20140828

私達の戦争 31: 摩訶不思議な解釈3

    

今回は、対立する左派と右派の不思議を見ていきます。
ここにも紛争の種が見え隠れします。


 
     2、3

幾つかの不思議
例えば、今の中国で革命を目指す人々は左派でしょうか右派でしょうか?
恐らく中国政府はそれを右派、資本主義に毒された不穏分子と見なすことでしょう。
しかし、それは左派、少数民族弾圧や不平等を正す改革派かもしれません。
何か、おかしいですね。

例えば、15世紀に能を大成した世阿弥は左派か右派、どちらでしょうか?
本来、左派・右派は政治的な立場を指すのですが、ここでは所属集団での革新派・保守派を意味しています。
彼は、伝統的な猿楽を脱して、新たな演出(幽玄世界)を盛り込んだ革新派と言えるでしょう。
このような事例は現在の歌舞伎や伝統工芸に始まり、相続した大企業経営者にも見られます。
しかし、その多くの人は、立場上、保守的にならざるをえないでしょう。



ポイント
A.社会には、保守的な立場が、または革新的な立場が得策である集団・階層が存在し、大半の人々はどちらにも属さない。
B.一方、そのどちらかの集団に属していても、革新的な性向を持つ人と保守的な性向を持つ人が存在する。

社会や集団には、体制側と一体となり体制を堅持することが得策な保守的な立場が存在します。
現状に不満を持つ人々は、体制の変革を望むことになりますが、変革には労苦と危険が伴うので、すべてが革新的な立場とはなりません。
ここで重要なことは、通常、断固として体制堅持を望む立場は一部であり、多くは労苦と危険を共はない限り、より良い社会への変革を望む立場になる(貧富の差拡大期や、経済停滞時は特に)。

保守的か革新的な性向(脳機能)を持った人々は正規分布の両端の一部でしょう。
多くは中庸な性向を持っているでしょう。
一般的に保守的な性向は、社会変化を嫌い、容易に新しい主義や制度を信じないようです。
革新的な性向はこれと逆になります。

この結果
個人の保守・革新への態度の強弱は、それぞれの所属集団による立場と個人の性向の組合せで、それこそ十人十色となる。
例えば、保守的な性向を有する人が大企業と莫大な遺産を所有した場合は、最も保守的態度をとりやすくなるでしょう。
逆の場合も然りです。


何が問題なのでしょうか
上記の現象は自然な成り行きで、問題は恣意的な操作による偏りと対立です。

体制堅持を図る人々は、その目的の為に教宣活動を行うことになります。
その教宣は中庸な人々も含め、保守的な心情を奮い立たせることになります。
特に、保守的な性向を有する人はそれに乗りやすくなります。
当然、体制の変革を図る側も同様の試みを行う。
しかし通常、資金力・影響力に優れる体制堅持側が有利になります。

     4、5

これは何を意味するのでしょうか?
右派・左派(保守・革新)の教宣活動は、目的達成こそが重要であって、その言説の論理や事実は重要でははないのです。
こんなことを言えば、立派な先生方にお叱りを受けるかもしれませんが。

例えば、他国の脅威は無視出来ないが原発事故の脅威は無視出来る日本の右派がいます。
世論調査の分析によれば、原発を嫌う人は科学に不信感を抱く傾向が強い(他の要因もある)。
普通に考えれば、科学に不振感を持ちやすい人は保守的な性向に多いはずです(推測)。
なぜこのようなことになるのでしょうか。
それは原発政策が米国の国益と一致したからで、その起源は敗戦時、政府が再建を全面的にGHQに委ねたことにあります(善悪を問わず)。
もし米国が石炭政策を取っていたら、現状は変わっていたでしょう(円高も同様)。
昔はいざ知らず、現状の共産大国が原発を否定し、日本の左派に反対の圧力をかけているとは思えません。
すると原発労組を抱える左派が原発反対になる理由は、科学的根拠か右派(長期与党政権)への反発からでしょう。
このような例、理論、心情すらも食い違う例はいくらでもあります。
例えば、米国の共和党はリンカーンの時代、革新派でしたが現在は保守派です。


まとめ
本来、革新的な性向(脳機能)と保守的な性向は釣り合っており、社会は適切な進歩と安定を手に入れることが出来るのです。

右派と左派の論争が噛み合わないのは、一方の論理が未熟からではないのです。
元々、保守派と革新派が作り上げた言説は一貫性や論理など疑わしいのです。
所詮、辻褄合わせの産物なのです。
そのあやふやな言説に、中庸な人々までが踊らされ、左右に大きく振れ対立することが問題なのです。

現在は、別の不安定な状況が世界の先進国で進行しています。
それは各国で政治への不信感亢進により政党離れが進んでいることと、貧富の差が拡大していることです。
この状況は、歴史的にみて、何かの不足の事態を切っ掛けにして、世論が大きく振れる危険性を孕んでいることです。

大事なことは、皆さん一人一人が、確かな視点を持たないと、振り回され悲劇を見ることになるかもしれないと言うことです。




20140827

私達の戦争 30: 摩訶不思議な解釈2




    

今回は「左派が戦争をする」「右派が戦争をする」、この対立を取り上げます。


    

左派が戦争すると思われている例
一部の人は、ヒトラーが凶暴な社会主義革命家だと信じているようです。
その根拠はヒトラーのナチスが国家社会主義ドイツ労働者党だからでしょう。
彼が国民に訴えたのは、ゲルマン民族の優越(反ユダヤ)と反共産、栄光の軍事大国復活でした。
彼は、当時の大不況と社会混乱にあって、上記スローガンで中産階級や農民、青少年を魅了し組織化したのです。
彼はバイエルン邦国で知名度が上がってくると、それまでの味方(過激な労働運動家)を切り捨て、旧来の軍部や資本家と手を結んでいきました。
その20年前、社会主義国を目指したドイツでしたが、当時は保守勢力と軍部が政権を担うようになっていました。
彼は一貫した主義や論理を持たず、総統になるために手段を選ばなかった。
国民は、ヒトラーの提案した夢にすがり信じたのです。
当時はファシズム(全体主義)が世界各地に吹き荒れ、独裁者が国を牛耳り軍事侵攻を始めた。
その代表格がイタリア、ドイツ、日本、スペインだった。

ではなぜ一部の人々はヒトラーに対して違った見方をするのでしょうか?
ポイント
A.「戦争をするのは共産主義者(左派)」「保守主義(右派)は戦争をしない」と信じたい人々がいる。
B.その事を訴える人々がいる。

この二つは共に右派と見なされ、同様に左派にもこの傾向があります。
ここで重要なことは訴える人と信じる人の二重構造になっていることです。
ちなみに日本の右派(保守派)は民族主義(排外主義)、軍事志向で、左派(急新派)は社会主義、平和志向と見なされています。

    

左派と右派、どちらが戦争をしたがるのでしょうか?
米国の民主党政権と共和党政権どちらが戦争をよりしていると思いますか?
簡単に言うと、ベトナム戦争は民主党大統領、イラク戦争は共和党大統領が始めました(事情は複雑ですが)。
ここでも両派で意見が対立することになります。
共産国家が軍事独裁や帝国主義になることは度々あり、典型的なのはスターリンでしょう。
日本では軍人が幾度もクーデターを起こし、軍部が政権を掌握するとやがて日中戦争へと向かって行きました。
これは右派のパターンでファシズム(全体主義)と呼ばれるものです。
かつて武力で植民地を従えた西欧の帝国主義国は共産主義と無縁でした。
今の米国は、どうでしょうか?
日本では好意的に見られていますが、中近東や南アメリカでは嫌われていることが多い。
それは自由主義の米国がここ半世紀あまりの間に、軍事介入や政権介入(諜報活動)を行ってきたからです。

    

ポイント
C.特定の観念や主義だけが国家を戦争に向かわせるのではない。つまり右派、左派に関係なく戦争をするのです。
重要なことは、観念や主義が社会の合意形成や団結によく利用されることです。
多くは、国民が信じやすい観念や主義が唱えられ、盲目的に受け入れてしまっている間に、独裁や全体主義が完了し軍事国家となった。
一度、そうなると多くは壊滅状態になるまで突き進みます。
その観念や主義で重要なのは、事実や論理ではなく、如何に人々が信じ共有出来るかにあります。
その観念や主義の類には、共産主義や資本主義だけでなく民族や宗教、ドクトリン(他国の脅威への抑止論)があり、テロ対策や国益を守るなども同様でしょう。

    

まとめ
私達はどうしてもステレオタイプにものを見てしまいがちです。
その方が日常暮らしやすいからです。
一度、知らず知らずのうちに右派・左派どちらかに属してしまうと、例えば特定の新聞や報道番組に偏ってしまうと、それと異なる情報や見解は少なからず葛藤を生むので、やがて避け拒否するようになって行き、さらにその傾向は深まります。
このことが、多くの誤解に基づく左派と右派の対立を招くことになります。

次回は、左派・右派の不思議に迫ります。





20140825

Nature of Nagano:  Yashima bog in Mount Kirigamine. “霧ヶ峰高原の八島湿原”

flower


     

I introduce a bog in fog today.
Here is the big bog in a plateau near Lake Suwa

今日は、霧に包まれた湿原を紹介します。
ここは諏訪湖に近い高原にある大きな湿原です。


the pond in Yashima bog 

 2.  the pond in Yashima bog  

We entered the bog at 8:00 on the morning of August 11.
It was an unlucky light rain, but many callers already had come.
We took a walk only small area.
I entered a big bog for the first time, and I surprised at many flowers.
The fantastic foggy scene, small colorful flowers, and the shining green leaf by light rain were very impressive.


私達は8月11日の朝8時に湿原に入りました。
あいにくの小雨でしたが、既にたくさんの訪問者が来ておられました。
私達はほんの一部だけを散策しました。
私は大きな湿原に入るのが始めてで、花々の豊富さに驚きました。
霧に包まれた幻想的な景観、精彩を放つ小さな花々、雨に光る緑の葉が印象的でした。

Yashima bog at clear day

< 3.  Yashima bog at clear day, by wikipedia 

Yashima bog is a high bog at 1632 meters high, and is located in the northwestern part of Mount Kirigamine.
This bog is 430000 square meters.

八島湿原は八ヶ岳中信高原国定公園・霧ヶ峰の北西部に位置する標高1632mの高層湿原です。
湿原の広さは430000㎡あります。


a boardwalk

 4. a boardwalk 

a bee and two butterflies

 5.  a bee and two butterflies 

Trees had been hidden in a veil of fog 

 6. Trees had been hidden in a veil of fog 

flowers

 7.  flowers 

If it was fine, I would have taken good picture.
I had thought being disappointed at first, but the walk in the gentle rain was good.
I recommend this bog to you.
Yashima Visitor Center HP,  http://park2.wakwak.com/~vc527000/ 

晴れていれば良い写真が撮れたのに残念とは思いますが、小雨の中の散歩も良いものでした。
一度皆さんも行かれたら良いと思います。
八島ビジターセンターHP 
ここに色々情報があります。





20140823

私達の戦争 29: 摩訶不思議な解釈



    

これから数回、軍隊や戦争にまつわる不思議な解釈について考えます。
今回は「人間は戦争をする動物である」を検討します。

*2

今まで取り上げてきた戦争の記事
連載「私達の戦争」
2~15 : アジア・太平洋戦争の実情を日本側からと侵攻を受けた国からみました。
17~22: 銃の普及が国や社会にどのような被害を与えているかをみました。
23   : 戦争がどのようにして始まるかを簡単にみました。
24~28: 戦争がどのように膨大な被害をもたらすかをみました。

他の記事
連載「戦争の誤謬1~23」   : 人類の戦争を多角的に取り上げました。
連載「人類の歩みと憲法1~17」: 人類が生みだした憲法と戦争防止の役割をみました。
「本の紹介『戦争と罪責』1~3」: 数人の日本兵による残虐行為の実態と心理をみました。
「図解ヒトラー総統の誕生」   : 15年間で一国を牛耳る過程を要約しました。
連載「社会と情報8~21」   : ベトナム戦争の舞台裏を米国中心にみました。

戦争を防止するには、知るべきことがたくさんあると思うのですが、更に大事なことはその先にあります。
そうは言っても、戦争を理解することに意味が無いと思っている方もおられるでしょう。
これから数回にわたり、戦争を容認し易い基本的な誤解を取り上げて検討します。

    

「人間は戦争をする動物である」について
戦争を否定すれば、「そんな無駄なこと、人類は戦争するように進化したのだから」とあざける人が出てくるものです。

確かに、動物で同類を徹底して殺すのはチンパンジーと人類だけです。
縄張り争いをする他の動物は、相手を噛むことはあっても殺すことは希です。
これは、強弱が判明すれば互いに深傷を負わない擬闘と呼ばれる行動です。
これは、毎回徹底的に殺し合いすれば双方が傷付き、結果、個体数の減少を招くからです。
こうして、この擬闘は進化の過程で定着したのです。
連載「心の起源8」が参考になります。

なぜ最も進化し地球を支配している2種類の大型類人猿は徹底した殺戮を行うのでしょうか。
定説はありませんが、おそらく感情(神経伝達物質分泌機能)と思考力の発達が根源でしょう。連載「憎しみを越えて」「心の起源」が参考になります。
上記二つの脳機能の進化は、帰属集団への共感を高め、集団社会を強化発展させ、長期的な展望を持った行動を生み、さらには文化・科学を育成・蓄積することを可能にしました。
一方で、このことは帰属集団以外を恐怖し敵視する副作用を生んでしまった。
このことが時に紛争、戦争を招くのです。

これは人類が旺盛な食料生産により、不適応の糖尿病を多発させてしまったようなものです。
これは人類の体が貧栄養状況に進化適応したからであり、糖尿病になるように進化したのではありません。
つまり糖尿病も紛争・戦争も不適応であり副作用なのです。

    

一方、人類は有史以前から紛争を調停し抑制する手段を生みだして来ました。
その原初状態はチンパンジーにも見られます。
人類が有するようになった初期の手段(サンクション)は、部族の掟や文化、宗教の戒律に巧みに配されています。
やがて文字の誕生と共に法制度が成熟していき、やがて憲法の誕生にもなったのです。

    

つまり人類は進化の過程で副作用として戦争も行うようになったのですが、その副作用を押さえ込む工夫も発展させて来たのです。
どちらに圧倒されるかは皆さん次第です。

いずれ連載「法の歴史」を始めるつもりです。






20140821

Hot spring in Nagano Prefecture: “Yukawa hot spring, kappa's hot spring” “湯川温泉、河童の湯”

 
    

I introduce you to a hot spring of Chino-shi, Nagano.
We took a morning bath in an unexpected turn of events.
I enjoyed a feeling of relaxation by it.

長野県茅野市の温泉を一つ紹介します。
ひょんなことから朝風呂に入りました。
ほっとした一時でした。



< 2.  the bathtub of " kappa's hot spring",  open-air bath is its outside >

The reason that I entered this hot spring
In order that we see a grandchild’s recital, we were scheduled to go to Nagano prefecture.
However, we had to cross Akashi strait Bridge hastily by night because typhoon 11 had approached.
And we drove all night, taking a nap in some service areas, and reached Lake Suwa service area early in the morning.
In this neighborhood, a hot spring that we can take a bath early from 7:00 a.m. was only “kappa's hot spring”.
It is the place of around 25 minutes by car from Lake Suwa service area.
I intended to be the earliest visitor, but several persons had already taken a bath.
The structure of the hot spring was new, and it was clean.
While I had been taking the open-air bath along with getting sunlight of the morning and breathing mountain air, my fatigue seemed to melt.


温泉に入ったいきさつ
私ら夫婦は孫の発表会を見るために長野県に行く予定でした。
しかし台風11号が迫って来たので、急いで明石海峡大橋を夜までに渡らなければならなくなりました。
そしてサービスエリアで仮眠を取りながら夜通し走り、朝早く諏訪湖SAに到着しました。
この辺りで、一番早く朝7時から入れるのが、この「河童の湯」でした。
諏訪湖SAから車で25分ぐらいの所です。
一番早く入ったつもりでしたが、既に数人が入浴していました。
温泉の造りは新しく、清潔感がありました。
朝の陽光を浴び、山間の空気を吸いながら露天風呂に入っていると疲れが溶けていくようでした。


< 3.  Lake Shirakaba

About kappa's hot spring
Because it was rainy all morning in that day because of a typhoon, I took photographs on the next day.
This hot spring is halfway through a road leading to Lake Shirakaba and is in Yukawa village leaving a traditional feature in foot of a mountain.

河童の湯について
台風の為、この日の午前中は雨だったので、写真は次の日に撮りました。
この温泉は白樺湖に行く途中にあり、昔ながらの面影を残す山裾の村(湯川区)の中にあります。


< 4. There is " kappa's hot spring" in the small forest among the village of the photograph center. >


< 5.  Kappa's hot spring, river Yukawa flowing along it, the Shinto shrine bordering it  >

It was built at 60 years or more ago, and it began from the public bathhouse of the village at first.
Suwa city and Chino city of Nagano have some hot spring and some public bathhouse.
The hot spring is water-clear (alkaline simple hot water) and the fountainhead temperature is 56.
The charge is 400 yen per one adult..
The origin of the name of this hot spring is from a folktale that Kappa was living in this river Yukawa.
Kappa is a mythical being, a good swimmer, and was usually seen as mischievous troublemakers or trickster figures.
Some trees of splendid Japan cedar of this shrine had a mark of “On-bashira”.
Are these used for the pillar of a festival or shrine pavilions?

I had a good time in an unexpected way.
I recommend it to you.
「湯川温泉、河童の湯」 http://www.lcv.ne.jp/~yugawa/kappa.htm


建設されたのは60年以上前で、最初、村の共同浴場から始まった。
長野県の諏訪市や茅野市は温泉や共同浴場が他にもあります。
温泉は無色透明(アルカリ性単純泉)で源泉温度は56℃です。
料金は大人400円です。
この温泉の名前の由来は、この湯川に河童が住んでいたと言う伝承があったからです。
河童は伝説上のもので、泳ぎが上手く、通常いたずら好きなトラブルメーカーと見なされます。
この神社の幾本かの立派な杉の木には御柱の印がありました。
これらは祭りか社殿の柱に使われるのでしょうか?

思わぬ良い一時を過ごしました。
皆さんにもお薦めします。




20140820

私達の戦争 28: 戦争は何をもたらすのか 5

     

前回、国民が自由を奪われ困窮していく様子を見ました。
今回は、今後に関わる最も注意すべき問題を見ます。

    

忘れてはならないこと
誤って戦争が始まっても、本来、民主主義が機能していれば、国民は政府に和平へと向かわせることが可能だったはずです。
しかし一度、言論の自由と議会制民主主義が破壊されてしまうと、失敗を引き受けたくない為政者達は無謀な戦争を引き延ばすことが可能になる。
それは多くの戦争、特にアジア・太平洋戦争とベトナム戦争はその典型です。

次いで重要なことは、戦争で起きる虐殺が互いの憎しみを連鎖的に増幅させ、戦争拡大や次の戦争への呼び水に成ることです。

上記二つは表現すれば単純なのですが、残念ながら、この二つが絡み合い蟻地獄に落ち込んで行くのがほとんどの国家でした。
この悪循環を積極的に断ち切る意識と工夫、努力が必要です。


戦争は社会に後遺症を残し、次の災厄をもたらす
ほとんどの場合、上記の民主主義の破壊と復讐の連鎖は国家が戦争を意識した時から始まります。
しかし国家や国民が気づかない内に、次の争いの種を撒き散らし、戦争の芽を育てつつあるのです。
その多くは繰り返す紛争や戦争から生みだされるのです。

    

米国を例に見ます
このシリーズの「銃がもたらすもの1~6」で銃社会を考察したように、一度、銃や武器が蔓延し、軍需産業が巨大化してしまうと争いの種が増えて続け、減らすことが困難になります。

約190年前、米国はモンロー主義を掲げ他国の紛争に干渉しない外交方針であったが、2度の大戦を勝利し覇権国家となった後、益々、戦争をリードするようになっていった。

9.11事件後、大統領はテロ対策と称してマスコミ報道を統制し、外国だけでなく国民をも毎日大量に盗聴するようになった。
最初こそ、議会は秘密裏に実施することを承認したが、一度始まると誰も知らない内に、ホワイトハウスの一握り(NSA)によって米国も世界も透視され、報道は真実を語ることが出来なくなっていた。
これは前代未聞の事態であるだけに、先を予測することは困難だが恐らく大きな不幸、少なくととも一握りの人々に牛耳られる社会の到来を招くだろう。
おそらく第二次世界大戦時の成功体験がFBICIANSAによるインテリジェンス(情報)操作を発展させたのだろう。
そこには自国に降りかかる戦争を防止するためには、明確な戦闘行為以外の手段による他国への諜報活動(暗殺、武器援助、政府転覆・クーデター幇助など)は自衛の範囲と身勝手な解釈をしているからだろう。
しかしこれは非常に危険であり、別の項で説明します。

米国にはこれだけの灰汁が溜まり、増え続けているのです。

    

日本の例を見ます
前回、日本独特の下請け構造(二重構造)が日中戦争に始まる経済統制に起源することを見ました。
他にも色々あるのですが、今後に影響する最重要なものを一つ採り上げます。

見えにくいのですが、戦後のGHQ(連合国軍総司令部)の影響は、今も尾を引いている。
それは日本が戦後の大混乱を米国の腕力と経済力によって一気に処理し、自ら反省し乗り越える努力を放棄してしまったことにある。
それが起こり得たのは米国が日本を共産圏への防波堤にすることを望み、日本政府や民間もそれと引き換えに米国の腕力を望んだからです。
これは望んだ人々にとって、労働運動による混乱の早期鎮圧や経済復興には非常に有効だったろう。
しかし一番の懸念材料は、日本が米国追従から脱することが出来なくなってしまったことです(資1)
相変わらず、米国の直接間接の抵抗に遭い自主外交路線を取れない政府・官僚・経済界・報道機関があるからです。
つまり米国の国益(日米同盟、反共産、貿易・金融・為替での米国追従)を犯すことが許されないのです。
現在変化しつつあるパワーバランスや世界の問題(資源枯渇、貿易協定、国連、核拡散など)に対して、日本は自ら最適な道を選ぶことが出来ないのです。
その始まりは、おそらく敗戦後の吉田首相の采配から生じたのでしょう。

    

最後に
戦争がもたらす災厄を概観してきました。

戦争がもたらすことで重要なことは三つです。
1.戦争は、想像を超える甚大な被害と困窮する生活を招き、自由と権利を奪う。
2.戦争は、一度戦闘が始まると際限なく突き進む性質を持っている。
3.戦争は、終戦後も後遺症を残し、再発の危機を孕むことになる。

戦争は計り知れない恐ろしさを持っているが、どん底の経験から反省し、乗り越えた国々も世界には存在します。


参考資料
資1:「戦後史の正体」孫崎享著、創元社、2012年刊




20140819

私達の戦争 27: 戦争は何をもたらすのか 4

 
    


これまで見てきた戦争被害は死者や金額の多寡で表現出来ました。
戦争による兵士と民間人の傷病者の数は死者を遙かに凌ぐことになるが、不明瞭です。
しかしもっと恐ろしく、社会の更生を拒む根深いものがあります。

その他の被害
これまで扱っていない被害を列記します。



< 2. 結合双生児の分離手術後、家庭を持ったドクさん >

1.       ベトナム戦争での枯れ葉剤散布: 現在も約30万人の奇形児がいる。
2.       戦場に埋設された地雷: 世界に1億個ある対人地雷で、和平後も死傷者が出ている。
3.       毒ガス、都市爆撃、火炎放射器、原子爆弾など: これら無差別殺戮手段は主に今次大戦で開発されたもので、大量の民間人が死亡した。
4.       精神を犯される兵士: 米国のイラク・アフガン戦争の結果、帰還兵の14%(10万人以上)が精神的な治療を受け、5万人以上が心的外傷後ストレス障害になった(資1)。日本でも太平洋戦争末期になると、還送戦病者の精神病患者比率は最大22%(学者により8%)になった(資2)。これは戦後の研究結果であり、当時、兵士が精神病に罹ることに気づいた医者は希だった。
5.       人権や自由が無くなる: 戦争が始まるとあらゆる国家は戒厳令や様々な統制令を敷くことになる。徴兵制や言論統制などにより、否応なく国民を戦争遂行に向かわせる。 


< 3.映画「ディア・ハンター」、ベトナム戦争帰還兵の心の傷を描いた >

日本の場合
アジア・太平洋戦争時、戦時体制が何をもたらしたのかを見ます。

1.国民精神総動員法: 1937年、日中戦争開始共に施行。「国家の為に自己犠牲を尽くす国民」を育てる目的で大規模な宣伝広報が行われることになった。

2.国家総動員法: 1938年施行。政府はこれによって労務・資金・物資・物価・企業・運輸・貿易・言論などほとんどの国民生活と企業活動を勅令で統制可能になった。つまり議会を通さず天皇の命令により、政府は戦争遂行へと大きく舵を切ることが出来るようになった。

3.大政翼賛会: 1940年、太平洋戦争開始の1年前に結成。すべての政党を解体し、この会に一本化し、総裁である首相が、各都道府県から末端の町内会までを統括した。

4.治安維持法: 1941年、太平洋戦争開始の9ヶ月前に大幅強化。これによりあらゆる政府批判を最大死刑で弾圧し、有無を言わせぬ体制が完了した。


< 4.治安維持法 >

この軍部主導の全体主義的な計画経済がなければ苛酷な戦争を継続出来なかっただろう。
少ない食料と資源を国民で分かち、老若男女がすべての力を出し切り、資金・家財道具を供出し、お国のために身を捧げてこそ可能だった。
この過程で、地主制衰退や企業の利益抑制、技術学校設立などプラス面も無いではなかった、ほとんどは限定的だが。
このような一体化を成し得たのは一重に、国民の期待を担った貴公子近衛公と天皇制(統帥権干犯)のおかげだったろう。


いくつかのエピソード
1942年の翼賛選挙の無効票に書かれていた批判を見ます(以下、資4)

「軍官専制世は真っ黒、資本家便乗搾取に踊る衆院萎えて色無し」(政治批判)
「翼賛会は国賊にして且つ憲法の大敵だ」

「南進して成果は挙がっても泣くは国民ばかりなり」(軍部批判)
「軍政をたおせ、戦争やめろ」

「債権の押し売りやめてくれ」(統制経済批判)
「米をあたえずんば死を与えよ馬鹿」
「産めよ増やせと言っても白米不足で生まれた子供は栄養不良だ。将来の日本民族を考えないか」

「官吏極楽商工地獄せめてなりたや守衛さん」(官吏、商工政策批判)
「あたらしい共産主義者岸(信介、商工大臣)を打ち殺せ」
「中小商工業者は犬猫にあらず、殺されてたまるか」
当時、軍需優先のため中小企業を強制的に改変・統合させ財閥系企業の系列に組み込んだ。これが現在の下請け制の原形となった。

*5

国民の発言が露見するとどうなったのか、1942年の事件から(以下、資4)
「面白い話をこもごも聞きます。今日本は負戦さばかりだそうですね。発表ばかり勝った様にしているが、本当は負けているとのことだ」(職工の発言、誣告罪で送検)
「天皇の奴は暑い目寒い目を知らずに・・・、国民を奴隷扱いにして、・・いつかは政体が変わる」(新聞記者の発言、刑法で送検)
「俺は招集されて天皇陛下のために死ぬのは嫌だ。日本は皇室を倒さんと本当の幸福は来ないのだ」(事務所員の発言、不敬罪で懲役1年)

当時、学者や思想家、活動家の国策に沿わない著作は次々に発禁となった。
新聞は、当局に逆らうと新聞紙の供給制限(配給制)で脅され、さらに徹底した検閲で真実報道や批判が出来なかった。
それを越えて訴える者は獄中死を覚悟しなければならなかった。
国民は虚偽広報の中で真実から閉ざされ、疑うことも批判も出来ず、当然、改革を望むことは出来なかった。
こうして戦争開始と共に、国民はズルズルと国家と無理心中を強いられた。

次回は、「戦争は何をもたらすのか」を締めくくり、これからのために最も注意すべきことを書きます。


参考資料
資1:「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」スティグリッツ共著、徳間書店、2008年刊。
資2:「戦争と罪責」野田正彰著、岩波書店、1998年刊。
資3:「概論 日本歴史」佐々木潤之介編、吉川弘文館、2000年刊。
資4:「アジア・太平洋戦争 日本の歴史20」集英社、森武麿著、1993年刊。