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今日は原爆ドームと広島での名物料理を紹介します。
< 2. 観光ルート、上が北 >
No.1は原爆ドームで、赤線は広島駅からの路面電車です。
原爆ドームを見学後、黄線を歩いてホテルNo.3に行きました。
No.2の料理屋「かなわ」で夕食をとりました。
翌日、23日の朝、ホテルを出て、No.4の広島城、No.5の縮景園と広島県立美術館を訪れました。
この縮景園は本当に素晴らしい、後日紹介します。
< 3. 原爆ドーム >
私達は初めて訪れました。
幾度もテレビで見ていることもあり、実はあまり感動しなかった。
しかし日暮れ近く、原爆ドームの背景が薄くピンク色に染まるのを見て、何かが私にチャンスを与えてくれたようでした。
この出会いを無駄にしたくないと思った。
< 4. 太田川 >
上の写真: 上流側(北)を望む。
下の写真: 下流側(南)。
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来訪者は少なかったが、西欧系の外人の姿が目立った。
< 6. ホテルに向かって歩く >
下の写真: 夕食で訪れる「かなわ」。
< 7.夕食のイメージ、HPから借用 >
これらは私達がこの旅行で最も張り込んだ食事、牡蠣料理です。
私が現役だった20年以上前、広島に出張したらご馳走になるのが牡蠣料理でした。
有名店なので期待していたのですが、私はガッカリした。
牡蠣が小さく、想像した半分以下の大きさだった。
ここ数年、赤穂やフランスで食べた牡蠣の大きさが脳裏に焼き付き、かつて広島で食べた牡蠣が私のイメージの中で巨大化していたのです。
店員にそれとなく聞くと、生食用に瀬戸内海沖近くの島の清浄海域で採取しているとのことでした。
しかし私はまだ納得できませんでが、翌日、ひょんなことからこの疑問は氷解することになります。
帰路、呉線に乗っていると、海岸線に牡蠣の筏を多く見ました。
近くに座っている旅慣れた中年男性に筏のことを聞くと、彼はこう言いました。
「ここの牡蠣は大きいが加熱用で、赤穂などと同じく栄養分が多い河口近くで育っ為に短期間で大きくなるが、生食には向かない。従って広島の生食用は小さい。」
私はこれを聞いて始めて納得した。
ここでもう一つ牡蠣の話。
1960年代の終わりから76年代にかけて、フランスの牡蠣が病気になり、全滅しかけたことがあった。
この危機を救ったのが日本のマガキの稚貝の輸入だったのです。
私が食べた牡蠣は・・・・
< 8. 原爆の被害 >
上の写真: 原爆投下前の広島。
星印が原爆ドームの位置。
中央の写真: 原爆投下1時間後の原爆のキノコ雲。
下側に瀬戸内海が見える。
下の写真: 被爆後の原爆ドーム。
* 広島市への原子爆弾投下について
第二次世界大戦末期の1945年8月6日、アメリカ軍が日本の広島市に世界で初めて核兵器を実戦使用した。
爆心地周辺の地表面の温度は摂氏4000度にもなり、人口35万のうち14万人ほどが4ヵ月以内に死亡した。
原爆投下後の入所被爆者も含め56万人が被爆したとされ、原爆死没者名簿には31万の名がある。
心より冥福を祈ります。
私の友人に長崎市の原子爆弾投下による被爆者がいます。
この悲惨で唯一の経験を世界平和の礎にしたいものです。
次回に続きます。
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