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今回は、安徳帝ともっとも深い縁がある神社を紹介します。
< 2. 神社のある場所、共に上が北 >
上: 祖谷の全体図
赤いバルーンが今回紹介する栗枝渡八幡神社(くりしどはちまん)、黄矢印が落合集落、白矢印が鉾神社と喜多家、ピンク矢印が祖谷のかずら橋。
八幡神社以外は既に紹介しました。
下: 八幡神社と落合集落を示す。
八幡神社は東祖谷栗枝渡村の上部に残された森にひっそり佇んでいます。
村の一部はさらに上まで広がっています。
この村の東側、上流側には落合集落が見えます。
< 3. 登りの路 >
上: 祖谷街道から登りの路に入って中ほど。
下: だいぶ登って来ました。
前回の喜多家に行く路に比べれば距離は短く、道幅も広く舗装もされており、行きやすい所です。
< 4. 途中の眺め >
上: 東側、祖谷渓谷上流部を望む。
下: 真南を見下ろす。
茅葺を覆うトタン屋根が下に見える。
< 5. 八幡神社の前に到着 >
神社は見えないが看板があるので分かります。
ただ充分な駐車場はありません。
上: 車から降りて、来た道を振り返った。
下: その看板の手前の雑草が生えているところが駐車場です。
小型車2台程度が駐車出来そうです。
< 6. 森の中に神社が見えた >
上: 駐車場から坂道が延びており、進むと神社が見えた。
下: 右手の杉の間に、小さな祠があった。
< 7. 栗枝渡八幡神社と安徳帝の火葬場 >
以下から説明を引用しました。
https://nishi-awa.jp/heike/pdf/heikenaka.pdf
上: 栗枝渡八幡神社
安徳帝が「蛙の鳴く場所で過ごしたい」との希望されたこともあって、平国盛は温かい南向きの栗枝渡に、新しい御所を造った。
御所と伝わる八幡神社には鳥居が無く、敷地の奥には安徳天皇語火葬場の跡がある(写真中央本殿の右側)。
栗枝渡の地名は、安徳天皇が渡られる時、橋が流されていたので栗の倒木を川(祖谷川?)に掛けて、帝に渡って頂いたことに由来している。
下: 安徳帝の火葬場
安徳天皇が突然の病気で崩御された時、平国盛は、安徳天皇が生前好んで遊んでいた場所を掃き清め、帝を荼毘に付したと伝えられている。
この場所は未だに、どんなに雪が降っても積もらないという不思議な場所。
< 8. 神社境内の建物 >
上: 本殿の右側にある建物
下: 本殿の右側から裏側を望む
< 9. 神社の境内から >
< 10. 境内を去る >
< 11. 下りの眺め >
上: 東に落合集落が見えた。
下: 山里の生活を感じる時
左側に上下に配置された幾本もの横棒が見えるが、これは稲や野菜の乾燥用の棚でしょう。
その右下に小さな畑が、さらに右には立派な墓石が並ぶ墓地が路て沿ってあった。
今回、急斜面の山里を幾度も通っていると、高齢の御婦人が畑作業をしているのを幾度も見た。
高齢の私には考えられないのだが、この傾斜地の生活は足腰に非常に厳しいはずです。
例え車があっても無理だな! そんなことを考えながら別れました。
次回に続きます。
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