20210221

没落を食い止める! 10: 世界はなぜ悪化しているのか? 2

 



*1

 

今回は、賃金が上がらない理由を考えます。

 

 

* 身の回りで起きている怪奇現象

 

1. なぜ株価は乱高下するのか? 前回

2. なぜ賃金は上がらないのか? 今回

3. なぜ物価は上がらないのか? 次回

4. なぜ政府の累積債務は増え続けるのか? 

5. なぜ経済は良くならないのか? 

 

 

 

< 2.日本と米国の所得推移 >

 

上: 日本で、10分割した所得階層の所得推移(青線)をみると、下位2分位と5分位は下がっているが、9分位は急上昇している。

 

下: 米国では下がってはいないが、下位9%以下の所得層の所得はほぼ横ばい

 

 

* なぜ賃金は上がらないのか?

 

先進国では、ここ30年以上、約40~80%の国民の所得は横這いで、日本だけは低下している。

それでもGDPが伸びているのは、一部の富裕層の所得がそれを上回って上昇しているからです。

先進国では上位所得層の所得が数倍以上伸び、所得が多いほどその倍率は著しく高い(英米、次いで日本で顕著)。

つまり格差拡大と共に、大多数の国民の所得が伸びないのは先進国に共通している

 

賃金が上昇しなくなった理由は大きく二つある。

労働組合の弱体化と非正規雇用・個人事業家などの雇用形態の悪化です。

 

労働組合が機能していれば、単純に恣意的な解雇を減せ、賃金も上がる。

しかし、各国政府と経済界は団結して労働組合を弱体化させて来た。

(産業構造の変化もあるが、影響は大きくない

 

政府は公共事業体を潰し、民営化と称して職員を切り、替わりに身分不安定な非組合員が同じ仕事をするようになった。

また全国的に様々な組合活動を制限する規制、一方で雇用主には労働条件の緩和(働き改革や労働契約法による首切り、賃金カットと非正規雇用拡大)を行って来た。

 

例えば、組合が無く、首切りが自由になれば従業員は雇用主の脅しに泣き寝入りする。

日本の労働者にとって転職は不利なのでこれも賃金低下の理由になる。

柔軟な転職は産業転換に不可欠ですが、以下の条件が整ってこそです

つまり職業別最低賃金、労働市場、転職時の失業保障と再教育制度、労働者の生涯学習意欲です。

 

もちろん政府だけが悪役を演じたのではない。

 

経済界とこれに繋がる主流の経済学、御用マスコミも、労働組合の非効率と横暴を罵るキャンペーンを続け、国民もやがて洗脳されていった。

労働界は圧倒的に資金力が劣るので、負けるのは必至だった。

 

上記の動きは、日本だけでなく、多くの先進国で今も勢いを増している(後に説明)。

 

 

御用学者は言う。

「企業は世界相手に厳しい競争に晒されており、企業が生き残るには、柔軟な労働市場=素早い首切り、競争力向上=賃金低下による価格低下、が絶対だ!」

 

概ね、国民はこの手の説明を散々聞かされてきた

しかしこの説明は一部正しいが、大きな間違いを犯し、没落の最大理由の一つになっている

 

その反証は、現在の北欧や、かつてのF・ルーズベルト時代の米国、高度成長期の日本にある。(後に説明)

 

かつて日本は世界から羨望の的だった。

高度成長期、米国から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛された。

この三つの社会に共通しているのは、格差が少なく、賃金が上昇し、経済が好調だったことです。

 

残念な事に、日本には経済効率を下げ、さらに賃金を下げる日本固有の悪弊が蔓延っている(後に説明)。

 

 

< 3.各国の賃金と日本の所得格差 >

 

上: 日本だけが1997年から8.2%下がっている。

 

 

別のエコノミストは言う。

 

日本の賃金が安いのは、生産性が低い中小企業が多いからで、これを刷新しなければならないと。

確かに日本の生産性の伸びは鈍化している。

 

一部正しいが、根本を見逃している

なぜなら生産性が上昇している国でも同じだからです。

 

生産性の低い業界では淘汰が必要ですが、倒産を増やさないように最低賃金を徐々に上げて、体質改善を促すしかない。

しかし輸出産業でない限り、低賃金が生産性の低さで決まるわけではなく、別の要因がある(介護職など)。

 

最も重要な事は、付加価値の高い産業を国内に生み出し、そこに雇用を吸収させ、低賃金産業の縮小を補うことです。

現在、政府と経済界は労働に負担を強いるだけで上記の対策を怠っている。

(生産性が高いとは、同じ物を安く造ること付加価値が高いとは、高く買ってくれる物を提供することです。)

 

 

* まとめ

 

日本が、かつての賃金上昇時代から急速に低下時代突入した理由は、世界的な経済の動き(悪い経済システムとグローバル化)が労働組合弱体化と雇用形態の悪化を招き、これに加え、日本固有の悪弊が災いしたからです(後に説明)。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

20210219

国境の島、対馬を訪ねて 6: 厳原の街を歩く 4

  


*1

 

朝7時から8時まで城下町を散策しました。

早朝の対馬を感じ取ることが出来ました。

また対馬と神々、朝鮮半島の深い繋がりを知る事が出来ました。

 

 

 

< 2. 散策ルート、上が北 >

赤線が今回紹介するルート、茶色線と黒線が次回紹介するルート。

下の対馬ホテル前から歩き始め、国分寺で撮影は終了。

上側の赤矢印が桟原城跡(陸上自衛隊駐屯地)、青矢印が旧日新館門。

左下側の黒矢印が金石城跡と万松院です。

つまりこの範囲が対馬藩時代の城下町になります。

 

 

 

 

< 3.ホテルから八幡宮神社まで >

 

上: 振り返ると右側にホテルが見える。

朝、ほとんど人を見ず、静かな通りというか寂れている気がした。

 

下: 八幡宮神社の鳥居が見えた。

後ろが清水山で、神社の前を左右に通るのが馬場筋通りです。

 

 

 

< 4.馬場筋通り >

 

上: 西側を望む

右手側に金石城跡がある。

 

下: 東側を望む

石塀や武家門が残る通りは、右手側にあります。

 

 

 

< 5. 八幡宮神社 1 >

 

一つ目の鳥居を抜けると、大きな駐車場があり、その奥に二つの鳥居がある。

山の麓まで森が延び、神社は木々でなかば覆われている。

 

上: 左側の鳥居を抜けると天神神社(今宮若宮神社)がある

ここには安徳天皇と菅原道真公が祀られていたが、後に小西マリアが合祀されました。

彼女は関ヶ原の戦いの翌年に宋義智に離縁されおり、後に怨霊を恐れてこちらに祀っられたようです。

 

 

下: 上の写真の右側の鳥居

この鳥居を真直ぐ抜けると宇努刀神社、右に行くと神門、八幡宮神社に至る

 

ここには社がつあり、由緒は古く日本書紀に始ま

境内にある八幡宮神社と平神社は延喜式神名帳(平安時代中期)に記載されていた。

ただ当時は八幡宮神社でなく和多都美神社であった。

この経緯は面白いので後で説明します。

 

 

 

< 6. 神門と宇努刀神社 >

 

上: 階段の上の神門を右手に抜けると八幡宮神社

 

下: 宇努刀神社が見える

この左に天神神社があります。

 

 

 

< 7.八幡宮神社と宋義智公の像 >

 

上: 八幡宮神社の拝殿

この左奥に本殿があります。

 

下: 小さな公園に宋義智公の像が立っています。

これから公園右手の路に入ります。

 

 

 

 

< 8.中村地区 1 >

 

城下町の風情が石垣や門から感じられる。

 

上: 宋義智公の像がある公園

 

下: 半井桃水館

彼は明治期の新聞記者・小説家で、樋口一葉の師として知られている。

 

 

 

< 9.中村地区 2 >

 

通りを南北に望む。

 

 

* 八幡宮神社から見えて来る対馬の古代

 

平安時代延喜式に記載された神社(官社、式内社)が九州全体で98社あったが、うち約3分の1にあたる29社が対馬に集中し、九州最多で、壱岐の24社を加えると、両島で九州の半数を超えていた。

この理由は、和多都美神社を紹介する時に説明します。

 

この八幡宮神社は以前、対馬に三つあった海神を祀る和多都美神社の一つでした

祭神が変わったのは、対馬で国防意識が高まり、三韓征伐を成し遂げた神功皇后を武神として祀るようになったからと考えられる。

 

日本が朝鮮半島に出兵したのは大きく四回ありました。

最初が神功皇后による三韓征伐、次いで天智天皇の白村江の戦い、豊臣秀吉による朝鮮出兵、日清戦争がありました。

すべてについて対馬は橋頭堡となりました。

一方、本土が朝鮮半島から攻められたのは元寇だけでした。

対馬に限れば、上記外に幾度も攻防がありました

 

八幡宮神社の社伝によれば、

「神功皇后が三韓征伐からの帰途、対馬の清水山に行啓し、この山は神霊が宿る山であるとして山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀った。」

とあります。

 

 

 

 

 

< 10. 三韓征伐 >

地図

https://www.tsushima-net.org/wp-content/uploads/2020/08/tsushima_shrine_guidebook.pdf

 

三韓征伐は、神功皇后が自ら新羅出兵、新羅・百済・高句麗を服属させたとされる戦争です

日本書紀などに記載されたこの戦争は2~3世紀と推定される。

これが伝説だとしても、この前後の6世紀間に亘り、倭国は新羅や百済などの王朝と深く関わり、幾度も半島に出兵していることは事実です。

 

 

上: 三韓征伐の絵

 

下: 神功皇后の航路

青破線が行き、赤破線が帰りの航路。

 

ここで興味深いのは、朝鮮半島と九州との往来は、対馬を島伝いに北の比田勝港と南の厳原港点にし、行きは東海岸、帰りは西海岸を使っていることです。

なぜ対馬は朝鮮半島により近いのに、倭国の文化圏に入ったのか?

この答えのヒントになりそうです。

 

これは対馬海流が年中、対馬の両側を南から北へ流れ、流れは8月が最も強く、2月が最も弱く、半分にもなり、冬になると季節風が朝鮮半島から対馬に向かって吹いてくることと関係していると考える

 

おそらく夏は九州から海流に乗り壱岐を経て対馬へ行くことは容易だったのだろう

帰りは、冬の季節風(北西風)を待てば、海流も弱く追い風で帰れたのだろう。

さらに対馬の西側(朝鮮海峡)の海流は東側に比べ弱いことが、朝鮮半島からの往来が不利になったのだろう

この時代はまだ帆船を使っていなかったから、櫂で漕ぐとなればなおさらだった。

 

神功皇后10月に朝鮮半島に渡り、12月には福岡に戻っていた。

これはほぼ理に叶った航海時期と言えるかもしれない。

 

おそらくこうして対馬は倭国、日本の文化圏に属したのだろう。

 

 

< 11. 対馬の神社と神話 >

https://www.tsushima-net.org/wp-content/uploads/2020/08/tsushima_shrine_guidebook.pdf

 

下図: 現在、対馬の神社130社の位置

江戸初期、対馬には神社が455社あった。

この地図では、平地が少ない対馬らしく、社は海岸に近い所に多いが、かつては山頂などにも多かった。

 

上表: 日本神話と対馬の神々の関り

日本神話の神々と広く関りがあるが、豊玉姫などの海神とのかかわりが強いようです。

後に詳しく語ります。

 

 

次回に続きます。

 

 

20210215

没落を食い止める! 9: 世界はなぜ悪化しているのか? 1

  






*1

 

欧米の経済が停滞し、格差が拡大しているのは明白です。

しかし、その元凶はカモフラージュされており見難い。

身近な例から読み解きます。

 

 

* 身の回りで起きている摩訶不思議な現象

 

1. なぜ株価は乱高下するのか? 

2. なぜ賃金は上がらないのか?

3. なぜ物価は上がらないのか?

4. なぜ政府の累積債務は増え続けるのか?

5. なぜ経済は良くならないのか?

 

これらの疑問から経済の問題点が見えて来ます。

 

* なぜ株価は乱高下するのか? 

 

現在、株や土地、金、石油、為替など、あらゆる物が投機対象になっている。

売買に投じられる投機資金は、今や需要に必要な額の10倍を越え、さらに世界の投機資金は年々増加している。

 

現代は製造ではなく、利益率の高い金融で儲ける経済になってしまった。

金融商品には経済活動に必要なものもあり、国民の多くの保険や年金などの運用はこれに頼っている。

経済界や富裕層だけでなく政府も金融依存から抜け出せなくなった。

 

しかし、やがて購入が過熱し暴騰が続いたある日、突如として暴落を始めることになる。

(世界は暴落の予想と予防が出来ない)

暴落が始まると銀行は融資していた投機資金を競うように引き上げる。

この連鎖反応が全経済の資金の流れを止め、瞬く間に世界は金融危機に陥る。

(日本のGDPは540兆円だが、株の時価総額は600兆円、1/3に暴落すれば半年で400兆円が吹き飛ぶ)

これが大量の倒産と失業を生む。

 

政府はこれを食い止めるべく、主に銀行などの金融業に毎回GDPの10%を越える救援資金を注ぎ込む(年々増加)。

もし国が金融危機を放置すれば、大恐慌が起こる事は歴史が示している。

こうして富裕層は投機で所得を増やし、かつ暴落後も政府のお陰で所得を急回復させる。

一方で、投機に縁の無い多くの人は前述の救援資金を税金と赤字国債の形で負担することになる。

 

 

 

< 2.GDPと株式時価総額の推移 >

https://media.moneyforward.com/articles/2519?page=3

上のグラフ:

1980~2017年の世界GDPと株式総額の成長は7.2倍と31.6倍です。

さらに株式総額は1985年以降、増加の一途で、遂にはGDPを越え、今後さらに上昇する。

 

下のグラフ:

1982年から、日本はバブル経済に突入し株式総額は鰻登りの後、急降下し、乱高下を繰り返している。

これを境にGDPは停滞したままで、株式総額に越されてしまった。

実は、格差の酷い国、米英日では既に株価総額はGDPを越えており、格差の少ない国、独仏では越えていない。

 

 

 

< 3. 欧米日の株価推移 >

 

グラフ:

2000年までは日本の株価は、独歩高だったが、それ以降は、欧米と足並みを揃えた値動きになっている。

これは投機資金が世界を駆け巡り、世界の株式が同じように動き、かつ拡大している証左です。

 

 

* なぜこんなことになったのか?

 

一番は、投機家が商品価格の上下だけで莫大な利益を得るようになったからです。

本来、株式は企業資金の調達手段に過ぎないはずが、今や国の経済規模を越えて拡大しつつある。

 

資金量が多ければ多いほど、またコンピューター・情報を駆使出来れば出来るほど、莫大な利益が生まれる。

(先物で仕手: ファンドが恣意的に価格を上下させ、それを売買するだけで数千億円を稼ぎ、その資金は手持ち資金の50倍ほどまで借りることが可能)

こうして投機資金と情報が超富裕層に益々集中し、商品価格の乱高下が大きくなって行く。

 

 

 

それだけではない。

政府と中央銀行は連携し、金融危機後に景気回復の為と称して投機を煽る政策をとる。

当然、腐敗した政府・議員はこの富裕層の資金力に操られることになる。

こうして貨幣供給量の増大に拍車をかけ、企業と富裕層に大幅減税を行い、金融の規制緩和を加速させて来た。

 

こうして株価の乱高下の悪循環を断ち切れなくなった。

このような金融の利殖に群がる状況は異常だと気が付くべきだ。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

20210212

国境の島、対馬を訪ねて 5: 厳原の街を歩く 3

 



 

*1

 

今回は、宗氏の菩提寺万松院と歴代藩主の墓所を紹介します。

江戸開幕と共に対馬初代藩主となった、宗義智は怒涛の時代を生き抜いた。

 

 

 

< 2. 万松院と境内地図 >

 

上: 万松院の門

右手の石橋は墓所への階段に通じる。

 

下: 万松院と御霊屋の地図、上が概ね南

上が万松院、下が墓所御霊屋。

赤線が散策路で、現在地からスタートし戻った。

 

 

 

< 3.山門と御霊屋への石橋 >

 

上: この山門は残存する対馬最古の建築物で、江戸時代初期のものです。

仁王像も古い。

 

下: 御霊屋への石橋

 

 

 

< 4. 万松院に入る >

 

下: 本堂

この寺は、2代藩主義成が先代義智の為に1615年に建立したが、二度の火災で山門以外は消失した。

当時の隆盛を示す様々な建築物は無く、こじんまりしている。

内部の本尊や什器には鎌倉時代の作品もある。

 

 

 

< 5. 堂内に入る >

 

下: 三具足

朝鮮国より贈られた青銅製の祭礼用三具足(みつぐそく)、鶴亀の燭台と香炉、花瓶の3点。

 

朝鮮通信使が奉納した三具足は日光東照宮にもあったが、火災で消失し、現在の物は日本で造り直したものです。

すると万松院の三具足は貴重です。

(幕府の要望により、朝鮮通信使は江戸を経て日光東照宮まで参拝することがあった。)

 

 

 

< 6. 徳川家のお位牌 >

 

上: 徳川歴代将軍のお位牌

ガラス貼りで暗い為、良く見えないのですが、位牌は数多くありました。

ここに徳川家の位牌があるのは、対馬藩の大事件、柳川一件と関りがあります。

家光の裁可により無罪となった2代藩主は、徳川家に忠誠を尽くすとし、また朝鮮との交渉役との関係もあり、ここに位牌の安置を許された。

かつて境内にあった東照宮は火災で消失した。

 

下: 諫鼓(かんこ)

かつて諫鼓と呼ばれる鼓が置かれていて、君主に訴え(諫言)をおこす時に叩かれた。

鼓が鳴らないことは諫言の必要が無く善政の証しだとされたが、疑問が残る。

叩くことになれば目立つので、諫言(かんげん)を控えるはずだからです。

 

 

 

< 7. 御霊屋(おたまや)に向かう >

 

深い木々に囲まれて荘厳な雰囲気のある墓所でした。

ここは、金沢市の前田藩、萩市の毛利藩とともに日本三大墓地の一つらしい。

 

左上: 132段の百雁木(ひゃくがんぎ)と呼ばれる石段。

丁寧な石組みの段の横に石灯篭が並び、趣がある。

 

右上: もうすぐ最上部に着く

 

下: 階段を登り切ると、左右に歴代藩主の墓がある。

 

 

 

< 8. 天然記念物の大杉 >

 

上: 樹齢1200年と言われる大スギ

 

下: 階段を登る時、向かって左にある墓所

 

 

 

< 9. 初代藩主の墓 >

 

上: 初代藩主義智の墓

 

 

 

< 10. 下御霊屋 >

 

下: 石段の途中にある宗氏の墓地

 

 

* 宗義智と柳川一件にみる対馬の苦難と繁栄の礎

 

宗義智(そう よしとし)は宗氏19代目当主であり、対馬藩初代藩主でした。

彼は豊臣秀吉の九州征伐、続いて二度の朝鮮出兵、関ヶ原の戦いに駆り出された。

また徳川の世になると、李氏朝鮮との和平条約に奔走し成立させ、この功績により家康から独自に朝鮮との貿易を許され繁栄の礎を築いた。

宗氏は明治まで続くことになった。

 

 

 

 

< 11. 2回の朝鮮出兵 >

 

朝鮮出兵前、彼は秀吉から朝鮮を服属させよとの命を受けていた。

そして彼は、秀吉の全国統一の祝賀使節を朝鮮に要請し、来日した朝鮮使節を秀吉には服属使と偽った。

結局、朝鮮出兵は決まり、前回記したように清水城を築き、5千の兵を出し、対馬は7年に及ぶ戦役で大打撃を受けた。

 

秀吉が死に関ヶ原の戦いが起きた。

彼の妻は西軍の大名、共に戦った小西行長の娘、小西マリアでした。

家康が天下を取ると、彼は朝鮮の交渉役を期待され、罪は問われなかったが、恭順の意を示す為、戦いの翌年、妻を離縁した。

 

以前から、対馬の宗氏が朝鮮との交易を一手に引き受けて来たが、江戸時代も続くことになり、農耕に適さない地で繁栄することが出来た。

だが、朝鮮との外交交渉は、昔から綱渡りで、息子の代に大事件、柳川一件が起きた。

 

対馬藩2代目藩主の世になって、徳川は対馬に朝鮮出兵の後始末の交渉を任した。

ここでも対馬は幕府と明・李氏朝鮮とのかけ離れた要求の間に立ち、嘘と国書の改竄で逃れようとした。

 

朝鮮出兵の際に王陵を荒らした戦犯を差し出すように朝鮮から要求された。

すると、出兵とは全く無関係の藩内の罪人の喉を潰して声を発せられなくした上で「朝鮮出兵の戦犯」として差し出した。

お陰で他の要因もあり、朝鮮側は融和的になった。

 

朝鮮が徳川家から先に国書を送るように要求すると、対馬藩は国書を偽造し朝鮮へ提出した。

朝鮮が派遣した「回答使」を、対馬藩は幕府に「通信使」と偽り、江戸城で家康らと謁見させた。

対馬藩は回答使の返書も改竄し、三次に渡る交渉でもそれぞれ国書の偽造、改竄を行い、貿易協定(和平も)を何とか締結させることが出来た。

 

ここまでは良かったのだが、20年を経て、対馬藩の家老が己の出世の為に幕府に改竄を訴えた。

 

だが家光の裁可により、藩主は無罪、家老と他に関わった要人は流罪となり、決着した。

 

対馬は、このように日本の中央政府と大陸の狭間で、戦役と外交で苦労を重ねて来た。

対馬の外交を見ていると、如何に日本の中央は海外に無知だと言うのが分かる。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

20210209

没落を食い止める! 8: 現状を見る 2

  

 

*1

 

前回に続いて、世界と日本の現状を見ます。

はじめに、起こるであろう経済危機について、

次いで日本一国だけが衰退している状況を見ます。

 

 

* 世界的な経済危機!!

 

今後数年以内に想定される金融危機について考えます。

 

多くの方、特に若い方は金融危機の恐ろしさを知らない。

一言でいうと、株価が暴落し、多くの金融業に始まり、全産業で企業の倒産が相次ぎ、巷に失業者が溢れることです。

これはここ半世紀、ほぼ10年毎に起こり、その経済ダメージは益々酷くなっている。

これは19世紀後半の英国、20世紀始めの米国でも起こり、世界が戦争へと駆り立てられていった要因の一つでした。

 

この危機がなぜ迫っていると言えるのか?

 

 

 

 

 

< 2.世界全体のGDPと主要国中央銀行の貨幣供給量の推移 >

https://www.rieti.go.jp/jp/columns/s15_0010.html

 

グラフから、赤の破線が示す赤線の急上昇が金融危機発生直前に起きているのがわかる。

つまり中央銀行による急激な貨幣供給量の増加があった。

しかもリ―マンショック後の金融緩和による貨幣供給量は、歴史上始めてGDPを越え、急上昇している。

これが次に起きる金融危機の巨大さを暗示している。

これまでは、貨幣供給量はGDPに見合うものだったのだが。

 

なぜこのようなことになったのか。

日米英などが金融を野放し、かつ依存するようになり、金融危機と緩和の泥沼に陥ったからです。

 

 

 

< 3.世界主要国の実質経済成長率の比較 >

http://aruconsultant.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/gdp-b314.html

 

グラフを見ると、赤線の日本が一人負けしているのがわかる。

2008年の金融危機後の巨大な緩和策で、2012年以降世界経済は持ち直した。

しかし、騒がれたアベノミクスに成果はなく最下位を続けている。

 

 

 

 

< 4.日本の実質GDP、実質経済成長率の推移 >

https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h24/hakusho/h25/html/n1112000.html

 

1970年中頃から日本経済は低下し始め、80年代後半には一段と下げた

グラフにはないが、1990~2019年は平均1%を維持出来たが、2020年以降はパンデミックでさらに悲惨な状況になっている。

黒田日銀が世界に類を見ない金融緩和を行っても、せいぜい株価が上昇したに過ぎない(むしろこれが今後災厄になるかも)。

 

70年代の落ち込みは、米国の圧力による円高と、米国が介入した中東戦争が引き起こしたオイルショックが切っ掛けになった。

次いで米国の要求による内需拡大策が仇となり1990年にバブル崩壊、米国発の2008年リーマンショックを経て日本経済は成長しなくなった。

(ただ戦後の日本発展は米国のお陰であることを忘れてはならない)

 

しかし、これだけでは日本だけの落ち込みを説明できない。

 

ここ30年、多くの国際的指標で日本は先進国から脱落し、さらに悪化続けている。

かつて日本の世界ランキングは、ベスト20以内もあったが、現在は30から100半ばまで落ち特に社会政治については安倍政権になってからの悪化が著しい。

OECD加盟国37か国、ランキングされる国は約200)。

 

悪化の例としては、相対貧困率、勤労所得、財政赤字、所得格差、生産性、産業と企業の競争力、デジタル技術、エネルギーと食料の自給率、人口減と高齢化、報道の自由度、ジェンダー指数、幸福度、政治腐敗認知度などがある。

 

良いのは治安と長寿命、失業率ぐらいだが、日本では金融危機の年に失業した世代の再起が難しいなど固有の問題もある(就職氷河期世代)

 

これに加え、日本では地方の過疎化と経済衰退が著しい、また自治体の自律的な動きも封じられている。

 

 

次回に続きます。