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今回は、東祖谷歴史民俗資料館と平家屋敷を紹介します。
< 2. 二つの博物館の位置、共に上が北 >
東祖谷歴史民俗資料館は東祖谷、祖谷街道に面して建っています。
武家屋敷旧喜多家や鉾神社への登り口の近くです。
平家屋敷は祖谷川から吉野川の大歩危に至る45号線沿いにあります。
深い谷に面した山の上にポツンと一軒建っています。
< 3. 東祖谷歴史民俗資料館 1 >
この展示館では、祖谷の暮らしと平家落人伝説の資料が展示されています。
< 4. 東祖谷歴史民俗資料館 2 >
民家の家財道具、農具、木こりの道具などが陳列されています。
大きい展示場ではないが、祖谷の暮らしが少し見えたように思えました。
< 5. 平家の赤旗と安徳天皇の路 >
上: 平家の赤旗(レプリカ)
この博物館で最も重要な展示です。
中央と右の旗、上部に八幡大菩薩とあります。
「平家屋敷阿佐家に伝わる大小二流の赤旗。
平国盛が屋島から奉持して来たと伝えれ、日本最古の軍旗と言われている。
大きい方は本陣用で、鳩文字で八幡大菩薩と書かれている。
小さい方は戦陣用で、二羽の蝶が描かれている。
大小二旗とも生絹を生地とし、800年以上の歳月によって色が褪せてしまったが、茜と紫で染められている。
所々に見える汚点は血痕、穴は矢で射抜かれた跡と伝わっている。
この赤旗は、阿佐家や村人にとっては神聖なもので、門外不出とされている。」
展示説明から引用。
阿佐家は、平国盛が阿佐の地に居を構え、代々阿佐氏を姓として現在に至っている。
平家の落人伝説の村は全国におよそ80ヶ所以上あるでしょうが、この赤旗が残っている村は数ヵ所しかないのではないか。
信憑性の高さを感じる。
下: 安徳天皇の路、赤線で示されている
左端が、前回紹介した御火葬場になっている。
右は祖谷川沿いに剣山へ向かっている。
< 6. 平家と天皇家の関係 >
平清盛と平教経(国盛)と安徳天皇の関係が分かります。
< 7. 平家屋敷外観 1 >
ここは山深い一軒屋です。
本家と蔵があり、後は山、前は立派な庭で、見晴らしも良い。
暮らし難い所だと思ったが、代々医者の家系と知って納得した。
祖先は安徳帝の御典医で、平家滅亡と共に祖谷に逃れ、薬草を採集し、医業を行っていた。
子孫は、祖谷一帯が蜂須賀公と戦った折、祖谷側に属した為に罰せられたが、許されこの地に居を構え、現在に至る。
< 8. 平家屋敷外観 2 >
< 9. 平家屋敷内部 1 >
中は展示品が雑然と並べられ、床は軋み、天井は煤で真っ黒でした。
漢方医の家系らしく、医療の資料も散見された。
< 10. 平家屋敷内部 2 >
あまり得る所は無かったが、二つほど印象に残ったことがある。
一つは、古い家族の写真があり、この山深い地の暮らしに真実味を感じたことです。
今一つは、無造作に置かれた家具と黒い煤が、更に生活感を漂わせていた。
次回に続きます。
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