20150228

Winter seashore in Awaji Island 2

淡路島 冬の海岸2




 a view of the sun rising over Osaka bay

< 1.  a view of the sun rising over Osaka bay > 
< 1. 浦港から見た大阪湾に昇る朝陽 > 

Today, I introduce the sceneries of Higashi-ura seashore of Awaji Island.
Photographing spots are the seashore or the harbor of Ooiso, Ura and Kariya.

I took a picture on February 25.
This day, clouds were rising in the morning, furthermore I couldn't take a broad view because haze and yellow dust veiled.
However, the clouds disappeared from the afternoon, and it became balmy and spring weather.


今日は、淡路島、東浦海岸の景色を紹介します。
撮影地点は大磯、浦、刈屋の港や海岸です。

2月25日に撮影しました。
この日の朝方は雲がかかり、さらに霞と黄砂で遠望がきかなかった。
しかし午後からは雲が無くなり、爽やかな春の陽気になりました。


Higashi-ura seashore in Osaka bay seen from three sides

< 2.  Higashi-ura seashore in Osaka bay seen from three sides >
< 2. 三方から見た東浦海岸、大阪湾 >

Photos: about 7:00 and 12:40, February 25, in Ooiso and Ura.
Ooiso harbor of the top photo was crowded with departure and arrival harbor for ferries until Akashi Kaikyo Strait Bridge spanned.

写真:2月25日、7:00頃と12:40頃、大磯港と浦港。
一番上の写真の大磯港は、かつて明石大橋が架かるまでフェリーの発着で賑わっていた。


  sea gulls in the morning sun

< 3.  sea gulls in the morning sun
< 3. 朝陽を浴びて群れるカモメ >

Photos: 7:12, February 25, in Ura.
写真:2月25日、7:12、浦港。


 ship and birds

< 4.  ship and birds >
< 4. 船と鳥 >

Upper photo: 7:25, February 25,in Kariya harbor.
These seem to be young bird and a parent bird.
Lower photo: at 14:50, February 8, in a cloudy day.
A lot of sea gulls crowded around a fishing boat returning to a harbor.

上の写真:2月25日、7:25、刈屋港。幼鳥と親鳥のようです。
下の写真:2月8日、14:50、曇り。たくさんのかもめが港に帰る漁船に群がっている。


Kariya harbor

< 5.  Kariya harbor >
< 5. 刈屋港 >

Photos: at 14:50, February 8, in a cloudy day.
I photographed it during a walk, but after that, it began to drizzle immediately.

On the next time, I introduce Iwaya harbor and Akashi strait.

写真: 28日、14:50、曇り。
散歩中に撮影したのですが、この後すぐに小雨が降り始めました。

次回は、岩屋港と明石海峡を紹介します。



20150226

社会と情報 43: 新聞と検察、相克と癒着 4






< 1. ベトナム戦争 >

記者クラブは誰にとって利益なのだろうか? 
新聞か検察か、それとも国民か・・


記者クラブは政府や官僚にとって都合がよいか?
記者クラブの加盟社が特権を手放したくないのは当然と言えますが、情報発信側にも利益があります。

外国の例を見ます。
第二次世界大戦当時、米国は戦争報道のすべての記事を徹底的に検閲していました。
一方、ベトナム戦争において、検閲ではなく現地で記者クラブのような「アメリカ合同広報局」が戦局報告を毎日行い、他からの情報収集を不可能にして管理しました。
フィリップ・ナイトリー著「戦争報道の内幕」において、後者の方が戦争報道を阻害したとしている。

その理由は、概ね以下の通りです。
大戦時の記者は情報収集が比較的自由で、記事を工夫することにより検閲官を出し抜くことが出来た。
しかしベトナム戦争では、広報局からだけの隠蔽された一律の情報を待つ記者達は、工夫も意欲も無くしてしまった。
他にも、報道を歪曲する力がホワイトハウスから働いていたが、この「記者クラブ」の悪影響は大きかった。
一方、テレビ報道は新たな役割を果たし、戦争の真実を伝え始めていた。

連載16~18:報道特派員の苦悩1~3、に詳しい。



< 2. 裁判所 >

なぜ癒着が蔓延し、自律回復が困難なのか?
これまでの説明でも、納得出来ない方はおられるかもしれません。
例え新聞に期待出来なくても、他に救いがあるはずだと。

     裁判官や弁護士は、なぜ問題を明らかにしないのか?
これについて、「検察が危ない」で著者は明快に「出来ない」と述べています。
著者は例外ですが(笑い)。
この公僕達は実態を知ってはいるのですが、職業的に繋がっているため(転職しあう仲間だから)、互いに傷付け合うことは避けているのです。

     なぜ検察は横暴になっていくのか?
これについて著者は、検察の不甲斐なさを責め立てる新聞(世論)が一端になったことを挙げています。
政界を大きく巻き込む疑獄事件があって、それを検察がうまく暴けない時などがそうです。
このような時、検察は被告側が弱ければ生贄(冤罪)にし、被告側が巧みであれば法の適用を逃してしまいます。
郷原氏は、これについて、検察はセクショナリズムに陥っており、法適用が旧態依然だからと指摘しています。
こうなると、次の事件で名誉挽回に躍起となり、検察一丸となり軍隊式の白兵突撃を敢行することになる。
そして、特捜部が快挙(被告有罪)を成せば、検察上層部は出世に繋がると指摘する人もいます。


最後に
一番重要なことは、こと検察と新聞の癒着だけの問題ではなく、社会全体が網の目が張り巡らされたように癒着を起こし停滞し、やがて腐敗していくのです。
このような、官僚化=官僚制の逆機能(責任回避、秘密主義、権威主義、セクショナリズムなど)はいつの世にも起こります。
しかし、それを見張り、国民に知らせる立場の新聞(マスコミ)が、癒着してしまえば自力回復は不可能です。

これを打破するには、新聞(マスコミ)が本来の機能を果たせるように、何が重要であるかを国民が正しく認識することから始めないといけない。




20150225

社会と情報 42: 新聞と検察、相克と癒着 3






















< 1. かつての人気ドラマ「事件記者」 >

今回と次回で、新聞と検察の癒着の要「記者クラブ」の意味を探ります。
記者クラブが強固になっていく様子を追います。



< 2. 経済官僚が頑張った時代を描いた小説「官僚たちの夏」 >

検察が仕掛けた記者クラブ支配
この記事はHP「法と経済のジャーナル」「特捜部など検察と司法記者クラブの記者たちの関係の真実」2014/12/12から抜粋要約しました。

1965年秋、司法クラブが検察に牛耳られる切っ掛けになった事件が起きました。

当時、毎日新聞が独り気を吐き特ダネを連発していた。
毎日は、「夜討ち朝駆け」を必死で行い、早合点の誤報もあり、記者クラブの自主協定なんのそので、検察と他社の反発を買っていた。

ある時、「・・正副総裁を検察が聴取した」と毎日はスッパ抜きました。
これで毎日は、記者クラブから「登院停止」、後に「除名」処分を受けます。
理由は、記者クラブ内で「これを報道しない」との自主協定があったからです。

一方、特捜の次席検事は、情報管理を厳しくする機会を狙っていました。
これ幸いと、彼は「検察は記者クラブの加盟社だけを相手にし、除名社とは会わない」と毎日に制裁を加えた。
同時に、検察と記者クラブの間で、次席検事が会見で情報を発信するので、記者は他の検事や事務官への情報収集を行わないとのルールも出来た。
こうして閉め出された毎日は、特報だけでなく日々のニュースの第一報を逃し、遂に検察と記者クラブに前面降伏した。
こうして、両者の一体化が完成し、記者クラブ以外は排除され、検察の望み通りなった。

この経緯を見ると、記者クラブの加盟社は既得権益を守るために為に、検察の意向に沿う形で村八分を行った。
本来、記者クラブは報道の自由を確保する為に、協力し権力に対峙するはずだが、本末転倒です。

補足します
記者クラブの自主協定は、例示のように「検察と記者クラブ」両者にとって有利であって恣意的なものが多く、人権擁護の見地は二の次と考えられます。
連載39話:新聞は誰の味方か3、「津山主婦行方不明事件」の協定が参考になります。

また、実は日本の新聞記事の特ダネは、「夜討ち朝駆け」によって捜査の展開を一手早く(数時間前に)予測し、報道するだけのものが多いのです。
したがって、当時の毎日の特ダネと誤報も、予測が早いか外れた程度のものだったのでしょう。
本人達は、寝食を忘れ取材に没頭し満足しているのですが、米国の新聞業界に少しでも身を置いた記者達は、その後進性に嫌気が差して辞めていくのです。
それが既に紹介した上杉隆、牧野洋、烏賀陽弘道らでした。

これが日本の新聞報道の悲しさです。

次回は、記者クラブの弊害を外国の例から見ます。



20150224

Winter seashore in Awaji Island 1


淡路島 冬の海岸1
  

The left end in a far mountain range is the Kitan Strait

< 1.  The left end in a far mountain range is the Kitan Strait >
< 1. 遠くの山並みの左端が紀淡海峡です >

From now on, I introduce the sceneries of winter seashore in Awaji Island in installments.
Today, it is scenery that I photographed from the road between Higashiura and Sumoto.

これから数回にわたり、冬の淡路島、海岸の景色を紹介します。
今日は、大阪湾側の東浦から洲本の間の道路から撮影した写真です。

The photography day was February 19, 2015, and clouds were rising, but when the clouds drifted away, Osaka bay was beautiful.
Taking photographs of these began from Kamaguchi of Higashiura, and finished close to Sumoto in last.

撮影日は2015年2月19日で、雲は多かったが、晴れ間が覗くと大阪湾がきれいでした。
写真は東浦釜口から始まり、最後は洲本近くで終わりました。


Flowers of oilseed rape were in full bloom 

< 2.  Flowers of oilseed rape were in full bloom >
< 2. 菜種が満開でした >


 the opposite shore is in Sennan of Osaka prefecture from Wakayama prefecture

< 3.  the opposite shore is in Sennan of Osaka prefecture from Wakayama prefecture
< 3. 対岸は大阪府の泉南から和歌山になります >


 the fishermen are harvesting seaweed in the waters off Awaji Island

 the fishermen are harvesting seaweed in the waters off Awaji Island

< 4,5.  the fishermen are harvesting seaweed in the waters off Awaji Island >
< 4、5. 漁師が沖に出て海苔を収穫しています >

Now, it is a picking season.
This work is hard at cold windy day.

今は最盛期でしょう。
寒い風のある日はきつい仕事です。


The low mountain seen subtly in the distance is Mount Rokko of the opposite bank 

< 6.  The low mountain seen subtly in the distance is Mount Rokko of the opposite bank >
< 6.遠くに微かに見える低い山並みは、対岸の六甲山系です >


the place of mountain range disconnected far in left and right is the Kitan Strait.

< 7.  the place of mountain range disconnected far in left and right is the Kitan Strait. >
< 7. 遠く左右の山並みが途切れているところが紀淡海峡です >

It was windy a little on this day, but when the sun shone bright between the clouds, I felt coming of spring a little.

この日は、少し風がありましたが、陽が差し込むと少し春の到来を感じさせました。






20150222

社会と情報 41: 新聞と検察、相克と癒着 2

 
*1

前回に続いて、著書「検察が危ない」から記者クラブの状況を見ます。



< 2. 霞ヶ関、司法記者クラブでの原告団記者会見 >

「一心同体の司法クラブ」(P154~155)から抜粋引用します 
前回からの続きになります。

「 被疑者の逮捕、起訴等の節目で地検次席、特捜部長が記者に対して行う会見には、司法クラブの記者だけが参加できる権利を与えられる。しかも、そこではカメラで撮影することも許されないし、録音することも許されない。そこで配られた資料を外部に出すことも禁止される。
 それは記者会見ではなく、公式リークと言った方がいい。要するに、自分たちのお仲間にまとめて情報提供して、説明しているだけに過ぎない。
 このように、実際に検察の内実を多少なりとも知り得るのは、この閉鎖的な空間にいる司法クラブの記者か、その出身者というごく限られた人間達であり、それ以外の“よそ者”はこの世界に入ってくることは出来ない。
 このように、司法クラブの現場記者は恒常的「従軍記者」的な立場で、検察翼賛報道を続けるが、その一方で、新聞等は政治的に検察を利用しようとする動きを見せることもある。
 いずれにしても、現役の司法クラブ記者であれ、司法クラブ経験者の社会部遊軍記者であれ、デスクや部長であれ、司法クラブでの経験を基に、検察関係者との人的なつながりを持っている記者にとって、その人的つながり自体が記者としての貴重な財産になっている。
 それは、検察が正義であり、社会的に、政治的に大きな影響力を持っているからこそ、財産であり続けるのであり、検察の威信が地に墜ちてしまうと財産価値がなくなってしまう。
 こうして、メディアが検察をほとんど批判することなく、一方的に賞賛する報道のなかで、世の中の「検察の正義」に対する信頼はほとんど信仰に近いもになっていく。 」


明確になったこと
上記の記述は、両者の一体化、特に新聞社が検察に寄り添う状況をうまく説明しています。

1.冤罪を生む体質
これまでに紹介した事件は、検察・警察・国税庁と新聞社が暴走し冤罪に繋がったと説明しました。
これについても、著者は両者の一体化に原因があるとしています。
連載37~39話:新聞は誰の味方か 1~3、に詳しい。

これほどまでに記者クラブは問題を孕んでおり、海外や「国境無き記者団」、国内からも批判されていながら、大手新聞社は既得権益にしがみついています。



< 3. 郵便不正事件での証拠改竄の被告検事たち >

2.             日本の新聞社は権力を監視することが困難 
「原発事故で官僚が情報隠蔽」や「郵便不正事件」などの報道から、あることが見えてきました。
記者クラブに属する新聞社が権力を批判することは困難でした。
しかし記者クラブに属さない雑誌やフリーランスにはそれが期待出来ます。
残念ながら、まだまだその力は弱い、記者クラブの壁が立ちはだかっているからです。

多くは追従していると言えるが、時に権力に逆らい、その悪行を暴露する新聞社もまだ健在している。
これは長年、国民が新聞社に権力の監視を期待しているからで、これが無くなると危険な状態になる。
このことが、官僚化の弊害に染まっている朝日を幾分なりとも救っているのでしょう。
連載37話:新聞は誰の味方か1、に詳しい。

次回に続きます。




20150220

社会と情報 40: 新聞と検察、相克と癒着 1

 

< 1. 特捜部の強制捜査 >

前回まで、検察と大手新聞が一体となって如何に傍若無人に振る舞ってきたかを見ました。
この両者の一体化は記者クラブを介して起こっています。
今回から、このメカニズムの説明を元検事の著作から見ます。



< 2. 著者郷原信廊 >

著書: 「検察が危ない」
著者: 郷原信廊。地検検事を歴任後、弁護士、大学教授。
出版社:KKベストセラーズ、ベスト新書。2010年刊。
補足: アマゾンのカスタムレビューの評価(21件)は4.5。


「一心同体の司法クラブ」(P152~154)から抜粋引用します 
「 ・・・
司法クラブ記者が検察と一体化していく原因の一つに、特捜部と「司法クラブ」(記者クラブ)との「軍隊的体質」という面での共通性がある。
 特捜部の共同捜査では、主任検事と担当副部長が事件全体の情報を独占し、末端の取り調べ担当検事は、事件の全体像を知らされないまま、主任検事の意向通りの自白を取ることを求められる。・・
 それと同様に、司法クラブの記者も、事件の全体像や意味もわからず、ただただ連日深夜まで、取材先の特捜部の幹部などへ「夜回り」をするということに「耐える」生活を強いられる。
 また取材窓口が特捜部の部長、副部長に一本化され、ヒラ検事からの取材が禁止されて厳しい情報統制が行われているため、司法クラブの記者は取材先である部長、副部長の機嫌を損ねないように最大限に配慮しながら記事を書かざるを得ない。捜査に批判的な記事でも書こうものなら、特捜部の幹部が相手にしてくれなくなるという恐怖が待ち受けている。
 各社の記者は、特捜幹部からは得られない捜査情報をヒラ検事から得ようとして、他社に感づかれないように深夜物陰に潜んではヒラ検事の帰宅を待ち伏せすることもしばしばである。こういうことをつづけているうちに、・・記者は、事件が展開し、強制捜査着手にこぎ着ける日を心待ちにしながら、・・・生活が当たり前になっていく。
 このように、もともと組織の体質が共通しているのに加えて、特捜幹部による報道の締め付けが行われることで、大部分の記者は、盲目的に特捜部の捜査の動きを追いかけることになる。こういう記者の仕事の中からは、捜査に対して批判的な観点など、出てくるわけがない。
 強制捜査着手という段階になったとき、検察の捜査は社会的な注目を集めることとなる。・・それは司法クラブの記者にとって最も輝かしい日々である。
 こうして、特捜部と司法クラブの記者との利害は完全に合致することとなる。・・司法記者の多くは、日々特捜部の動きを追いかけ、捜査の展開を予測することのみに心を奪われ、事件の社会的背景の分析、摘発された側の実情などを独自に掘り下げて取材することはほとんど無い。 
このため、特捜部が強制捜査に着手したとなると、ほとんど「従軍記者」の記事のような提灯記事が社会面を飾ることになる。 」


< 3. 夜討ち朝駆け >

明確になったこと
上記の記述は、これまで取り上げてきた問題がなぜ起きたかをうまく説明しています。

1.             徒弟制度のような陳腐化した体制
元朝日の著者烏賀陽氏は、朝日の「夜討ち朝駆け」に見られる体質を陳腐極まりないと指摘しました。
結局、その体質は、検察と新聞社の軍隊的体質であり、すべてに言えるわけです。
この体質が良くないのは当然ですが、新聞社によれば、このような厳しい社内批判を徹底的に封殺するところがあります。
後日、扱います。
連載36話:著書「『朝日』ともあろうものが」、に詳しい。

2.             記者は事件の被告や背景を取材しない
「山口組絡みの資金洗浄事件」の報道で、新聞社が被告道傳側をまったく取材していないことがありました。
この理由も検察と記者クラブの一体化から説明しています。
また烏賀陽氏は、周りの記者には自ら問題を探し、掘り下げる意識がまったくないとも指摘していましたが、これも同様な理由です。
連載38話:新聞は誰の味方か、に詳しい。 


次回に続きます。









20150218

Taking a picture of nature 3: bird 3


自然を撮る 3: 鳥 3



< 1.  How regal these birds of prey are! >
< 1. 猛禽類には威厳があるな・・ >

Following previous time, I introduce some pictures of birds offered by an acquaintance.
前回に続いて、提供された鳥の写真を紹介します。



< 2.  What will I be able to think on dead branch?  After all, I am a little hunger. >
< 2. 枯れ枝に我一人、何を思うや、・・・腹が減った。 >



< 3.  Springtime seems to come. Hmm, I mistook with “ springtime has gone,
and summertime seems to come” of "Man-yo-shu". >

< 3. 春来るらし・・、あれ「春過ぎて夏来るらし白妙の・・」(万葉集)と間違ったか >



< 4. Today is fine day with water being warm.  
< 4. 今日は水温む良い日よりだな >



20150216

People who passed through the hardest wall 5: Mandela 3


穿つ者 5: マンデラ 3



< 1.  winning the Nobel Peace prize >
< 1. ノーベル平和賞の受賞 >

I think about the splendorous reformation of Mandela today.
It is that to have avoided an outbreak of civil war and to have ended firm racial discrimination.

今日は、マンデラ氏の改革の素晴らしさを考えます。
それは内戦勃発を避けて強固な差別支配を終わらせたことにあります。


< 2.  the conflict of Ukrainian >
< 2. ウクライナ紛争 >

Preface

In the world, armed conflicts break out more than 30 always, and 1/3 of the world population lives in conflict-affected region.
The total number of refugees surpassed 40 million people, and in Rwanda, approximately 900,000 people were killed by the civil war in three months.
Here, we see difficulty to stop an armed conflict.

はじめに
世界で、いつも30件以上の武力紛争が起き、世界人口の1/3が紛争地域に住んでいます。
難民の総数は4000万人を越え、ルワンダ内戦では3ヶ月で約90万人が殺害されました。
ここで武力紛争を止める困難さを見てみましょう。

< 3.  areas of conflict in the world >
< 3. 世界の紛争地 >

Why does armed conflict occur?
Before an armed conflict starts, the rich-poor gap or religious and ethnic conflicts have occurred in the country, and the quarrel of territory or concession, and the historical grudge have occurred between the countries.
And the opposing group runs up the next step, and the armed conflict breaks out.

Step 1:  "The human being murders for the purpose."
Step 2:  "A group or a nation does armed struggle of one mind." (Weapon makes the war expansion easy.)
Step 3: "The world can't prevent the armed struggle before happens." (The peace after starting is more difficult.)

For example, when a group can't share an opposing feeling of contempt and hate and fear, even if the dictator tries to begin war, it's impossible.
An armed conflict has necessarily the history of the inveterate opposition and tragedy, by all means, and in such situation, this task to achieve peace is difficult extremely.
But still there were facts that evaded and ended the conflicts in South Africa, Estonia and Northern Ireland during these 20 years.
Furthermore, it was never possible to achieve by exterminating the opposed partner.

武力紛争はなぜ起こるのか
武力紛争が始まる前に、国内では貧富の格差、民族や宗教の対立など、国家間では領土や利権争いと歴史的遺恨などによる対立が生じている。
そして対立集団が次のステップを駆け上がり、武力紛争が勃発する。

ステップ1:「人間は目的の為には殺人を行う」
ステップ2:「集団や国家は一致して武力闘争を行う」(武器は戦火拡大を容易にする)
ステップ3:「世界は武力紛争を未然に防止出来ない」(開始後の和平は更に困難)

例えば、一人独裁者が戦争を始めようとしても、集団が対立感情(蔑視、憎悪、恐怖)を共有出来なければ無理です。
武力紛争には必ず根深い対立と悲劇の歴史があり、このような状況で和平を達成することは至難の業です。
しかしそれでもここ20年の間に、南アフリカやエストニア、北アイルランドにおいて紛争を回避し終息させた事実はある。
しかも、それは対立する相手を殲滅して成し得たのではない。


< 4.  South African boys and jacaranda >
< 4. 南アフリカの少年達とジャカランダ >

The main point of the Mandela great achievement
1.  He made his supporters that continued to be murdered stop the armed uprising.
He appealed "do not respond to a provocation" "endure it" to the victims (black) of the armed attack.
If the civil war began, He deeply recognized to be dragged into the mud.
This seems to have been accomplished with his popularity and the dignity of the leader.
It is written in "Mandela 1" in the detail.

2.  He made the killing enemy carry out disarmament and joining the government
The most important point is that he tried to allay the enemy side’s sense of guilt and fear.
He thought that the understanding of the opposite partner was the most important to peace building.
This prevented the further increase of the enemy and produced calming.
It wasn't effective about a part, but the white representative of overwhelming majority accepted.
It is written in "Mandela 2" in the detail.


マンデラ氏偉業の要点
1.      彼は、殺されている味方に武装蜂起を思い留まらせた。
彼は、既に始まっている武力攻撃の被害者(黒人)に、ただただ「挑発に乗るな」「我慢しろ」と訴えた。
彼は、内戦を始めてしまえば泥沼に陥ることを深く認識していた。
これは彼の人望と指導者の品格によって成し得たのでしょう。
「マンデラ1」に詳しい。

2.      彼は、殺している敵に武装解除と政権参加を実行させた。
大事なことは、彼は敵側(白人)の罪悪感と恐怖心を和らげることに腐心したことです。
彼は相手の理解こそが、平和構築に最も重要だと考えた。
これが敵の更なる増大を防ぎ、沈静化を生んだのです。
一部については有効ではなかったが、圧倒的多数の白人代表は受け入れたのです。
「マンデラ2」に詳しい。


3.  He made the white government decide his release.
The white government representative is urged by international pressure and had conferences with Mandela before his release on many occasions.
At that time, white representative felt that it is reliable even if they turn everything over to Mandela in the same manner as above-mentioned.

3.      彼は、白人政府に彼の釈放を踏み切らせた。
白人政府代表は国際的な圧力に促されて、釈放前にマンデラ氏と面談を重ねています。
この時、前述したと同様に、白人代表はマンデラ氏に政権を任せても安心だと感じたのです。


< 5. movie “Invictus” >
< 5. 映画「インビクタス/負けざる者たち」 >

4.  He supported the South Africa rugby union team of World Cup.
This was the last consummation.
Black people hated the rugby as white people's thing.
Mandela wished all nation support it together, and then he stepped into the stadium at the risk of assassination.
And South Africa team won, and a sense of unity of the nation were born.
It is described in movie "Invictus" in the detail.


4.      彼は、南アのラクビー・チームのワールドカップを応援した。
これは最後の仕上げでした。
黒人は、ラクビーを白人のものとして嫌悪していました。
マンデラ氏は国民が一緒になって応援することを望み、自らも暗殺の危険を覚悟でスタジアムに乗り込みました。
そして南ア・チーム優勝と国民の一体感が生まれました。
映画「インビクタス/負けざる者たち」に詳しい。

At the end
Mandela peacefully succeeded in the splendorous social reformation in the nation where discrimination and violence had spread over.
In the world, many conflicts deepen confusion with no getting away from the conventional technique that is different from Mandela.
I'm thankful that Mr. Mandela who gave a splendid example to the world lived in the same age.

Unfortunately, Mr. Mandela died in 2013.
I pray for the repose of Mandela's soul

At this time, I end this article of Mandela.


最後に
マンデラ氏は、差別と暴力が蔓延する国家にあって、ここまで鮮やかに平和裡に社会改革を成功させた。
世界では、多くの紛争がマンデラ氏と異なる従来の手法から脱却出来ずに混迷を深めています。
私は、世界に模範を示してくれたマンデラ氏が同じ時代に生きたことに感謝します。

残念ながらマンデラ氏は2013年に永眠されました。
冥福をお祈り申し上げます。

今回で、マンデラ氏の記事を終わります。

主要な参考資料
「二人のマンデラ」ジョン・カーリン著
「南アフリカ 『虹の国』への歩み」峯陽一著
「よくわかる世界の紛争」毎日新聞画外信部編
「現代世界の紛争解決学」オリバー・ラムズボサム他著

借用した主要な画像
各国の「ウィキペディア」
ブログ「ネルソン・マンデラ、哀悼と回顧」
HPGallery Ezakwantu