20181027

北欧3ヵ国を訪ねて 34: ストックホルム中世博物館







< 1.謎の彫像 >


今回は、ストックホルム中世博物館を紹介します。
ここでガムラ・スタンの歴史がわかるはずです。




 
< 2. 徒歩ルート、上が北 >

ドロットニングホルム宮殿からの戻りのボートを降りて、ストックホルム中世博物館まで歩いたルートを示します。
矢印がボート下船位置、四角印が博物館、青の破線が徒歩ルートです。

写真は2018年6月3日、12:20~13:00に撮影したものです。



 
< 3. 右手にガムラ・スタン >

進行方向右手、川向かいにガムラ・スタンの大聖堂の鐘楼が見えます。


 
< 4. 左手にクララ教会 >

進行方向左手、通りの奥にクララ教会の鐘楼が見えます。



 
< 5. 国会議事堂が見える >

上の写真: 国会議事堂。

下の写真:国会議事堂前の幅の狭い川を東に見ている。
ガムラ・スタンへ北側から渡るには5本の橋があり、写真の橋はちょうど真中にあります。


  < 6. 国会議事堂に行く橋の前 >

上の写真: 後方右手を少し振り返ると、リッダーホルメン島の教会が見える。

下の写真: この橋を渡ると、国会議事堂を抜けて、ガムラ・スタンに入る。

実は、巻頭写真の彫像は、この撮影地点の右手、交差点の角にあります。
これはどうやら物乞いをする狐のようです。
意味不明だが、ユニークです。


 < 7. グスタフ・アドルフ広場 >

上の写真:  グスタフ2世アドルフの像が見える。
三十年戦争を戦ったスウェーデン王国最盛期の国王。
右手奥に、王立オペラ劇場。

下の写真: この広場の前から橋を渡って、ヘランズホルメン島に入ります。
その橋の上から東側を望む。


 < 8. 中世博物館へ向かう >

上の写真: 橋を渡りきって、島の中央に来るまでに、道の左側から階段を降ります。

下の写真: この階段を下ります。


 

< 9. ストックホルム中世博物館 >

上の写真: 降りたら左手に公園があります。

下の写真: 降りて道路下の右側を見ると、目立たない入口が見ました。
これが博物館で、ここは入場無料です。


 
< 10.博物館の展示物 >

上の写真: 借用した写真。
これはストックホルムの遺跡そのもののようです。
それを保存する形で、このような道路下の博物館になったようです。
展示館としては大きくありませんが、ストックホルム(ガムラスタン)の中世の変遷や人々の暮らしを下の写真のように再現しています。



 
< 11. ガムラ・スタンの変遷 >


私はこの一連の模型と絵に最も興味を持ちました。

上の写真: 中世のガムラ・スタンの再現模型、左手が北です。

真中の2枚の写真: 島の中世時代の変遷模型。上が北側です。
実は模型は合計5体あって、変遷がわかるようになっていますが、その内、二つを抜粋しました。
左側が最も古く、13世紀半ばの砦の誕生期を示しているようです。

右手は新しい方のものです。
共に島の右上方に砦が見え、その左下に建物が見えます。
これは現在の王宮と大聖堂の位置に相当するのでしょう。
初期、島の中央部だけが壁らしいもので覆われており、その外には砂浜と桟橋があった。
桟橋が南側に多いのは、鉄の広場(荷上場)が南側にあるためでしょう。

時が経つにつれ人口が増え、等間隔に櫓が配された城壁が島全体を囲むようになった。
さらに白線で描かれているような現在の大きさにまで周辺が埋めらていった。
この間、博物館にあったのレンガ積みの遺跡のように、当時のものは地下3mほどに埋もれてしまった。

下の写真: 中世ガムラ・スタンの再現図。右手が北側です。


ストックホルムはヴァイキング時代後200年を経て、このメラーレン湖の東端に、ドイツのハンザ同盟と結びつきながらバルト海交易に乗り出した(ヴァイキング時代後期はハンザ同盟と競合し交戦相手でもあったのだが)。
これがストックホルムがここに誕生した理由なのでしょう。
ガムラ・スタンがバルト海から数十km内陸部にあることは、模範としたハンザ同盟の盟主リューベックが河口から10km内陸部にあることと不思議に似ている(北ヨーロッパの交易都市は川を遡上した所に多いようです)。

次回に続きます。




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