20210112

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 16: 二つの博物館

  

 

*1

 

今回は、東祖谷歴史民俗資料館と平家屋敷を紹介します。

 

 

 

< 2. 二つの博物館の位置、共に上が北 >

 

東祖谷歴史民俗資料館は東祖谷、祖谷街道に面して建っています。

武家屋敷旧喜多家や鉾神社への登り口の近くです。

 

平家屋敷は祖谷川から吉野川の大歩危に至る45号線沿いにあります。

深い谷に面した山の上にポツンと一軒建っています。

 

 

 

< 3. 東祖谷歴史民俗資料館 1 >

 

この展示館では、祖谷の暮らしと平家落人伝説の資料が展示されています。

 

 

 

< 4. 東祖谷歴史民俗資料館 2 >

 

民家の家財道具、農具、木こりの道具などが陳列されています。

大きい展示場ではないが、祖谷の暮らしが少し見えたように思えました。

 

 

 

< 5. 平家の赤旗と安徳天皇の路 >

 

上: 平家の赤旗(レプリカ)

この博物館で最も重要な展示です。

中央と右の旗、上部に八幡大菩薩とあります。

 

「平家屋敷阿佐家に伝わる大小二流の赤旗。

平国盛が屋島から奉持して来たと伝えれ、日本最古の軍旗と言われている。

大きい方は本陣用で、鳩文字で八幡大菩薩と書かれている。

小さい方は戦陣用で、二羽の蝶が描かれている。

大小二旗とも生絹を生地とし、800年以上の歳月によって色が褪せてしまったが、茜と紫で染められている。

所々に見える汚点は血痕、穴は矢で射抜かれた跡と伝わっている。

この赤旗は、阿佐家や村人にとっては神聖なもので、門外不出とされている。」

展示説明から引用。

 

阿佐家は、平国盛が阿佐の地に居を構え、代々阿佐氏を姓として現在に至っている。

 

平家の落人伝説の村は全国におよそ80ヶ所以上あるでしょうが、この赤旗が残っている村は数ヵ所しかないのではないか。

信憑性の高さを感じる。

 

下: 安徳天皇の路、赤線で示されている

左端が、前回紹介した御火葬場になっている。

右は祖谷川沿いに剣山へ向かっている。

 

 

 

 

< 6. 平家と天皇家の関係 >

 

平清盛と平教経(国盛)と安徳天皇の関係が分かります。

 

 

 

< 7. 平家屋敷外観 1 >

 

ここは山深い一軒屋です。

本家と蔵があり、後は山、前は立派な庭で、見晴らしも良い。

暮らし難い所だと思ったが、代々医者の家系と知って納得した。

 

祖先は安徳帝の御典医で、平家滅亡と共に祖谷に逃れ、薬草を採集し、医業を行っていた。

子孫は、祖谷一帯が蜂須賀公と戦った折、祖谷側に属した為に罰せられたが、許されこの地に居を構え、現在に至る。

 

 

 

< 8. 平家屋敷外観 2 >

 

 

 

< 9. 平家屋敷内部 1 >

 

中は展示品が雑然と並べられ、床は軋み、天井は煤で真っ黒でした。

漢方医の家系らしく、医療の資料も散見された。

 

 

 

< 10. 平家屋敷内部 2 >

 

あまり得る所は無かったが、二つほど印象に残ったことがある。

一つは、古い家族の写真があり、この山深い地の暮らしに真実味を感じたことです。

今一つは、無造作に置かれた家具と黒い煤が、更に生活感を漂わせていた。

 

次回に続きます。

 

 

20210111

没落を食い止める! 3: はじめに 3: 回避出来た国と出来ない国

  


*1

 

前回、米国の狂気を見ましたが、

何とか最悪の事態を逃れたようです。

もしこれが日本だったらどうでしょうか?

 

 

* 想像すると寒気がする

 

野党が総選挙で与党を上回る議席を獲得し、政権交代が起きそうになったら?

 

「不正選挙」がネット上に踊り、さらに数千の暴徒が選挙を正すとして議事堂を襲うかもしれない。

 

皆さんは起こらないと断言出来るでしょうか?

 

今回、トランプ再選を願う日本のウヨは、ネット上でかなり興奮していた。

彼らの激情は、自国であればなお更でしょう。

 

残念ながら日本には暴徒化した過去があります。

武装集団が官邸や議事堂を襲撃した五・一五事件と二・二六事件が1932年と1936年に起きている。

この後、日本は軍事独裁へと突き進んだ。

 

一方、米国で暴徒が国会議事堂に乱入した事件は今回が始めてでした。

死者は出たが、議事は粛々と進んだ。

 

ここに米国と日本の違いがある。

 

トランプ大統領が選ばれたこと自体が異常かもしれないが、米国には再選を阻止する良識があった。

 

前回の選挙では偏向した巨大ケーブルニュースと極右のネットニュースがタカ派の人気者を大統領候補に押し上げた。

タカ派の富豪らが彼を支援し、共和党首脳部はその人気に抗しきれず、遂には追従した。

 

しかし、今回の選挙では、多くのマスコミが一丸となって正論の報道を行い、大統領の扇動のツイートに対抗した。

またトランプの実態を暴いた暴露本が次から次と刊行された。

遅かったがツイッター社も虚言を絶つ英断を行った。

米国の言論界、マスコミは健在でした。

 

その一方・・・

 

 

< 2.共鳴、便乗、御用の果てに・・・ >

 

 

 

< 3. 身贔屓は身を滅ぼす >

 

* 翻って日本に暴走を阻止する良識があるだろうか?

 

日本では首相に対して、米国のように記者が質問攻めにし、テレビや新聞が虚言を暴き、暴露本を出し、映画やドラマで痛烈に風刺することがあるだろうか?

残念ながら御用新聞や御用・・・が幅を利かせている。

 

残念ながら無理。

 

それは政府による表裏からの報道抑圧、露骨な御用??の重用、電通の広告支配による報道抑制、国と馴れ合う記者クラブなどが、日本の報道の自由を奪っているからです。

 

日本だけを見ていると、この惨状を自覚出来ないが、世界報道自由度ランキングが示している。

 

2020年、180ヵ国中、最良は北欧4ヵ国で、米国は45位、日本は66位でした。

注目すべきは、米国は20年間で17位から、日本は10年間で11位から急落していることです。

既に日本は、正常化が進むアフリカ諸国と同列になってしまった。

 

日本の大半のマスコミは政府の汚点を隠し、報道しなくなって久しい。

それに偏向したネットとSNSが追い打ちをかけた。

 

政治意識が未熟な国民に立ち直るチャンスはあるのだろうか?

 

次回に続きます。

 

 

 

 

20210108

没落を食い止める! 2: はじめに 2: 荒れ狂う人々

  


*1

 

 

前回は、日本特有の悪弊について語りました。

今回は、米国発の狂気を見ます。

実は、これは日米に通じる社会危機を示しているのです。

 

 

* 共鳴する狂気!

 

今、共鳴する狂気が日米を席巻している。

これはトランプ大統領と安倍元首相で強まりました。

この二人は政敵を常軌を逸した手段で徹底的に貶めることで似ています。

大統領は二千ものフェイクで政敵を犯罪者に仕立て、一方で自己礼賛を行う。

彼は1億5千万票の選挙が不正だとし、陰謀論をまくし立て、選挙結果を覆す為に暴動を扇動した。

 

ところがこの騒動は日本でも盛り上がっている。

ウヨは今だに、トランプ側の流す不正選挙のトンデモ証拠に嬉々として、トランプ再選に希望を繋いでいる。

 

私には不思議でならない。

日本のウヨは、なぜ恥を晒してまでトランプ勝利に掛けるのか?

九分九厘、トランプのデマで決着する。

そうなれば、彼らは詐欺師の口車に踊らされたとして大恥をかくことになる。

 

あれほど擦り寄った安倍氏は沈黙する一方、ウヨの神様高須氏は今だにトランプに望みを託している。

良く出来たもので、高須氏の大村知事リコール署名で8割を越える不正が明かになった。

 

彼らには合理的な判断が見られない。

嫌悪するだけで、いとも簡単に相手を徹底的に叩き、かつ海を越えて一体感を持てる強さと恐ろしさがある。

これが人類を戦争に駆り立てる最大の理由です。

 

 

* トランプ現象の危険な兆候

 

この危険は、国民がいとも簡単に扇動され、国が一瞬にして暴徒化してしまうことです。

 

要点を挙げます。

 

トランプの高評価

A. 経済が良くなった。

B. 庶民の味方で、エスタブリッシュメントと無縁。

C. ビジネスの成功者であり、取引が巧み。

 

一方、悪評価

D. 品性下劣、虚言連発、女性蔑視、ブラックビジネスなど。

E. 政策や閣僚人事で一貫性・整合性が無く、身贔屓・非科学的。

F. 敵意を煽り分断することを常套手段とする扇動家。

 

米国でトランプを評価する人々が多いので、その判断を尊重すべきだろうが、冷静に上記の高評価を分析すれば大半は怪しい。

一方、悪評価は事実であり、彼は大統領に的確でないことは明白です。

例えば、トランプはこの12月に選挙結果を覆す為に戒厳令を検討していた。

 

ここで見逃してはならないことは、ポピュリズムの悲惨な結末は、ヒトラーやトランプだけでなく、安倍でも起こせることです。

今の日米、かつての独には、数十年に及ぶ分断(主に中間層の没落)があり、さらに政治家が分断を煽って勢力を得て来た背景があるのです。

 

人類は、怒りや恐怖に共感し、大集団で残酷な闘争に至る唯一の動物なのです。

 

次回に続きます。

 

 

20210107

中国の外縁を一周して 60: 中国と北欧、そして日本、これで最後になります

  


*1

 

 

続いて中国と北欧を比較し、最後の感想を記します。

今回で中国の旅行記を終わります。

有難うございました。

 

 

 

< 2.中国と北欧の観光ルート >

 

黒線が鉄道、赤線が航空路、青線がフェリーです。

番号とアルファベットが宿泊地や観光地です。

 

中国旅行は2019年10月15日~29日です。

北欧旅行は2018年5月31日~6月12日です。

 

 

 

 

< 3. 北欧の豊かさと発展 1 >

 

すべてスウェーデンの住宅です。

 

上: ストックホルム郊外の住宅

中央: ストックホルム郊外の建設中のマンション

下: 列車から見えた地方の住宅、スウェーデン

 

私は北欧三ヵ国の首都と郊外をそれぞれ数日掛けて、バス等で見て回りました。

そこで感じたのは、一般の住宅にはスラム街や古い家は無く、比較的新しい事でした。

これは地方を走る鉄道や電車の車窓からも言えました。

これまで世界35ヵ国ほど観光しましたが、これほど住宅に所得の格差が現れていない国は珍しい。

当然、都市部の鉄筋造りや石造りのビル、歴史を感じさせる豪邸は別です。

 

 

 

< 4. 北欧の豊かさと発展 2 >

 

上: スウェーデンの地方都市の景観

中央: セカンドハウスが並ぶオスロ湾の島

下: オスロのハーバーフロント開発区

 

北欧三ヵ国は中国ほど建設ラッシュではないが、都市の発展が停滞している感じでもない。

各国の都市部では大規模開発よりは、個々に改修を加え続けているようでした。

だがノルウェーの首都オスロに面した港湾は大がかりな開発中でした。

三ヵ国の開発に違いがあるのは、オスロが大戦による首都破壊がもっとも大きく、かつ石油で潤っているからでしょう。

 

 

北欧では、新旧の建築物が相俟って都市景観を構成するように企図されているようです。

彼らは、歴史的建物や景観を残そうとするあまり、新しい建物を拒絶し、都市機能を低下させてしまうことがないようにしているらしい。

一方で、新たに造られる建物は斬新なデザインが採用され、古風さを強調することがない。

むしろ斬新なデザインが市民にも観光客にも受け入れられている。

 

観光の為に、伝統的な都市景観保存に拘り過ぎると、その都市は発展出来なくなってしまうと私は思う。

この意味で北欧の進め方はベストだと考える。

 

 

 

< 5. 中国の大躍進 >

 

上: 麗江の別荘地

中央: 雲南省大理近郊の建築ラッシュ

下: 国内を網羅しつつある新幹線網

 

今回、私にとっては最終回と言えるほど端から端まで訪問して来ました。

そこで再確認出来たのは、中国の大発展が奥地まで浸透していることでした。

 

今まで、幾度か北京や上海、廈門を訪れて、高層ビルの乱立に目を見張らせ、桂林や西安の町並みが新しくなっていくことにも驚いていた。

しかし、奥地の蘭州や麗江、昆明などの賑やかさや大都会の様相は予想を越えるものがあった。

 

新幹線は日に日に延長され、瞬く間に全土が新幹線網で結ばれるでしょう。

それだけではない新幹線の車内は、私が乗った限りでは、すべて満員でした。

出来立ての巨大な新幹線駅周辺は、これまた凄い開発ラッシュでした。

多い所では数十から百棟ほどの高層マンションが建築中でした。

極め付きは、蘭州の空港近く、標高2000mの砂漠にビル等1000棟を越える都市が忽然と現れたことでした(グーグルアースで確認)。

まるで砂塵の遠くに蜃気楼を見る想いでした。

 

この中国の開発マジックには脅かされる一方、学ぶべき開発経済の新手法があるように思えてならない。

以前から、中国は中央も地方も莫大な借金でやがて破産するだろうと言われて来た。

しかしいつまで経ってもその気配は無く、大規模開発は続く。

 

中国の開発経済は欧米諸国と異なっている。

都市開発時、デベロッパーは政府から土地の使用権を購入する。

政府はその資金を公共投資などに当てる事が出来る。

立ち退く住民は、開発区に住まいと高額な補償金を手に入れる。

(ただ入居者の家賃は高騰しているようだが)

 

至る所で莫大な資金が必要になり、膨大な通貨が国から供給され続けるが、インフレは抑えられており、順調のようだ。

また海外から元建て中国国債の購入が拡大し、最近中国は外国通貨建て国債の発行を増やし、米国国債を売っている。

(なぜか逆に日本は米国債を買い続けているが、忖度か?)

 

とにかく中国経済は不思議で目が離せない。

 

 

 

 

< 6. 北欧の自転車 >

 

上: スウェーデン郊外の鉄道駅

線路の両側から緩いスロープを使って、自転車で行き来出来るようになっている。

 

下2枚: コペンハーゲンに溢れる自転車

 

街で一番驚いたのは自転車の多いことです。

西欧でも見たことはあるが、特にデンマークのコペンハーゲンが凄かった。

通勤や通学は車では無く、自転車で、それが当たり前だった。

私が30数年前にコペンハーゲンを訪れた時、自転車を見た覚えがない。

 

つまり、健康と持続可能な社会を目指して大転換を遂げていた。

単に自治体の整備ではダメで、国民の意識が高くないと出来ない。

 

 

 

< 7. 中国の移動手段 >

 

上: 昆明の交差点

交差点で、さすがに自転車を見ないが、バイクは多い。

北京ではバイクも自転車も見なかった。

 

中央: 廈門の新交通、バス専用の高架道路。

 

下: 北京のバス停のレンタル自転車の駐輪場。

北京や昆明をバスから見ていると、レンタル自転車が大量に放棄されているらしいのを幾度か見た。

 

実に中国らしい大発展と大転換がちぐはぐに進んでいる。

多くの都市は地下鉄の建設ラッシュでした。

新しい駅が出来て市民は便利さを享受している。

一方で、爆発的に拡大したレンタサイクルは曲がり角のようだ。

 

 

 

< 8. 文化 >

 

上: オスロの野外博物館

主に2世紀前からの実物民家の展示で、三ヵ国共にある。

 

中央: ロスキレのヴァイキング博物館

家族で船の工作を楽しんでいた。

この博物館や別の歴史博物館でも学生のヴァイキング学習風景を見た。

 

下: 開封のテーマ―パーク開封府にて

包拯による裁判シーン。

 

北欧と中国の観光で感じたのは、歴史と観光への捉えた方の違いでした。

 

北欧では観光で売り出している民俗芸能や史跡は多くない。

王宮と大聖堂だけは、西欧と同様だが、他は目立たない。

歴史が無いわけでは無いはずだが。

 

三ヵ国が共に民家の野外展示場を設けているが、歴史の捉え方に関心した。

歴史遺産を派手に演出するのでは無く、あるがままの姿を後世に残す姿勢が好きだ。

 

ただヴァイキングの博物館とテーマパークは多く、人気が高い。

北欧の人々は、非常にヴァイキングを誇りに思っている。

日本で言えば、倭寇や侍を誇りに思うようなものです。

日本人にとってヴァイキングは残虐な略奪者なのだが、彼れらには偉大な開拓者、冒険家、海洋航海者となっている。

 

略奪と言う負の行為を強調するのではなく、その冒険心を讃え、伝えたいとの想いがあるようです。

展示では残虐行為を隠さず淡々と表現していた。

確かに、ヴァイキングの略奪は、日本の武士団の抗争で起こった略奪と同列かもしれない。

当時、北欧にはキリスト教が伝来しておらず、異教徒の侵略に対抗する意図がヴァイキングにはあった。

 

 

一方、中国は豊富な歴史遺産を抱えていている。

しかし多くの建物は文化革命や戦乱で破壊尽くされ、コンクリートでの再建が目立つ、残念です。

 

中国では歴史的な物を華美に演出する傾向があり、鍾乳洞などのライトアップには辟易した。

だが、続々と出来る歴史テーマパークの多さと賑わいを見ていると、別の感想もある。

写真にあるような宋時代の政治家包拯(ほうじょう)の人気を見ると、歴史が身近なものとして生きているようです。

これはテレビの歴史ドラマの影響もあるようですが。

 

中国はヨーロッパと異なり、歴史遺産は観光で儲ける所であり、国民も楽しむ所と割り切っているところがある。

その意味で麗江古陳の夜の賑わいがその最たるものでした。

 

それぞれ地域によって大きく異なる反応があるのもです。

 

 

 

< 9. 変わる中国 >

 

上: 昆明の市中トイレ

中央: 桂林で見た電動バイク、2015年

下: 蘭州に向かう車窓から見た風力発電機の製造

 

ここでは中国の知られざる進展を紹介しておきます。

 

一つはトイレの整備です。

古くから中国を旅行している人にとって、中国で困るのはトイレでした。

使用に、かなりの決断が必要なことがありました。

ところが今回、都市部に関しては快適なトイレが多く出来ている。

ヨーロッパの少なさが際立つことになった。

 

奥地にある桂林に行った時でした。

公害を出さない産業団地が造られ、朝の散歩で見たバイクは電動でした。

 

中国は、結構先進的な取り組みを一気に行うことが多い。

電動車以外にも、滴々出行などのカーシェアリング、銀行を介さないスマホ決済、自動運転などがどんどん進めらている。

 

実はこの事は、他の共産主義国から見れば不可能に近いのです。

それは既存産業を競争に晒し、衰退を受け入れることになるからです。

これは日本の発展が進まない理由と同じで、既存産業を守るために政府が規制しているからで、優秀なIT技術者の有無が最大の理由ではない。

 

風力発電の世界的なメーカーがスウェーデンにありますが、これを中国の山地で見た時は驚きました。

 

本当に中国は既存の大企業や公的企業を過保護する事がなく、どんどん新しい事に国の指令で進める凄さがある。

普通は官僚制で癒着が進み、弊害が大きくなるのですが。

 

むしろ日本の方が、守りに徹し過ぎている。

 

 

 

< 10. チグハグナ中国と各国の比較 >

 

上の写真は、中国らしい光景で、新幹線の写真です。

新幹線の乗客には、経済的に豊かそうな人から、行商帰りのような風采の人も居ました。

数時間も乗っていると、清掃係員が幾度も車両の床を掃きに来た。

ちょうど、一人高齢の男性がピーナッツの殻を食べながら床に捨てていた。

彼は、掃除が目の前で行われていても、捨てることを止めない。

掃除婦も誰もとがめない。

 

中国では、若い人ほどマナーが良く親切でしたが、歳を取るにつれて悪くなる傾向があった。

北欧は概ね逆でした。

 

急速な発展をしている国と、発展が落ち着いている国では、このような逆転が生じるのかもしれないと思った。

 

 

下の表は、日本と各国を比較したものです。

 

幸福度、男女平等で日本が如何に低いかがわかります。

一方、貧困は米国に次いで日本が多いのがわかります。

日本はGDPと成長率が低い。

 

概ね、すべての指標で中国も低いのですが、男女平等では日本を上回っている。

特に知って欲しいのは、このままの日本であれば、一人当たりのGDPすら中国に抜かれることです。

 

 

 

* 最後に

 

私は、二つの旅行を通じて、北欧に国の理想像、また中国に発展のダイナミズムと世情を確認して来ました。

 

結論から言えば、それぞれ予想を越える素晴らしいものを感じて得るものがあった。

 

どうか皆さん、マスコミや言論界に毒されず、自ら北欧と中国に足を運んで下さい。

 

きっと狭く偏見に満ちた感覚から解放されるはずです。

 

広く世界の社会・経済・歴史を見れば、今の日本の本当の現在地が見えて来るはずです。

 

長い間、お付き合いありがとうございました。

今年は、カナダと米国を訪問し、また報告したいと思います。

 

これで旅行記を終わります。

 

 

 

 

20210104

  

 

*1

 

今回は、安徳帝ともっとも深い縁がある神社を紹介します。

 

 

 

 

< 2. 神社のある場所、共に上が北 >

 

上: 祖谷の全体図

赤いバルーンが今回紹介する栗枝渡八幡神社(くりしどはちまん)、黄矢印が落合集落、白矢印が鉾神社と喜多家、ピンク矢印が祖谷のかずら橋。

八幡神社以外は既に紹介しました。

 

下: 八幡神社と落合集落を示す。

八幡神社は東祖谷栗枝渡村の上部に残された森にひっそり佇んでいます。

村の一部はさらに上まで広がっています。

この村の東側、上流側には落合集落が見えます。

 

 

 

< 3. 登りの路 >

 

上: 祖谷街道から登りの路に入って中ほど。

 

: だいぶ登って来ました。

 

前回の喜多家に行く路に比べれば距離は短く、道幅も広く舗装もされており、行きやすい所です。

 

 

 

< 4. 途中の眺め >

 

上: 東側、祖谷渓谷上流部を望む。

 

下: 真南を見下ろす。

茅葺を覆うトタン屋根が下に見える。

 

 

 

< 5. 八幡神社の前に到着 >

 

神社は見えないが看板があるので分かります。

ただ充分な駐車場はありません。

 

上: 車から降りて、来た道を振り返った。

 

下: その看板の手前の雑草が生えているところが駐車場です。

小型車2台程度が駐車出来そうです。

 

 

 

< 6. 森の中に神社が見えた >

 

上: 駐車場から坂道が延びており、進むと神社が見えた。

下: 右手の杉の間に、小さな祠があった。

 

 

< 7. 栗枝渡八幡神社と安徳帝の火葬場 >

 

以下から説明を引用しました。

https://nishi-awa.jp/heike/pdf/heikenaka.pdf

 

上: 栗枝渡八幡神社

安徳帝が「蛙の鳴く場所で過ごしたい」との希望されたこともあって、平国盛は温かい南向きの栗枝渡に、新しい御所を造った。

御所と伝わる八幡神社には鳥居が無く、敷地の奥には安徳天皇語火葬場の跡がある(写真中央本殿の右側)。

栗枝渡の地名は、安徳天皇が渡られる時、橋が流されていたので栗の倒木を川(祖谷川?)に掛けて、帝に渡って頂いたことに由来している。

 

 

下: 安徳帝の火葬場

安徳天皇が突然の病気で崩御された時、平国盛は、安徳天皇が生前好んで遊んでいた場所を掃き清め、帝を荼毘に付したと伝えられている。

この場所は未だに、どんなに雪が降っても積もらないという不思議な場所。

 

 

 

 

< 8. 神社境内の建物 >

 

上: 本殿の右側にある建物

 

下: 本殿の右側から裏側を望む

 

 

 

< 9. 神社の境内から >

 

 

 

< 10. 境内を去る >

 

 

 

< 11. 下りの眺め >

 

上: 東に落合集落が見えた。

 

下: 山里の生活を感じる時

左側に上下に配置された幾本もの横棒が見えるが、これは稲や野菜の乾燥用の棚でしょう。

その右下に小さな畑が、さらに右には立派な墓石が並ぶ墓地が路て沿ってあった。

 

今回、急斜面の山里を幾度も通っていると、高齢の御婦人が畑作業をしているのを幾度も見た。

高齢の私には考えられないのだが、この傾斜地の生活は足腰に非常に厳しいはずです。

例え車があっても無理だな! そんなことを考えながら別れました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

20210102

没落を食い止める! 1: はじめに 1: 悲惨な・・・

  


*1

 

私は不思議でならない!

没落させても平然としている人々。

片や、衰退の真実に目を背ける人々。

今や、この両者が日本を覆い尽くすようになってしまった。

 

この現状から脱したい!

この思いで、連載を始めました。

 

 

* 目に余る悲惨な現状!

 

今、奇怪な現象が中国地方西部で頻発、集中している。

 

これはチャイナで無く、日本の話しです。

国会で118回も虚偽発言した元首相、元農林水産大臣に贈賄した企業、買収を行った元法務大臣夫婦の事件などです。

これらは不思議な事に、山口県と広島県の国会議員か企業に偏っている。

この地は明治の元勲や戦後の首相、岸、池田、佐藤などを生み出した所です。

 

私には、その偉大な歴史ではなく、今まさに日本が陥っている状況を象徴しているように思える。

大半の日本人は、これらの事件を単なる政治家や企業の腐れ縁に過ぎないと思っている。

確かに、幾度も繰り返されている光景だが、益々政治は腐敗し、その悪弊が社会に浸透し、民主主義が崩壊しつつあることを物語っている。

象徴と感じるのは、正に著名な政治家を生んだ地ほど病んでいるからです。

 

例えば強姦の逮捕状が出され揉み消された山口元記者、長年認められなかった獣医学部新設で便宜供与が疑われる加計理事長(岡山県)らはいずれも、元首相に近い人物です。

 

これは社会がパトロネージュ(政治家と後援者の癒着)によって腐敗し衰退するという世界史に通じる現象です。

栄華を極めた王朝もやがて権力者の恣意的な政治によって経済社会は非効率になり悪化し、回復不能に陥りました。

やがて各地で反乱が起き、これ幸いと外敵が一気に崩壊させることもありました。

中国の宋、朝鮮半島の高麗、フランスのルイ王朝などが好例でしょう。

 

ここで視点を海外に移します。

 

私が旅行中、コペンハーゲンで10年ほど暮らしていた日本女性に会った時の事です。

彼女が北欧に来て最も鮮烈な印象を受けたのは、政治腐敗(汚職)がまったく存在しないことでした。

彼女は、依然として頻発する日本政治の汚職に呆れていた。

 

例えば、国の腐敗を示す腐敗認識指数で、デンマークは世界180か国中最良の一番、しかも継続している。

一方、日本は2011年に最高の11位をつけたが、なぜかその後凋落を始め、現在18位です。

2012年末の第二次安倍政権誕生と関連が有るかは不明ですが・・・。

 

少なくとも日本がいつまでも先進国とか、「Japan as Number One」(1984年刊行の日本礼賛本)とか思わないで下さい。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

20201230

中国の外縁を一周して 59: 中国と北欧、そして日本 3: 家族、教育、移民・多民族、親切について

  

*1

 

 

今回は、家族、教育、多民族、親切を切り口に北欧と中国を見ます。

そこから社会の適応力と多様性が見えて来ます。

これらは社会発展の原動力になっている。

 

 

 

< 2. 教育現場、北欧の公園にて >

 

上: ノルウェー、首都オスロ郊外の湖にて

平日の朝早く、湖を見に行った。

8時を過ぎると、中学生か高校生らしい十数名のグループがやって来て、スポーツを始めた。

 

下: デンマーク、ロスキルの公園にて

平日の1時半頃、公園内を通り抜けた時、至る所で小学生や中学生のグループが見えた。

どうやら先生が引率して、何か課外授業を行っているようでした。

 

12日間の旅行中、緑豊かな公園で生徒が先生と一緒に居る光景を数多く見た。

この時期、北欧は長い冬をやっと終え、正に待望の初夏到来だったからもあるだろうが、それにしても自然と共に過ごすことを重視している事に感銘を受けた。

 

 

 

< 3.垣間見たチャレンジ精神 >

 

オスロ湾の島に掛かる橋Ulvøya bridgeにて。

海面より10mの高さから中学生らしい男女のグループが飛び降りようとしていた。

平日の午後3時頃でした。

おそらく授業は終わったのだろうが、それにしても危険だとして禁止されている雰囲気は無かった。

 

 

 

 

< 4. 教育現場、中国の大学にて >

 

共に廈門大学の構内にて

この中国旅行で、私が教育に関わるものを見たのはこの大学だけでした。

この大学の見学は、友人の特別な計らいにより実現出来た。

中国の観光ツアー客もいたが、門でチェックを受けていた。

 

上: 最も目立った校舎

緑が多く広いキャンバスに校舎、図書館、博物館、寮、食堂などが点在している。

 

下: この区域には寮や食堂が多い

歩いている学生に東南アジア系の人が思ったより多くいた。

この大学は、中国の中では国際交流と留学生の受け入れに積極的だそうです。

構内を案内してくれた中国人は、大学の国際交流担当の係員で、日本に行ったこともあり日本語を流暢に話していた。

廈門大学には日本語・日本文学科がある。

 

中国国内を旅行していると分かるが、外国人を見かけることは少ない。

雲南に行くと、隣接すらからだろうが東南アジアの人をたまに見かけることがあるぐらいだ。

 

廈門空港で経験したが、外国人の移動には神経を尖らせているようだった(ツアー旅行ではないからかも)。

まだ中国は、広く一般の外国人を受け入れるつもりは無いようだ。

 

そうは言っても、中国人の海外への関心は高い。

中国からの海外旅行者の多さもそうだが、海外留学も年間70万人(2018年、約5年で倍増)に近く、50%以上が米国に行っている。

彼らが帰国して、中国の技術や経済の発展を支えることになる。

これは華僑の精神が、今も生き続けいてるからだろう。

 

同年の日本のからの海外留学生は9万人、その25%が米国だった。

人口比率で見ると日本の方が多いが、日本の場合は年々低調になっている。

また多くは1ヶ月ほどの語学留学になってしまった。

 

これでは日本が遅れ取っても不思議ではない。

 

 

* 北欧と中国の教育について

 

北欧では、スウェーデンのストックホルム大学の構内を散策したが、実に開放的でした。

校庭には学生グループに混じって親子連れなど一般市民が広い芝生で楽しく過ごしていました。

一方、中国は監視が厳しいので、これは出来ないようだ。

 

北欧では教育の場において、自然と共にのびやかに生きることを教えているようでした。

北欧の学費は無料だが、進学については先ずは休学して社会を経験し、自分の目指すことを見っけてから、再度、学びを始めることが可能になっている。

これを可能にする制度と社会の受け入れ態勢が出来ている。

これは日本に無い個人を尊重した文化の現れでしょう。

 

一方、中国では、聞くところによると、学歴(学力かも)が重視され詰め込み教育が為されているようです。

これは日本とそっくりと言えるが、海外への関心の高さは北欧に近い。

ただ、海外留学組は中国の裕福な家庭に限られるので、貧富の差が開き、固定化する可能性があるだろう。

 

 

 

< 5. 移民・多民族、北欧で >

 

上: スウェーデン郊外、Älvsjö にて

土曜日朝7時頃、鉄道駅の横のバス停にて。

これから出勤する所でしょうか、アフリカ系、白人、ヒスパニックかインド系、ムスリムも居るようです。

私の見るところ、談笑しているようでした。

 

この地域は、移民が多く住んでいる。

もっともスウェーデンでは外国に背景を持つ人は25%にもなります。

従ってこの地域の移民が30%を越えても特別では無い。

 

 

下: スウェーデン郊外、Märsta station の前にて

平日の午前11時前、駅に向かっていた。

この日は、私が北欧観光の1日目で、通勤の光景を見るのが始めてでした。

驚いたことに、白人に混じって、かなりの非西欧人が駅に向かって歩いていた。

 

34年前の北欧とはかなり雰囲気が異なりました。

当時もホテルのウェイターに非西欧人はいたが、町で見かけることはほとんど無かったように思う。

変化が凄い。

 

北欧三ヵ国は、大戦中、概ね中立を守り、特にスウェーデンの戦争被害が少なかった。

それ以前は貧しいかったので移民を出す国だったのだが、戦後復興を一早くやり遂げるために移民受け入れを精力的に行った。

当然、受け入れ態勢も、安く使い捨てすれば良いといものではなかった。

これが人口増加と経済成長を後押した。

 

北欧は、単に経済的な手段としてではなく、世界平和の観点から難民受け入れにも積極的だった。

こうして外国を背景にする人が溢れることになった。

 

なぜ日本のように移民や難民に閉鎖的では無いのだろうか?

 

二つの要因が大きいと考える。

やはり、ヴァイキング精神が息づいており、世界との繋がりをいつも意識している。

日本でも海外に勢力を広げた倭寇は存在したが、なぜか日本文化に影響を与えなかった。

今一つは、北欧が小国で、西欧や東欧の大国の意向に翻弄され、かつ適当に離れていたことが大きい。

従って、北欧は生き残るために、世界の国々による認知と支援が必要だった。

これはバルト三国にも通じる。

このことが、北欧が世界平和に積極的になった一因だろう。

 

こうして移民を受け入れた事と大戦を避けた事が幸いして、北欧の恵まれた社会が誕生したと言えそうです。

 

そうは言っても、北欧も移民問題では苦労し始めている。

 

 

 

 

< 6. 多民族、中国で >

 

上: 昆明の公園にて

 

下: 麗江の市場にて

 

昆明、麗江の紹介で詳しく記しましたので、詳細は省きます。

 

一言で言うと、多くの少数民族が保護され優遇され漢民族と共存している。

欧米ではマイノリティへの優遇策は最近縮小傾向にあるが(右翼化も一因)、中国では現在も有効なようです。

しかも日常的に民族衣装を来ている姿から、誇りすら感じているように思える。

共産主義だから息苦しと思っている人も多いだろうが、そう単純ではない。

 

 

* 北欧と中国の移民・多民族の共生について

 

北欧に民族問題は無いのか?

実はスカンジナビア半島北部に暮らすサーミ人は代表的な少数民族です。

北欧三ヵ国(ゲルマン系)とは人種・言語・生業(元は遊牧民)が異なります。

かつて苦労したようだが、現在、大きなトラブルはないようです。

 

中国は人口減の時代に突入したので、移民政策を採る必要があるだろう。

多民族国家を無難に乗り越えたが、香港やウイグル族の扱いのように、体制の転換を恐れるが為に、移民政策を進めることが出来ないかもしれない。

そうすれば経済成長にブレーキがかかるだろう。

 

翻って、日本はアイヌ以外に民族問題は無く、移民・難民を大きく制限しており、一見、安泰のように思える。

 

しかし、人口減の影響は大きく、移民を受け入れない影り、経済成長は期待出来ない。

ところが技能実習制度と呼ばれる隠れ蓑で、低賃金で汚い過酷な労働を担わせている。

これを放置すると、日本はやがて欧米と同じ移民問題で苦しむことになる。つまり、外国人労働者の低所得と低水準の教育が、悪循環を生み、やがて底辺層の治安悪化と日本人との仕事の奪い合い(賃金低下)に発展するだろう。

 

 

 

< 7.家族、北欧で >

 

上: オスロ、ベイエリア開発区の裏側にて

平日、午後4時前頃。

中近東系の男性がベビーカーを押している。

 

父親が子供を連れている姿を他でも見ることがあり、子連れの女性より男性の方が目だった。

 

 

下: スウェーデン郊外、Älvsjö にて

平日、朝7時半頃。

父親が娘二人を学校にでも連れていくようです。

 

北欧では、男女平等、夫婦共稼ぎが普通であり、祖父母と同居していないので、家事や子育ては夫婦で分担することになる。

 

 

 

< 8. 家族、中国で >

 

上: 麗江の古陳にて

土曜日、午後1時過ぎ頃。

中国ではどこに行っても、祖父母が孫をあやしている、または連れている光景を見る。

 

これは一人子政策の名残りと、若夫婦共稼ぎ、そして50歳代で祖父母が定年退職で年金暮らしになるからです。

少なくとも、祖父母には愉しみがあり、また家族の繋がりが強いとは言えそうです。

 

下: 廈門の公園にて

平日、午前9時半頃。

時折、お父さんが子供を連れている姿を見ることがありました。

特に子連れの女性が多いと言う印象は有りませんでした。

 

 

* 北欧と中国の家族について

 

意外に思えるのだが、北欧も中国も共稼ぎで、夫婦で家事や育児を分担している。

対極にある国のようだが、似ている。

一方、日本と言えば、両地域に比べ、共稼ぎの割合が低いにも関わらず、家事分担どころではなく男女平等とは程遠い。

 

だが中国と日本で似ている所もある。

それは祖父母と若夫婦の繋がりで、日本では祖父母と同居する率は高い。

中国の同居率を知らないが、毎日、孫の面倒を見れる距離に住んでいる人が多いのだろう。

これは儒教の影響だろうか。

 

北欧にも不思議なことがある。

あれだけ若い夫婦が家庭を大事にしているのに、子供は高校生ぐらいから独立を始める。

そして親は老齢になっても、子供と暮らすことを望まず、最後は一人暮らしを続ける。

東アジアの人間にすれば、寂しい人生に思えるのだが。

 

これもヴァイキング時代からの文化が根付いているのだろうか。

冷涼な北欧では、ヴァイキングは狩猟・漁労・農業とさらに交易で生計を立てなければならなかった。

つまり、子供に資産や土地などを残す術は限られていた。

そこで独立心と冒険心を植えることが子供への遺産だったのだろう。

この精神文化が今も健在とするなら驚くべきことです。

 

中国南部の山岳地帯に暮らした人々、客家もこれに似ている。

彼らは、漢民族の圧力に押されて南下したが、やがて海外に活路を求めた。これが華僑の始まりでした。

 

 

 

< 9. 親切、北欧で >

 

ツアー旅行で無いフリーの旅では、人の親切は身に沁みます。

またその国の国民性を直接感じることが出来ます。

北欧では多くの人の温かい一言や親切に触れました。

 

 

上: オスロの地下鉄駅にて

朝、地下鉄に乗ろうとして構内に入ったが、どのホームに向かうべきか迷っていた。

すると一人の夫人が、私に寄って来て、どちらに行くのかと聞いてくれた。

すると彼女は行くべきホームをジェスチャーを交えて英語で教えてくれた。

お陰で目的を達することが出来た。

彼女は通勤途中にも関わらず、時間を割いてくれた、有難い。

 

 

下: ストックホルムの中央駅近くにて

バス停を探しても見つからず、途方にくれている時、通りがかりの高齢の夫人に声をかけた。

バス停の位置を聞くと、写真の高架の上の道路上にあると言って、逆戻りして、階段の下まで私を案内してくれた。

案内を終えた時の彼女の笑顔が素敵でした。

 

 

北欧では、こちらから道などを訪ねた時の応対が実に親切で有難かった。

一方で、私が困っているを見て、声をかけてくれる人も度々いた。

特に日本に好印象を持っている人が多かったように思う。

 

 

 

< 10.親切、中国で >

 

上: 新幹線の開封北駅にて

開封駅では、2回も助けられた。

一回目は、外から駅構内に入る時、税関で手荷物検査をしている時でした。

係員が厳しい口調の中国語で、制止した。

困っていると、後の青年が「刃物が有るか」と英語で教えてくれた。

スーツケースを空けると、係員は小さな十徳ナイフを見つけ出し、確認後、通過を許してくれた。

 

二回目は、待合所で新幹線の到着を待っている時でした。

新幹線の車両は大変長く、改札は新幹線到着直前にしか開かないので、私は予めホームの何処を目指して行くべきか不安でした。

近くにいた若い女性を探し、英語で教えてくれと頼むと、快く引き受けてくれた。

改札が開くと、彼女は私ら夫婦を導いてくれて、ここで待つように言った。

そこには何の印も無かった。

やがて列車が停車すると、乗るべき車両の扉は私の前に来ていた。

 

 

下: 蘭州の街中にて

新幹線の駅からタクシーに乗り、都市の中心部まで来たが、運転手はホテルが分からず、迷ってしまった。

ぐるぐる都心部を回っていると、運転手は通りすがりの一人の青年に声をかけた。

青年は助手席に乗り、ホテルまで案内してくれた。

私は青年に感謝を伝え、そこで別れた。

爽やかな青年でした。

 

 

* 北欧と中国の親切について

 

二つの地域を比べて、どちらがより親切かを断言できない。

しかし両方共に、親切だったことは間違いない。

 

それでも少し違いはある。

理由は定かではないが、北欧では年配者ほど親切なようです。

一方、若い女性に尋ねた時は、良い返事が得られなかったことが多い。

ひょっとすると若い女性(駅で2回ほど)には、なぜか英語が通じなかったのかもしれない(移民の子女か)。

ただスウェーデンの鉄道駅や空港の係員には、英語が出来ないと冷たくあしらう人がいた。

 

一方、中国では、年寄りよりも若い人の方が親切でした。

若い人は日本に関心を持っており、英語の出来る人が多かった。

中年以上ではマナーが悪かったり、私が列に割り込んだ時「リーベンレン」と小さく吐き捨てるように言われたことがあった(私が悪いのだが)。

 

成都空港でタクシーに乗って運転手に近距離を頼むと、うるさく文句を言われ続けた(2回も)。

逆に、北京で中国版ウーバー(滴々出行)に乗った時、変な体験をした。

初めて乗ったは良いが、手違いで行先が間違っており、キャンセルや変更が出来ず、更に現金払いも出来ず、私達は途方にくれた。

結局、運転手は嘆き、私に文句は言うが怒ることはなく、私の現金も受け取らず、去っていった。

運転手はどうやら滴々出行の評価システムを気にしているようでした。

ここでも中国の新しい側面を見ることが出来た。

 

 

次回に続きます。