20151121

社会と情報 63: 戦った報道 20




< 1.青島の居留地 >

記事の投稿順序を間違いましたので、差し替えします。

前回、国内の窮状を見ました。
しかし、なぜ国内問題の解決が満州侵攻だったのかが明確ではありません。
今回、その背景を経済的側面から見ます。

はじめに
私は、これから大陸侵攻の経済的側面、特に植民地化と産業貿易について見ていきます。

ところで、あなたは台湾人が日本の植民地統治をどのように見ていると思いますか?
参考に台湾大学の歴史学科教授のコメントを記します。文献1.

「台湾は、日本の統治下で、近代化と植民地化の二重の歴史過程を経験した。一般的に植民地化は完全にマイナスの経験とされ、近代化と言えば、プラスの評価が強調されることが多い。しかし、・・これは二重奏のようなもので、・・この両者の関係をなおざりにするならば、台湾人が日本統治に対して抱いている心情の複雑さを理解することは出来ないだろう」



< 2. 関東軍参謀の石原莞爾 >

満州事変前後の代表的な発言
最初に、当時の人々は1931年の満州事変をどのように捉えていたのかを見ます。
六つの意見を要約しました。

A: 1929年、満州事変の首謀者石原莞爾の「満蒙問題解決案」より 文献2.
「満蒙の合理的開発により、日本の景気は自然に回復し有識失業者を救済することが出来る」

B: 1931年10月、大企業を中心とした財界4団体の申し合わせより 文献2.
「協同一致排日行為の絶滅、対支懸念および満州問題の根本的解決を期す」
この年の9月の満州事変を受けての反応です。



< 3. 1935、36年、上海の抗日運動を報じる新聞 >

C: 1931年11月、山形県のある軍人後援会の設立趣意書より 文献2.
「今やわが国は空前の難局に際し、満蒙はおろか全支にわたり武器を採って先陣を進めつつあり、・・本村から出征している軍人は6名の多数に上っているのであります。この我等村民は挙村一致してこれら軍人を後援し・・・億兆一心義勇奉公の誠を表したいと思います」

D: 1932年8月、日本中小商工会連盟の決議より 文献2.
「中小商工業者の満州移民進出のために政府は急遽積極的方策を確立すべし」


E: 1932年6月の第62帝国議会への誓願活動の要約、自治農民協議会による 文献2.
「農家の負債を3カ年据え置くこと。肥料資金として反当たり一円の補助を出すこと。満蒙移住費として5千万円の補助をだすこと。」

F: 1937年元旦、貴族院議長近衛文麿(後に首相)の発言記事より 文献3.
「天賦の資源を放置して顧みないというのは、天に対する冒涜ともいい得るが、日本は友人として開発をなさんとするものである」
この年の7月に日中戦争の戦端を開くことになるが、上記は中国のことを指す。



< 4. 満州開拓の夢と現実 >

説明
農家や中小企業、大企業、政府を代表し国論を牽引した人々は満州事変を契機にして、移民の増大、現地の排日行為根絶、中国からの干渉阻止、中国の資源開発を訴えた。
そして多くの人が横暴で未熟な現地を軍事で制圧することに賛成した。

軍部や政府は大陸の情報を捏造し続けていたので、国民はそうだと思うようになっていた。注釈1.
この態度はFのように近衛の発言にも現れている。
一方、末端の人々はCのように政府や軍に対して従順であった。
実は、Cは在郷軍人会、Dは左翼、Eは右翼が関わっていた。
こうして左翼も右翼もこぞって戦争に足を突っ込んだ。
まだ満州事変の段階では、日本政府は戦線不拡大の方針のはずだったが、既にCの発言には中国侵攻が謳われていた。

次回は、具体的に経済的な背景を見ます。


文献1:「図説台湾の歴史」周著、平凡社刊、p123。
文献2:「集英社版日本の歴史20」p22、27、28、31、77。
文献3:「図説日中戦争」河出書房新社刊、p9。

注釈1: 満蒙で起きていた1928年の張作霖爆殺事件、1931年の中村大尉事件、万宝山事件、満州事変などが典型です。
どれも政府、特に軍部が国民に事実を知らせないだけなく、敵意を煽るために情報を捏造していた。
国民が真実を知るのは戦後になってからでした。




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