20141003

私達の戦争 46: 集団的自衛権とは

 < 1. NATO軍 >

今まで自衛と抑止、核抑止論を見て来ました。
最後に、集団的自衛権の基本的なところを見ます。

集団的自衛権とは
「国連憲章第51条で加盟国に認められた、ある国が武力攻撃を受けた場合、これと密接な関係にある他国がその武力攻撃に協同して反撃する権利」広辞苑より。

国連が認めるこの権利に問題があるように思えない。
おそらく、多くの人はそう思われるのではないでしょうか。
そこで、歴史上有名な軍事同盟から、集団的自衛権の功罪を見ます。
両者は、厳密には異なるでしょうが、基本的な働きでは同じです。
それは勝利や交戦防止に役立っこともあったが、最後には破滅をもたらすこともあった。

    

様々な軍事同盟がもたらしたもの
*ペロポネソス戦争
紀元前5世紀、アテネとスパルタがギリシャ諸国を二分する同盟に分かれ戦い、これにより全土が疲弊することになった。
ことの発端は、ペルシャ帝国の侵攻を防ぐ為に軍事同盟が創られ、アテネが盟主となった。
やがてアテネは絶大な権益を得て、益々軍事大国を目指し強権的になっていきました。
これに反発し警戒する勢力がスパルタを盟主とする同盟を結び、アテネ同盟(デロス同盟)と戦うようになった。


    

*秦の統一
紀元前3世紀、春秋戦国時代の末期、秦国は残り6ヵ国を滅ぼす為に遠交近攻策を取り、ついには天下統一を成し遂げた。
これは先ず遠方の国と同盟を結び、近隣の国から征服し、漸次征服を拡大させる戦略でした。
日本の戦国時代、隣国を牽制する為に、その背後の国と同盟を結ぶことがよく行われました。


    

*第一次世界大戦
1914~18年、主にヨーロッパで、次々と主要各国が参戦し史上最初の総力戦が行われた。
その半世紀ほど前から、ヨーロッパの列強5カ国とロシアが勢力拡大と交戦防止のために、二手に分かれて同盟を結んでいた。
民族問題で火種を抱えていたバルカン半島も、この余波を受けて二つの同盟に分かれて組みしていた。
バルカン半島で起きた、一つの暗殺事件を切っ掛けに、同盟国を巻き込んで連載的に戦火が拡大し、遠方の日米すら参戦することになった。


 
    

*太平洋戦争
既に、独伊がヨーロッパで、日本は中国との戦争を始めていた。
そこで日本は強力な軍事同盟を日独伊と結ぶことにより、英米ソとの交戦を避け、戦況の打開を図った。
しかし、それがすべて裏目に出ました。

軍事同盟の功罪
歴史的や私たちの身の周りにおいて、弱い者同士が手を握り、防御するのは自然の成り行きです。
しかし、既に「銃がもたらすもの」「自衛とは」「抑止力とは」「核攻撃」で見たように、各国が軍事同盟に頼り、外交手段(意思疎通)を閉ざしてしまうことは、双方が疑心暗鬼になり、より敵意を増大させ、軍拡競争に突入してしまうのです。
そして、ちょっとした誤解や事件から戦端が開き、同盟締結前と比べものにならない戦火の拡大となるのです。
日本においても、豊臣政権から江戸幕府にかけて天下統一がなされると、配下の大名の勝手な婚姻が禁じられました。
同盟に至る行為は大きな武力蜂起に繋がると危険視されたのです。

軍事同盟―集団的自衛権は、戦争と平和に対して、両刃の剣なのです。

国連憲章第51条の意味
それではなぜ国連は戦争を招き易くなる集団的自衛権を認めたのでしょうか?
そこには国連のディレンマから抜け出す苦渋の選択があったのです。
国連参加の中小国は、大国の拒否権や米国が主張する集団的自衛権を問題にした。
米国にとって集団的自衛権は連邦制の軍隊やモンロー主義もあり国是だった。
また拒否権などにより安全保障理事会による武力攻撃への強制行動が間に合わない場合、自衛権と集団的自衛権が認められていれば、各国は対処出来ることになる。
しかし一方で、それらを認めないことで米やソ連が国連から離脱することになれば分裂が生じ、これまた戦争の起因になることが懸念された。
こうして条文は成立した。

その後、度重なる拒否権の行使は、多くの強制行動を不可能にし、またNATOやワルシャワ条約機構などの集団的自衛権に基づく同盟が生まれた。
結局、矛盾を孕んだままの妥協であった。

日本国憲法9条との整合性
自衛隊を持つことは、規模にもよるが違憲とまでは言えないだろう。
しかし集団的自衛権については、今まで政府は違憲と解釈して来た。
一方、政府が解釈変更を絶対に行ってはならないわけではない。
残念なことに、日本の違憲審査制度が確立していないので、勝手な解釈変更を正す手段がないのが致命傷です。

米国の場合は、成文憲法の制定が最古であり未完とも言えたので、後に憲法修正が行われた。
またかつて議会で解釈変更が行われようとした時、合衆国最高裁がそれを違憲とし、米国では三権分立が機能していることが示された。

日本にとって問題は、三権分立が機能しておらず、政府の恣意的な転換を正すことが出来ないことにある。
この状況の中で、集団的自衛権の合憲決定は、蟻の一穴が大きな崩壊をもたらすのと似ていると言える。


集団的自衛権とどう向き合えば良いのか
既に見たように、国や国民が安易に集団的自衛権に頼ると、敵を作り、戦端を開き易くしてしまい、戦火も増大するのです。

最も良いのは、敵意を醸成しない自衛だけを目指し、世界が一つの同盟になることです。
それは取りも直さず国連の正常化であり、安全保障理事会の上述の欠点を正すことが重要です。
日本にとっての次点の策は、EUNATOのように、かつての交戦国が手を携えることでしょう。
国家間の戦争の多くは国境で起きるので、隣国と手を結ぶことが戦争防止の基本です。
戦争は簡単に起きますが、平和を構築するには誤解を解き融和を築くことが不可欠です。

戦争を回避するには長期ビジョンと長期の努力が必要になるでしょう。

次回からは、この連載の最後のテーマを扱います。




No comments:

Post a Comment

どうぞご意見をお書き下さい。Please write an opinion.