20180129

フランスを巡って 57: パリ散策5



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今日でパリ散策とフランス各地の紹介を終わります。
今回は、道行く人々や公園で出会った人を紹介します。
次回は紀行のまとめになります。


 
< 2. 散策マップ >

今回紹介するのは、前回につづいてムフタール通りです。
場所は地図の番号4の青枠部分です。
この通りを出て、地図の赤矢印5から地下鉄を乗り継いで、ホテルのある左上のラ・デファンスに戻りました。


 
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< 7.公園でダンスする一団 >

地下鉄駅のすぐ近くの公園でダンスをするグループが目についた。
奇抜な衣装に身を包んだ女性ばかりが踊り、二人の男性はリズムを取っているようでした。
実に楽しそうでした。

何かカーニバルでもあるのかと思い尋ねると、違うとの答えが返って来た。
すると一人の女性が躍り出て「結婚!!」と言って、満面の笑みを浮かべた。
どうぞお幸せに!!

それが下の写真です。

この公園には様々な肌の色の人々が見える。
これがフランスの素晴らしさであり、強さなのかもしれない。


 
< 8. 地下鉄駅 1 >

上の写真: 7号線の「Place Mongue」から乗車した。
下の写真: 「Place ditalie」で6号線に乗り換えた。


 
< 9. 地下鉄の眺め >

上の写真: 車内の光景。
様々な人々が隣合い、そこには談笑と緊張が隣り合っている。

私が30年以上前、パリの地下鉄に乗ろうとした時、人種か何かの区別で安心できる後端の車両に乗るように勧められたことがあった。
時は過ぎ、至る所で様々な人種が自由に暮らすようになっているようだ。

下の写真: 地下鉄6号線を選んだのは、セーヌ川を越えながらエッフェル塔を眺めたかったからでした。


 
< 10. 地下鉄駅 Charles de Gaulle >

ここで地下鉄6号線から1号線に乗り換えた。
ここはちょうど凱旋門の下になります。


 
< 11. ラ・デファンスに戻った >

ラ・デファンスに戻ったのは午後8時半を過ぎていた。
まだ明るく、「グランド・アルシュ」の下の階段には多くの市民が寛いでいた。


こうして私達は半日のパリ散策と13日間のフランス旅行に幕を閉じました。

次の日、2017年5月28日の午後、パリ発の航空機で帰国の途に着きました。
半年以上にわたる私のフランス紀行にお付き合いくださり、ありがとうございました。

次回は、旅行記の目次とまとめを記します。




20180126

何か変ですよ! 92: 何が問題か? 15: なぜ改革から逃げるのか?





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日本の社会経済の指標、評価ランキングは益々低下の一途です。
にもかかわらず日本は一時しのぎを繰り返すだけで、痛みの伴う成すべき改革から逃げています。
この不思議を探ります。


*今の日本の状況を概観します

以下のグラフから、日本の所得水準、幸福度、経済力の低下が見て取れます。



 

< 2.悪化する日本 >

上のグラフ: 日本のワーキングプアは年々増加し、OECD内でも順位を落としています。
ワーキングプアはまともに働いても貧困線以下の所得しか得られないことを指します。

中央のグラフ: これは主観的な幸福度の世界ランキングで、日本は60位です。

下のグラフ: 主要国の中でも日本だけは特許出願件数は低下の一途です。

上二つのグラフで必ず上位にある国は北欧(デンマーク、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー)です。



*改革から逃げる様々な言い訳

A: 改革は漸進的であるべきだ!

これは保守論客の西部邁が指摘した保守思想の一つです。

このことは理解できます。
人間は不完全なものであり、未経験で画期的な社会改革は危険と言えます。
漸進的であることは、確かに大きな失敗を犯す可能性を低下させます(共産主義国家の失敗)。

しかし、これとて完全でないことは明白です。
例えば、次の事を考えれば分かり易いでしょう。

衰退する企業が、いくらコストダウンを続けても、漸進的な改善では存続することは難しい。
つまり技術や商品にブレイクスルー(飛躍的な革新)が必要なのです。

それでは社会や政治についてはどうでしょうか?
前回、英国の19世紀末の衰退で見たように、権力を握った勢力(金融資産家)は利益拡大(海外投資)に励みこそすれ、たとえ国が衰退(産業停滞)しようが既得権益(金融の自由)を制限するようなことはありませんでした。

このような場合、たとえ漸進的であっても効果ある改革が出来ないから国や文明は衰退し、または暴動や革命が起きるのです。

結論から言えば、保守も革新も程度問題であり、状況に応じた改革手法を選択すべきです。


B: 万年野党が頼りないから、与党に任せるしかない!

野党が頼りないのは事実です。
野党はひたすら反対か批難するだけで、理想は語るが具体的な対案を持たない。
これも一面正しいと言えるでしょう。

しかし、これで済む問題でもないはずです。
大きく二つの理由があります。

一つは、今の凋落は日本の万年与党の政策のつけだと言うことです。
もう一つは、これを牽制出来る健全野党が育っていないことです。



 

< 3. 1990年代に起きた事 >

上のグラフ: 日本の公共投資は1990年代に猛然と増加しています。
青棒、左軸が金額を示す。

下のグラフ: これまた非正規雇用率(赤折れ線)が1990年代から急伸しています。

この時期に起こった二つのことは密接に関係していた。



*政策のつけとは何か?
それは凡そ1985年から始まったと言えます。
プラザ合意による円高誘導で日本は経済が低迷し、政府はこの挽回の為に突出した公共投資と金融緩和を来ない、やがてバブル経済に突入します。
そして1991年のバブル経済崩壊が、経済を長期低迷させることになった。
この一連の出来事は、貿易摩擦と円高に喘ぐ米国が日本に圧力をかけ、これに従った与党政権のあがきの結果だと言えます。
この間、政権は米国が要求する構造改革、金融ビッグバンを行い、米国の望む自由主義経済圏に完全に突入していきます。
ここまでは野党政権であっても同じことをしたかもしれませんが。

しかし、このバブル崩壊後の不景気のさなかの1995年頃から、万年与党らしい政策の影響が今の日本社会を作りだすことになりました。
それは先進国中のあらゆる順位(幸福、経済、貧困、報道、男女平等、労働等の評価)が低下し続けていることに如実に現れています。

目立つものとしては非正規雇用の増加と賃金低下、一方でやや遅れて起きた企業の内部留保の増加でした。
これは今も更新中です。
これらは労働の規制緩和などに代表される企業優先の姿勢がもたらしたものです。
まさに1994年の「舞浜会議」で財界が望んだ方向に事が進んでいます。

この与党の一連の政策は、米国追従と財界優先の姿勢から生じたもので、さらには自由主義経済への固執にあります(言い替えれば惰性と既得権益擁護でしょうか)。

この結果、日本は長期のデフレ、低経済成長、ワーキングプア増加に陥りました。
さらに世界に類を見ない累積赤字の増大、米英に続く格差拡大が急速に進行しています。
また少子化対策の遅れによる労働人口減と高齢化社会の到来が重なります。
この結果、現在進行中の年金などの福祉政策の大幅な縮小がある。

万年与党が政権に居座り続けたことにより、つい30年前まで誇ることの出来た日本の快進撃は、単に思い出に過ぎなくなった。
1980年代、多くの人が別荘地、リーゾトやゴルフ場の会員権を買い漁り、いつまでも景気上昇が続くと信じたはずです。
しかし、それは束の間の夢であり、長い喪失感と借金返済が現実に続くことになったのです。

つまり、与党には政権を担った実績はあるのですが、このまま舵取りを任せることは没落を深めることになるのです。
しかし野党のだらしなさは頂けません。



 

< 4. その後に起きた事 1 >

上のグラフ: 賃金が1997年から低下し続けています。
下のグラフ: 企業の内部留保が1999年頃から急激に伸びていることがわかります。

つまりこれらは与党が長年積み上げて来た成果なのです。



 

< 5. その後に起きた事 2

これも成果と言えるでしょうが、残念ながら日本の衰退を物語っています。

日本の累積債務(赤い棒グラフ)はGDP比率で世界最大級でかつ増加中です。
一方、日本は世界一の対外純資産国(=資産―借金、青い棒グラフ)です。

楽観論者はこの資産によって債務を減らすことが出来るはずだと訴える。
しかし、それは不可能です。
誰が、海外の高利回りの証券から利率の低い内国債に買い替えるでしょうか。
(もし国債の金利が上がれば、余計に悲惨な状態になります。)
そんな善意に期待出来ないことは、世界一の対外純資産国であった英国が19世紀末に衰退した事実を挙げるまでもなく、常識で分かるはずです。
結局、体制擁護派は無責任に煽っているだけなのです。


*万年野党の悲運
先進国は概ね二大政党を目指し、少数政党乱立や一党独裁を避ける選挙制度を取り入れています。
これは長年の民主主義獲得の経緯から生まれたもので、政策論議を深め、多数決による弊害を避ける為のものでした。
残念ながら、日本では戦後まもなくしてこれが機能しなくなりました(戦前が良かったわけでもないが)。

日本の万年与党は自由主義経済を国是とする保守政権(米国共和党など)にあって、珍しく財政支出の大きな政府になっているが、これは万年野党が反対し対案を出し続けることでなったとする見方もある。
しかし、私は別の理由によるものだと思う。

ところで、やはり万年野党の存在はどう見ても民度の高い国、先進国の中では異常であり、適切な役割を果たしていない。
つまり長期に及ぶ与党政策の歪を是正するためにも、民主主義の危機を防ぐ為にも、強い野党の存在が不可欠です。

現実は非常にお粗末ですが、志ある人も、芽も僅かばかりではあるが残っている。


*なぜこのようなことが起きているかについて考えます。

結論から言えば、日本には未だにパトロネージが強く根付いているからだと考えます。

「パトロネージ・システムとは権力を持つ個人(パトロン)が、その特権を利用して、資源を恣意的な決定によって、自己を支援する集団(クライアント達)に分配するシステムです」

少し馴染みが薄い言葉かもしれませんが、世界中の後進国や南欧ではよく見られる政治状況です。
洋画で言えば「ゴッドファーザー」、日本で言えば議員の「世襲」や「看板、地盤、鞄」に代表される状況です。

もっと分かり易く言えば、「日頃お世話になっている顔役に投票する村人」のイメージです。

私は都会の郊外で生まれたが、現在、のどかな自然に恵まれた所に住んでいます。
ここで都市部と田舎の政治意識の違いをいやと言うほど知らされました。
皆、良い人なのですが、政治感覚や選挙行動に驚かされます。

先ず、人々は政治談義をほとんどしないのですが、あってもその範囲は村や町ぐらいまでで、中央政治を語る人は稀で、まして世界情勢とは無縁です。
しかし選挙では彼らは熱心になります。
そして、思わぬ人から投票を依頼されることもあり、断わりでもしようものなら、「村の恩人に恥じないのか!」と恫喝されることもあります。
つい最近まで買収もよく起きていました。

二大政党制を目指した小選挙区制度改革ではあったが、派閥を崩す効果だけで留まってしまい、逆にパトロン(総裁や首相)の権力を巨大化させてしまった。
そのあげく、先進国の議会制民主主義では起こるはずのないことが権力者周辺で頻発している。
つまり取り巻きや取り入ろうとする輩が犯罪やたかりを平然と行い始めた。


*なぜパトロネージ・システムが蔓延るのか?

二つの要因があると思います。

一つは、政治意識、歴史観、社会意識が未発達なことです。
これらが低い一因は、以前も指摘しましたが1970年代の学生運動後、学校教育の場で、政治が禁句になったことにあります。
政府は学生運動の再燃を抑える為に行ったのだが、これが今大きな災いとなっているのです。
例えば、北欧では小学生から環境問題、さらに上級では政治活動も教育の一環としておこなわれており、これが民主主義を支え好循環を生んでいるのです。

今一つは、帰属意識が高いことで、これは田舎ほど高いようです。
これは古い農耕民の心性の名残であり、良さもあるので、一概に否定することは出来ません。
しかし、その欠点は良識を失う会社人間や自殺の多さ、また内部告発が出来なく自浄作用が働ない組織を生み続けることになる。

分かり易い事例としては、村人に行事に対する意見を求めた時、極端な場合は個人の意見は控えたい、隣近所との協議の上でと逃げられることがある。

またワンマン企業では、従業員は陰で社長のパワハラを嘆きながら、一方で、依存しており、従順ぶりを装うことになる。

これらの社会や組織は一致団結して行動する分には効果を発揮するが、社会変化への不適応を起こしやすく、また暴走を食い止めることが困難です(1920年代のドイツ、イタリア、日本が好例)。

残念なことに、私にはこの政治文化を改善する方法が見つからない。
ただ地方の選挙制度と国会議員の育成方法に何らかのステップアップの術があると思う。



C: 資本主義以外に進むべき道はない!

私がブログで日本の現状を憂い、体制の転換を図るべきだと指摘すると、資本主義は完璧であり、他は無いと反論されることがあります。

結論から言えば、資本主義は空気のようなもので否定する必要はありません。
大体、資本主義が唯一無二の完璧な政体と考えることもおかしい。
帝国主義は資本主義から生まれ、さらには互いにおぎなっていたのです。
つまり、国民が資本主義をコントロールすることが必要なのです。

ここ1世紀だけを見ても、資本主義社会の欧米の状況、格差や福祉は国よっても、時期によっても大きく差異がありました。
1950~1970年代の日本や米国、西欧は概ね格差が少なく経済成長を遂げた時期でした。
その前後は逆の時代でした。
それは反動の時代と呼べるかもしれません(当然、一部の層には良い時期でしたが)。

今の反動の時代は、自由主義経済の復活と更なる金融業重視によってもたらされたものです。
これによる弊害は、これまでに説明して来ました。

問題は、これらを改めることに不安を抱く多くの人と、それを不可能で危険な行為と反対するエスタブリッシュメントとこれに連なるエコノミストの存在です。
既得権益を脅かされるエスタブリッシュメントが反対するのは当然です。

しかし国民は、かつて国民を守る為の規制と権利擁護により、社会が今より順調な時代、1950~1970年代があったことを知って頂きたい。

重要な事は、多数の日本国民が英米をお手本とする狭窄な視野から脱することです。
北欧やドイツ、フランスは同じ資本主義国でも異なった道を歩み、豊かさと繁栄を手に入れています。
特に北欧は1930年代頃から、高福祉政策を採り始め、高負担ながら高い所得と権利の尊重と幸福を共に得ています。
このために北欧は世界から孤立するのではなく、旺盛な貿易をやり、有名な多国籍企業が活躍し、PKO派遣でも貢献しています。


 

< 6. 北欧の経済 >

上のグラフ: 2004~2008年平均の輸出などのGDP比率。
如何にスウェーデンが国際的(開放経済)であるかがわかります。

下のグラフ: 如何に北欧各国が日本より高い経済力を維持しているかがわかります。

これだの開放経済であっても国内の労働者の権利を守り、経済発展を遂げることが出来ているのです。


つまり、「国民の権利を重視する政策は、自由主義経済が蔓延するグローバルな世界では取り残され、やがて破局を迎える」と恫喝する多くの体制擁護派のエコノミストの指摘は嘘なのです。



*まとめ

これまで見てきたように、日本が改革出来ないとされる理由は実に他愛ないものでした。
多くは体制擁護派、既得権益層、自由主義経済信奉者らの必死のアジテーション(煽動)で、想定外を無視した無責任な発言に過ぎない。
しかし、残念なことにこちらの方が訴える力はある。

最後に、私が皆さんに望むことは、今後日本が衰退していくことを諦めたとしても、万年野党を生む政治文化だけは何としてでも突き崩して頂きたい。
しかし、これとて国民の意識が高まらない限り不可能で、これでは堂々巡りです。


次回に続きます。





20180123

フランスを巡って 56: パリ散策4





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今日はパリ最古の通り、市民に人気のムフタール通りを紹介します。
この通りには多くの小さなマルシェや多国籍のレストランが並んでいます。
私達も1時間の間につい2回も食事してしまいました。


 
< 2. 散策マップ >

上の地図: 上が北。
赤矢印4のシテ駅から地下鉄に乗り、途中オデオン駅とジュシュー駅で乗り換え、黒矢印5のプラス・モンジュ駅で降車しました。

下の地図: 左が北。
プラス・モンジュ駅を出て、Sから歩き始め赤線を右端まで行き、折り返して黄線のEで、往復1.2kmの散策を終えた。
散策したのは2017年5月27日(土)の18:00から19:30です。
Fは生牡蠣を食べた魚屋、Rはタルトを食べたレストラン、Pは楽しい人々と出会った公園です。


 
< 3. 地下鉄駅 >

上の写真: 乗車したシテ駅

下の写真: 乗り換えたオデオン駅


 
< 4. ムフタール通りに出た >

上の写真: 乗り換えたジュシュー駅

下の写真: プラス・モンジュ駅を出た時は人出が少なかったが、ムフタール通りに出て、時間が経つうちに人が増えて来た。


 
< 5. 楽しい! >

下の写真: このおじさんが手回しで管楽器を鳴らし、名調子の高い声で歌っていました。
笑顔と笑い声が素敵な人でした。


 
< 6.教会 >

下の写真: 地図の右端付近にある教会。


 
< 7. 折り返し付近 >

この辺りで散策を折り返しました。
通りや広場のテラスでは多くの人が食事と会話を楽しんでいました。


 

< 8. 様々な店先 >


 
< 9. 牡蠣を食べた魚屋 1 >



 

< 10. 牡蠣を食べた魚屋 2 >

最初この前を通った時、この店でカップルが牡蠣を食べていたのを見ていました。
戻る途中、無性に食べたくなり意を決して店に飛び込みました。

声をかけると若い店員がメニューを持って来ました。
私達はわけも分からず、中間の値段のものを注文しました。

そして出て来たのが、この写真の生牡蠣とワインでした。
牡蠣は冷えていて実に美味しかった。
さらにワインがびっくりするほど美味しかった。

この日より、私達はシャルドネの虜になりました。
帰国後はフランス産やチリ産などの安いシャルドネを何本か買っては飲みましたが、二度と同じ味に出会うことはなかった。

このように美味しいものに出会うのも旅の楽しみです。


 
< 11. メニュー >

これは注文時のメニューです。
帰国後、内容を調べました。

一番上のオレンジの下線は生牡蠣のフランス内の名産地を示し、「Hunters」は牡蠣を意味する。
オイスターの表示はどこにもなかった。
次の下線は牡蠣の等級を示すようです。
三番目の下線はワインのグラス売りで、4番目の下線はワインの種類「シャルドネ」を示す。
シャルドネは「白ワインの女王」と呼ばれ、シャルドネはブドウ品種の名前です。

この時、面白いエピソードがありました。
注文を受けた青年が、ワインのボトルを持って来てテーブルに置き、私達が驚いたのを見ると彼は笑みを浮かべ、さっと引き下がり、二つのグラスワインをもって来ました。
これは彼の冗談(ユーモア)で、私達を精一杯歓待してくれたのです。

実は、この青年はどうやら写真9の夫婦の息子のようで、このお父さんは私達観光客なんか相手にするなと言う態度を取っていました。
今回のフランス旅行では、幾度も若い人達の好意を感じることがありました。

海外で個人的にレストランなどに入るのは不安で失敗もしてきましたが、そこには束の間の出会いがあり、実に楽しいものとなります。





< 12. タルトを食べた店 >

写真のように道路に面したショーケースにたくさんのタルトが並んでいます。
東南アジア系の女性が一人で店を切り盛りしていました。
非常に小さな店ですが、結構、お客さんが途切れず買いに来ていました。
私達は中に入って食べました。
焼き立てではない為か、特に美味しいとは思いませんでした。


次回はムフタール通りの残りとラ・デファンス到着までを紹介します。