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これから数回に分けて、雲南民俗村を紹介します。
ここには雲南に暮らす25の少数民族の家屋、暮らし、衣装、祭事などが再現されています。
民族学や異文化に興味がある人には垂涎ものでしょう。
< 2. 先ずは門をくぐって >
売店が並ぶ通りを抜けて、チケット売り場に向かいます。
< 3.チケット売り場 >
上: チケット売り場
写真は各民族衣装を着た女性達がお出迎えしてくれた。
下: チケット確認の入場門
入場料は大人90元ですが、70歳以上だったので45元でした。
中国は、他国に比べ高齢者の割引が大きく、優遇している。
* 雲南民俗村について *
少数民族の博物館としては中国最大規模です。
この直ぐ隣に一般的な雲南民族博物館がありますが、妻も楽しめるだろと思い、この雲南民俗村を選びました。
特に良かった点
A 敷地内ではこの日、9:30から16:10の間に、23もの各民族の20分間の演舞が行われていました。
すべて無料で、他に有料のショーもいくつかあります。
入場時に演舞時間表をくれます。
B 敷地内には民族衣装を来た多くのスタッフがおり、案内や暮らしの再現を行っている。但し中国語。
C 建物や衣装、民具、祭事場と家屋周辺の自然環境の再現が丁寧に行われているように思える。
残念な点
D 案内や説明に日本語表記がほとんどなく、見るだけで終わった。
E 敷地が広大すぎて、見学と昼食に3時間半かけても半数ほどの村を素通りしただけでした。
また演舞も初めから終わりまで見たのは20分間の1本だけでした。
演舞の場所を探し、最前列に座って待つだけでも時間が掛かる。
もっとも時季外れなのか、観客は多く無かった。
演舞の時間が、重なっている場合もある。
全体としては、私にとって素晴らしいテーマパークでした。
< 4. 中国の少数民族 >
中国には56の少数民族が暮らし、その合計人口は8%を占める。
漢民族が大陸の中心部を占め、多くの少数民族は外縁部に暮らす。
最大なのはチワン族1700万人だが、紛争があるウイグル族は990万人、チベット族は540万人で、これに匹敵する規模の少数民族は他にも幾つかある。
今回、旅行して気付いたのは回族、1060万人を各地、特に開封、蘭州、麗江で見たことでした。
彼らはイスラム教徒なので、てっきりシルクロード沿いの西側、西安以西にだけ集中していると思っていたのですが。
回族の料理は、各地で不可欠となっていた。
元々、私は世界の文化人類学や民族学に興味がありました。
それは文化や宗教、社会の発展、そして他との交流の過程を理解するヒントが得られるからでした。
今回の中国旅行で最も知りたい内の一つが少数民族でした。
主に二つの理由がありました。
1. 中国政府が少数民族をどのように扱い、少数民族自身が意気揚々と暮らしているか?
中国政府は、ウイグル族やチベット族への強権的な対応で、世界から非難されている。
この政策が失敗すると、これらを含めた少数民族の不満が暴発し、中国の内乱要因になるかもしれない。
このことはやがて日本にも影響することになるだろう。
2. 中国南西部の山岳地帯、雲南地方の少数民族は文化的歴史的に見て興味深い。
紀元前一千年紀から漢民族が勢力を広げ、少数民族はその圧力に押されて辺境の地に散らばっていた、多くは南下し山岳地を転々とした。
福建省の客家、タイのタイ人、桂林のヤオ族、金沙遺址(成都)の蜀人は千年から二千年の時を経て移動した。
雲南省の各少数民族にも同様に歴史があるだろう。
雲南の地は西にチベットからインド、南に東南アジアへと交流し続けた歴史がある。
この地の少数民族の衣装や装飾品は素晴らしく、文字や神話も面白い。
これから速足で見学していきます。
< 5. 今回紹介する少数民族、上が北 >
上: 雲南民俗村の全景
敷地は東西1.2km、南北800mある。
赤枠が今回紹介する三つの民族展示場。
下: 上記の赤枠を拡大
今回紹介する三つの民族展示場。
赤線が主な見学ルート。
右の改札ゲートから入って、左下で終わりです。
< 6. 三つの少数民族 >
上: 黄色枠が三つの少数民族が暮らしている地域。
雲南省の西部、徳宏タイ族チンポー族自治州相当する。
盆地の標高は1000mまでだが、2000mほどの山脈に囲まれている。
彼らは亜熱帯の山間地で農業を営んでいた。
赤点は左から麗江、大理、昆明で、白線は新幹線のルートです。
下: 民族衣装
左は阿昌族(アチャン族)
中央は景颇族(チンポウ族)
右は德昂族(デアン族)
< 7. 阿昌族 >
阿昌族について
人口は3万人で、中国政府が公認する56の民族の中で39番目に多い。
言語はシナ・チベット語系チベット・ビルマ語派ビルマ語系に属する。
自民族の文字は無く、漢字などを使用。
かつては漢民族の地主による封建的な領主経済でした。
農業が主でしたが、手工業も発達していた。
辺境を守る駐屯兵から学んで作られるようになった阿昌刀が有名。
下: 民家
一階は土間で家事を行うところのようです。
< 8. 阿昌刀 >
上: 阿昌刀のようです。
下: 織物の実演。
< 9. 宗教的な部屋でしょうか >
宗教は主に小乗仏教のようです。
下: 台所でしょうか。
< 10. 景颇族 >
景颇族について
チベット・ビルマ語属で水田耕作、焼畑耕作を主とし、ミャンマー、雲南省、インドのアッサムに分布する。
総人口100万人と多いが、分散して暮らしているので言語も複数に別れ、生活水準や経済段階も様々。
雲南省には15万人が暮らす。
宗教は原始的でシャーマンが重用されていた。
上: 説明板
上から三行目に日本語表記があります。
中央: 広場に大きな柱が立っていた。
景颇族が毎年正月の15日から始める巨大な歌の祭典、目瑙纵歌节(ムゥナウゾング)があります。
この柱群はこの祭りの会場に立つ柱のようです。
数万人が打ち鳴らす長い太鼓に合わせて唄うようです。
下: 目瑙纵歌节の様子。
他のサイトから拝借。
< 11. 景颇族の長老の家 >
上: 池の端の祭祀場か
下: 長老の家。
立派でしっかりした大きな木造建築です。
どうやら首長が村を治めたのかもしれない。
< 12. 長老の家に入る >
上: 二階に上がる階段の壁にある不思議な飾り。
どうやら女性の乳房を模したものらしい。
私は卑猥に感じてしまったので、きっと何かの道具に違いないと、考えを巡らしたが、わからなかった。
後で調べると、これは階段の昇降に手摺りとして使われ、母親の偉大さに想いを馳せなさいということらしい。
中央と下: 家屋のすぐ横にある祭祀場
霊魂・精霊など崇めるアニミズムのようだ。
< 13. 2階の様子 >
仕切られた部屋は一部屋だけ設けられていたが、他は巨大なロングハウス(共用空間)で、おそらく家長が一部屋を使って寝るが、他は仕切りなしで寝るのだろう。
囲炉裏が二階にある。
< 14. 德昂族 >
上: 行先案内
德昂族について
雲南省とミャンマーに分布し、中国側の人口は2万人です。
言語は南アジア語系モン・クメール語族に属する。
自民族の文字は無い。
解放前までは長らく傣族(タイ族=タイ人と同じ語族)やチンポー族(景颇族)の統治と搾取を受け、社会経済は未発達でした。
宗教はタイ族の影響を受けて小乗仏教。
< 15. 德昂族の家屋 >
中央の写真に長い太鼓が見える。
これが景颇族の祭りで使われる楽器と同じなのだろう。
< 16. 寺院らしい >
おそらく德昂族のお寺と祭祀場なのだろう。
下: どことなくタイの寺院、チャオプラヤ川沿いにある「暁の寺」の小型版に見える。
次回に続きます。