20181229

連載中 何か変ですよ 210: 何がより良い選択なのか?






*1


「日本国民は何に不安を感じ、何を頼りにしているのか?」
私には見えてこない。
戦争か平和か、または繁栄か金融危機か、左右から罵り合う。
何が国民にとってより良い選択なのか?



*2


皆さんはどう思いますか?

1.    どうしたら戦争や侵略を防げるのか?
軍備を増強するべき
賛成: 小国は侵攻され易い。
反対: 大国と軍拡競争をしても無駄、むしろ敵愾心を煽る。

注釈 
繰り返される米ロ(ソ連)の軍事侵攻を見ていると、小国の悲哀は今なお現実です。
これら侵攻の多くは、民族や宗教対立で混乱している小国への大国の領土・資源・覇権争いと言えるでしょう。
また軍拡競争と軍事同盟の果ての大戦が二度も続き、これも深刻です。

一方で、不戦条約締結(1929年)以降、世界が一緒になって暴虐な国々の世界制覇を多大な犠牲を払って食い止めました(米国の力は大きいが、その後変節している)。

日本にとって確実な戦争回避策はあるのか?

例えば沖縄の基地をどう評価するのか?
沖縄は米国の中国への前進基地として防波堤の役割を担うのか、それとも最初の激戦地となり、日本も火の海になるのか?(沖縄は、以前より米国のアジア侵攻の発進地として使われているので、最初に攻撃されるだろう)
沖縄よりもグアムやハワイの方が、米国や日本にとっても戦略上優位なのではないか?(あまりにも日本と米国の本土から離れている)

北朝鮮の軍事緊張にしても、今回の一連の動きで判明したように米中次第であって、日本の役割は少ない(蚊帳の外で騒ぐだけだった)。
北朝鮮に睨みを利かすのは空母などの機動部隊がいる佐世保が最重要です。

結局、回避策は日本と米国、中国、ロシアの状況を的確に評価出来るかにかかっている(日本は過去に大きな見誤りを繰り返しており、いまだに反省していない。今度こそ島国を言い訳にしないでほしい)。

要は侵略する国、軍事同盟、抑止力、日本の立場―国際的と地政学上(大陸に近い島国)、をどう評価するかです。
少なくとも日本は小国では無く、今後米中の覇権争いは熾烈を極め、中国経済は益々巨大になり、やがて日本は米国依存一辺倒ではすまなくなるだろう。

ここ1世紀半の世界の流れを振り返ると日本の動きが見えてくる。
19世紀後半以降、英国の覇権は衰えて、米国はやがて断トツ一位の経済大国になって行く。
第一次世界大戦はドイツの経済が英国を抜きヨーロッパで一位になる時期と重なった。
また第二次世界大戦は、日本が経済の規模こそ及ばないが急伸し、軍事同盟先を英国からドイツに替えて始まった。
この間、米国は軍事でも世界第一位となり、日本は敗戦占領を期に米国に完全に追従することになった。 


一言
ここ半世紀あまりの世界の戦争をみると、幼児帰りしているように思える(不戦条約締結以前に戻る)。
侵攻される小国に紛争や混乱などの火種があることもあるが、大国は一方的な口実を持って侵攻する。
その口実を、かって世界平和の為だったが、今は戦争の芽を摘むとして自己防衛と称している。(初期には当事者に大量の武器を売る一方で、やがて都合の悪い政府を潰し、それを傀儡政権に替え、挙句に侵攻して破壊する。特に米国。)
これはかっての戦争と何ら変わらない、いつの間にか中世から原始社会に戻ったようです。


次回に続きます。



20181226

北欧3ヵ国を訪ねて 44: オスロ 3: ノルウェー民族博物館 1





< 1.スターヴ(木造)教会 >


これからノルウェー民族博物館を紹介します。
私は3ヵ国の野外博物館で民俗家屋を見比べることが出来ました。
最も楽しみにしていたのが、このスターヴ(木造)教会です。


  ノルウェー民族博物館、Norwegian Folk Museum
ノルウェー民俗博物館は、屋内の博物館と野外の展示スペースに150 軒以上の歴史的建造物を展示しています。
ここにある建物はノルウェー中のさまざまな地域から移築され、改修されたものです。
フィヨルドの丘に建つ木造の教会から、ノルウェーのさまざまな時代の農場や山小屋などを直に触れ見ることが出来ます。
過去 600 年の人々の暮らしを、民族衣装を着て実演するスタッフを通じて知ることが出来ます(言葉はわからないが)。
園内を巡って行くうちに北欧の自然の厳しさをひしひしと感じることになりました。



< 2. 地図 >

上の地図: ビィグドイ半島、上が北。
黄色三角がノルウェー民族博物館、赤丸がヴァイキング船博物館、白丸がフラム号博物館で、順次紹介して行きます。
上部ピンク線は乗って来たバスルート、半島内の灰色線は徒歩ルート、緑線は帰りの連絡船ルートです。

下の地図: ノルウェー民族博物館、上が西。
下側のゲートから入り、左側でオスロパスを見せてチケットを貰い、赤線に沿って園内に入った。
赤矢印がスターヴ(木造)教会です。



< 3. 民族博物館入り口 >

上の写真: 入り口。

下の写真: 入り口をくぐってすぐの所から無人の改札口(中央、4本の金属筒)を見ている。
切符は撮影位置の直ぐ左の建物で取得します。



< 4. いよいよ野外展示へ進む >

上の写真: ここは改札口を抜けたところの広場。
この広場を囲むようにして屋内展示館やレストランはありますが、私は入りませんでした。

下の写真: 広場から野外展示へ進むと、そこは森でした。
進んだルートはNo2の地図の赤線です。
英語表記の標識が助かります。



*5

第一印象は、スウェーデンのスカンセンと違って派手さが無い事です。
一周してわかるのですが、娯楽施設や遊具などを置かず、北欧の古い民家が大自然と如何に調和しているかを見せている。
スカンセンの方が観光的には有名ですが、こちらの方が北欧の民俗や風俗を知るには良い。



< 6. 草ぶき屋根 >

実は、スウェーデンと比べるとノルウェーの方が古くて貧弱な民家が多いようです。
スカンセンでは白樺の皮で屋根を葺いていた小屋があったが、こちらでは写真のようなものが結構ありました。
これには断熱効果があるでしょうが、むしろ自然の厳しさ、建築材料の乏しさを連想させます。
正解はわからないが。

下の写真: これは19世紀半ばから使用された学校で、キリスト教団が運営したものです。
戸口に立つ女性はおそらくスタッフで、当時の教師の服装をしているのでしょう。
小学生の郊外学習なのでしょうか、これから入って行くところです。


< 7. 夏期用の小屋、ログハウス >

上の写真は外観で、下の写真はその内部で、囲炉裏が見える。
この小屋の正面には次の写真のNo185の標識が掛かっていました。
場所はSetesdal(ノルウェー最南端)で、建築年代は1500~1600、用途はSummer cottageと書かています。



< 8. 様々な解説と標識 >

英語表記で建物の場所、用途、年代、利用当時の写真が添えられています。
親しみを感じます。

左上の解説板: これは前述のNo6下の写真の学校の説明です。

右上の解説板: 木こり用小屋らしい。
1600年頃から使用されたオスロの北方の山中の小屋。
当時、木材が重要な資源となり、写真のような寝起きの為の仮の山小屋が作られた。
煙突が見えるので中に囲炉裏などがあるのでしょう。



*9


< 10. ゴール村から移築したスターヴ教会 >

この建築は1200年代です。
急こう配の屋根、鱗上の屋根板、龍の飾りが特徴的です。
東南アジアやタイの寺院の屋根を連想させる(最も蛇の象徴でしたが)

この手の木造教会は北ヨーロッパで11~12世紀に多く建てられ、最盛期には1000棟以上あった。
現在、最も多く残っているノルウェーでも、わずか28棟になった。


< 11. スターヴ教会の外観 >


< 12.ウルネスの木造教会、すべて借用 >

ここに写真を載せたのは、ノルウェーの教会建築と自然、大地の繋がりを感じてもらいたいからです。

上の写真: ルストラフィヨルドの高さ120mの崖の上にある教会で、建築は1130年とされている。
ヴァイキング建築とキリスト教会建築が結びついた教会で世界遺産です。


次回に続きます。



20181222

連載中 何か変ですよ 209: あなたも「辺野古署名」に一票







この署名は辺野古埋め立ての中止を願うものです。
沖縄の思いが、今、世界に響こうとしています。
あなたの一票で、共にあることを沖縄の人々に示そうではありませんか。


  署名について
Stop the landfill of Henoko / Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa
「国民投票が沖縄で開催されるまで、辺野古/大浦湾の埋め立てをやめる」(グーグル翻訳)

1. この署名は、沖縄県の国民投票2019年2月24日までの埋め立て中止を求めています。
2. これを発起したのは米国人(沖縄県4世)で、ホワイトハウスに届きます。
3. 請願が始まったのは2018年12月8日で、21日現在14万人以上が参加しています。
4. 手続きは非常に簡単で、三ヵ所の記入と返信メールをクリックするだけです。
(イ)  署名方法の説明 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/361226



  私が署名に託したこと

私はこれまで辺野古基地建設反対に賛同し寄付したこともありましたが、今回署名したのは昨日21日で遅かった。
私は諦めかけていましたが、この盛り上がりに背中を押された。

現在、沖縄県の民意の高まりに反して政府は徹底的に無視し、むしろいっそう強行しています。
私が一番危惧するのは、140万県民の思いを踏みにじる国の全体主義姿勢の強まりです。

日本の国民にとって何が大事なのでしょうか?

  国防が一番大事 
「中国の侵略に備えるためには米国との同盟強化と沖縄の基地が何よりも優先されるべき」は本当でしょうか?

中国が攻撃する可能性は? 沖縄基地の重要性は? まして辺野古基地の重要性は?
日米同盟が中ロとの戦火から完全に防いでくれる可能性は?

これまでの沖縄基地の代替え案の存在や、歴史的に見て抑止力と軍事同盟に頼った数多くの失敗例を知ると、これら防衛策がまったく無駄であったり、戦端開始を早めたりすることもある。

一言で云えば、防衛は必要だが沖縄に米軍基地を集中させる合理性は低い、むしろ弊害が大きい。


  国民が一番大事
「沖縄県民の大多数の民意を国が踏みにじることは国を危うくする」について考えます。

沖縄県民は我慢し続ければ良い。 人口の百分の一ほどの民意など取るに足らない。 国民によって選ばれた政府(官邸)の意向に逆らうべきではない。

沖縄と日本の20世紀の戦争の時代を振り返ると、政府が独走始める時、先ず政府に都合の悪い一部の国民が非国民と罵られ従わされ、遂には全国民に犠牲を強いることになった。

実は、事は単純なのです。
日本では、往々にして個人の権利がトップの意向による集団目標の為にないがしろにされるのです。
今が、その時なのです(日本は家族や社会文化にファシズムの芽を絶えず持っている)。

結論を言えば、先の不安(国や米国、右翼が煽る危機)よりも、現在進行中の政治社会の悪化を食い止めることです。

その為の、残された数少ない意思表示の一つなのです。

             
  最後に

様々な流言飛語が飛び交い、沖縄を見る目が曇りがちです。
是非とも本土の皆さん自身が、沖縄の歴史を知り、沖縄を歩き、沖縄の苦しみに思いを馳せていただきたい。

本土の人間も、原発で誤った道を進んだ苦い経験があります(もっともまだ反省していない人もいるが、不思議に太平洋戦争も同様に反省しない)。
かつて国民は原発に反対でした、しかし政府と電力会社の宣伝攻勢により、数十年かけて容認が支配的になりました。
一部の人が警鐘を鳴らしても政府、財界、学会、司法の圧倒的な力と財力で原子力村は増えて行きました。

そして事故が起こりました。
しかし想定外のこととして喧伝した側の人間は誰も責任を取らず、原子力村に暮らしていた人々が犠牲を払うことになった。

このような馬鹿げたことを、まだ繰り返そうとしている政府にNOと言えるのは、恐らく地に足を着けて暮らしている女性でしょう。
女性がより聡明になり、立ち上がらなければ日本は良くならない。


健闘を祈ります。




20181221

北欧3ヵ国を訪ねて 43: オスロ 2: Songnsvann湖からビィグドイ半島まで





*1

今回は、美しい湖から興味津々のビィグドイ半島までを紹介します。
湖畔を少し歩いた後、地下鉄とバスを乗り継いで半島まで行きます。
ちょうど市内の中心部を通過することになります。


< 2. 行程マップ、上が北 >

上から始まります。
Songnsvann湖の茶色線を散策し、その後、黒線の地下鉄でオスロ駅に隣接するJernbanetorgetまで行きます。
それから少し歩き、駅前のバスターミナルJernbanetorget停に行き、赤線のバス№30に乗り、ビィグドイ半島内のFolkmusetで降ります。

写真は2018年6月5日8:38~10:01で撮影したもので、撮影順に並んでいます。



< 3. 湖  >



< 4. 湖を楽しむ人々 >

私が湖畔を散策したのは20分ほどなのですが、写真のように湖畔の遊歩道や広場で楽しむ多くの人々を見かけました。
多くは一人から三人までの一組で、ジョギングやウオークを始めた。
湖畔一周は約3.5kmあり、きっと冬は雪のクロスカントリースキーが素敵でしょう。
また女性が広場のベンチに腰掛けている姿も見た。

本当に、北欧の人は自然を大切にし、自然と共に暮らすことを大切にしている。



< 5. Songnsvann駅に向かう途中 >

下の写真: 途中、ローラ―式クロスカントリースキーを行っている二組のグループを見た。
この建物はノルウェースポーツ科学学校で、この手前にオリンピックの名を関したスポーツホテルがある。
この一帯はどうやら冬のスポーツを楽しみ、訓練する場所のようです。



< 6. 地下鉄からの眺め 1 >

上の写真: 遠くにオスロ湾の海面が見える。
地下鉄と言っても、私が乗ったほとんどは地上を走行した。



< 7. 地下鉄からの眺め 2 >

北欧三ヵ国の電車はほとんど、いつ乗っても空いている。
ラッシュアワーでも、立つことはほとんど無かった。
どこでも車内はゆったりした独立シートで、人を詰め込むと言う発想が無いようだ。
但し、市中の路面電車は観光客も含め、人で一杯になることはある。



< 8. オスロ駅に隣接するJernbanetorget駅 >



< 9. オスロ駅の前を歩く >

上の写真: オスロ駅の東側にあるオスロ大聖堂が見える。

下の写真: どうやらリサイクルと環境保護を訴える廃品で造られた恐竜のようです。
さすが「持続可能性を追求する先進国」と納得した。
どこにもケバケバシイ看板や客引きのパフォーマンスを見ることはなかった。
陽光溢れる清々しい通りです。



< 10. 駅前のバスターミナルJernbanetorget >

上の写真: 写真の赤いバスに乗って目的地に向かいます。
ここには幾つものバス停が並んでおり、同じバス№30でも、行先が違うので注意してください。
結局、私は待っている人にどのバスに乗るべきか確認しました。
バスの乗車に、何らパスなどの提示は必要ありません。
これは地下鉄と路面電車にも通じます、もちろん無料ではありませんが。



< 11. 市内をバスで行く 1 >

下の写真: ここはウオータフロントで、右手にノーベル平和センターが見えます。
昼過ぎに再び訪れた時は、この一帯はたくさんの観光客や市民で溢れていました。



< 12. 市内をバスで行く 1 >

この首都オスロは大火災と首都移転により、400年以内の歴史しかないので目立って古い建築物は無い。
その中で、これは目を惹いた教会でした。



< 13. バスはビィグドイ半島に入っていく >

ほんとうに北欧の港にはヨットやボートが多い。


次回は、珍しいノルウェーの木造教会がある民族博物館を紹介します。