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私は2020年10月1~3日、長崎県の対馬と壱岐を旅して来ました。
やっと念願の対馬を訪れることが出来ました。
これから歴史ロマン溢れる二つの島を紹介します。
* 旅行の概要
トラピックスの二泊三日のツアーです。
1日目は、伊丹から飛行機を乗り継いで対馬に到着し、二泊二日、バスで対馬を観光しました。
三日目、朝からフェリーで壱岐に渡り、半日観光し、ジェットフォイルで福岡港に到着後、飛行機で伊丹に戻りました。
通常、関西から対馬への旅行は、不便な為、効率よく旅行出来ませんでした。
しかし今回は、国と長崎県から離島支援やGo To支援により航空便を使って本来の半額以下で無駄なく周遊出来ました。
天気もほとんど快晴に恵まれました。
* 対馬と壱岐の魅力
日本の古代史に興味がある人にとって、対馬は外せない。
先ず、「魏志倭人伝」に対馬国と壱岐国があったと記されている。
当然、奈良の大和朝廷が大陸と通交するには対馬は欠かせなかったはずです。
何せわずか海上50kmの先には朝鮮半島があるのですから。
大陸の神話や仏教が対馬を経由して伝わったことは疑いない。
大陸の文明や文化が列島に浸透する時、対馬はどのような役割を果たしたのか?
また対馬は常に外国との戦いにおいて前線基地であった。
古くは唐と戦った白村江の戦い、次いで大軍に侵略された元寇の役、倭寇の基地、秀吉の朝鮮征伐、そして日露戦争でのバルチック艦隊撃破などが対馬と関わった。
一方、江戸時代、朝鮮通信使はこの対馬を経由して江戸まで行き来した。
隣国との争いと和平の狭間にあって、この島はどう生き抜いたのだろうか?
ここ数年、対馬は韓国人観光客で賑わって、様々な噂が飛び交っていた。
ヨーロッパで幾つかの国境の町を見て来たが、国境の島では何が起きていたのか?
最後に、海峡に浮かぶ島、その山と海、暮らしに惹かれるものがある。
こうして対馬への想いを深め、この旅を経て、多くのことに巡りあった。
壱岐は、古代から遣唐使までの歴史ロマンに溢れているのですが、今回はわずかしか観光していませんので、詳しくはお伝え出来ません。
< 2. 対馬と壱岐、上が北 >
上: 矢印の二つの島が対馬と壱岐です
下: 対馬の主な観光地
対馬はほぼ一日半の観光でしたが、ほぼ地図上の観光地を巡る事が出来ました。
< 3. 対馬に到着 >
上: プロペラ機が今まさに対馬空港に着陸するところ
中央: 小茂田浜神社 (こもだはま)
元寇(文永の役)の際、討ち死にした対馬の武将を祀った神社。
すぐ横の海岸が、元寇の古戦場、小茂田浜です。
下: 椎根の石屋根倉庫
非常に珍しい建築様式。
上記二ヵ所は、対馬の南西部にあります。
< 4. 厳原 1 >
厳原(いづはら)は対馬の南東部の港に面した対馬の中心地です。
鎌倉時代以降、城下町として発展した。
上: 厳原の大通り
中央: 厳原八幡宮神社
下: 武家屋敷跡
< 5. 厳原 2 >
上: お船江跡(おふなえあと)
写真の右手が対馬藩の藩船が使用した船着き場の跡。
中央: 旧金石城庭園
対馬藩の宗家が戦国時代から江戸時代かけて築いた城の庭園や櫓門が復元されている。
下: 宗家墓所
対馬藩宗家の菩提寺、万松院から石段を登り詰めた所にある巨大な墓所。
< 6. 花鳥風月 >
上: 対馬海峡を照らす月光
中央: 国分寺
厳原にあるこの寺には、江戸時代、朝鮮通信使の客館があった。
重厚な山門や鐘楼が当時を偲ばせてくれる。
下: 季節外れの桜が、島のあちこちで咲いていた。
< 7. 島の北部 >
上: 比田勝港
漁港、また釜山港を結ぶ連絡船の商港として北部の中心地。
中央: 日露友好の丘
日露戦争時の心温まる逸話が残るこの地に、大きな碑が建てられている。
下: 韓国展望所
展望所から朝鮮半島を望む。
晴れてはいたが、釜山が見えたかどうかは微妙でした。
< 8. 対馬の中央部 >
対馬がくびれて、上対馬と下対馬がかろうじて繋がっている辺りは、海岸線が入り組んでいる。
上: 和多都美神社
日本神話の最初に登場する綿津見神(わたつみのかみ)がこの神社を造ったとされている。
この社は平安時代には朝廷から認定されていた。
中央の朝廷から遠く離れたこの島に、最古層の神話に纏わるものがある。
中央: 烏帽子岳展望所
360度の眺望が素晴らしい。
下: 万関橋の上から
これは浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋です。
< 9. 壱岐に向かう >
上: 厳原港に別れを告げて
中央: 猿岩
高さ45mの巨大な猿?
下: はらほげ地蔵
海女の里の海岸に佇む6体の地蔵。
次回に続きます。
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