20171002

フランスを巡って 38: モンサンミッシェル 4








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今日は修道院の中を巡ります。
天空の城と言えるかもしれません。




< 2. 地図 >

今日紹介するルートはSからスタートし1~4を巡りEで終わりました。







< 3. 西のテラスからの眺め 1 >

ここは地図のNo.1です。

上の写真: 最初に入った建物から直ぐ出たところがこの西のテラスです。
中央の写真: パノラマ写真。
下の写真: パノラマ写真。西のテラスから南と西を見ている。





< 4. 西のテラスからの眺め 2 >

上の写真: 真北を見ている。干潟を歩く一団が見える。
左下の写真: テラスから北側の眼下を望む。




< 5. 修道院付属教会 >

ここは地図のNo.4です。

左下の写真: 内陣は15世紀にゴシック様式で再建された。




< 6. 中庭 >

ここは地図のNo.1と2の間です。
展示がされていました。
見上げるとミカエルの像が真上にありました。




< 7. 回廊 >


ここは地図のNo.2です。

期待していた所なのですが、残念ながら工事中でした。
ここは修道士の祈りと瞑想の場でした。
この外側は断崖絶壁になります。




< 8. 食事室 >

ここは地図のNo.3です。
ここは修道士の食堂でした。




< 9. 大天使ミカエル >

モンサンミッシェルの建設は、8世紀、聖オベールが大天使ミカエルのお告げを聞いたことに始まります。
上の写真: このエピソードを表しているのでしょう。





< 10. 聳え立つ壁面や柱 >




< 11. 大車輪 >

上の写真: この大車輪は食物を上階に運ぶために使われた。
左下の写真: 岩盤の上に築造されているのがわかる。




< 12. 騎士の間 >

上の写真: ここは地図のNo.2で、回廊の下の階にあります。
修道士の執務室でした。

モンサンミッシェルの修道院の建物は、概ね3階建てになっており、正に天空の迷宮でした。
ガイドについて行くのが精一杯で、迷路遊びを堪能出来なかったのが残念でした。




< 13・ モンサンミッシェルの変遷 >

1: 10世紀の様子。
2: 11~12世紀。
14~15世紀に英仏の百年戦争があり、城壁部分が島を囲むようになった。
3: 17~18世紀。
4: 20世紀。

この難攻不落の大要塞は幾度も英国軍を退けたが、一度だけ侵入を許したことがあった。
それは18世紀末のフランス革命時で、フランス市民による侵入でした。
この後、半世紀ほどは監獄として使われた。

今回の旅でアルザスやアヴィニヨンを訪れて驚いたのは、フランス革命時に各地の教会や宮殿が略奪にあっていたことでした。
まるで中国の文化大革命と同じ状況が起こったようです。


次回に続きます。


20170922

何か変ですよ 72: 日本の問題、世界の問題 8: おかしな認識の数々





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前回、世界経済は危険な兆候を示しているが、人々が無視し出来る理由があります。
今回は、その根底にあるおかしな認識について見ます。


第一章 はじめに
前回示した危険な兆候には、日本だけでなく先進国で深まる所得格差、経済成長の低下、繰り返し巨大化する金融危機、急伸する累積赤字がありました。
日本に限っては人口減があります。

人々がこの兆候を無視する理由には、自由放任主義とグローバル化への信奉が背景にあることがわかりました。
これが金融セクター(金融資本家)が政府をリードし、一方で自虐労働観が蔓延ってしまった原因にもなった。

前回、この危険な兆候はほんの40年前の人為的な政治・経済の転換から始まったことを示しました。
そして、現在、益々危険度は高まり、改善の兆しはありません。

人々が危険な兆候を前にして傍観出来るのは、これらを危険と認識しない理由があるからです。


 
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第二章 これら兆候を危険と認識出来ない理由とは

私が危険と見なす幾つかの兆候を、人々が危険と認識しない理由を探ります。
そこには繰り返される偏見や、ちょっとした思い違い、煽動があります。

a) 所得格差
「所得格差の何が悪いのか?」と思っている人もいることでしょう。
稼ぐ人が稼げば良い、働かない人は収入が無くて当然ではないか。
「収入が無いからと言って、儲けている人の足を引っ張るな」と言う日本の経済学者もいます。

しかし所得格差が放置されると幾つかの問題が発生します。
多くの低所得層の消費が伸びず経済発展が阻害されます。
貧困家庭では充分な教育が行えず、適切な労働者の再生産が出来ない。
いずれ所得格差が拡大し、社会に不満が充満し治安の悪化が起こる。

しかし一番の問題は、多くの国民が勤労意欲を無くしてしまうことです。
これは歴史的に繰り返された文明崩壊の最たる要因であり、また現在の後進国の発展を阻害する原因でもあります。

つまり放置することは社会の悪化を招くのです。


b) 経済成長の低下
「これだけ経済は豊かになったのだから、これ以上、浪費を招く経済成長は必要ない」と思っている人もいるでしょう。

だが経済成長は必要です。
現在の福祉政策や莫大な財政赤字を考えると、経済が縮小したり停滞すると福祉と経済はいずれ破綻することになる。
たとえ国民が生活や医療の水準を低下させることを受け入れても、わずかなりとも成長は必要でしょう。

問題はむしろ、経済が成長出来ない真の理由を先進国の首脳達が把握していないか、認めたくないことにある。
数こそ少ないが著名な経済学者が原因の指摘と献策を行っているのだが。
それゆえ、並み居る先進国は巨額の財政出動とマネサプライを続けて、景気を強引に刺激し続けています。
この挙句、膨大な累積赤字と金融危機が繰り返しているのです。

つまり、現在の国家運営においては経済成長は必要です。
但し、現在のカンフル剤の大量投与のような景気刺激策は問題を先送りし、破局を極大化させるだけでしょう。


 
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c) 繰り返し巨大化する金融危機
「バブル崩壊は資本主義経済の安全弁のようなものだ」と考える経済学者も居るぐらいなので、バブルを当然と思う人もいるでしょう。

確かに、バブル崩壊は歴史的に繰り替えされ、おそらく無くすことは出来ないでしょう。
しかし、これから起こるバブル崩壊(金融危機)はこれまでより危険度が増す。

二つの理由があります。
繰り返す内に、経済崩壊の規模が増大していることです。
このような状況は19世紀のヨーロッパでもあり、第一次世界大戦の引き金に繋がったと指摘する学者もいます。

2008年以降、先進国は軒並み、史上初と言える莫大な緩和マネーを放出しているので、景気過熱とその崩壊は世界中を巻き込む桁外れのものになるでしょう。
膨張した巨大な風船は少しの衝撃で破裂することになる。

今一つは、金融危機の度に、金融セクターと超資産家は富を増やし、一方で政府は累積赤字を増大させ、国民は失業と福祉削減のあおりを受けている。
たとえ一時バブル崩壊を逃れても、いずれ所得格差と累積債務の増大が社会と経済を破局に突き落とすでしょう。


d) 急伸する累積赤字
「GDPの2倍に迫る累積赤字でも日本は盤石だ!」と言う経済学者がおり、人々は免罪符を貰ったようなもので、深刻さに目を向けないでしょう。

しかし、いずれ累積赤字が限界を越え、破綻する可能性があります。
この限界は明瞭ではなく、国民が不安に思い始める時が限界と言えます。
残念ながら、今の経済学は儲ける手法を研究しても、社会を困窮させる現象の研究には力を入れていません。
可能性が高いのは金利上昇や、累積債務が国民の金融資産より上回った時かもしれない。

国が破綻すると言うことはどのようことなのでしょうか?
世界を見回して、国家が破綻して地図から消えたのは二つぐらいしかなく、多くは存続を続けています。
それでも傷は深かったのです。

大きく分けて二つの問題があります。

一つは、デフォルトを起こし、政府が国民や海外の投資家に借金を返さないことです。
デフォルトになれば日本人一人当たり1000万円が紙屑になるだけで、平均すればまだ預金や現金が800万円残っている。
皆が一斉に失うので、あきらめがつくはずだと軽口をたたく人もいる。

しかし、この時、国民の落胆だけでなく、金融危機と同様に経済は停滞し、厳しい緊縮財政が続くことになる。
誰も、政府に資金を提供してくれませんので。


今一つは、歴史を振り返ると、累積債務を抱え経済悪化の状況にある時、国民の不満が煽られて戦争や侵略に向かった国がありました。
例えば、政府が状況悪化を大増税や通貨増発で逃れようとした結果どうなったでしょうか?
かつて日本やドイツが他国の侵略に向かい始めたのは、そのような状況で身動きが取れなかった時でした。
これは経済学で論じる範疇を越えていますが。

つまり、歴史的事実として多くの国は累積債務の悪循環から逃れられず、ついには破局に至るのです。
たとえ今は良くても。


 
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e) 日本の人口減
「人口が減るのは豊かな社会の現れで仕方ない」と諦める人も多いでしょう。

実は、日本の景気低迷の最大の要因は人口減と言えるでしょう。
現在の人口減は、若年層が減り、労働人口が減り、そして高齢者の人口割合が増えることです。
つまり、単純に、働く人が減り、稼がない人が増えることで、確実にGDPは低下していきます。
一時期、退職者を埋め合わせる為に求人が増えても、じわじわと陰りが広がります。
これは致命傷です。

特に、日本はこれを長年放置し、労働移民も増やさないのであれば、それこそ沈没するしかない。

   
第三章 おかしなドグマ 
人々は自由放任主義や、グローバル化、自虐労働観、超繁栄する金融セクターに疑いを持たないかもしれない。
これらドグマの何が奇妙なのかを見ます。

a) 自由放任主義(果てしない規制崩し)
この論理が正しいと信じる人がよく引き合いに出すのが、「自然界は弱肉強食」だと言うのがあります。
この論理の前提に、「競争が強くする=生存競争を生き抜いた者こそが優れている」との思い込みがあります。

結論から言うと、高度な動物、まして人間に当てはめることは間違いです。
簡単に言うと、生死を分けた自然淘汰は進化の源でしたが、高度な動物ほど生存には競争と同様に協力も不可欠でした。
まして社会的な動物(霊長類、人間)には高度な利他行動が不可欠なのです。
実は、この手の進化論まがいのドグマは帝国主義の時代にも、先住民を差別する為に大いに普及したのです。

この手のドグマは保守派経済学のものと言うより、何やら不気味な時に顔を出す亡霊のようなものです。

現実の社会で考えてみましょう。
通常、国が定める経済や産業の規制の多くは、消費者や労働者の為のものでしょうか、それとも企業の為のものでしょうか?
前者もあるが、当然、政府を動かして規制を作り安いのは企業や産業側です。

企業や産業が望む規制の例としては、競争を避ける為に他者を規制するものです(関税、輸入量制限、業界均一料金など)。
一方、消費者の安全を守る為に、企業側を規制する場合もあります(公害防止、消費者金融の金利制限など)。

実際、問題がある多くの規制緩和は、企業繁栄の為に自由を与え、国民や社会への被害は二の次と言うものです。
すべてがそうではないが、米国の金融セクターが巨大化していった背景にこれがありました。

もう少し単純に考えましょう。
歴史的に見て、権力や武器、資本を野放しにするとどうなるでしょうか?
もしある人が「やがて競争の末に秩序が保たれ、必ず平和で平等な社会が訪れるはずだ」と言えば、人々は信じるでしょうか?
おそらく、嘲笑ものでしょう。

しかし、現在の経済学の主流はこのような事を平気で言い募っているのです。


b) グローバル化 
「グローバル化は必然だ!」、「グローバル化は災厄を撒き散らす!」と二つの意見に分かれ、これまた何が問題かが分かり難い。

これを例えるなら「自動車は便利だ!」「自動車は危険だ!」と同じです。
つまり危険だけど便利で捨てることが出来ない。
グローバル化を排除するのではなく、グローバル化を適切にコントロールする  ことが必要なのです。
自動車に例えれば、死亡事故を減らすために道路交通法、取り締まり、罰則などの強化が必要だと言うことです。

現在は、大型トラックの巨大コンボイが至る所を自由に疾走しているようなものです。
世界が統一的な法規制や税制を制定し、管理する必要があるのです。
もっとも、これを不可能だと一笑に付す経済学者や、猛烈に反対する業界や大国が存在するので事は簡単ではない。

大事なことは皆さんが、タックスヘイブンや、金融危機や通貨暴落に繋がる過剰で身勝手な資金移動が、これまでどれだけの実害をもたらしたかを先ず知って頂くことです。

 
c)  自虐労働観
「労働者を甘やかすとだめだ」、「労働者が団体活動するとろくなことがない」 と思っている人がいるはずです。

しかし、そうでしょうか?
  企業や経営者を甘やかすことは良いのでしょうか?
企業や産業が金に物を言わせ、社会や政治に影響力を持つことは良いのでしょ   うか?

実は、どちらも限度を越えることが問題なのです。
20世紀の前半は、労働運動の行き過ぎがありましたが、現在は企業側の行き 過ぎなのです。
実は、その前の19世紀は労働者のストが犯罪で、労働者は死を賭してスト権  を社会に認めさせた経緯があったのです。

もう一度立ち止まって、労働者自身が労働権に気づかないといけない。


d) 超繁栄する金融セクター
高々、一産業(金融セクター)の発展を妬むのは良くないと言われそうです。

この事を前回まで扱って来ましたが、やはりこの中心問題は金融セクターが巨 大な力を持ち、災厄をもたらしているにも関わらず国民の立場になって制御出 来なくなってしまったことです。
端的な例は、毎回金融危機を繰り替しておきながら、血税で救済しなけ ればならず、また財政赤字を増やし続けなければならないことです。

繁栄すること自体が問題ではなく、歴史上よくある、武力や権力の集中が恣意 的な振る舞いを増長させてしまうことなのです。
現在の問題は、金融セクターが経済と政治の中枢を握ることで起こっているの です。


第四章 何が国民を惑わしているのか

私は経済学にかなりの非があると考えます。
極論すると経済学は似非自然科学でありながら、経済を制御出来ると吹聴し、かつ国民が疑いを差し挟むことが出来ないことが問題なのです。

a) 経済学者の断言と予測は占いよりましか
巷では、「累積債務を問題にする輩は経済音痴である」「リフレ策は金利高騰を招かない」などと強気の発言をする経済学者を見かけます。

しかし、経済史、特にバブル崩壊史を振り返ると、ある種の経済学者の挙動が珍妙です。
ここ2百年あまりの数々のバブル絶長期において、なぜか新進気鋭か人気絶大な経済学者(実業家も居るが)がバブルを煽り、さらには崩壊の危険が無いと言って喝采を浴びていたのです。
当然、バブルで一儲けしようとする人々は彼に熱烈な声援を送ります。

その結果、彼はバブル崩壊と共に凋落の憂き目にあうのですが、潔く責任を取ったと言うことを聞きません。
単なる目立ちたがり屋が、たいした根拠もなく科学的な物言いによって、国民を惑わせただけなのです。
詳しくは「バブルの物語」ガルブレイス著を見てください。

あの「金融の神様」と呼ばれた元FRB議長グリーンスパンですら、2008年のバブル崩壊をまったく予見で出来なかったのです。

憤りを感じるのは、昔の天気予報、いやほとんど占いと変わらない実態なのに断言や予測を軽々とする経済学者、しかしその実害は比べものにならないほど絶大なことです。
私の経験では、彼らは経済的な予測―円高や株高など、を行って外れても、まったく平気な人々ばかりです。

つまり、高らかに歌う経済政策の将来の成果は、現在の天気予報のように自然科学上のデーターを使いシュミレーションすることが出来ていないのです。
経済政策や経済予測は、想定外の攪乱要因で多く外れることがあると、皆さんは肝に銘じて頂きたいのです。


 
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第五章 想定外の危険と向き合う

既に見たように経済的な現象とその理解、さらには問題の解決方法と将来予測には、不確定要素が多々あります。
一方、経済悪化は私達の最大の関心事で、また政治を大きく悪化させる最大の要因でもあります。
これが半世紀前のドイツと日本のファシズムの引き金になりました。

私が一番強調したいのは、想定外の危険や悪化と向き合うことの重要性です。
東日本大地震の原発事故は、福島県の10万人を越える避難者や数十兆円の損害を生みました
想定外で済まされていますが、そこに原発が無ければ、被害はなかったのです。

科学技術に基づいた設備にでも、これだけの被害が発生するのです。
まして一部の経済学者が太鼓判を押す程度の経済政策では想定外のアクシデントによって、逆の事態が起きるとも限らないのです。
増大する累積赤字による破綻、インフレ後の金利上昇、巨大なバブル崩壊など重大な懸念は幾らでも起こりうるはずです。

むしろ問題の本質は、原子力政策と一緒なのですが、経済学は社会科学と言うより、あまりにも政治化しています。
分かり易く言えば、時の政権と癒着していることです。
政権に都合の良い経済学者が重用され、互いに利便を得ていることが問題です。


 

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第六章 まとめ

経済の問題を、その思想から論じて来ました。
これらは思想と言うよりも、思い込みや好みと言えるものでした。

歴史は繰り返すと言うが、現在は20世紀前半の労働者優先から、企業優先に変わり、その歪が極大化しつつある状況です。
ここで労働者優先に転換出来るかが鍵になるのですが、残念ながら、大きな問題があります。
それは多数ではあるが非力な人々が社会を変革することは歴史的に見て困難を伴っていることです。

フランスの経済学者ジャック・アタリが言っているように、放置された累積債務の果てに来るものは内乱かもしれない。
そうならない為にも、人々が問題と向き合い、社会を変えて行くことを始めなければならない。


次回に続きます。



20170920

フランスを巡って 37: モンサンミッシェル 3






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今日は、メインストリートと修道院の入場までを紹介します。



< 2. 今回紹介する徒歩ルート >

Sの王の門からスタートし、メインストリートのグランド・リュを進み、Eの修道院の内部に入るまでを赤線で示します。




< 3. 王の門 >

上と左下のの写真: 王の門
右下の写真: 王の門をくぐって、通りを進む。



< 4. 賑やかなグランド・リュ >

狭い坂道と階段は観光客で一杯でした。
左右には土産物屋や飲食店がひしめいていた。





< 5.サン・ピエール教会 >

左上の写真: サン・ピエール教会。
階段の途中、商店が途切れた時、左手に小さな教会が見えた。
教会の入口にジャンヌ・ダルクの像が見える。

ジャンヌ・ダルクは英仏の百年戦争の時、モンサンミッシェルを目指したことがあったが、結局来ていなかったはずです。
この像は、彼女が聖ミカエルのお告げを聞いて、初めてフランス王の為に立ち上がることを決意したことに由来するらしい。


右上の写真: この階段の突き当りで通りは終わり、左に曲がると修道院が見える。撮影場所の左手がサン・ピエール教会です。

下の写真: 教会の前は小休止するには良い場所で、私達が行くと、写真の少年たちが声をかけて来ました。

彼らは「ジャパン! ジャパン!」と尋ねました。
「イエス、イエス」と答えると、彼らは嬉しそうに「ナルト! ナルト!」と連呼しました。

日本のアニメの威力は凄いです。
彼らはオランダから来たらしい。








< 6. 修道院が聳える >

階段を上り切ると、直立する修道院が聳えていた。
下の写真: 来た道を振り替えった所。





< 7. いよいよ修道院へ >





< 8. 修道院に沿ってさらに階段を上る >




< 9. さらに階段を上る >




< 10. 階段を上り切った所で >

見上げると、金色の聖ミカエルの像が青空に輝いていた。





< 11. テラスから見下ろす >

ここは高度80mぐらいになります。

中世、この険しい岩山の上に、かくも壮大でそそり立つ教会を建てたものだと驚嘆した。
当時、ここには人々の篤い信仰と高度な建築技術があった。




< 12. いよいよ入場します >


次回に続きます。