20200422

福知山の神代から戦国時代の息吹を感じる : 大江山の自然とロマン







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今回は、京都府福知山市の歴史と自然を訪ねました。
大江山にまつわる神代の伝説と平安歌人の想いを紹介します。
また大江山八合目から宮津街道の自然を紹介します。


 
< 2. 今回の訪問地、上が北 >

上: 太い線は宮津街道を示します。
私が訪れたのは赤枠の大江山周辺と矢印4の福知山の城下町です。
城は明智光秀が造りました。
訪問地は、いずれも宮津街道に接しています。
訪問したのは2020年4月15日です。

宮津街道は江戸時代、宮津藩が参勤交代で使った宮津と福知山を繋ぐ道でした。
古代より、大江山近くの峠を越える道は丹後方面を結ぶ主要な街道でした。
現在は両地点を舞鶴若狭自動車道と京都縦貫自動車道で結んでいます。

下: 上の地図の赤枠を拡大した地図。
太線が今回紹介するドライブルートです。

矢印1とG: 大江山山頂近くの鬼嶽稲荷神社。
矢印2: 日本の鬼の交流博物館。
矢印3: 元伊勢内宮と天岩戸神社。
S:  京都丹後鉄道宮福線の大江山口内宮駅。 
 
私は福知山から宮津街道をドライブし、鬼の交流博物館を見学の後、頂上に向かいました。
それから折り返し元伊勢内宮までドライブしました。
この時の写真がGからSまで順番に並んでいます。

途中の茶色の矢印は、分岐して北上する宮津街道です。


 
< 3. 百人一首と鬼伝説 >

上: 和泉式部の娘の小式部内侍の歌です。
私は当初、平安貴族がこんな山奥について歌う理由が分からなかった。
理由は、母の和泉式部が夫の赴任地の丹後で暮らしており、その寂しさを天の橋立に通じる宮津街道に思いを馳せて詠ったからでした。
生野は福知山よりも京都よりの地名です。

下: 源頼光による鬼退治、酒天童子伝説。
なぜ大江山は鬼退治で有名なのか?
それは鬼の交流博物館に入って分かりました。


 
< 4. 日本の鬼の交流博物館 >

上: 日本の鬼の交流博物館の外観
左の大きな鬼瓦のモニュメントが、駐車場がある入口側です。
この博物館は酒天童子の里にあり、周囲には多くの野外レクリエーション施設があります。

下: 内部

 
< 5. 鬼瓦と鬼の面 >

如何におおくの寺院の屋根に鬼瓦が使われていたがよく分かりました。
また日本全国の民俗芸能や神事、能で使われた鬼の面が展示されています。


 
< 6. 日本の鬼、世界の鬼 >
上: 岩手県の山村に今も伝承されている鬼の人形。
この男女のシンボルは、天明の飢饉以降、災いから村を守ってもらいたいと鬼に願を掛けて作っているものです。

下: 世界中の鬼の面。
写真には中国や韓国、南アジアの面が見えます。


* 大江山の鬼退治伝説 *

この初出は古事記の土蜘蛛退治で、次いで聖徳太子の弟による土熊討伐、最後に源頼光の酒天童子征伐があります。
実は、この「酒天童子の里」は銅鉱山の跡地に作られています。
この大江山一帯には古くから銅などの鉱物が産出していた。

そこで二つの説があります。
一つに、村人は鉱山から流れる鉱毒を恐れ、鉱山の職人集団を恐れた。
今一つに、朝廷が北辺の恭順しない部族を討伐し、さらには鉱山を奪う為に鬼退治と称した。

どちらにしても鉱山が重要な役割を果たしていたようです。


 
< 7. 鬼嶽稲荷神社 >

上: 展望台から望む東側
ここは標高832mの大江山の八合目にあり、東側に視界が広がっています。
秋の早朝の雲海が絶景だそうです。
写真中央に見える三角錐の山は日室ケ嶽(標高427m)だと思います。
実は、後に元伊勢内宮に行きますが、そこの日室ヶ嶽遥拝所から逆方向にこの山を見上げることになります。

下: 鬼嶽稲荷神社

この前で達者な老人と出会いました。
彼は私達を見ると、寄って来て話しかけて来ました。
「これから頂上に行くのは良いが、クマザサには入らないように」
私がなぜかと聞くと。
「熊が出るから」
納得してしまった、それで熊笹と書くのかなと(?)。

彼がカメラをぶら下げていたので聞くと。
彼はブナの花の撮影に行くと言って、一人で急峻な山道を登って行きました。
次の写真の山道です。
今が季節のようです。


 
< 8. これから元伊勢内宮を目指してドライブです >

上: 山頂に向かう道。
下: 麓から鬼嶽稲荷神社まで車で行ける道路。

 
 
< 9. 酒天童子の里までの道 >

桜の多くは終わりでしたが、まだ見頃のものもありました。

 
< 10. 酒天童子の里 >

ここには多くの施設がありますが、コロナの関係でほとんど閉まっていた。
私はトイレを探して日本の鬼の交流博物館に借用に行ったのですが、入館できますよと言われて入りました。
コロナ危機以降、出来るだけ入館せず、店にも寄らず、ハイキングとドライブだけにしようと心掛けていましたが。
入館して良かった。


 
< 11. 宮津街道と二瀬川渓流 >

上: 中央を左に延びる道が9号線で、左に行くと宮津に出ます。
私達はこの9号線を三叉路で右に曲がり、二瀬川渓流沿いに元伊勢に向かいます。
現在は舗装された幅の広い道ですが、当時の旧宮津街道は細い山道で、石畳の道などが山林を抜け、峠を越えながら現在の道と並行したり重なったりしており、今でも残っているようです。

下: 三叉路を曲がって9号線を福知山に向かって走る。
左は二瀬川渓流です。


 
< 12. 二瀬川渓流沿いを走る >

 
< 13. 京都丹後鉄道宮福線の大江山口内宮駅 >

上: ここも三叉路で、ここを奥に進むと毛原の棚田に行くと看板があります。
私はここを右に進みます。

下: 京都丹後鉄道宮福線の大江山口内宮駅。

元伊勢内宮は直ぐです。


次回に続きます。




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