20201207

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 13: 祖谷のかずら橋

  

 

*1

 

 

今回は、祖谷渓を代表する祖谷のかずら橋を紹介します。

これは国指定重要有形民俗文化財です。

以前紹介した奥祖谷二重かずら橋と似ていますが、こちらの方が下流にあり観光に便利です。

 

 

 

 

< 2. 散策地図、上が北 >

 

上: 祖谷川と祖谷のかずら橋、落合集落

赤矢印が落合集落、黄矢印が祖谷のかずら橋です。

 

平家落人と安徳帝の伝説の地は、この祖谷のかずら橋から上流の山間に点在し、多くは落合集落までにあります。

 

下: 散策ルート

2020年6月9日、朝5時から6時まで散策しました。

散策ルートはオレンジ線のSで始め、Bまで行き、黄線で河原に降りて、その後、元へ戻りました。

途中の白線は、祖谷川に掛かる鉄骨構造の橋です。

青線は、旅館をチェックアウト後、車で走ったルートで、Cが最後の写真の位置です。

 

 

 

< 3. 旅館を出て、橋の中央まで >

 

上: 祖谷街道から下流側を望む

 

下: 鉄骨構造の橋の上に着いた。

ここから、かずら橋がよく見えます。

 

朝早いこともあるが、季節外れと新コロナもあり、閑散としていた。

朝は曇っていたが、後に晴れた。

 

 

 

< 4. かずら橋と琵琶の滝 >

 

上: かずら橋

渡るのは有料で、営業時間以外は閉めてある。

 

平家落人が源氏追討軍が攻めて来た時、直ちに橋を切り落とす為に、このかずら橋を掛けたと伝えられている。

 

 

下: 琵琶の滝

かずら橋を左に見ながら道を少し行くと、右の崖に滝が見える。

 

平家落人が京都を偲び、この滝で琵琶を奏でいたことから名づけられたらしい。

 

 

 

 

< 5. 河原に降りて >

 

上: 下流側を望むと、谷間を繋ぐかずら橋が見える

 

下: 上流側を望む

 

 

 

< 6. かずら橋 >

 

上: 祖谷川の左岸から

 

下: 鉄骨構造の橋から

 

 

 

*7

 

 

 

< 8. 祖谷街道と宿泊旅館 >

 

上: かずら橋から祖谷街道へ戻る途中

中央に、一泊した祖谷観光旅館が見える。

 

この旅館は民宿の趣があります。

私がここを選んだのは、かずら橋に近く、安さもあるが、さらい良いことがあったからです。

一つは、高齢の女将さんと、祖谷のことについて色々話が聞けたことです。

話好きな人でした。

今一つは、祖谷の素朴な家庭料理を夕飯に出してくれたことです。

アマゴや山菜料理、蕎麦、コンニャク、タケノコが出ました。

 

残念ながら建物が古く、日本客は普通選ばないかもしれません。

コロナ騒動がなければ、この旅館に海外の観光客、中国人などがよく来たそうです。

海外の人には、日本の旅籠と感じられるでしょう。

 

下: 祖谷観光旅館の前の祖谷街道から下り側を望む。

 

 

 

< 9. かずら橋夢舞台 >

 

今回で、祖谷のかずら橋を訪れたのは4度目です。

以前は、このような巨大な駐車場やバイパスが無く、狭い祖谷街道は車の渋滞が延々と続いたものでした。

この「かずら橋夢舞台」は大型駐車場・イベント広場・物産館・食堂「かずら橋亭」からなる大型観光施設です。

 

上: 祖谷街道側から対岸のかずら橋夢舞台を見た

 

下: 左岸を車で通過した際、かずら橋夢舞台を振り返った

 

 

 

< 10. 左岸のバイパスから下流を望む >

 

これから下流の橋を渡り、また上流側に向かって祖谷街道を走り、平家の落人伝説の地を巡ります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

20201201

デマ、偏見、盲点 31: 嘘は本当か?

  

*1

 

 

ここ10年ほど、日米で絶望的な社会現象が進行している。

それは議論をしようとすると、「それは嘘だ!」と全否定されてしまうことです。

この問題を解き明かします。

 

 

 

*2

 

 

* 「それは嘘だ!」と言った海外の人

 

A: 私がサンクトペテルブルクを旅行している時でした。

若い女性のロシア人通訳に、私はこっそり聞いた。

「プーチン大統領は欧米で評判が悪いが、どう思いますか?」

 

既に彼女とは、ロシアの世情や外交について話していたが、肯定的な答えしか返ってこなかった。

知的で温和だった彼女は一言、「欧米のマスコミは嘘ばかり」と吐き捨てた。

モスクワで会った通訳は、徹底したプーチン信奉者でしたので、まったく噛み合わなかった。

 

 

B: ワルシャワを旅行している時でした。

 

若いポーランド女性の通訳に聞いた。

「私は映画『シンドラーのリスト』を見たが、大戦時、ポーランド側のユダヤ人の扱いも悪かったのではないですか?」

 

既に、私はワルシャワのゲットー跡を観光し、彼女から説明を聞き、更に突っ込んで大戦時の状況を聞いていた。

彼女は、「そんなことは無い。その映画の監督はユダヤ人だから酷く描いている!(嘘だ!)」ときっぱりと言った。

 

私にしてみれば、当時のポーランドが非道に加担していたからと言っても問題にはならないと思うのだが。

 

 

 

*3

 

C: 来日している米国の若い女性と話をした。

 

今年初め、私は彼女に聞いた。

「トランプさんは米国のマスコミの評判が良くないが、どう思われますか?」

 

彼女はトランプ大統領の支持者で、私はトランプ氏の政策や行状について幾つか指摘したが、当然、彼女はトランプ氏を擁護し続けていた。

彼女は、「マスコミは嘘ばかりです!」と言い切り、それ以上、話は出来なかった。

彼女はFox Newsを見ているとのことでした。

 

 

* 日本の状況はどうでしょうか?

 

政府の議会運営や歴史認識などを論じようとすると、決まって「マスコミ、朝日は嘘ばかりだ!」と言われて幕切れとなります。

話がまったく噛み合わない。

 

 

 

* 何処に問題があるのか? 

 

都合の悪い情報を、みな嘘にして無視してしまうと生産的な話が出来ない。

今まさに日米でこの状況が進んでいる。

真偽を確かめる姿勢が完全に失われてしまった。

 

嘘が悪い事は自明ですが、どちらが嘘をついているかが問題です。

「大統領、首相が嘘を言っているとマスコミは報じているが、マスコミが嘘を言っているに過ぎない」

 

この難題を解明する手立てはあるのでしょうか?

 

幾つか真贋を見分けるヒントがあります。

 

順位、  国、   報道の自由度の状況

45位、 米国、   満足できる状況

62位、 ポーランド、顕著な問題

66位、 日本、   顕著な問題

149位、ロシア、  困難な状況

177位、中国、   深刻な問題

 

これは2020年度の世界報道自由度ランキングで、良い方から並べました(各国の弁護士やジャーナリストの意見集約結果)。

下になるほど、その国の報道の自由が侵害されている。

言い換えれば、暴力や権力によって正しい報道が出来ない状況にあります

 

このことから米国の報道は、ロシアや日本よりは、政府に対して堂々と批判出来ていると言えます(完璧ではないが)。

(但し日本と米国はここ10年ほど悪化しています)

 

それでもFox Newsのように、視聴率が2位でも信頼度では、Wall Street JournalABC NewsNew York Times等より落ちて13位に過ぎないマスコミもあります。

このように信頼出来ないが、影響力のあるマスコミも混在します。

(このランキングはReuters Institute Digital News Report 2019のもので、各国のオンラインニュース視聴者の世界的な調査結果です)

 

逆に言えば、日本のマスコミは真実を報道し難いのです。

つまり大半のマスコミは政府に都合の悪い事実を隠蔽し、政府に忖度した虚偽報道している可能性が高い(かつての東欧の放送がそうでした)。

逆に、真実を伝えようとする報道機関は政府から非難され圧力を受けます。

 

これは単純明快な事実です。

太平洋戦争時、日本の民間も政府も虚偽報道を続け、これはナチス時代のドイツも同じで、破局へと突き進みました。

ベトナム戦争時、当初米国の報道機関は真実を伝えることが困難でしたが、やがてテレビによって真実を伝えるようになり、反戦機運が盛り上がりました。

当然、ロシアや中国の体制では、真実の報道は期待出来ない。

 

つまり、「嘘」と簡単に言い切る人は、既に体制側の虚偽報道や発言に洗脳されていると自分を疑ってください。

 

 

 

 

*4

 

* どちらの嘘が深刻か?

 

嘘でも可愛い嘘もあり、悪意が無くても深刻なダメージを与える嘘もある。

政府側や権力側の嘘と、報道機関側の嘘とどちらが深刻かを考えます。

 

歴史を振り返ると、両者の嘘の重みが見えて来ます。

 

報道機関が政府を批判する為に虚偽報道を行って騒乱が起きることはあります。

一方で、政府が虚偽報道によって戦争を正当化し開戦したり、反対勢力を弾圧することは数知れずあります。

大統領の嘘は、独裁の始まりであり、進めば独裁政権誕生です。

これは先日掲載した「連載中 何か変ですよ 219: 恐れろ!怒れ!止めろ!」で事例を挙げています。

 

国民にとって、深刻なのは権力側による虚偽報道・発言です。

なにせ権力によって報道機関や言論を抑圧することが容易で、実力行使出来るのですから。

 

特に、報道の自由度が低い国(日本、ロシア)では、御用新聞が幅を利かし、真実を暴くことはかなり困難が伴うのです。

つまり報道の自由度が低い国ほど、多くのマスコミは政府に都合の良い嘘をつくのです。

 

 

* 嘘を見抜く

 

人間には、嘘をつく人間を注視し遠ざける本能のようなものがあります。

心理学の実験で確かめられています。

そうは言っても、いつの世にも詐欺師は横行しており、多くの人には判別は難しい。

大戦前、ヒトラーの嘘(本性)を見抜けたドイツ人はほんの一握りでした。残念ながら、独ソ戦で優秀な日本政府や軍部首脳も裏切られましたが。

ヒトラーは嘘が上手く、それ以上に大衆を煽動する悪知恵に長けていた(彼は表で清廉潔白を装い、裏で策動を繰り返していた)。

 

少なくと、嘘を平気で繰り返す人物に国を託すことは絶対やってはいけない。

つまり、政府首脳が嘘をついているかどうかを確認することは必須なのです。

 

 

* 結論

 

「嘘」の問題点と見分け方を整理します。

 

証拠を嘘だとして拒否することは簡単だが、賢明ではない。

 

あなたは国の報道統制下に染まっており、何が嘘か見えていない可能性があると疑うべきです。

 

嘘を疑うなら、権力者や政府の発言・報道こそ注視すべきです。彼らの嘘は通り易く、実害が大なのですから。

 

幾ら心地良いことを言っても、嘘をつく人物を信用してはならない。まして国を任すのはもってのほかです。

 

単純な話だが、欲や感情に支配され惑わされる人々は、いつの世にも一定数存在します。

このような人々がナチス時代を先導し、悲劇が繰り返されるのです。

 

 

これで終わります。

 

20201129

中国の外縁を一周して 57: 中国と北欧、そして日本 2: 各国の旅行事情

  

 


*1

 

前回は、各国の余生と余暇の過ごし方を紹介しました。

今回は、各国の旅行事情を紹介します。

それぞれに違いがあり、お国ぶりが見えて来ます。

 

 

 

< 2. スウェーデン、ストックホルムにて >

 

上: 中央駅地下一階にて、コンコースの真下

2018年6月1日、金曜日。

ここには鉄道と郊外電車、地下鉄の駅が集まっているので、行き交う人は多い。

 

下: ドロットニングホルム宮殿行きのクルーズ船乗り場にて

2018年6月3日、日曜日。

人気観光地の市庁舎が直ぐ隣りあります。

 

私が乗った船は満員で立ち続ける人もいた。

乗船客は白人ばかりで、他の人種、特にアジア系の人を見ることはなかった。

夫婦や少数グループが多く、添乗員が引率している団体ツアーは見なかった。

 

 

 

< 3. カールスタッドとオスロにて >

 

上: カールスタッドの鉄道駅のホームにて

2018年6月4日、月曜日。

オスロ行きの国際列車が4時間以上遅れて到着するのですが、乗客がホーム中心に集まって不安げに待っている。

彼らの一人が私に一緒にと声を掛けてくれたが、私は英語が出来ないので一人離れてしまった。

北欧を旅していると、列車の中や至る所で人の温もりを感じた。

 

ただストックホルムでは、駅や空港で業務として関わる人は、英語が喋れないと冷たくあしらうことがあった。

他の二ヵ国ではなかった。

 

下: ヴィーゲラン公園のゲート近くにて

2018年6月6日、水曜日、8:30~9:00に公園を散策。

写真はインドからの観光客一団です。

 

この公園を観光している人は少なく、市民をちらほら見ただけでした。

アベックや犬の散歩、自転車で行き交う人々でした。

ゲートを出ようとしていると、韓国人らしい一団とインドからの一団がゲートから入ってくるのを見た。

私の公園訪問が朝早すぎたのでしょう。

 

 

 

< 4. フェリーと地下鉄にて >

 

上: オスロ湾を行くフェリーにて

2018年6月6日、水曜日。

このフェリーはコペンハーゲンとを結ぶ国際航路です。

フェリーの後部デッキでは乗船客がクルーズ気分を楽しんでいた。

デッキは白人ばかりで、明かに旅行客風でした。

乗船時にはアジア人の小グループ、食事中には日本人ツアー客も見かけま

した。

私も含めてアジア人はまだクルーズ船のデッキで寛ぐことに慣れていないようです。

 

下: オスロの地下鉄にて

2018年6月5日、火曜日。

早朝の移動中に、彼は私に関心を示し、寄って来て声を掛けてくれた。

彼は、彼の日本旅行について話してくれた。

彼は数年前、奥さんと長男(写真の子ではない)で2ヶ月間、日本を旅行したそうです。

特に富士山登山が気に入ったそうです。

彼の日本の印象は非常に良かったようで、私ともっと話したかったようだ。

 

 

 

* 北欧三ヵ国で見た旅行者

 

北欧を巡っていると、白人は夫婦や少数のグループで旅行していることが多い。

観光地で見かけた白人が外国人かは判然としないが、多分に近隣諸国からの人もいるようだった。

 

一方、気になったの日本人の少なさです。

ストックホルムで、数人の日本人ツアー客らが自由時間を楽しんでいるのを見たことはあったが、他ではまったく日本人を見なかった。

コペンハーゲンの図書館で、現地に暮らしている日本人親子とあっただけでした。

たまたま、空港で宇都宮弁護士の北欧訪問に随行した人々を見かけてホットした(会話が聞こえたので分かった)。

 

あまりポピュラーでない観光地(野外博物館)などで、韓国人の団体ツアーを見かけたことはあった。

一番感心したのは、私がデンマークのシェラン島の端まで観光しようとしていると、中国人の母娘がそれを上回る意欲的な観光を計画していることでした(行先が聞こえたので分かった)。

 

今まで西欧や東欧などを旅行した時、何処に行っても中国の団体ツアーと出くわし、彼らのマナーの悪さに辟易したものでした。

しかし、北欧の旅で見た中国人は、少数のグループで都市部の宮殿や地方の観光地を自由に旅していた。

ひょっとすると、現地に移民した人が、友人や家族を案内している可能性もある。

少数の東南アジア人グループを観光地で見かけたが、これもそうかもしれない。

その内の誰かが英語を話せるのだろう。

それにしてもまったく日本人を見ない。

 

日本人の海外進出意欲の減退に危機感を持った。

単に、国が貧しくなったからかもしれないが。

日本人の出国人数は年々増加し2千万人を越えたのだが、実は、一人当たりの旅行費用は約20年前より35%ほど低下し、ここ数年の円安も加わり旅行先は手頃な所になっているのでしょう。

 

一方、中国人の海外旅行者数は15年間で3千万人から1億3千万人に増えており、うなぎ上りです。

こうして世界中の観光地は中国人が溢れるようになった。

 

 

 

< 5. 麗江と北京にて >

 

上: 麗江の新幹線駅にて、ここは始発駅です

2019年10月27日、日曜日。

ホームは、改札を終えてこれから乗車する人で一杯になった。

乗車する人は年配者もいるが、多くは若いか中年の軽装の旅行者でした。

 

30年ほど前、広州から香港へと列車で移動した時は、若い人は少なく、大きな荷物(安ぽっい袋)を持った中年以上の人で列車は一杯でした。

中国では、その後、経済成長に伴って国内旅行が爆発的に増えた。

 

ここ10年の中国で驚かされるのは、至る所に出来た新幹線駅が巨大すぎることです。

本当に歩くのが疲れる。

しかも、私が乗った連結数の多い列車はいつも満杯に近かった。

中国の新幹線網は日々延びているので、旅行する時は、新幹線が通じているかもしれないと疑ってみることです。

駅は空港より便利な位置にあり、本数も多い、但し運賃は安くは無いが。

 

 

下: 北京の天安門広場にて

2019年10月19日、土曜日。

この時は、中国建国70周年年の記念事業があったので、広大な広場は人で埋め尽くされていました。

 

 

 

< 6.北京と麗江にて >

 

上: 北京の飲食店にて

2019年10月17日、木曜日、夜9時を過ぎた頃。

 

王府井を歩いて驚いたのは、夜が更けると若い人々は通りから去り、年寄りを含む団体ツアーが闊歩しているのが目立ったことです。

これは多くの店が閉まるからなのですが、まだ若干の飲食店が開いているので、そこにツアー客が押し寄せるのです。

ツアーの中には年齢から見て勤め人もいるはずですが、このように平日も旅行出来るようです。

 

その元気さに、かつての日本人の海外旅行熱を思い出しました。

私達日本人も夜遅くまで観光地を出歩き、また多くの人はブランド店で数十万円を費やし、バックなどを買い漁っていた。

そんな時代は遠い昔となったが。

 

 

下: 麗江の飲食街にて

2019年10月25日、金曜日、夜の7時頃。

 

麗江は、私にとって中国で唯一の残された歴史的な町並みのはずでした。

客家土楼なども歴史的な建物が残っているが、街並みと言う点では異なります。

楽しみにしていた開封の街並みも、真に歴史的なものはなかった。

麗江の町並みは土産物・飲食店街と化し、さらに夜になると音楽と歌声が鳴り響く古镇のテーマパークと化す(それでも充分に中世の雰囲気は味わえます)。

夜遅くまで彼らは歴史地区で歓談し飲食している。

 

少し失望したが、中国の商魂たくましい姿に苦笑いし、非日常を精一杯愉しむ人々の姿に圧倒された。

 

 

 

< 7. 頤和園と什刹海公園にて >

 

上: 頤和園の昆明湖に面して

2019年10月19日、土曜日。

もの凄い人出で、建物で囲まれた中庭では押し競まんじゅう状態でした。

圧倒的に中国人の団体ツアーが多い。

添乗員の旗を見ていると、中国各地から来ているのがわかる。

ラフな服装で、旅を満喫している姿が印象的でした。

 

下: 什刹海公園にて

2019年10月18日、金曜日。

 

20台にも達しそうな人力車の行列が湖沿いの道を通って行きます。

もの凄い観光客が周囲を埋め尽くし、人力車は団体客で満杯でした。

 

 

 

* 中国で見た旅行者

 

ここ30年間、中国を旅するようになって驚くことの一つは、国内旅行が年々盛んになっていることです。

 

15年以上前、当時日本ではほとんど知られていなかった客家土楼を友人の案内で見学した時、一人の中国人旅行者が一眼レフで撮影しているのに驚いた。

それまでの中国観光でこのような事を見ることはなかった。

当然、そこにいるよそ者は私と友人、そしてそのカメラマン一人だけでした。

 

また廈門の海岸に案内してもらった時にも驚きの光景を目にした。

夕陽が沈む砂浜で、百人を越える人々が海岸線に並び、立ち尽くしていた。

友人の話によると、彼らは海の無い貴州省(雲南の東北で隣接)から来た人々だった。

 

しかし今は異なる。

帰国時、私は昆明から関空に向かう機内で若い中国人女性に声を掛けた。

彼女はツアーで日本に初めて旅行するとのことでした。

彼女は日本のことをほとんど知らないようでした。

今は、中国各地と日本の間に多くの直行便があります。

私にとっては中国の航空運賃は安いが、彼女にとってはそうではないはずです。

昆明では日本人観光客をまったく見ることがなかったし、昆明では日本があまり知られていないように思う。

実に、彼らは気楽に旅をするようになった。

 

また成都をタクシーで観光していた時、通訳を介して知ったのですが、運転手の娘さんがちょうど大阪を観光していた。

そして、大阪の貧弱な宿泊ホテルに娘さんが驚いて、その写真をメールで送って来たそうです。

おそらく民泊のことだろう、恥ずかしくなった。

中国では一泊1万円も出せば、非常に立派なホテルに泊まれるのだが。

 

こうして中国の人々は余暇を楽しみ、海外や日本を知ることになるだろう。

これは誤解を遠ざけ、相互理解を育むだろう。

世界の進んだマナーや文化を知り、異なる国の実態を知る事になる。

 

2019年の中国国内旅行者数は60億人を越えており、伸び率は9%もありました(一人当たり年4.3回=60億/13億)。

同年、日本では一人当たり年4.6回で伸び率4%でした。

 

それにしても、今回、中国を旅していて、白人や日本人の観光客を見かけたことはなかった(外縁部を周ったせいもあるが)。

明かに以前に比べ日本人観光客は減っている。

現地の日本語ガイド達が嘆いていた。

これは年々日本政府が右傾化し、中国への恐怖を煽ったのが一因でしょう。

残念です。

 

白人観光客も少ないが、麗江の木府でチェコから来たツアー客にあった。

私が訪れたプラハやチェスキークルムロフについて語ると彼らは喜んでくれた。

旅先の出会いには心温まるものがある。

 

中国には年間1億5千万人ほどの外国人観光客が来るのですが、国土が広いので目立たないのでしょうか?

 

 

 

* 日本の残念なところ

 

北欧の人は海外に強い関心を持っており、高校生ぐらいから海外へ長期に出かけることになる。

これは文化もあるが、語学教育や休学制度、企業の採用慣習も後押ししている。

ヴァイキングの開拓精神がここにも息づいているように思える。

スウェーデンでは国民の約60%が年に一度は海外に出かけるそうです。

これが北欧の企業や人材の国際化を生み続けている理由でしょう。

 

中国では、既に日本人口を越える人が海外に行き、その人口割合も日本(15%)をもうすぐ超えるでしょう。

中国人の一番の海外旅行先は日本で、次いで東南アジア各国が続きます。

しかし、日本人の行先は一番が台湾で、ハワイ、韓国、イタリアが続き、中国は20番にも入りません。

日本人は上海には行くようですが。

 

こうして中国人の日本評価は高まって来ているが、一方で日本人の中国理解は、政府と右翼の煽動もあり悪化し続けている。

日本人の長期海外留学は減り、年追うごとの経済衰退に連れて、日本人は世界や近隣諸国への興味と理解が乏しくなっている。

 

一方中国は、外国人にとって日増しに旅行がし易くなっている。

多数ある航空会社、新幹線、ホテルを日本からインターネットで予約出来、また旅行サイトTrip.comを使えば日本語で予約出来る。

安全やサービスも問題ない。

中国の地図アプリなどをスマホにインストールすれば便利です。

中国語に馴れる必要はあるが。

VPNサービス(有料)を利用すればグーグル翻訳も使えます。

トイレはヨーロッパより便利で急速に綺麗になって来ている。

さらにすべてにおいて安いのが良い。

ヨーロッパ旅行の半額で行けます。

 

偏見を持たずに中国を旅行してください。

驚きの連続ですよ!

 

 

次回に続きます。

 

 

 

20201125

連載中 何か変ですよ 219: 恐れろ!怒れ!止めろ!

  


 

*1

 

人はじわじわと迫って来るものには恐怖を感じない。

自然災害や金融危機が繰り返すたびに巨大化しても!

さらには民主主義が日々破壊されて行っても!

まるで対岸の火事を見る野次馬のように

 

 

* 何を恐れるべきか?

 

今回、米国国民はかろうじて危険な大統領を退ける意思表示を行った。

だが、大統領による異常な民主主義の破壊が止まらない。

実は、この愚行は日本にも既に蔓延している。

 

現大統領が敗北を逃れるためなら手段を選ばず、さらに国を二分する共和党の指導者と支持者らも片棒を担いで恥じない。

これこそ泥沼の戦闘状態だ。

かつて過激な共和党議員が「政治は戦争」「文化戦争だ」と、ここ40年の間に言って来たことだ。

 

トランプ大統領の稚拙で悪意ある言動が米国だけでなく世界を掻き回している(フェイクは2000件を越える)。

 

 

 

< 2.ある保守の妄言 >

 

トランプは、11月4日のワシントンの抗議集会について「参加者、数十万人に感謝」とツイートし、ホワイトハウスの報道官はこれを百万人と公言した。

しかし日米の代表的なマスコミは、これを数千人から1万人強だとした。

 

やがて、数十万人が通りを埋める写真や動画が出回り、日本のウヨと保守も便乗して気勢を上げた。

「トランプの人気は絶大だ!」「真実を隠すマスコミを信じるな!」と。

 

ところが11月17日、オンラインメディアのBuzzFeed が、ファクトチェックの結果を公表した。

出回った写真や動画は、カナダの優勝行進や、2017年のワシントンで行われた反トランプ集会のものだった。

 

 

 

< 3.武漢ウイルス >

 

 

今年7月、香港のウイルス女性専門家、閻麗夢が米FOXニュースで暴露発言を行い衝撃が走った。

「新型コロナウイルスは武漢ウイルス研究所で作られた」と。

 

正にトランプの指摘通りだった。

トランプ支持者と日本の保守は沸き立った。

彼女の発言が怪しいと踏んだ米ツイッター社はこれを制限し、これがまた言論の自由を破壊すると非難する輩も現れた。

 

しかし11月20日、米ニューヨーク・タイムズが暴露記事を出した。

 

かつての主席戦略官のバノンと、米国に逃走した中国大富豪が仕組んだ扇動だったと。

彼女の不確かな発言が、トランプ支援派と反中国派に利用され、中国敵視の火に油を注いだ。

米国の至るところで、中国人と東アジア人が罵られ暴行を受けるようになった。

 

 

< 4.ナイラ証言 >

 

これと似た事が、1990年の共和党政権でも起きていた。

ある委員会で、少女ナイラは涙ながらに侵攻したイラク軍による残虐行為を訴えた。

この証言によって米国世論は一気に湾岸戦争へと沸き立った。

 

しかし、これがまったくの嘘だと判明した。

湾岸戦争突入後ではあったが、この時もニューヨーク・タイムズが暴露した。

「新生児を虐待死させた事実はなく、実は、ナイラはクウェート駐米大使の娘で、芝居だった」と。

 

この手の嘘や煽りは、ベトナム戦争のトンキン湾事件などでも起きた(民主党政権)。

1948年に始まる言論弾圧と職場追放の赤狩りも一共和党議員が始めた。

 

既に、米国民の半数弱と政党が党利党略の為なら民主主義を捨てつつある。

日本も同様で、前首相や周辺によるただならぬ虚言・隠蔽や議会運営がまかり通っている(森友・加計、桜を見る会など)。

 

皆さん、民主主義の破壊が進んでいることを恐れて欲しい!

 

 

< 5. 季節と政治は巡る >

 

 

* 何に怒るべきなのか?

 

今、米国だけでなく日本と西欧にまで、虚言を弄し対立を煽り、都合の悪い事実を隠蔽し、反対派を封じ込め、絶大な人気を得て、国を操ろうとする政治家が力を得ている。

このまま進めば、民主主義が破壊され、やがて独裁者が生まれ、遂にはいとも簡単に戦争を始める。

これは、かつての日独伊のファシズムへの歩みに酷似している。

 

歴史上繰り返された悲惨な状況は、独裁国家の末路と断言できる。

多くは独裁による自由と人権を奪われた社会、そして戦争でした。

 

当然、これは社会背景があってのことだ。

今、日米欧の経済状況は大戦前ほど酷くは無いが、ここ40年ほどで大多数の国民が不満(貧富の差拡大とマイノリティ優遇)と焦燥感を持っようになったことが大きい(中間層の没落)。

 

しかし、先ずは政治家による民主主義の破壊行為に怒るべきだ!

馴れてしまってはいけない。

民主主義は社会が正常に機能する最低条件なのだ!

 

 

* 何を止めるべきか?

 

現実に起きている民主主義の破壊を止めることが急務です。

政府やトップが繰り返す虚言・隠蔽・捏造・ミスリード、また議会運営と行政で頻発する規範逸脱は民主主義破壊の始まりです。

今は、小さくても放置すれば、確実に取り返しのつかない末路が待っている。

 

私達日本人は、米国のように対立する政党に対して、勝つためなら規範破りや社会正義の無視を正当化させてはならない。

放置すれば、やがて互いに泥沼に嵌り、最悪の事態になるだろう。

 

今、皆さんが出来ることは、政府や議員が民主主義のルールを破れば「ノー」の態度を示す事です。

少なくとも選挙で!

 

 

皆さんの良識に期待して、終わります。

 

 

20201121

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 12: 深い谷に張り付く落合集落

  



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今回は、祖谷を代表する山村を紹介します。

この落合集落は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、

江戸末期以降の山村の風情を今に残しています。

 

 

 

 

< 2. 祖谷の全景 >

 

上: 上が北で右が上流、写っている東西の距離は約35kmです。

緑のバルーンが二重かずら橋、赤のバルーンが宿泊地の西祖谷のかずら橋です。

私は紺色線の祖谷川沿いの祖谷街道を車で走りました。

赤矢印が落合集落で、矢印の方向に眺めています。

黄色の矢印は、吉野川上流の大歩危辺りです。

上の茶色の矢印は東西に流れの向きを変えた吉野川に面する貞光の町です。

黒矢印は剣山頂上で、ピンク矢印は三嶺山の頂上です。

 

中央: 上が北で、右が上流です。

白い枠が落合集落、ピンク枠が平家伝説が伝わる栗枝渡です。

赤矢印は概ね祖谷川対岸の展望所からの撮影方向です。

東西(左右)に曲がりくねっている線が、祖谷川と祖谷街道です。

私は右側から下って来た。

 

下: 上が東で、上流です

赤矢印は概ね祖谷川対岸の展望所からの撮影方向です。

ピンクの矢印は、三嶺山の頂上で、もっと奥に剣山があります。

私は上部から下って来た。

 

二枚の写真から分かるように、祖谷川の両斜面、それも高い所に山村が散在している。

谷底を行く祖谷街道を走っているだけでは、これら村の全容は分からない。

 

 

 

< 3. 落合集落展望所 >

 

上: 展望所に行く途中、道路工事で30分ほど足止めされた。

この時、上流側を見ると、幾重にも造られた砂防ダムが見えた。

この後、至る所で作業中の道路工事に出くわした。

後に理解出来たのですが、この祖谷は道路やダムなどの公共工事(建設業)が重要な産業なのです。

なんと就業者の人口比率は建設業が40%近くあり、農業は3%以下に低下しているのです。

観光で暮らしいる人も多く、中国の観光客も訪れるそうです。

2017年の大歩危・祖谷地区の外国人宿泊者数は2万人近くになり、10年で34倍になったそうです。

ただ今年はコロナで閑散としていました。

 

この地は、日本三大秘境の一つと言われ観光に恵まれている。

一方、同じ徳島県でも素晴らしい海岸を持つ海部郡が、観光客に恵まれないのは残念です。

 

 

下: 落合集落展望所

ここは集落を眺望する対岸の高台に設けられている。

この展望所には三方から車で行け、駐車場とトイレが備わっています。

非常にありがたい。

但し、上流側から行く道は道幅が狭いので避けた方が良いでしょう。

 

 

 

< 4. 落合集落と周辺 >

 

上: 左の山の斜面に落合集落が見える。

 

下: 右の山の斜面に落合集落が見える。

 

 

 

< 5. 落合集落の全景 >

 

一度、歩いてみようと思い、下まで行ったが、とても気後れして止めた。

私には集落の平均斜度が45度に思えた(実際は無いだろいうが)。

 

 

* 落合集落

落合集落は一つの峰が祖谷川に落ちる南斜面にあり、東西750m、南北850m、高低差390mある。

この集落の起源は南北朝時代まで遡り、祖先は南朝方で戦ったらしい。

茅葺の家、畑・道・家屋を擁壁した石積み、猫の額ほどの畑が急斜面に積み重なるように連なっている風景は独特です。

現存する家屋や石垣、石の階段の道(里道)などは江戸末期に遡るものがあるそうです。

ただ多くの畑は放置され、草が蔓延っている。

高齢化で担い手が減る一方です。

 

ここは特に平家落人伝説との関りがないようです。

ただ、この左手、少し下った祖谷川を挟んで9ヶ所ほど、また直ぐ上流二ヵ所に安徳天皇や平家に纏わる遺跡がある。

これら遺跡の幾分かは次回紹介します。

 

ここで二つの落人集団(平家とな南朝方)を想定すると面白い。

平家の落人が祖谷に来たのが12世紀末(壇ノ浦の戦い後)で、落合の祖先が南北朝時代なら14世紀だったはず。

つまり平家の子孫が先に陣取っていたので、後から来た落合の祖先は更に上流に行かなければならなかった。

こうして平家の史跡は落合より下流に多いのだろう。

 

それにしても不思議なのは、こんな奥地に逃げて来て、生計をどのように立てのだろうか?

宿の主に聞いたり、資料を見ると、幾らか分かって来た。

 

貞光川の中流の一宇もそうだったが、祖谷もタバコ栽培で共通していた。

この落合では、他に馬鈴薯と麦の栽培、養蚕が行われていた。

しかし日本の高度経済成長に伴って、過疎化が進展し、農地は放棄され、杉の植林や雑草地が増えて行った。

かつて、この祖谷では年二回の焼畑によって、ヒエ、アワ、ミツマタ(和紙の原料)、蕎麦、大豆、麦が栽培されていた。

明治以降、ミツマタと煙草は貴重な現金収入となったが、1990年までには終止符を打った。

 

このような山腹の畑で給水はどうしたのか?

山がちな淡路島なら、山腹の上部にまで造られた溜池が役割を果たしている。

スペインの丘にある城塞都市なら、川底に達する深い井戸か水道橋が不可欠だった。

じっくり観察していないが、この地の集落で井戸は目に付かなかった。

この疑問は、西祖谷の旅館に泊まって氷解した。

旅館の水はすべて湧水で、散歩していても至るところで湧水が勢いよく流れ落ちていた。

どうやら地質の関係で、豊富な湧水が昔から得られたのが幸いしたのだろう(祖谷川の南斜面に多いらしい)。

 

 

下: 落合集落の上部を望遠で

 

 

 

 

 

< 6. 落合集落の下部を望遠で >

 

上: 中央の茅葺屋根の家は長岡家住宅と思われる

ここは標高610mにあり、落合の支配階級の家であったらしい。

明治34年の築とされている。

 

下: 一番下に家屋が二列に横に並んでいるのは、祖谷川沿いの祖谷街道を挟んでいる町並みです。

この祖谷街道が出来たのは1920年(大正9年)です。

それ以前、この地域の物資輸送や移動はどうしていたのだろうか?

冬は雪が積もるだろうに。

 

 

 

< 7. 展望所を離れる >

 

上: 展望所が道路脇左に見える

 

下: 少し離れた所から落合集落を見た

 

 

 

< 8. 栗枝渡の集落 >

 

上: 右手山の斜面上方の村が栗枝渡(くりしど)

ここからは見えないが集落の更に上部奥に、安徳天皇に纏わる史跡がある。

次回、紹介します。

落合集落から一つ谷を挟んだ下流1kmの峰の端に、この栗枝渡がある。

 

下: 上流側を見る

 

 

 

< 9. 橋を渡る >

 

祖谷川にはこのような橋が幾つもあるが、ここは特に見晴らしが良かった。

 

 

 

< 10. 橋の上から上流を望む >

 

深い谷と深い森が秘境を実感させる。

 

 

 

< 11. 橋の上から下流を望む >

 

 

次回に続きます。