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20190813

北欧3ヵ国を訪ねて 75: コペンハーゲン 1 : スロッツホルメン




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今回は、コペンハーゲン発祥の地、スロッツホルメン島を紹介します。
私はクリスチャンスボー城、王立図書館、蚤の市を訪れました。
訪問したのは2018年6月9日(土)8:00~10:30です。


 
< 2.散策ルート、上が北 >

赤線が徒歩、ピンク線がバス。
Sからチボリ公園横のバス停まで行き、バス下車後、蚤の市のあるAまで行った。
まだ蚤の市はやっていなかった。
Bクリスチャンスボー城もまだ開城していなかったので、周辺を少し歩いて、Cの王立図書館に行った。

王立図書館入館後、クリスチャンスボー城に入場し、その後、蚤の市を見た。

 
< 3.チボリ公園とバス停 >


 
< 4. クリスチャンスボー城の外観 1 >

西側から見ている。



 
< 5. クリスチャンスボー城の外観 2 >

南側から見ている。
上の写真、中央に見えるのはクリスチャン9世の像です。

下の写真の中央が入り口になる。


 
< 6. 王立図書館 1 >

別名ブラック・ダイヤモンドと呼ばれる。
3枚の写真はほぼ同じ位置から見ている。
上の写真は、東側の図書館、中央の写真は西側、下の写真は運河を隔てた南側を望む。

私は二日前にこの運河をクルーズし、この小さな島スロッツホルメンを一周していた。


 
< 7.王立図書館 >

私がここに着いた時はまだ開館しておらず、運河側の広場で休憩していると、興味ある光景を目にすることになりました。

一人の恰幅のいい中年男性が上半身裸でベンチに腰掛け、お菓子をぱくつきながらビールを飲み、日光浴を楽しんでいました。
また若い男女のカップルが来て、服を脱ぎ始め、二人は水着姿になり、タオルケットを敷き、日光浴を始めました。
さすがに私のすぐ横ではなく、それは少し離れたところでしたが。

それでも驚きの一瞬でした。
彼らが一番乗りで、後には大勢の人が訪れることでしょう。
既にクルーズ船からその光景を見ていましたので、想像できます。


図書館に入ると、予想もしない展開が待っていました。
私は海外旅行では必ず書店に入るのですが、今回はこの図書館だけでした。

下の写真、1階を入って右側に休憩所と喫茶がありました。
そこを見やると日本人がいましたので、これ幸いと話掛けました。
閲覧室や自習室は2階のようです。

彼女らは二組の母子で、お母さんは共に日本から来た人で、数年と10年、コペンハーゲンに暮らしています。
ここで毎週、子供達に日本語の勉強をさせているとのことでした。

彼女らと30分以上、デンマークと日本の社会、教育、政治の違いについて話し合うことが出来ました。
内容は後に紹介します。


 
< 8.  クリスチャンスボー城 1 

この城はかつて王宮として使用され、現在は国会議事堂などに使われている。
この城の歴史は古く、12世紀にアブサロン大司教が建てた城塞が最初で、その後幾度も戦火や火災に遭い、18世紀に現在の形になった。

興味を惹いたのが、アブサロン大司教です。
彼は後にデンマーク王になる人物の弟で、司教としてキリスト教の布教に貢献するのですが、それだけではない。
兄と共に王位争いの暗殺を逃れ、戦いに勝利し政治権力を握ると、バルト海の海賊掃討に注力し、また教会建築と学校設立などで国の文明化にも貢献した。
実に文武両道の人物でした。




 
< 9. クリスチャンスボー城 2 

やはり宮殿内は立派でした。


 
< 10. 宮殿横の蚤の市 >

10:30頃に行くと、既に始まっていました。
それほど規模大きくはない。


次回に続きます。


20190804

北欧3ヵ国を訪ねて 74: シェラン島北東部を巡る 6: クロンボー城



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今日は、半島の突端にあるハムレットの舞台で知られている城を紹介します。
城の地下にあるダンスク像や港町ヘルシンオアも紹介します。


 
< 2.散策ルート、上が北 >

上の衛星写真: 赤線がヘルシンオア駅から徒歩で右上のクロンボ―城までの徒歩ルートです。
ピンク線は帰路、城を出てヘルシンオアの町を歩いたルートです。

下2枚: 電車の車窓から見たヘルシンオア近くの住宅です。


 
< 3.ヘルシンオア駅 >

ここは終点です。
外観趣はあるが、中はコンビニと待合室があるだけです。
私が訪れた北欧の地方の駅舎は概ね合理化されて無人に近く、コンビニとトイレ、場合によってロッカーがあるぐらいです。



 
< 4. 駅前の広場から >

駅舎からクロンボ―城に向かう。


上: 町の方を望む。
中: 右手が海峡で、フェリーが着岸している。
対岸のスウェーデンの町ヘルシンボリまで5kmしかない。
スウェーデンはアルコール類(規制があり)が高いので、安いデンマークに買いに来るようです。

下: 左が駅舎です。

< 5. クロンボ―城の堀に来た >


 
< 6. いよいよ入城 >

上: 左のゲートを抜けると巻頭写真1の入り口が見え、ここでチケットの確認がある。

下: 城の中庭。



 
< 7. 内部 >

下:大広間。
城の内部には豪華な装飾や特筆すべきものは無いように思う。
ハムレットを演じた俳優などのパネルがあった。
異国でシェイクスピア作品の舞台に触れることはなぜか興奮させる
ただシェイクスピアはこの城を訪問してはいないのだが。

この城の建設はデンマークが力を持ち始めた時期の13世紀に重なる。
この城は通行税を徴収する為のものでした。
当時、ヨーロッパによるバルト海東方との交易が盛んになっておりここは唯一の海路であり、この城の前の海峡が最も狭い
通行税によってデンマークは財政的に潤うことになる。

その後この城は幾度も戦火や火災に遭い、また軍事基地として使用された。



 
< 8. いよいよ地下に入る >

左上: ハムレットの寸劇を中庭でやっていた。
言葉が分からないので、残念。

右上: 地下への入口。

左下: 地下通路。

右下:ホルガ―・ダンスク像
この像はデンマークの伝説上の英雄で、フランク王国のカール大帝と戦った人物です。
この英雄像は第二次世界大戦時ドイツに占領された時、デンマークのレジスタンスの象徴でもあった。


< 9. 地下道 >

地下は非常に暗く、足元はほとんど見えない。
非常に広いようです。
地下牢や兵舎があったようです。





< 10. 城外に出る >

上: 海峡側を歩くと砲台があった。
対岸ヘルシンボリが見える。
1日前にこの海峡をフェリーで通りました。

中: 海峡側から見た城。

下: ヘルシンオアの街側から今来た道を振り返る。
途中、地下に航海博物館がある。
手前左に近代的な建物のカルチャーセンター、博物館、レストランがある。
最近出来たようです。
手前に単線の線路があるが、ヘルシンオア駅からこの左側に駅があり、ここまで路面電車で来ることも出来る。





< 11. ヘルシンオアの街 1 >

歩いたのは2019年6月8日(金)16:30頃です。



 

< 12. ヘルシンオアの街 2 >

帰りに町の通りを歩いていると、所々で子供達が集まっており、大人が何かを説明したり、スタンプを押したり、ジュースを与えたりしていました。

この日はイベントが催されていた。
右上の写真に横断幕が見えます
何か歴史的なイベントで、英雄ダンスクとも関りがあるようです。

左下: レストランに入ると、今日は祭りで料理はこれしかないとのことでした。
今回の旅行で幾度か食べた手軽な料理、上等なサンドイッチのようなものです。

右下: なぜか日本の着物が売られていました。


次回に続きます。





20190703

北欧3ヵ国を訪ねて 73: シェラン島北東部を巡る 5: フレデリクスボー城







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今回は湖畔の古城を紹介します。
中規模の洗練された宮殿でした。


 
< 2.散策マップ、上が北 >

上: Lyngby駅から電車を20分ほど乗って Hillerød駅に着きました。
Hillerød駅に到着したのが12:00頃で、散策後この駅に戻ったのは14:00頃でした。

右の上下の線が電車の線路で、No1がHillerød駅で下側(赤線)から来ました。
上側(オレンジ線)が、後にクロンボ―城に向かう線路です。
No2までの黄色線は普通の路線バスで、駅の北側のバスターミナルから乗り、城の近くで降りました。
ピンク線は徒歩ルートです。
城内と城館内を観光した後、北側の公園No3に行き、No4から遊覧ボートに乗りました。
No5の桟橋に着岸後、広場を抜け、No6から路線バスに乗り、駅に戻りました。


下: お城の立体図。
左側のSから入場し赤線を歩き、Bからボートに乗りました。



 
< 3. Hillerød駅 >

上: Hillerød駅のホーム。

下: バスターミナル。
表示板の直ぐ右奥に見える屋根が、駅舎です。
路線番号302に乗り、301は戻りの路線だと思います。


私は駅を降りてバスターミナルが見当たらず困っていました。

近くを歩く高齢のお婆さんに聞くと、私を先導してくれました。
少し歩くと、このお婆さんは若い男性に声を掛け、私を目的の所まで案内してくれるように頼んだようでした。
お婆さんは歩行が少し困難ようで、私は礼を言って別れました。

この男性は、私を大きなバスターミナルまで案内し、さらにバスの停留位置まで付き添い、乗るべき路線番号まで丁寧に教えてくれた。

北欧三ヵ国を巡って、人々が本当に親切なことに驚きました。
概ね、若い人よりも年配者の方が丁寧で親切でした。
また、女性は高齢であっても一人で長距離列車に乗ったり、散歩していたりと行動的で、自立しているように思えた。


 
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< 5.フレデリクスボー城 >

城の最も古い部分は1560年のものですが、現在の宮殿の大部分は、1602年から1620年にかけてデンマーク=ノルウェーの王(在位:1588年 - 1648年)クリスチャン4世が作らせたものです。
この城はスカンディナヴィアで最も大きなルネサンス様式の宮殿となっている。
クリスチャン4世が死去すると、宮殿は主に王家の公式行事に使用されるようになり、特に絶対王政下、宮殿の教会で聖別式や戴冠式が行われていた。
1859年に大火に遭い、ビール王と呼ばれた事業家が再建に尽力し、現在は国立博物館となっている。



 
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< 7.城内の教会 >

煌びやかで落ち着いた教会です。



 
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この部屋には多くの絵画が飾られていた。



 
< 9. 掛かっていた絵画 >

中央の絵の左側に救世主教会の螺旋状の屋根が見える。
上二枚の絵はコペンハーゲン、17世紀頃を描いているのでしょう。
下の絵にデンマークの国旗が見えます。

後で知ったのですが、この城にはイエス・キリストの絵『山上の垂訓』を描いたデンマークの画家カール・ハインリッヒ・ブロッホの作品が多く所蔵されている。



 
< 10. 庭園に向かう >


 
< 11. ボートからの眺め >

上: この位置からボートに乗りました。

下二枚はボート上からの写真です。



 
< 12. 桟橋に面した広場 >

上: ボートを降りたところ。

下2枚: 桟橋は大きな広場に面していました。
ここでも市民らしい人々が寛いでいました。




 
< 13.次の目的地へ >

上: 帰りのバスに乗るために出た通り。

下: この電車に乗って、次の目的地 Helsingør駅に向かいます。


次回に続きます。


20190616

北欧3ヵ国を訪ねて 72: シェラン島北東部を巡る 4: 野外博物館 2





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今回は野外博物館の後半です。
三ヵ国の民俗家屋の野外博物館を見た感想も記します。




 
< 2.No.54の建物 1 >

上: 建物の説明書き。
この建物は、スカンジナヴィア半島南西部の海峡に面した所(現在スウェーデン)に17世紀建てられた。
この地域は数世紀にわたり、デンマーク領でした。
右上に示されているように住人は8人で多くの家畜がいた。
この農家はforest farmと書かれており、森林を利用して家畜を育て、穀物は家庭用に栽培された。
18世紀、この地域の木材は対岸のデンマークに小型ボートで輸出され、ユトランド半島東部の穀物と交換された。

下: 外側から見た。
中央に入り口が見える。


 
< 3.No.54 の建物 2 >

外観は古くてみすぼらしいが、中庭を囲むように四方に家屋が建っている。
二枚とも、中庭から見た写真。


 
< 4.No.54 の建物 3 >

古いが貧しい暮らしとは言えないようです。
内壁の板が縦方向で、外壁は横方向に並んでいるので、間に断熱の工夫がされているのだろう。


 
< 5.No.55 の建物 >

上: 建物の説明書き。
この建物も、スカンジナヴィア半島の最南端の(現在スウェーデン)に17世紀後期に建てられた。
この地域も数世紀にわたり、デンマーク領でした。
右上に示されているように住人は8人と7人の2家族です。
彼らは穀物栽培農家でした。
大きな家で、中庭を囲むように四方に家屋が建っている。



 
< 6.No.37-40 の建物 >

ここにはユトランド半島東側、デンマークの南端にあった4棟が集めらている。
皆、17から18世紀の農家です。


 
< 7.No.40 の建物 1 >

6人家族の農家で、豊かな暮らしをしていたようです。
外壁と竈兼暖炉はレンガ造りです。



 
< 8.No.40 の建物 2 >

多くの建具や家具は幅の広い板材が使用され、塗装もされている。




 
< 9. No.34の建物 >

上: 建物の説明書き。
ユトランド半島西側、ワッデ海のレモ島に1750年に建てられた建物。
この島は砂地で荒地です。
この島の多くの少年は水夫になり、大人になってオランダ捕鯨船のキャップテンになる者もいる。
この地では農業より漁業と航海が重要で、18~19世紀に繁栄をもたらした。

下: 左側の建物。



 
< 10. No.31の建物 >


上: 建物の説明書き。
ユトランド半島西側の南端に17世紀に建てられた建物。
此の農家は、最初オランダ商人が建て、賃貸されていた。

下: 特異な形をしている。
大きく高い屋根、小さな扉と窓が目立ちます。
中は暗いが大きな居間、納屋、家畜小屋がありました。


三ヵ国の野外博物館を見て

多くの農家は、木材が多用されていた。
ノルウェーは巨木が生かされていたが、他の建築材料に乏しい。
デンマークは木材に乏しく、豊富な土や草が補っている。
スウェーデンは両者の中間と言ったところでしょうか。

三ヵ国共に寒冷地なので、居間や寝室には大きな造り付けの大型の暖炉兼竈があった。
デンマークのように外壁レンガと内部は木張りにし、間に断熱効果を持たせれば、暖房効果は上がるでしょう。
その点、他の二ヵ国ではログハウスのような造りが見られるが、暖房に難点があるように思えた。

三ヵ国共に展示家屋の家族構成を見ていると、数世代にわたる大家族はなかった。
使用人や親族とは限らないような住人が共に暮らすことがあるようです。
デンマークでは家畜が多い。

これら野外博物館では農家の畑の様子、特に大きさと水源管理が分からない。
農地は穀物栽培の畑を柵で囲うだけのもので、東アジアの水田のような手間暇のかかるものではない。
また家畜も森林で飼育するようなので、人口密度の低いこれらの国では放牧地の維持に気をあまり使わないのではと感じた。


日本と比べて


氷河後退地の為、土壌が貧弱でさらに寒冷地なので、農業、特に集約農業が発展しなかった。
農業は麦などの穀物栽培なので、水管理も重要ではなかったようです。
生業としては日本のように農業中心ではなく林業、漁業、水運による交易などに多様化した。

これが東アジアとの家族制度の違いを生んだのだろう。
生業を多くの子供達に助けてもらう必要もなく、土地はどこにもあるので土地の相続でもめることもなく、親の権威が強化されることがなかったのだろう。

この結果として、貧弱な土地への執着がなく、水運を利用した移動と交易が相俟って、人々は外界への転出に抵抗がなかった。
むしろ発展と捉えたのだろう。
これは中国南部の山地に暮らす客家等の人々が、東南アジアや海外に進出することが飛躍だと考えているのに似ている。
古代ギリシャの植民にも似たところがある。

以下は、まったく私の感想です。
おそらく、親の権威が高まらなかった家族観、外界への転出意欲、土地への低い執着が、ヴァイキングを生み出した。
さらに千年の後の北欧の福祉国家の成功、短期間で貧しい国からの飛躍を可能にしたのだろう。

一方、日本の現状を見ると、山腹や小さな渓谷沿いの狭い土地を先祖伝来の地として守る姿が痛ましい。
美しい日本の原風景ではあるが、社会の変革を妨げる頑な姿に思えてしまう。


次回に続きます。