20140203

社会と情報 16: 報道特派員の苦闘 1


沢田が撮ったベトナム戦争、1966年のピューリッツァ賞

< 沢田が撮ったベトナム戦争、1966年のピューリッツァ賞 >

米国の報道マンがベトナムの真実を如何に伝えようとしたかを見ます。
“The first casualty when war comes is truth.”
「戦争が起これば最初の犠牲者は真実である。」

これは米国の上院議員が、第一次世界大戦に米国が参戦した1917年に語ったものです。
真実が見えなくなるメカニズムを追って行きます。
それは日本でも起こったことであり、放置すれば、将来繰り返すことになるでしょう。

参考文献
「戦争報道の内幕」フィリップ著、1975年刊。
主にこの本を参考しました。
この本は、英国の一新聞記者が世界の戦争報道の実態を調査したもので、多くの資料を渉猟し、特に関係者へのインタビューが貴重です。
扱っているのは、新聞が普及した19世紀中頃以降からベトナム戦争までを扱っています。

ベトナム戦争

< ベトナム戦争 >

注意していただきたいこと
話を分かり易くする為に、共産圏の動きを省き、要点だけを指摘しています。
従って、米国が一方的に悪いと印象を受けられるかもしれませんが、私の本意ではありません。
オリバーストーン監督は、現在、米国の青年の51%はベトナム戦争を失敗でないと考えていると指摘している。


特派員

< 特派員 >

当時の報道の状況
当時の報道と国民の関心を端的に示すエピソードを紹介します。
1972年、ホーチミン(旧サイゴン)での作戦説明会で、攻撃目標の質問について、答えようとしないスポークスマンに米紙の特派員が噛みつきます。

『あなたはアメリカのことが恥ずかしくないのか。北ベトナム人、ソ連人、中国人は、どの目標が攻撃されたか知っている。攻撃は実際に行われている。・・。知らないのはアメリカ市民だけだ』
しかし彼らの抗議は役に立たなかった。インドシナでの航空戦は急激に増大したが、ほとんど報道されず、・・。

(これに続いて別の記者が書いている)
『・・宗教裁判が軽蔑されるように、ニクソンと彼の爆撃哲学もいつか軽蔑されるようになるだろう。しかし自国の行動に対してアメリカ人の関心がまったく欠如していること、そしてアメリカ人自身が爆撃をしながら死んでいくわけではないので、・・』

これは米国主導の隣国への侵攻と北爆再開を指している。


ベトナム戦争時、ある空挺部隊が行った残虐行為の裁判用の調書

< ベトナム戦争時、ある空挺部隊が行った残虐行為の裁判用の調書 >

兵士は何をしたのか
伝えてはならない不都合な真実の一つは、米軍兵士の残虐行為です。

ベトナムで米軍の虐殺事件が発覚し、それを受けてベトナム駐留の米軍大佐が述べた。
『ある人々は、日本軍は残虐行為を犯した、ドイツ軍も・・ロシア軍も・・、アメリカ軍だけは残虐行為を犯さないと思っている。ところがそうではない。アメリカ軍部隊も・・、残虐行為を犯す能力を持っている。』

ベトナムの航空戦に付きそった従軍記者が、米軍のパイロット達について回想している。
「90%はほぼ同じ考えだった。『共産主義を食い止めなければならないし、カリフォルニアの海岸よりはここベトナムでそれをやった方がいい』。ある爆撃機パイロットは、非武装地帯から始めて、北ベトナムの男、女、子どもを一人残らず殺すべきだと思っていると私に語った」
これはまだ戦争が始まった頃の話です。
後には、筆舌しがたい凄惨な状況になっていきます。
一つには、北ベトナム兵のゲリラ戦への報復もありました。
しかし、米軍の戦闘評価に、ベトナム人と米兵士の死者比率がありました。
当然、北ベトナムと南ベトナムの区別、ゲリラと農民の区別はつきません。


次回、なぜ真実が報道されなかったかを見ていきます。











20140202

社会と情報 15: 真実は如何にして


学生の反戦デモ 

< 学生の反戦デモ >

当時、米国民は大規模な反戦運動を行った。
しかし、すぐ終戦とはならず戦火は拡大した。
それはなぜ起こったのだろうか?
この間の事情を追っていくと、見えてくるものがあります。

米国の反戦運動
60年代は米国のキング牧師に代表される公民権運動に始まり、女性解放運動も盛り上がりました。
フランスの学生運動に始まり、日本も感化され、世界で市民や学生の示威行動に火が着いた。
65年の北爆開始頃から米国の反戦運動が始まり、67年から70年へと活発化した。
反戦集会、デモ、ストライキの規模は全米で最大50~100万人に達した。



< 選挙戦のニクソン >

人々は大統領に何を望んだのか
軍隊を最初に送ったケネディは、公民権法案の上程中に暗殺された。
引き継いだジョンソン(6369年)は、ベトナム反戦の世論や報道機関の批判にさらされ、次期大統領選への不出馬を表明することになった。
69年にニクソンが「名誉ある撤退」「栄誉ある平和」を唱えて勝利し大統領になる。
この選挙戦で、第三党の候補者がベトナム戦争強硬策を主張したが、二大政党の両候補は戦争終結で一致し、互角に闘った。
彼は軍の段階的撤退、キッシンジャーの秘密外交による中ソとの宥和策(デタント)で実績を示し、72年、2期目の大統領選で大勝した。
4年かかった北ベトナムとの和平交渉が73年に実を結び、米軍の全面撤退がなった。


カンボジア戦線の説明 

< カンボジア戦線の説明 >

どこに問題が潜んでいるのか
反戦運動が盛り上がり、大統領は非難され、戦争の幕引きに向かわざるを得なくなった。
しかしこの盛り上がりは、皮肉なことに、さらなる悲劇を影で生み、さらなる長期化につながった。
反戦世論を受けて、大統領は戦略的に矛盾する「米兵の撤退」と「栄誉ある平和」(不名誉な敗戦ではない)を国民に約束せざるを得なかった。
それが、効率の良い米空軍によるカンボジアとラオスへの侵攻と北爆となった。
結局、米兵完全撤退はケネディの米軍の戦闘開始から13年後になった。

厳しい言い方だが、反戦運動により大統領府を動かし米兵完全撤退を得たが、それに比べインドシナの戦火拡大を容認していたように思える。


北爆

< 北爆 >

もし米国民が真実を知っていたら
国民はインドシナに無関心だったのだろうか?
実は、当時、国民は戦場の真実を知らせていなかった。
真実を知っていたら、別の選択を行ったかは不明だが。

マスコミは戦争報道を行っていたが、戦争遂行に都合の悪い情報は国民に流れ難かった。
やがて幾多の戦場特班員の闘いが実り始め、不都合な真実が国民に知らされるようになった。

「正義と自由の為に戦い、勝利すると思っていた戦争が、実は凄惨で、腐敗した傀儡政権を助けるだけで、泥沼の膠着状態である。」

国民はおぼろげながら実態を知るようになるが、多くの人々は最後までベトナムの真実を知ることはなかったようだ。

なぜ真実が伝わらないのか
私は、欧米の戦争報道は、日本のものとは格段に違うものと思っていました。
第二次世界大戦中、ヒトラーの扇情的なニュース映画も、日本の大本営と新聞の虚偽報道も、酷いものでした。
それと比べると米英の戦争報道は真実を伝えようとしていた。
ベトナム戦争でも、太平洋を越えてアメリカに生の情報が一部伝わっていた。

しかし、そこには万国共通の戦場報道の問題がありました。
政府の圧力、困難な現地取材、報道マンのジレンマ、国民のムード、報道各社の立場が絡みあい、真実はぼやけてしまうのです。

次回より、具体的に戦場の特班員と報道の様子を見ます。












20140201

Winter Awaji island : Akashi Kaikyō Bridge at first light

before daybreak

< before daybreak
In the morning, I went to the north edge of Awaji island and photographed Akashi Kaikyō Bridge of first light.

When I arrived at the seashore, the area was a pitch-black.
The grass covered with frost has gleamed whitely by moonlight.
The far sea surface of Akashi Strait has shone white thinly.
The sound of the surf taught me that the seashore was near.



朝、淡路島の北端に行き、夜明けの明石大橋を撮影しました。

6時30分頃、海岸に到着した時、辺りは真っ暗でした。
月明かりが霜をかぶった草を白く照らしていました。
明石海峡の遠い海面は薄く白く光り、打ち寄せる波の音が、岸が近いことを教えてくれていた

sunrise

< sunrise >
In this day, a thin fog appeared, and the sunrise was not clear.
But, the crimson sun began to wrap the area warmly.

この日は、薄い霧がかかり、日の出は明瞭ではなかった。
だが、くれないの太陽が、辺り一面の冷気を溶かすように昇ってきた。


the change between 15 minutes from the sunrise

the change between 15 minutes from the sunrise

the change between 15 minutes from the sunrise

 the change between 15 minutes from the sunrise    
The sky began to be stained crimson soon from a pitch-black.
It had come to be stained pink color, and soon changed to light blue.

空は漆黒から碧へ、やがて赤みを帯び始め、ピンク色に染まったかと思うと、淡い青へと色を変えていった。


a mist raised from a breaker 

 a mist raised from a breaker 
I was able to feel a breath of nature.

始めカメラのレンズが曇ったのかと思いました。
思わぬ光景に巡り合いました。


many ships were coming and going at the straits 


 many ships were coming and going at the straits 
Maiko , Tarumi, and Suma of the opposite bank got a view.

対岸の舞子、垂水、須磨が見える。
対岸と行き交う舟、長い航海途上のタンカーなどが橋を通過する。

I overlooked the full view of Akashi Strait from a hill

I overlooked the full view of Akashi Strait from a hill

< I overlooked the full view of Akashi Strait from a hill
When Awaji island is winter, the island is occasionally covered with fog.
It was fine on this day, but some fog appeared, and the full view was veiled.
The left of the opposite bank is Akashi, and the right is Kobe.


淡路島は冬になると、島全体が時折、霧に覆われます。
この日は晴れていたのですが、少し霧がかかっており、遠景はかすんでいました。
対岸の左が明石で、右奥が神戸です。


 From roadside station "Awaji" at the daytime

< From roadside station "Awaji" at the daytime >
This photography excited me.
I was absorbed in cutting a beautiful scene to change every moment.
It was a good time.


今回の写真撮影は興奮しました。
刻々と変化する美しい情景を切り取ることに夢中になった。
楽しい一時でした。























20140131

社会と情報 14: 大統領府で何が起きていたのか? 2

 枯れ葉剤投下

< 枯れ葉剤投下 >

前日に続いて

空爆優先は、味方の消耗を減らし如何に敵を多く殺すと言う戦争の論理に叶っている。

だから、世界の批判を避ける為にトンキン湾事件を捏造してでも北爆をやることになった。
しかし北ベトナムとカンボジア、ラオスへの絨毯爆撃、ジャングルへの枯れ葉剤散布、無差別砲撃がインドシナに与えた損害は甚大だった。
これらは敵兵に打撃も与えたが、それ以上にベトナム国民と国際世論を敵に回すことになった。
これらが当時の難民150万以上、行方不明と死者800万、さらに40年後の今も枯れ葉剤による障害児70万がいる。
当時、米国はベトナム人の被害を調査することもなかったし公表することもなかった。
当時エルズバークは、米国の作戦による南ベトナム国民の被害や意識調査を進言したが無視された。


難民

難民

< 難民 >

軍部が主張する大兵力投入を最初から実施すれば良かったのだろうか。

軍部は、フランスに勝った北ベトナム軍を甘くは見ていなかった。
しかし終盤には、不可能な地上兵力百万を投じても勝てないと悟るようになっていた。
これは、予想よりも遙かに多くのベトナム兵を殺さないと、降参しないことを意味する。
当時の米国の将軍達はこの常識を越える独立への執念に、ついに思い至ることはなかった。
結局、軍部も誰も、ベトナムの歴史や民族を知らず、最後まで力で押さえることを信じて疑わなかった。
この他国への無理解については別に考察します。

キッシンジャーがベトナム戦争の打開策をエルズバーグ博士に諮問した時、彼の答えに勝利の方程式が無かった。
不謹慎だといぶかるキッシンジャーに、博士は「勝てるシナリオが見つかりません。原爆使用は論外なので・・・・」
博士には、吹っ切れるものがあった。

民間出身で、三代の大統領の下でベトナム戦争の采配を振ったマクナマラ国防長官は、ニクソン政権下の途中で辞めることになる。
それは、増派・増強、核爆弾の要求をエスカレートさせる軍部に懐疑的になり、一転して段階的縮小を大統領に提案したことによる。
結局、最後の大統領は、核爆弾以外の強硬策を採用し、一方で和平交渉を行った。


原爆投下 

< 原爆投下 >

問題は何か
暴走し逸脱していく戦争を、その時に如何に正せるかが重要です。
後になって、国のトップを戦争犯罪で告発しても、後の祭りです。

当時、大統領府は、都合の悪いことや下心を隠し、国民に対して希望を捏造し、良い印象を与え、時には戦意を鼓舞することもあった。
国民は大統領府の不穏な動き、戦地ベトナムの真実をかなり遅れて知ることになった。
64年のトンキン湾事件の捏造は、エルズバーグの機密文書暴露で、71年にやっと知ることが出来た。
当時、ホワイトハウス、国務省、国防総省、ランド研究所に総勢7万近いスタッフがおり、ベトナム戦争の真実を知る人は多くいたはずだが、その一部でも公開し、国民に訴える人は数人だった。

多大な影響を与える国の舵取りの情報が、防衛・外交機密を盾に、国民には届かなくなっているのです。

次回、当時の報道機関がどのような役割をしていたのかを見ます。
そこからは驚きと失望と、少し勇気がもらえるでしょう。












20140130

社会と情報 13: 大統領府で何が起きていたのか? 1

国家安全保障会議  

< 国家安全保障会議 >

大統領は、ベトナム戦争の政策をどのように決定したのだろうか?
ここでは歴代大統領と大統領府に共通する行動パターンを見ます。
ホワイトハウスとベトナムをよく知るエルズバーグ博士が書いた1972年刊「ベトナム戦争報告」を参考にします。

はじめに
最高指揮官の大統領は国家安全保障会議の助言を得て、戦略・作戦を決定する。
但し、その実施には議会の承認が必要になる。
安全保障会議には、大統領と外交(国務省)、情報(CIA)、軍事(国防総省)のトップ、主要補佐官が参加する。

ベトナム紛争は、世界の紛争に目を配り、百万の軍隊を動かす大統領にとって国内外の処理すべき1案件にすぎない。
例えば、ケネディ以降の3人の大統領は、米ソの緊張緩和、中近東問題、アポロ計画、人種差別、環境保全、中国承認、核兵器削減など、大きな仕事を成し遂げていた。


国防総省

< 国防総省 >

彼らの行動パターンは?
非常に乱暴な要約ですが、彼らに共通するものでしょう。

大統領
a.      自分の任期中には、共産主義者にベトナムを明けわたさない。
b.      国民や議会の不人気や反発を招く戦争拡大は避け、かつ弱腰と見られたくない。

軍部 
c.       米兵の死傷者を少なくするために、核の使用や空爆を優先し、地上軍派遣は抑えたい。
d.      しかし中途半端でなく、早めに大兵力で相手を徹底的に叩いてこそ勝利するとの信念がある。

全体(上級スタッフ、軍部、官僚)
e.       米国の為の戦いだから、ベトナム側の被害には関心がない。
f.        作戦の失敗には触れない、新たな作戦に活路を見出し、作戦や援助には希望があることを示す。


ベトナムでの夜間攻撃 

< ベトナムでの夜間攻撃 >

この行動パターンからベトナム戦争が見えてくる。

大統領達は軍部が要請する増派と爆撃に対して、かなり控え目に決断することが多い。
公表では、自国の派兵や損害を目立たなくし、将来の増派や戦線と被害の拡大が少ないように印象付ける。
したがって、ベトナムで戦火が広がり、南ベトナムの不利が明白になるまで手を打たず、概ね大統領就任時や最悪期、または選挙を睨んで手を打つことになる。
このことが、20年間で5人の大統領による戦争へのテコ入れが5回繰り返された理由だろう。
こうして戦火は拡大しながら継続することになった。
結果的に、大統領達は米国初の敗戦の将の不名誉を避け、次ぎに譲ったように見える。

南ベトナム政府が統治の呈を成していないことを彼らは充分承知の上で、これを伏せ、援助すれば、戦いに希望があると訴えた。
米国には反共産の強権的な傀儡政権が必要で、このことが弾圧と腐敗を深める政権を生み、南ベトナム国民は離反していった。
米国の助言を聞かないこの政府は豊富な物資と軍事援助を流用するだけだった。
米国のゲリラ対策失敗も重なり、始め非共産だった人々も、北ベトナムに呼応することになり、益々兵力投入が必要になった。
ケネディは一度、この政権を見限ろうとしたが出来なかった、後にこの政権は転覆させられる。

次回に続きます。









20140129

History of sickness and medical art 19: Ancient Israel 5

 One scene of Exodus of the Torah (commandment)

< One scene of Exodus of the Torah (commandment) >

This time, it becomes a conclusion of ancient Israel.

Although there was no explanation of systematic structure of human body in the Bible, there was a thinking of dividing into three of soul, life principle, and flesh.
The name of organs was borrowed from Egypt, and heart was thought important similarly.
The law of rest day is coincident with a custom of Assyria that severely restricted the activity of the 7th day of a week.
In the Mesopotamia or Egypt, the cause of sickness that is not cured easily was a punishment of Gods, or work of various devil.
On the other hand, in Israel, it hinges on only absolute God all.
The foulness was considered to be a punishment of God by having violated the prohibition that you must not touch, instead of work of the devil that was reason of it.
The taboo of Mesopotamia to tell not to approach a sick person was considered to be punishment and foulness in the Old Testament, and the sick person came to be isolated strictly.
In due course, rather than depending on a punishment necessarily, the sickness came to be realized to be a trial that God gave. (From Job to the New Testament)


今回、古代イスラエルのまとめになります。

聖書には体系的な人体構造の説明はないが、魂と生命原理と肉体の三つに分けて考えられていた。
諸器官の名称はエジプトから借用され、同様に心臓が重視されていた。
安息日の定めは、週の7日目の活動を厳しく制限したアッシリアの慣習と一致する。
メソポタミアやエジプトにおいて、容易に治らない病気の原因は、様々な神の懲罰か悪魔の仕業だった。
一方、イスラエルにおいて、その総べては唯一絶対の神によるものだった。
穢れは、悪魔のせいではなく、触れてはならない禁制を犯したことによる神の罰と考えられた。
病人に近づくなと言うメソポタミアのタブーは、旧約では罰や穢れと見なされ、病人は厳格に隔離されるようになった。
やがて病は必ずしも懲罰によるもではなく神の与えた試練と捉えられるようになった(ヨブ記から新約へ)。


a miracle of Jesus 

< a miracle of Jesus 

I look how the Bible has dealt in a skin disease.

“And the priest shall look on him, and behold, the scab hath spread in the skin; then the priest shall pronounce him unclean: it is leprosy.”  Lev.13:8

“And he put forth his hand, and touched him, saying, I will be thou clean. And immediately the leprosy departed from him.”  Luke 5:13

"The person who watched lepers says, the true judgment of god comes to be celebrated. " the Talmud

Between Judaism (the Old Testament, the Talmud) and Christianity (the New Testament), the recognition to skin disease (a punishment of God) has a large difference.



聖書が、皮膚病を如何に扱っているかを見ます。
「祭司が調べて、確かに発疹が皮膚に広がっているならば、その人に『あなたは汚れている』と言い渡す。それは思い皮膚病である。」レビ記、13.08

「イエスが手を差し伸べその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち黒い皮膚病は去った。」ルカ福音書、05.13

「ライ患者を見た者は『真の裁きが祝福されるように』と言う」タルムード。

ユダヤ教(旧約、タルムード)とキリスト教(新約)の間には、皮膚病(神の罰)への認識に大きな隔たりがある。



Gospel of Luke

< Gospel of Luke >
According to the Talmud, the cause of disease depends on the imbalance of four body fluids, and it is based on a theory of Greece.
This will depend on having been a Jewish medical school in Alexandria city in the 4th century B.C.


タルムードによると、病因は四つの体液のアンバランスとされ、ギリシャの説に依拠している。
これは紀元前4世紀、学問都市アレクサンドリアにユダヤ人の医学学派がいたことによるのだろう。


Jews hold the Torah

< Jews hold the Torah 
The rule of health had to be conformed with the commandments rather than medical reason.
It had extended to every action, including a time and a place of the burial, the isolation of the sick person, the cleansing before the meal, the slaughter of the animal, and the cooking of the food.
There were many regulations to putrilage, fungus, skin disease, and especially blood.
In this way, the regulation of foulness and contraindications permeated widely.


衛生の決まりは、医学的よりも、戒律的な理由から守らなければならなかった。
それは、病人の隔離、埋葬の時刻や場所、食事前の洗浄、動物の屠殺、食品の調理など、あらゆる行動に及んでいた。
腐敗物やカビ、皮膚病、特に血液に対しては多くの規定があった。
こうして浄・不浄、禁忌の規定が広く浸透した。










20140128

The society and the information 12: I would be grateful for your understanding in the United States.



社会と情報 12: 米国の皆さんに、ご理解をお願いします


Now, I am going to study the relation between the information and the society about the Vietnam War.
But, forgetting our own fault about the war of our country, I hate to criticize the war of foreign country. 

Firstly, I apologize about it to American readers and I ask for understanding.


現在、ベトナム戦争を題材にして、情報と社会の関係を見ようとしています。
しかし、私は自国の戦争を棚に上げて、他国の戦争をあげつらうことに、心苦しいものがあります。

始めに、米国の読者の皆さんに誤り、ご理解を願うものです。

I am not dealing with this problem in order that I may blame or dislike the U.S.
I am thankful to the U.S. that contributes to the security of the world with a self-appointed role of the police.
The good points of the U.S. are the posture to maintain the democracy firmly, including the strong mass communication, the protection of internal whistleblower, and the disclosure of the secret official document.
I think that the good points of the U.S. are insufficient in Japan.
In Japan, although there are also good points plentifully, Japan is delayed in comparison with the U.S. in respect of the above, though regrettable.
Although Japan has old history, people don't keep the record and then they lack in the posture of reflecting on the affair later.
In respect of that, there is record than the war of Japan, and the Vietnam War that the analysis is superior to it is good as a subject matter.
Particularly, the sign that I have worried in the politics of Japan just arose.
The bud is still small.

私は米国を責めたり嫌ったりして、この問題を扱っているのではありません。
世界の警察を任じ世界の安全保障に貢献しておられる米国に感謝しています。
強固なマスコミ、内部告発の保護、機密公文書の開示など、民主主義を堅持する姿勢は、日本に不足している米国の良さだと思っています。
日本は良い所も多々あるのですが、残念ながら、上記の点で遅れています。
日本は、古い歴史を持っているのですが、記録を残して後日、その事績を反省する姿勢に欠けています。
その点、日本の戦争よりも記録があり、分析の進んでいるベトナム戦争は題材として優れています。
特に、現在、日本の政治に危惧すべき動きが生じています。
その芽はまだ小さいのですが。

So, I picked up the example of America although being haughty.
I may write the analysis and the opinion that stepped from now on.
Please forgive it.
Please fill with a reproof and an opinion anything.

Next time, we look at what was taking place in the Executive Office of the President.

それゆえ、私はあえて不遜ながら米国の事例を取り上げました。
これからも、踏み込んだ分析や意見を述べるかもしれません。
よろしくご容赦のほどをお願いします。
何なりと叱責、ご意見をご記入下さい。

次回、大統領府で何が起きていたことを見ます。





20140127

Winter Awaji island : In a foot of mountain

 a flower blooms in the field 

< a flower blooms in the field  >

I introduce the scenery of the foot of mountain that I always walk around.

いつも、私が散歩する裏山の自然を紹介します。


a light of a bamboo grove and a shadow of it

a light of a bamboo grove and a shadow of it

< a light of a bamboo grove and a shadow of it

Many uncontrolled bamboo groves spread out in the mountain of this neighborhood.

この辺りの山には放置された竹林が広がっている。

a pond stagnates darkly

< a pond stagnates darkly    >

There are small fishes and birds in this pond.

この池にも小魚と鳥はいる。


three birds

three birds

< three birds

In winter, birds often come flying in the garden of my house and the foot of mountain.


冬になると山里や家の庭によく鳥が飛来するようになる。