20210123

没落を食い止める! 5: はじめに 5: 災厄から逃れられない国

  




< 1. 災厄勃発時の首相、順番に並ぶ >

 

これまで日本の異様な社会状況を一瞥して来ました。

それは腐敗政治、狂信化するウヨ、真実を伝えないマスコミ、

歪められた教育でした。

今回は、列島を立て続けに襲う災厄を振り返ります。

 

 

 

< 2.災厄の写真、順番に並ぶ >

 

 

* 世界に類を見ない不幸な国

 

日本は1991年、1995年、2008年、2011年、2020~21年に巨大な災厄に見舞われている。

30年間に5度も、そして今も喘いでいる。

 

1番目、バブル崩壊後の8年間で1000兆円を越える土地・株の資産が失われた。

平均1家族2千万円にのぼる暴落は、国民に長期の経済停滞を強いたが、バブル時、投機家はこれを凌ぐキャピタルゲインを得ていた。

 

2番目、阪神・淡路大震災では死者が6千人を越え、兵庫県の被害総額は10兆円だった。

 

3番目、リーマン・ショック後、経済はマイナス成長になり、元に戻るまでに5年を要し、160兆円もの国民所得が失われた。

これが経済を更に突き落とした。

 

4番目、東日本大震災では死者が2万人を越え、原発事故は世界を震撼させた。

その被害額は原発関連で11兆円、総額36兆円とされる。

 

5番目、新型コロナの感染は現在進行中で、凡そ今後数年間で凡そ200兆円を越える国民所得が失われるだろう。

 

上記の経済損失はほんの一例に過ぎす、さらに頻発する台風・地震の被害も加わり、発展の巨大な足枷となった。

 

これらは、突然の天災と海外が元凶と思われがちですが、実はかなり人災の面が強い。

 

 

 

< 3.災厄と経済停滞 >

赤は金融危機、ピンクは天災、紫はパンデミック。

 

* 何故なのか?

 

バブル崩壊では、バブルを放置した非もあるが、その以前に日銀と政府が米国から要求された内需拡大(財政投資と通貨増発)に前のめりになったことが大きい。

今日銀は同じ轍を踏もうとしている。

 

阪神・淡路大震災は正に寝耳に水でした。

 

リーマン・ショックでは、日銀が上記の反省から緊縮していた事で、欧米ほどの甚大な被害を逃れたが、それでも金融偏重の経済が災いした。

 

東日本大震災では、大津波に加えて原発事故が被害を甚大にした。

 

原発の危険性は以前から指摘されていた。

国会において電源停止の危険性が指摘され、また各地で原発停止の訴訟が行われていた。

これだけ地震が頻発していても、政府や裁判所はすべてを無視し、また退けた。

実は、ここにも政府とマスコミ・裁判所の癒着が壁となって立ちはだかっている。

 

極めつけは、新型コロナの猛威です。

 

日本人は東アジア人と同じ体質(ファクターX)と考えられるが、グラフで一目瞭然のように感染状況は日増しに群を抜いて悪化している。

これは政府が台湾・中国・韓国と異なる対応に固執した結果です(PCR検査軽視など)。

 

 

 

 

*4

 

* 日本が没落せざるを得ない理由が見えて来る

 

1. 政府は、金融危機や天災、パンデミックへの事前対策を無視して来た。その主因は強固な議員・産官学・マスコミの腐敗に尽きる。

 

2. 例え失敗しても、産官学・マスコミ・司法が一体となって、政府の不備を隠蔽し、擁護し続ける(大本営発表と酷似)。

 

3. これに加え、米国盲従と米国流の経済システムが経済・社会を没落させている。

 

こうして経済は衰え、政治は危機に対応出来なくなっていった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

20210121

国境の島、対馬を訪ねて 1: はじめに

  

 

*1

 

 

私は2020年10月1~3日、長崎県の対馬と壱岐を旅して来ました。

やっと念願の対馬を訪れることが出来ました。

これから歴史ロマン溢れる二つの島を紹介します。

 

 

* 旅行の概要

 

トラピックスの二泊三日のツアーです。

1日目は、伊丹から飛行機を乗り継いで対馬に到着し、二泊二日、バスで対馬を観光しました。

三日目、朝からフェリーで壱岐に渡り、半日観光し、ジェットフォイルで福岡港に到着後、飛行機で伊丹に戻りました。

 

通常、関西から対馬への旅行は、不便な為、効率よく旅行出来ませんでした。

しかし今回は、国と長崎県から離島支援やGo To支援により航空便を使って本来の半額以下で無駄なく周遊出来ました。

 

天気もほとんど快晴に恵まれました。

 

* 対馬と壱岐の魅力

 

日本の古代史に興味がある人にとって、対馬は外せない。

先ず、「魏志倭人伝」に対馬国と壱岐国があったと記されている。

当然、奈良の大和朝廷が大陸と通交するには対馬は欠かせなかったはずです。

何せわずか海上50kmの先には朝鮮半島があるのですから。

大陸の神話や仏教が対馬を経由して伝わったことは疑いない。

 

大陸の文明や文化が列島に浸透する時、対馬はどのような役割を果たしたのか?

 

また対馬は常に外国との戦いにおいて前線基地であった。

古くは唐と戦った白村江の戦い、次いで大軍に侵略された元寇の役、倭寇の基地、秀吉の朝鮮征伐、そして日露戦争でのバルチック艦隊撃破などが対馬と関わった。

一方、江戸時代、朝鮮通信使はこの対馬を経由して江戸まで行き来した。

 

隣国との争いと和平の狭間にあって、この島はどう生き抜いたのだろうか?

 

ここ数年、対馬は韓国人観光客で賑わって、様々な噂が飛び交っていた。

ヨーロッパで幾つかの国境の町を見て来たが、国境の島では何が起きていたのか?

 

最後に、海峡に浮かぶ島、その山と海、暮らしに惹かれるものがある。

 

こうして対馬への想いを深め、この旅を経て、多くのことに巡りあった。

 

壱岐は、古代から遣唐使までの歴史ロマンに溢れているのですが、今回はわずかしか観光していませんので、詳しくはお伝え出来ません。

 

 

 

 

 

< 2. 対馬と壱岐、上が北 >

 

上: 矢印の二つの島が対馬と壱岐です

 

下: 対馬の主な観光地

対馬はほぼ一日半の観光でしたが、ほぼ地図上の観光地を巡る事が出来ました。

 

 

< 3. 対馬に到着 >

 

上: プロペラ機が今まさに対馬空港に着陸するところ

 

中央: 小茂田浜神社 (こもだはま)

元寇(文永の役)の際、討ち死にした対馬の武将を祀った神社。

すぐ横の海岸が、元寇の古戦場、小茂田浜です。

 

下: 椎根の石屋根倉庫

非常に珍しい建築様式。

 

上記二ヵ所は、対馬の南西部にあります。

 

 

 

 

< 4. 厳原 1 >

 

厳原(いづはら)は対馬の南東部の港に面した対馬の中心地です。

鎌倉時代以降、城下町として発展した。

 

上: 厳原の大通り

 

中央: 厳原八幡宮神社

 

下: 武家屋敷跡

 

 

< 5. 厳原 2 >

 

上: お船江跡(おふなえあと)

写真の右手が対馬藩の藩船が使用した船着き場の跡。

 

中央: 旧金石城庭園

対馬藩の宗家が戦国時代から江戸時代かけて築いた城の庭園や櫓門が復元されている。

 

下: 宗家墓所

対馬藩宗家の菩提寺、万松院から石段を登り詰めた所にある巨大な墓所。

 

 

 

< 6. 花鳥風月 >

 

上: 対馬海峡を照らす月光

 

中央: 国分寺

厳原にあるこの寺には、江戸時代、朝鮮通信使の客館があった。

重厚な山門や鐘楼が当時を偲ばせてくれる。

 

下: 季節外れの桜が、島のあちこちで咲いていた。

 

 

 

< 7. 島の北部 >

 

上: 比田勝港

漁港、また釜山港を結ぶ連絡船の商港として北部の中心地。

 

中央: 日露友好の丘

日露戦争時の心温まる逸話が残るこの地に、大きな碑が建てられている。

 

下: 韓国展望所

展望所から朝鮮半島を望む。

晴れてはいたが、釜山が見えたかどうかは微妙でした。

 

 

 

< 8. 対馬の中央部 >

 

対馬がくびれて、上対馬と下対馬がかろうじて繋がっている辺りは、海岸線が入り組んでいる。

 

上: 和多都美神社

日本神話の最初に登場する綿津見神(わたつみのかみ)がこの神社を造ったとされている。

この社は平安時代には朝廷から認定されていた。

中央の朝廷から遠く離れたこの島に、最古層の神話に纏わるものがある。

 

中央: 烏帽子岳展望所

360度の眺望が素晴らしい。

 

下: 万関橋の上から

これは浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋です。

 

 

 

< 9. 壱岐に向かう >

 

上: 厳原港に別れを告げて

 

中央: 猿岩

高さ45mの巨大な猿?

 

下: はらほげ地蔵

海女の里の海岸に佇む6体の地蔵。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

20210119

没落を食い止める! 4: はじめに 4: 抜け出せない悪循環

  






< 1. 教育行政を牽引?する人々 >

 

 

これまで悲惨な社会状況を見て来ました

これすべきですが、残念ながら不可能です。

回復を不可能にしている悪循環があるからです。

 

 

* 自浄作用を奪う悪循環!

 

日本の経済と社会は30年以上前から、明かに没落を始め、それは先進国でも際立っています。

本来なら、没落を招いている政府、少なくとも汚職や腐敗を嘘で取り繕う政府を信任出来ないと選挙で拒否しても当然なのだが。

 

政府は言い逃れに徹し、ほとんどの国民は我関せずで無視を続ける。

政府が自国の社会経済の悪化を示す数値や指標をいくら隠蔽し誤魔化しても、世界が公表する指標を少しでも見れば真実は分かります

 

それでは、なぜ国民は気付こうとせず、無視を決め込むのだろうか

 

確かにパトロネージュ、言い換えれば三バン(地盤・看板・鞄)に代表される我田引水型の政治文化からいつまで経っても抜け出せないのが大きい。

 

だが見方を替えれば、国民が政治に関心を持たず、政治に無気力だからです。

 

これは日本の投票率の低さに如実に表れています。

ちなみにスウェーデンの投票率は高齢者ほど高く、若者でも80%以上です。

北欧では中学時代から学校の授業で政治討論を始め、政治意識を高めることにより高い投票率と政治腐敗の無い社会を創ったと言えます。

 

それでは日本も教育改革を行い、若者の政治意識を高めれば良いではないかと皆さんは思うはずです。

それが出来ないのです。

 

 

*2

 

 

*3

 

日本国民の政治意識の低さは、政府の望むところなのです。

けっして日本文化のせいではないのです。

 

発端は、敗戦後、米国の指示もあり日本政府は国民が社会意識を持たないように仕向けて来たのです(エジプトなど世界中の植民地で広く行われた)。

これは米国が日本の共産主義化や労働運動を恐れたからでした。

残念ながら、日本では一党長期支配が続き、この教育政策は改まることがなかった。

 

日本人は、学生や一般人(特に女性)が政治談議することに違和感を覚えるはずです(昔は違ったが)。

実は、これが世界から遅れている証しなのです。

他の先進国ではデモは当然ですし、日本女性が北欧人と結婚すると、家庭で政治談議が出来ずに困る事にもなります。

 

さらに、最近はマスコミも政府の報道抑圧に飼いならされてしまっている。

 

つまり日本では、選挙を通じた自浄作用が働かないのです。

こうして国の中枢は腐敗し続けるのです。

いつかは国民も気付くでしょうが、後の祭りです(太平洋戦争と同じ)。

 

今の一党長期支配が続く限り、学校教育と低い政治意識の悪循環を断つことが出来ないのです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

20210116

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 17: 旅行記の終わりに

  


*1

 

今回は吉野川の渓谷大歩危と池田うだつの町並みを紹介します。

最後に、今回の旅行の感想を記します。

永らくお付き合いありがとうございました。

 

 

 

< 2. 旅程、共に上が北 >

 

上: 赤枠が今回の旅行範囲です。

オレンジ枠は前回の旅行範囲、海部郡の海沿いです。

 

下: 上の赤枠を拡大した。

旅行記は青線のAから始まり、Fで終わります。

 

 

 

< 3. 大歩危 >

 

ここは吉野川の上流で、奇岩の渓流で知られている。

遊覧船やラフティングを楽しむことが出来ます。

写真は道の駅 大歩危から撮りました。

 

 

 

< 4. 阿波池田うだつの町 >

 

ここは本町通りで、撮影は三好教育センター辺りで行いました。

今回の旅行で訪れた脇町や貞光に比べ、残っている伝統的な家屋が少なく、昔の面影はほとんど無い。

1ヶ所、目を引いたのは阿波池田たばこ資料館だけでした。

 

 

< 5. 阿波池田たばこ資料館 >

 

かつてこの本町通りは、たばこの取引で栄えていた。

近くに、かつて吉野川の最上流の川湊があり、ここは交通の要衝だった。

この資料館は幕末から明治にかけて繁盛した刻み煙草の製造業者の建物でした。

 

 

* 今回の旅行を振返って

 

 

 

< 6. 脇町と沈下橋 >

 

: 脇町のうだつの町並み

良く保存されていた。

下: 吉野川の沈下橋

四十年の間、いつ来ても変わることのない穏やかな大河が迎えてくれる。

 

 

思いで深いのは、吉野川の水運と街道によって発展した商家の伝統的な町並み三ヵ所を見学出来たことでした。

 

脇町、貞光、池田のうだつの町並みを堪能しました。

 

脇町は、古くは戦国時代に端を発し、三好長慶(天下取りを争う)、次いで稲田家(蜂須賀家家老)が有数の城下町から川湊に面した商家街へと発展させた。

貞光は、剣山に源を発する渓流と吉野川の合流地で、山の産物の交易によって発展した。

池田は、吉野川最上流の川湊と、周辺のタバコ栽培によって、商いの町として発展した。

 

江戸時代に遡る古い商家が町並みとして保存されていることに感動した。

一方で、その町並みに暮らす人々やその周辺の寂れ具合にやり切れないものを感じた。

最近、日本の地方の街並みを見て回ると特に感じるようになった。

 

今回、これら三つの町が吉野川と旧街道、高い山からの支流、かつての居城の関りで発展した事を知った。

また「うだつ」の形成過程や地域による違いも面白かった。

 

 

 

< 7. 貞光と剣山 >

 

上: 貞光の元庄屋の家

町の中にある庄屋屋敷というのも興味深かった。

 

下: 剣山山頂から下山道を望む

私にとっては30年以上ぶりの登山で、二度目の訪問でした。

登り切れた事に感謝しています。

 

 

 

< 8.祖谷渓 >

 

上: 剣山リフト乗り場近くから祖谷渓を見下ろす。

 

下: 奥祖谷二重かずら橋

 

今回、奥祖谷と祖谷のかずら橋の両方を紹介しました。

私は祖谷渓には、五回以上は来ているでしょうか。

私はこの地に惹かれるものがある。

 

私の中学時代だったかもしれないが、この祖谷の平家落人を扱った映画を見た覚えがある。

それ以来、この陰影のある奥深い山里に、古く神秘的なものを抱くようになった。

 

 

 

 

 

< 9. 落合集落 >

 

今回は、妻と二人だけの旅行だったので、私の気の赴くままに、念願の平家の落人伝説を追うことが出来た。

想い始めて、50年を経て、やっと険しい路に入り込んだ。

この期を逃せば、後が無いと感じたからもしれない。

 

上: 落合集落

 

下: 近くの山里

 

この奥深く急斜面に広がる山村の人々の暮らしが気になった。

住まう人は減ってはいるはずだが、それでも畑作業中の姿を少しは見ることが出来た。

 

この山里の暮らし、特に作物、水源、交易について今回幾分理解出来た。

 

 

< 10. 安徳天皇ゆかりの地 >

 

平家の落人村は全国にあるが、安徳天皇に纏わる地は多くは無く、まして赤旗がある所はさらに少ない。

やはり少しは信じたくなってしまう。

 

それにしても、日本と言う国は不思議だ。

敵に追われて人里離れて逃げ込み隠れ住んだ人々が、後に、その血筋を尊び誇る姿に、何か違和感を感じる。

 

これがヨーロッパではどうだろうか?

英雄や奇跡を起こした人ならいざ知らず、負け組を誇るとは・・。

世界各地の先住民や少数民族も、多くはその過去に僻地への逃避行があった。

一方日本では、負け組の家系を誇りながら中央との交流も続ける。

 

対馬にも安徳天皇が逃れて来たと言う伝説があり、この天皇が当地を治めた宗家の祖先になったとされている。

日本は、いつの時代も「名」(家名や血筋)が重要なようです。

 

そんな不思議を感じる旅でもありました。

 

 

* 最後に

 

前回、徳島、海部郡の5ヶ所の漁港を訪れた。

今回の祖谷川沿いの山里や吉野川沿いの町並みと比べると、海部郡の漁港の寂れ具合が残念でならない。

 

この違いはなぜ起きるのだろうか?

本来、海沿いの方が便利で産業の立地にも適しているはずだが。

祖谷は自然と歴史の観光資源を上手く生かしたからなのだろうか?

それとも、漁業政策の拙さが災いをもたらしているのだろうか?

 

今回は、答えを得ることが出来なかった。

 

皆さん、ありがとうございました。

 

 

 

20210112

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 16: 二つの博物館

  

 

*1

 

今回は、東祖谷歴史民俗資料館と平家屋敷を紹介します。

 

 

 

< 2. 二つの博物館の位置、共に上が北 >

 

東祖谷歴史民俗資料館は東祖谷、祖谷街道に面して建っています。

武家屋敷旧喜多家や鉾神社への登り口の近くです。

 

平家屋敷は祖谷川から吉野川の大歩危に至る45号線沿いにあります。

深い谷に面した山の上にポツンと一軒建っています。

 

 

 

< 3. 東祖谷歴史民俗資料館 1 >

 

この展示館では、祖谷の暮らしと平家落人伝説の資料が展示されています。

 

 

 

< 4. 東祖谷歴史民俗資料館 2 >

 

民家の家財道具、農具、木こりの道具などが陳列されています。

大きい展示場ではないが、祖谷の暮らしが少し見えたように思えました。

 

 

 

< 5. 平家の赤旗と安徳天皇の路 >

 

上: 平家の赤旗(レプリカ)

この博物館で最も重要な展示です。

中央と右の旗、上部に八幡大菩薩とあります。

 

「平家屋敷阿佐家に伝わる大小二流の赤旗。

平国盛が屋島から奉持して来たと伝えれ、日本最古の軍旗と言われている。

大きい方は本陣用で、鳩文字で八幡大菩薩と書かれている。

小さい方は戦陣用で、二羽の蝶が描かれている。

大小二旗とも生絹を生地とし、800年以上の歳月によって色が褪せてしまったが、茜と紫で染められている。

所々に見える汚点は血痕、穴は矢で射抜かれた跡と伝わっている。

この赤旗は、阿佐家や村人にとっては神聖なもので、門外不出とされている。」

展示説明から引用。

 

阿佐家は、平国盛が阿佐の地に居を構え、代々阿佐氏を姓として現在に至っている。

 

平家の落人伝説の村は全国におよそ80ヶ所以上あるでしょうが、この赤旗が残っている村は数ヵ所しかないのではないか。

信憑性の高さを感じる。

 

下: 安徳天皇の路、赤線で示されている

左端が、前回紹介した御火葬場になっている。

右は祖谷川沿いに剣山へ向かっている。

 

 

 

 

< 6. 平家と天皇家の関係 >

 

平清盛と平教経(国盛)と安徳天皇の関係が分かります。

 

 

 

< 7. 平家屋敷外観 1 >

 

ここは山深い一軒屋です。

本家と蔵があり、後は山、前は立派な庭で、見晴らしも良い。

暮らし難い所だと思ったが、代々医者の家系と知って納得した。

 

祖先は安徳帝の御典医で、平家滅亡と共に祖谷に逃れ、薬草を採集し、医業を行っていた。

子孫は、祖谷一帯が蜂須賀公と戦った折、祖谷側に属した為に罰せられたが、許されこの地に居を構え、現在に至る。

 

 

 

< 8. 平家屋敷外観 2 >

 

 

 

< 9. 平家屋敷内部 1 >

 

中は展示品が雑然と並べられ、床は軋み、天井は煤で真っ黒でした。

漢方医の家系らしく、医療の資料も散見された。

 

 

 

< 10. 平家屋敷内部 2 >

 

あまり得る所は無かったが、二つほど印象に残ったことがある。

一つは、古い家族の写真があり、この山深い地の暮らしに真実味を感じたことです。

今一つは、無造作に置かれた家具と黒い煤が、更に生活感を漂わせていた。

 

次回に続きます。

 

 

20210111

没落を食い止める! 3: はじめに 3: 回避出来た国と出来ない国

  


*1

 

前回、米国の狂気を見ましたが、

何とか最悪の事態を逃れたようです。

もしこれが日本だったらどうでしょうか?

 

 

* 想像すると寒気がする

 

野党が総選挙で与党を上回る議席を獲得し、政権交代が起きそうになったら?

 

「不正選挙」がネット上に踊り、さらに数千の暴徒が選挙を正すとして議事堂を襲うかもしれない。

 

皆さんは起こらないと断言出来るでしょうか?

 

今回、トランプ再選を願う日本のウヨは、ネット上でかなり興奮していた。

彼らの激情は、自国であればなお更でしょう。

 

残念ながら日本には暴徒化した過去があります。

武装集団が官邸や議事堂を襲撃した五・一五事件と二・二六事件が1932年と1936年に起きている。

この後、日本は軍事独裁へと突き進んだ。

 

一方、米国で暴徒が国会議事堂に乱入した事件は今回が始めてでした。

死者は出たが、議事は粛々と進んだ。

 

ここに米国と日本の違いがある。

 

トランプ大統領が選ばれたこと自体が異常かもしれないが、米国には再選を阻止する良識があった。

 

前回の選挙では偏向した巨大ケーブルニュースと極右のネットニュースがタカ派の人気者を大統領候補に押し上げた。

タカ派の富豪らが彼を支援し、共和党首脳部はその人気に抗しきれず、遂には追従した。

 

しかし、今回の選挙では、多くのマスコミが一丸となって正論の報道を行い、大統領の扇動のツイートに対抗した。

またトランプの実態を暴いた暴露本が次から次と刊行された。

遅かったがツイッター社も虚言を絶つ英断を行った。

米国の言論界、マスコミは健在でした。

 

その一方・・・

 

 

< 2.共鳴、便乗、御用の果てに・・・ >

 

 

 

< 3. 身贔屓は身を滅ぼす >

 

* 翻って日本に暴走を阻止する良識があるだろうか?

 

日本では首相に対して、米国のように記者が質問攻めにし、テレビや新聞が虚言を暴き、暴露本を出し、映画やドラマで痛烈に風刺することがあるだろうか?

残念ながら御用新聞や御用・・・が幅を利かせている。

 

残念ながら無理。

 

それは政府による表裏からの報道抑圧、露骨な御用??の重用、電通の広告支配による報道抑制、国と馴れ合う記者クラブなどが、日本の報道の自由を奪っているからです。

 

日本だけを見ていると、この惨状を自覚出来ないが、世界報道自由度ランキングが示している。

 

2020年、180ヵ国中、最良は北欧4ヵ国で、米国は45位、日本は66位でした。

注目すべきは、米国は20年間で17位から、日本は10年間で11位から急落していることです。

既に日本は、正常化が進むアフリカ諸国と同列になってしまった。

 

日本の大半のマスコミは政府の汚点を隠し、報道しなくなって久しい。

それに偏向したネットとSNSが追い打ちをかけた。

 

政治意識が未熟な国民に立ち直るチャンスはあるのだろうか?

 

次回に続きます。

 

 

 

 

20210108

没落を食い止める! 2: はじめに 2: 荒れ狂う人々

  


*1

 

 

前回は、日本特有の悪弊について語りました。

今回は、米国発の狂気を見ます。

実は、これは日米に通じる社会危機を示しているのです。

 

 

* 共鳴する狂気!

 

今、共鳴する狂気が日米を席巻している。

これはトランプ大統領と安倍元首相で強まりました。

この二人は政敵を常軌を逸した手段で徹底的に貶めることで似ています。

大統領は二千ものフェイクで政敵を犯罪者に仕立て、一方で自己礼賛を行う。

彼は1億5千万票の選挙が不正だとし、陰謀論をまくし立て、選挙結果を覆す為に暴動を扇動した。

 

ところがこの騒動は日本でも盛り上がっている。

ウヨは今だに、トランプ側の流す不正選挙のトンデモ証拠に嬉々として、トランプ再選に希望を繋いでいる。

 

私には不思議でならない。

日本のウヨは、なぜ恥を晒してまでトランプ勝利に掛けるのか?

九分九厘、トランプのデマで決着する。

そうなれば、彼らは詐欺師の口車に踊らされたとして大恥をかくことになる。

 

あれほど擦り寄った安倍氏は沈黙する一方、ウヨの神様高須氏は今だにトランプに望みを託している。

良く出来たもので、高須氏の大村知事リコール署名で8割を越える不正が明かになった。

 

彼らには合理的な判断が見られない。

嫌悪するだけで、いとも簡単に相手を徹底的に叩き、かつ海を越えて一体感を持てる強さと恐ろしさがある。

これが人類を戦争に駆り立てる最大の理由です。

 

 

* トランプ現象の危険な兆候

 

この危険は、国民がいとも簡単に扇動され、国が一瞬にして暴徒化してしまうことです。

 

要点を挙げます。

 

トランプの高評価

A. 経済が良くなった。

B. 庶民の味方で、エスタブリッシュメントと無縁。

C. ビジネスの成功者であり、取引が巧み。

 

一方、悪評価

D. 品性下劣、虚言連発、女性蔑視、ブラックビジネスなど。

E. 政策や閣僚人事で一貫性・整合性が無く、身贔屓・非科学的。

F. 敵意を煽り分断することを常套手段とする扇動家。

 

米国でトランプを評価する人々が多いので、その判断を尊重すべきだろうが、冷静に上記の高評価を分析すれば大半は怪しい。

一方、悪評価は事実であり、彼は大統領に的確でないことは明白です。

例えば、トランプはこの12月に選挙結果を覆す為に戒厳令を検討していた。

 

ここで見逃してはならないことは、ポピュリズムの悲惨な結末は、ヒトラーやトランプだけでなく、安倍でも起こせることです。

今の日米、かつての独には、数十年に及ぶ分断(主に中間層の没落)があり、さらに政治家が分断を煽って勢力を得て来た背景があるのです。

 

人類は、怒りや恐怖に共感し、大集団で残酷な闘争に至る唯一の動物なのです。

 

次回に続きます。