20140904

私達の戦争 34: 摩訶不思議な解釈 6




    

前回に続いて、国益を考えます。

Newsweek(日本版)
1.2010年8月、菅の謝罪は日本の国益だ
内容:記者は「菅首相は日本の植民地支配が韓国に与えた苦しみを認めて謝罪した」ことは国益に叶うと記す。

2.2012年5月、鳩山外交バッシングを考える
内容:「日本のマスコミは「訪イランは国益に反する」で大バッシングを行った。この国益とは「米国に怒られない」である」と学者は論じた。

3.2009年10月、超大国中国の貫禄に英高級誌が逆ギレ
内容:「英紙が軍備の近代化を進める中国の無節操を批判するが、何処の大国も同じで、同様に「経済的な国益」を最優先することも同じだ」と学者が皮肉って指摘する。

ポイント
上の二つの記事は外交が相反する国益の板挟みになり、こじれている国際関係を自主的に修復する事と、名誉と日米同盟を守る事が対立していることを意味する。
日本の大半のマスコミは、紛争の火種拡大より、自国の名誉と日米同盟を重視している。

どこの国も大国の行動には敏感で苛立ち、安全保障や経済的な国益で振り回されることになる。


不明瞭な国益
こうも国益は多様で、立場により相反するものなのだろうか。
外交を論じる時、政府やマスコミは国益を多用するが、その真意を汲み取ることは困難です。

国益が唱えられる時、その損出が説明されることは少なく矮小化されるのが常です。
イラク戦争開始時、ホワイトハウスが宣言した戦費は実際の1/100でした。
日本政府も同様で、わざわざ正直に言わないでしょう。
それを解明するのがマスコミの役割でもあるのですが、残念です。


    

一つ例を見てみましょう
「自国や先人の名誉を傷付けることは国益に反する」について

米国は第二次世界大戦終了からベトナム戦争まで、ある国益に囚われていました。
それは、巨大な共産帝国の侵攻を瀬戸際で粉砕することを仮想したドクトリンでした。
さらに、アジアの小国に侮られない為に力で押さえ込もうとする心理が働いていました(ホワイトハウス首脳達)。
これは黄色人種への偏見と表裏をなす白人の名誉意識と言えるかもしれません。
その結果、米国は多くの人命と税金を失った。
それは感情的・観念的な国益のために現実的・具体的な国益を無視したからと言えます。

9.11事件もそうですが、これ以降、米国はイラクやアフガンへの大規模な侵攻、一方で国内のマスコミ締め付けや国民の盗聴を秘密裏に進めるようになった。
名誉や復讐などの観念的・感情的な国益は国民に損出を無視させる強い効果があり、政治家は人気を手に入れ、強行策を打ちやすくなります。


    

今ひとつ、単純な矛盾があります
「日本はいつまで中国や韓国に謝らなければならないのか?」とよく聞きます。

これは、現在の人々には先人の犯罪の責任が無いとする考えです。
通例の法概念に照らせば当然のように思えます。
しかし前述の「自国や先人の名誉を傷付けることは国益に反する」では、一転して先人への名誉毀損は、現在の国民に関わることだと主張しています。
実は、この二つの発言は同じ人々のものなのです。
何処か矛盾していますよね。
しかし、この人々にとって矛盾では無いのです、なぜなら他国の名誉より自国の名誉が遙かに重いからです。

これらの発言の根本的な欠陥は、多国間の国民が法も含めて共通意識が無いことを無視していることです。
遺恨がある国家間で、そのような杓子定規な言動が紛争を触発することは自然の成り行きです。


    

名誉について
私は名誉を無視しろと言っているのではありません。
名誉は文化であり、歴史的にみて種々の役割を担って来ました。
しかし、時代の変化と共にその意味や価値は変わっているのです。
ここで名誉について簡単に説明します。

一つの機能に、侮られないと言う名誉は、かつて他者からの暴力を抑止する効果がありました。
これは日本にもありますが欧米の方で強く働いています。
しかし現代では暴力を抑制する機能が以前に比べ格段に働いています。
その名誉は価値を減じていますが、むしろ多くの喧嘩や紛争の火種になっています。

もう一つに、信頼されると言う名誉があり、個人が社会で安定的な立場を確保するには重要です。
これは欧米にもありますが、アジア、特に日本では重要で、現在も続いています。
国内の名誉毀損ならいざしらず、多国間の場合は判定も難しく、一方的に罵るだけでは本末転倒でしょう。

    

どちらにしても不明瞭な感情論や観念論で訴える国益には、冷静に対応する必要があります。

次回も続きます。






20140903

International exchange concert between Japan and South Korea in Kobe

PORTOPIA HOTEL

< 1. PORTOPIA HOTEL >

I went to hear the Japan- South Korea joint classic concert.
I tell you about the impression.

私は日韓合同のクラシックコンサートを聴きに行きました。
その感動をお伝えします。


a intermission of the concert 

< 2.  a intermission of the concert >

Summary
The concert was held in the big hole of PORTOPIA HOTEL in Kobe on August 23.
Program
l       Performances with chorus are Arirang and others
l       Tchaikovsky : Violin Concerto
l       Dvorak: From the New World

The joint orchestra by the amateurs of Kobe and the professionals of Daegu performed the performance.
The host was a private music academy, Kobe city and Daegu city backed up it, and there are lots of private donations.


概要
コンサートは823日、神戸のポートピアホテル併設のホールで行われました。
演目
     合唱付き演奏でアリラン、他
     チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
     ドヴォルザーク:新世界

演奏は神戸のアマチュアと大邱のプロによる合同オーケストラが行いました。
主催は民間の音楽学校で、後援は神戸市と韓国大邱市、民間の寄付も多いようでした。


Sannomiya

< 3. Sannomiya

What has impressed me?
At the beginning of the concert, there was several persons' greeting, and then it got me thinking.
The female president of the music academy that had prepared this joint concert over three years spoke with deep feeling, for doing this international exchange by music.
After that, Korea’s consul general stationed in Kobe emphasized in halting Japanese that this international exchange would become a good harbinger in unhappy Japan-Korea relation.

Now, people feeling gratified with rebuking in website and telling hate speech about neighboring country is outstanding.
I felt a burst of power by seeing the wonderful living among heartless people,


感動したこと
演奏の始めに、何人かの挨拶があり、考えさせられました。
3年かけてこの合同演奏会を準備した音楽学校の女性主宰者は、音楽で国際交流をしたいの一念でここまでやって来たと感慨深げに語られました。
次いで、駐神戸大韓民国総領事はたどたどしい日本語で、憂うべき日韓関係にあって、民間による交流親善は良い前兆になると力説されていました。

巷では、ヘイトスピーチやウェブサイトで隣国をなじって溜飲を下げるが人々が目立ちます。
心ない人々の中にあって、素晴らしい生き方を見せていただくと、私にも力が湧いてきました。


a morning of Deagu

< 4. a morning of Deagu >

Performance

Korean young woman Yunran Kim played the solo of the violin concerto.
She was really stately and I was fascinated with her force.
The above-mentioned woman president found her for bringing up Korean musician.
Hyuseok Chang of Ascolti Korean Chamber Orchestra of Deagu conducted “From the New World”.
12 musicians participated from Korea all the way and one woman of them took the role of the concertmaster.
Including the Japanese chorus, the level of the performance was high.


韓国の若手女性Yunran Kimがヴァイオリン協奏曲のソロを演奏した。
これが実に堂々とし、その迫力に私は魅せられました。
前述の女性主宰者が韓国の演奏家を育てようと、彼女を発掘し援助しているそうです。
新世界は、大邱のオーケストラAscolti Korean Chamber Orchestraの指揮者Hyuseok Changが指揮された。
わざわざ韓国から12人の演奏家が参加し、コンサートミストレスも担当し、コンサートを行った。
日本の合唱団も含めて、演奏のレベルは高かった。


 Hyuseok Chang conducting Ascolti Korean Chamber Orchestra

< 5.  Hyuseok Chang conducting Ascolti Korean Chamber Orchestra

For a finale

There seemed to be a lot of resident South Korean among the audiences.
The players, the conductors, and the audiences of Japan and South Korea were impressed as one at that time.

最後に
聴衆には、多くの在日の方もおられたように思う。
日韓の演奏者と指揮者、聴衆が一体になって感動出来た一時でした。


 Prague in Czech Republic 

< 6.  Prague in Czech Republic >

The music is common to the world and has merit that all people can enjoy together(I cannot play).
The joint orchestra of South Korea and Japan played the music of Dvorak born in Czech Republic.
Under present melancholy Japan, it was really refreshed day.


音楽は世界共通で一緒に楽しめる良さがある(私は弾けないが)。
チェコ生まれのドヴォルザークの曲を、韓国と日本の合同オーケストラが奏でた。
今の憂鬱な日本にあって、実にすがすがしい1日だった。




20140902

私達の戦争 33: 摩訶不思議な解釈5

 *1

今日は「国益」について考察します。
不思議なことに、「国益」は発言する人により意味がかなり異なります。
実例を挙げて見ていきます。

国益を巡る報道
2014年8月31日、各紙で「国益」を検索し、上位から目立った記事を取り上げます。


    

産経新聞
1.2014年8月、防衛庁長官時代から自衛隊を“軽侮”していた加藤紘一氏
内容:「加藤氏は『国益を損なう政治家』の最たるもので、防衛長官時代に自衛隊を軽視し、共産党と朝日が好きだ」と書いた本の紹介。 

2.2014年8月、『中国の大問題』丹羽宇一郎著 習政権のもろさから今後を分析
内容:「民間出身で中国をよく知る元駐日大使が、『中国の弱みに石を打て』と書き、経済的な国益を最優先に考えるべき」と書いた本の紹介。

3.2014年8月、慰安婦報道「事実ねじ曲げた朝日新聞」「日本の国益や先人の名誉傷付けた」 
内容:「朝日が慰安婦報道で、嘘の慰安婦証言や吉田証言を取り上げ、事実を歪曲し日本の国益や先人の名誉が傷つけられた」とする講演を紹介。

ポイント
三つの記事から言えることは、国防を軽視することや日本国と先人の名誉を損ねることが国益に反し、中国を非難し、経済的国益を優先することが重要だとする立場が強調されている。
補足すれば、丹羽氏の「中国の大問題」は良書であり、記事「2.」の指摘は著者の主張全体とは逆になっています。

    

読売新聞
1.2014年4月、日米TPP、来週閣僚会議
内容:「菅官房長官は2日の記者会見で『国益をかけた最後の交渉をしている』と述べた」と報道。

2.2014年3月、『日ロ現場史』本田良一朝、書評
内容:「北海道根室漁民の拿捕との攻防を描き、北方領土問題を棚上げしておくことの愚策、また何を「国益」とみなすかも時代によって変化する、などの指摘」に評者は共感している。

ポイント
政府要人がここで言う「国益」はおそらく経済が主でしょうが、他の意味も含まれているでしょう。
後者では、領土問題が最たる国益であり、それを自ら勝ち取る姿勢こそが重要だとする立場が強調されている。

    

朝日新聞
1.2014年8月、戦争体験踏まえ反戦訴え
内容:「イラクから帰還した米兵が毎日18人前後も自殺する。『安倍首相には戦争の傷痕の大きさを考えたうえで、国益を考えてほしい』」とする講演を紹介。

2.2014年8月、米、シリア上空へ偵察機 「イスラム国」空爆拡大を検討
内容:国務省のサキ報道官は会見で、「米国の国益を守るときに、空爆にあたってアサド政権の承認は求めない」と述べた。

ポイント
戦争によって大いに国益が損なわれるが、その被害を被るのは主に国民であるとする立場が強調されている。
これまでの中東政策から察すると、ここでの米国の国益は、自国の将来に関わる安全保障が主であり、かつ経済的事由も含まれるでしょう。
もし世界平和を強調するなら、米国は「国益」の表現を使わなかったでしょう。

    

THE HUFFINGTON POST(日本版)
1.2014年5月4日、イギリスにおける国家機密と報道の自由について(3)
内容:記者はスノーデンによる米国の国家安全保障局NSAの機密暴露事件で「キャメロン首相は国益を損なうと非難した」を取り上げ、国民のプライバシー保護との関係を論じている。

2.2013年11月、小池百合子氏の「首相動静」発言をどう読むか?
内容:論者は「小池元防衛相のマスコミによる首相動静報道が、知る権利を超え、国益を失っている」の発言を批判し、問題無しと論じている。

ポイント
英国首相がここで言う国益は、米国との同盟堅持と英国の安全保障に関わっている。
この国益は、国民の権利―世界中の人々が不法に盗聴されプライバシー侵害を受けていること―よりも重要だとしている。
後者の発言は、公人の動静報道が安全保障上の障害か重要人物のプライバシー侵害を招くと指摘しており、国益とは安全保障か政府要人に関わっている。

要点
これで概ね傾向が掴めました。
国益とは、国体、政府、国民、国民の権利などがあり、具体的には領土、経済がありました。
しかし、中には過去の名誉から未来の安全保障(防衛)までも含んでいました。

次回、もう少し海外紙を紹介し、国益の意味をまとめます。





20140830

私達の戦争 32: 摩訶不思議な解釈4




    

「この島が日本の領土であることは明白であり、我々に正義あり」
この手の発言の落とし穴を探ります。

正義について
声高に「正義」だからと迫られると、多くの人は尻込みされるのではないでしょうか。
かつて暴力(クーデター)を正当化する時、「正義」がよく使われました。
しかし、本来、「正義」は人類が長い年月をかけ育て来た重要な理念です。
その理念とは、社会秩序維持のために人々が守るべき行為の規範であり、それを法に規定することでした。
そこには何ら疑わしいものはありません。

正義は、個人の判断に託されるものではなく、社会が熟慮を重ね共有してきたものです。
多くは、司法にその判断を委ねることになります。
最近、したり顔で訴える「正義」が巷に溢れています。
この手は、煽るものほど論理が浅いので、先ず疑ってみましょう。

領土問題の正義
現在、日本は三つの島で領土問題を抱えています。
多くの戦争は領土問題から始まっているので、急速に危機が迫っていると言えます。
大概、その始まりは「この島は我々の領土であることが明白である」にあります。
この発言に基づく一方的な行為に正義はあるのでしょうか。


    

両国が納得出来る明白な領有の証拠はあるのだろうか?
単純な想定を見るだけで答えはわかります。

例えば、5千年前に倭人がその島に流れついて住んだとします。
その後、海賊がその島を襲い、倭人は逃げ出しました。
次いで、隣国の漁師がその島を拠点にするようになりました。
このようなことが幾度も繰り返され、やがて両国の文書や地図にその島が記載されるようになりました。
初期は、互いの国が隣国と争ってまで、数ある遠い離れ小島をすべて領土にしようと思わないでしょう。
やがて漁民や海賊、海上交易民、国の船が島々と関わる頻度が増え、中には彼らから訴えられて始めて国がその島の重要性を認識することになるでしょう。
注意が必要なのは、国が統一途上にある段階では、各国間の海は境界人と呼ばれる海賊・海上交易民(倭寇)や漁民の生活の場でした。
広く活躍する境界人ほど、その集団は混血や複数民族を含み、複数の国を行き来する国籍不明の民でした。
このような状況で、いつの時点をもって領有の証拠とするのでしょうか。


一方的な占拠は可能なのだろうか?
上記のような曖昧な論拠―曖昧な条約や古地図を証拠に一方的な占拠は正しいのでしょうか?
例えば、長崎県の対馬は九州より韓国に近いが、なぜ日本の領土なのでしょうか?
対馬には複雑な交流史と流血―日本の大名・幕府と倭寇、朝鮮王朝との歴史があり、その果てに日本の領土になったのです。
日本国内で県境の変更なら武力紛争にはならないでしょう。
しかし両国は民族が異なり、さらに過去の遺恨が存在する中で、いがみ合うことなしに一方的な行為が可能と考える方が非常識でしょう。
歴史上、境界線の多くは力ずくか、トップ間の妥協の産物でした。
双方が納得出来ない、こじつけで境界を定めたところで、紛争の火種は大きくなるばかりです。
パレスチナ問題がその典型です。

正義はあるのか?
残念ながら「正義」を問うのは不毛だと考えます。
正義を問うには、二国間で「正義」の理念が共有出来る状態にならなければなりません。これは領土問題などの対立点が消えた和解後のことでしょう。
矛盾していますが。

国際司法裁判所で争うのも一つの手ですが、今の世界は、日本のような領土問題に判決を下すことが出来ないでしょう。
一方が、裁判を受託しない以上強制も出来ません。
日本はかつて満州国を否認された時、それを不服として国際連盟を脱退しています。


*3,4,5

解決の道は・・、それは歴史にヒントがある
つい5世紀前までは、新しく発見した土地はその国のものだった。
コロンブスやマゼランらの探検によりポルトガルとスペインはアメリカ大陸を手に入れた。
南極大陸は、当初幾つかの国によって領有が主張されたが、現在、世界が共有し保護すべき地域となっている。

ドイツのザール地方は第二次世界大戦の導火線となった当時有数の炭田であった。
フランスは第一次世界大戦の恨みと賠償をここで果たそうとした。
ドイツはそれに対抗し、サボタージュさせた炭坑労働者に中央銀行で刷った給与を与え続け、その結果、巨大インフレを招いてしまい、ヒトラーに付け入る隙を与えてしまった。
両国の恨みは増すばかりであった。

第二次世界大戦後、フランスの提案により、その地域と隣接する国々が中心となり欧州石炭鉄鋼共同体を結成した。
これは石炭・鉄鋼の生産と市場を共同管理しようとするものでした。
提案はフランスだが、主要な炭田はドイツの領有であり、相互の信頼と譲歩がなければ事は成就しなかった。
これは仏独の1千年にわたる争いへの深い反省から生まれたものでした。
後に、これがEUに発展していくことになった。

まとめ
国境確定で意地を張り、憎しみを倍加させ、多大な犠牲を払ってから気づくより、初めから共同管理にすれば良い。
これからの地球では、少ない資源は世界の共同管理になっていくだろう。
幾つかの地下資源(希少金属など)は採掘可能年数が10年を切った。

素晴らしい前例を創った人類の智恵を、我々は生かすべきでしょう。





20140828

私達の戦争 31: 摩訶不思議な解釈3

    

今回は、対立する左派と右派の不思議を見ていきます。
ここにも紛争の種が見え隠れします。


 
     2、3

幾つかの不思議
例えば、今の中国で革命を目指す人々は左派でしょうか右派でしょうか?
恐らく中国政府はそれを右派、資本主義に毒された不穏分子と見なすことでしょう。
しかし、それは左派、少数民族弾圧や不平等を正す改革派かもしれません。
何か、おかしいですね。

例えば、15世紀に能を大成した世阿弥は左派か右派、どちらでしょうか?
本来、左派・右派は政治的な立場を指すのですが、ここでは所属集団での革新派・保守派を意味しています。
彼は、伝統的な猿楽を脱して、新たな演出(幽玄世界)を盛り込んだ革新派と言えるでしょう。
このような事例は現在の歌舞伎や伝統工芸に始まり、相続した大企業経営者にも見られます。
しかし、その多くの人は、立場上、保守的にならざるをえないでしょう。



ポイント
A.社会には、保守的な立場が、または革新的な立場が得策である集団・階層が存在し、大半の人々はどちらにも属さない。
B.一方、そのどちらかの集団に属していても、革新的な性向を持つ人と保守的な性向を持つ人が存在する。

社会や集団には、体制側と一体となり体制を堅持することが得策な保守的な立場が存在します。
現状に不満を持つ人々は、体制の変革を望むことになりますが、変革には労苦と危険が伴うので、すべてが革新的な立場とはなりません。
ここで重要なことは、通常、断固として体制堅持を望む立場は一部であり、多くは労苦と危険を共はない限り、より良い社会への変革を望む立場になる(貧富の差拡大期や、経済停滞時は特に)。

保守的か革新的な性向(脳機能)を持った人々は正規分布の両端の一部でしょう。
多くは中庸な性向を持っているでしょう。
一般的に保守的な性向は、社会変化を嫌い、容易に新しい主義や制度を信じないようです。
革新的な性向はこれと逆になります。

この結果
個人の保守・革新への態度の強弱は、それぞれの所属集団による立場と個人の性向の組合せで、それこそ十人十色となる。
例えば、保守的な性向を有する人が大企業と莫大な遺産を所有した場合は、最も保守的態度をとりやすくなるでしょう。
逆の場合も然りです。


何が問題なのでしょうか
上記の現象は自然な成り行きで、問題は恣意的な操作による偏りと対立です。

体制堅持を図る人々は、その目的の為に教宣活動を行うことになります。
その教宣は中庸な人々も含め、保守的な心情を奮い立たせることになります。
特に、保守的な性向を有する人はそれに乗りやすくなります。
当然、体制の変革を図る側も同様の試みを行う。
しかし通常、資金力・影響力に優れる体制堅持側が有利になります。

     4、5

これは何を意味するのでしょうか?
右派・左派(保守・革新)の教宣活動は、目的達成こそが重要であって、その言説の論理や事実は重要でははないのです。
こんなことを言えば、立派な先生方にお叱りを受けるかもしれませんが。

例えば、他国の脅威は無視出来ないが原発事故の脅威は無視出来る日本の右派がいます。
世論調査の分析によれば、原発を嫌う人は科学に不信感を抱く傾向が強い(他の要因もある)。
普通に考えれば、科学に不振感を持ちやすい人は保守的な性向に多いはずです(推測)。
なぜこのようなことになるのでしょうか。
それは原発政策が米国の国益と一致したからで、その起源は敗戦時、政府が再建を全面的にGHQに委ねたことにあります(善悪を問わず)。
もし米国が石炭政策を取っていたら、現状は変わっていたでしょう(円高も同様)。
昔はいざ知らず、現状の共産大国が原発を否定し、日本の左派に反対の圧力をかけているとは思えません。
すると原発労組を抱える左派が原発反対になる理由は、科学的根拠か右派(長期与党政権)への反発からでしょう。
このような例、理論、心情すらも食い違う例はいくらでもあります。
例えば、米国の共和党はリンカーンの時代、革新派でしたが現在は保守派です。


まとめ
本来、革新的な性向(脳機能)と保守的な性向は釣り合っており、社会は適切な進歩と安定を手に入れることが出来るのです。

右派と左派の論争が噛み合わないのは、一方の論理が未熟からではないのです。
元々、保守派と革新派が作り上げた言説は一貫性や論理など疑わしいのです。
所詮、辻褄合わせの産物なのです。
そのあやふやな言説に、中庸な人々までが踊らされ、左右に大きく振れ対立することが問題なのです。

現在は、別の不安定な状況が世界の先進国で進行しています。
それは各国で政治への不信感亢進により政党離れが進んでいることと、貧富の差が拡大していることです。
この状況は、歴史的にみて、何かの不足の事態を切っ掛けにして、世論が大きく振れる危険性を孕んでいることです。

大事なことは、皆さん一人一人が、確かな視点を持たないと、振り回され悲劇を見ることになるかもしれないと言うことです。




20140827

私達の戦争 30: 摩訶不思議な解釈2




    

今回は「左派が戦争をする」「右派が戦争をする」、この対立を取り上げます。


    

左派が戦争すると思われている例
一部の人は、ヒトラーが凶暴な社会主義革命家だと信じているようです。
その根拠はヒトラーのナチスが国家社会主義ドイツ労働者党だからでしょう。
彼が国民に訴えたのは、ゲルマン民族の優越(反ユダヤ)と反共産、栄光の軍事大国復活でした。
彼は、当時の大不況と社会混乱にあって、上記スローガンで中産階級や農民、青少年を魅了し組織化したのです。
彼はバイエルン邦国で知名度が上がってくると、それまでの味方(過激な労働運動家)を切り捨て、旧来の軍部や資本家と手を結んでいきました。
その20年前、社会主義国を目指したドイツでしたが、当時は保守勢力と軍部が政権を担うようになっていました。
彼は一貫した主義や論理を持たず、総統になるために手段を選ばなかった。
国民は、ヒトラーの提案した夢にすがり信じたのです。
当時はファシズム(全体主義)が世界各地に吹き荒れ、独裁者が国を牛耳り軍事侵攻を始めた。
その代表格がイタリア、ドイツ、日本、スペインだった。

ではなぜ一部の人々はヒトラーに対して違った見方をするのでしょうか?
ポイント
A.「戦争をするのは共産主義者(左派)」「保守主義(右派)は戦争をしない」と信じたい人々がいる。
B.その事を訴える人々がいる。

この二つは共に右派と見なされ、同様に左派にもこの傾向があります。
ここで重要なことは訴える人と信じる人の二重構造になっていることです。
ちなみに日本の右派(保守派)は民族主義(排外主義)、軍事志向で、左派(急新派)は社会主義、平和志向と見なされています。

    

左派と右派、どちらが戦争をしたがるのでしょうか?
米国の民主党政権と共和党政権どちらが戦争をよりしていると思いますか?
簡単に言うと、ベトナム戦争は民主党大統領、イラク戦争は共和党大統領が始めました(事情は複雑ですが)。
ここでも両派で意見が対立することになります。
共産国家が軍事独裁や帝国主義になることは度々あり、典型的なのはスターリンでしょう。
日本では軍人が幾度もクーデターを起こし、軍部が政権を掌握するとやがて日中戦争へと向かって行きました。
これは右派のパターンでファシズム(全体主義)と呼ばれるものです。
かつて武力で植民地を従えた西欧の帝国主義国は共産主義と無縁でした。
今の米国は、どうでしょうか?
日本では好意的に見られていますが、中近東や南アメリカでは嫌われていることが多い。
それは自由主義の米国がここ半世紀あまりの間に、軍事介入や政権介入(諜報活動)を行ってきたからです。

    

ポイント
C.特定の観念や主義だけが国家を戦争に向かわせるのではない。つまり右派、左派に関係なく戦争をするのです。
重要なことは、観念や主義が社会の合意形成や団結によく利用されることです。
多くは、国民が信じやすい観念や主義が唱えられ、盲目的に受け入れてしまっている間に、独裁や全体主義が完了し軍事国家となった。
一度、そうなると多くは壊滅状態になるまで突き進みます。
その観念や主義で重要なのは、事実や論理ではなく、如何に人々が信じ共有出来るかにあります。
その観念や主義の類には、共産主義や資本主義だけでなく民族や宗教、ドクトリン(他国の脅威への抑止論)があり、テロ対策や国益を守るなども同様でしょう。

    

まとめ
私達はどうしてもステレオタイプにものを見てしまいがちです。
その方が日常暮らしやすいからです。
一度、知らず知らずのうちに右派・左派どちらかに属してしまうと、例えば特定の新聞や報道番組に偏ってしまうと、それと異なる情報や見解は少なからず葛藤を生むので、やがて避け拒否するようになって行き、さらにその傾向は深まります。
このことが、多くの誤解に基づく左派と右派の対立を招くことになります。

次回は、左派・右派の不思議に迫ります。