



 

< 6. 王の居殿2>

上の写真: 観光地図番号17の「牛眼の間」。


 
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< 8. 花壇を望む1 >


 
< 9. 花壇を望む2 >


次回に続きます。


20171216

フランスを巡って 49: ベルサイユ宮殿へ




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今日は、シャルトルの町からベルサイユ宮殿までを紹介します。
この日は2017年5月26日(金)で快晴でした。
このフランス旅行もこの日の午後と明日のパリ観光で終わります。


 
< 2. ベルサイユ宮殿 >

今日紹介する写真の撮影場所は主に二カ所の赤丸です。


 
< 3. シャルトルの町を去ります >

 
< 4. シャルトル大聖堂 >

カトリック教会が新たな息吹を込めたゴシック建築と共に隆盛を迎えた時代、そんな息吹きを少し感じることが出来ました、
この時期は、まさにフランスだけでなくヨーロッパ全体が十字軍遠征やサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼でキリスト信仰に沸き立った時代でした。


 
< 5. 途中の車窓から >

 
< 6. ベルサイユの町へ >


 
< 7. ベルサイユ宮殿前の広場 >

私のベルサイユ宮殿訪問は二回目ですが、30年以上前も非常にたくさんの人出でした。


 
< 8. やっと宮殿敷地内に入れました >

予約時間より早く着いいたので、入場するまでに半時間以上待ちました。



< 9. やはり豪華、贅沢な外観です >


 
< 10. 多くの人が待つ広場を望む >


次回に続きます。


20171212

フランスを巡って 48: シャルトル大聖堂の内部






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今日は、シャルトル大聖堂の内部を紹介します。


 

< 2. シャルトル大聖堂の構造 >

上の図: 平面の断面図。借用。
下の図: 上の図の赤矢印から見た俯瞰図。グーグルアースより。


 
< 3.後陣(東端)の比較 >

上の写真: 初期ゴシック建築のシャルトル大聖堂の後陣。借用。

下の写真: ロマネスク建築のサント・マリー大修道院付属教会の後陣。借用。

ゴシック建築はパリ郊外のサン・ドニ教会の後陣改築から始まったが、続いて建てられたシャルトル大聖堂と以前のロマネスク建築の後陣を見比べると、両者の違いが明瞭になる。

この変革によって、後陣は大きな窓で開放的になり、鮮やに彩られたステンドグラスからの陽の光りが聖書の世界をより印象的に物語るようになった。
また主祭壇を囲む周歩廊は屋根が高く広く明るくなり、外側に放射状に配された礼拝堂への参拝がやり易くなった。

これによる全周の壁の荷重を軽減する為に幾つものフライング・バットレス(飛梁)が放射状に地上まで伸びている。



 
< 4. 様々な光景 >
左上の写真: 美しい身廊のヴォールト。

右上の写真: 身廊中央の床に描かれた迷宮。
これは十字軍の時代、エルサレム巡礼が叶わぬ信者達に体験出来るように造られたと言われています。

左下の写真: 尖頭アーチのヴォールト。
ゴシック建築から半円アーチではなく、このような二つの円が頂点で交わる型になり、高さを自由に取れるようになった。


 
< 5. ファサード(西中央の門)のバラ窓 >

下の写真: バラ窓下の3枚のステンドグラスの右端を拡大。
これは「エッセイの家計樹」と呼ばれ、最上段にイエスが座す。




 
< 6. 南翼廊のバラ窓 >

左上の写真: バラ窓。
右上の写真: 南翼廊の左手(東側)の側廊に対になった二つステンドグラスが見える。

下の写真: 上記ステンドグラスの左手の最上段が「美しい絵ガラスの聖母」です。
ステンドグラスの黒い影はフライング・バットレスによるものでしょう。


 
< 7. 様々なステンドグラス >

左下の写真: 北翼廊のバラ窓。


 
< 8.青色が美しい >

撮影を失敗し、有名な「シャルトルの青」をうまく再現出来ませんでした。


 
< 9. 身廊から内陣を望む >

明るい陽射しに包まれた内陣。



 
< 10. 内陣を囲む壁の彫刻 >

周歩廊に沿ってこのような彫刻群が連なる。



次回に続きます。




20171201

フランスを巡って 47: シャルトル 1



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今日は、シャルトルの町と大聖堂の外観を紹介します。
この大聖堂は初期ゴシック建築とステンドグラスの青色で有名です。
この日も、快晴で爽やかな観光になりました。


 
< 2. 地図、上が北 >

上の地図: 赤丸のシャルトルはパリの西90kmのところにあり、途中にベルサイユがあります。
シャルトルの南にはロワール川沿いの都市オルレアンがあります。
シャルトルの人口は4万人と大きくはなく、広大な麦畑の中に浮かぶ島のような都市です。

下の衛星写真: 私達は街の中央広場でバスを降り、S点から徒歩で大聖堂を見学して、また戻りました。


 
< 3. ゴシック大聖堂の由来 >

上の地図: ゴシック建築が始まる当時のフランス(カペー朝)領土の変遷図。
カペー朝の領土は青、英国系は赤。
赤丸がシャルトル、茶色丸がパリ。

下の絵 : ゴシック建築とその前のロマネスク建築の特徴を示す。


私は以前から、ゴシック建築がなぜこの地で花開いたかのが気になっていました。
その経緯を簡単にまとめておきます。

ゴシック建築は、パリ北側の郊外にあるサン・ドニ王室修道院聖堂の1136年からの部分的改築に始まった。
ここは歴代フランス君主の墓所でした。

これに続いて、シャルトルのノートルダム大聖堂(マリアに捧げれらた)は、サン・ドニに続いて1145年から建築が始まった。
しかし途中の大火災で西側正面を残して全焼し、1194~1220年に再建が成った。
この大聖堂は現存する初期ゴシック建築物で最古であり最上級の建築になる。
その後、この建築様式はフランス全土からヨーロッパに広まり、ルネサンス期まで続いた。

それではなぜこの地にゴシック建築が花開いたのか?

フランク王国が三つに分裂して出来た西フランク王国も987年に断絶し、その後、カペー朝がフランス王家を継承し14世紀まで続いた。
このカペー朝は設立当初、権力基盤が弱く、パリ周辺のみ(左地図の青部分)を領有するだけであった。

しかしカペー朝は周辺の教会勢力(司教座)を支配下に置いており、特にサン・ドニ修道院の修道院長シュジェールがこの王朝の伸張に尽力することになった。
この修道院長がサン・ドニ修道院の内陣(祭祀の中心的な場所)と周歩廊を画期的な空間へと改造し、これがゴシック建築の緒となった。
彼の指示によって。ロマネスクの重厚で狭く暗い部屋は、神の光が差す温かみのある空間へと変貌した。
そしてこの修道院長の友人であったシャルトルの司教は大聖堂をゴシック様式で建築した。

つまり成長期にあった王朝とキリスト教会が一緒になってフランスを盛り上げる為に、神の国の新しい教会を体現したと言えそうです。


 
< 4.広場で >


 
< 5.広場から大聖堂へ >

 
< 6. 大聖堂 >

左下の写真: 西正面の左の塔にはゴシック建築の美しさがある。
右下の写真: この像は焼け残ったことによりゴシック最初期の作品となった。
これらはロマネスクの像に比べ、写実的になりつつある。


 
< 7. 西正面(ファサード) >


 
*8.



 
< 9. 大聖堂周辺の街並み >


 
< 10. シャルトルの町 >

次回に続きます。